獣の幸福

嘉野六鴉

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17.血と雨と

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 ブレイン・ロッズ・オルデアスにとって、オルデアス家当主の座は約束されたものであった。
 ロッズの中では言うに及ばず、一族全体を鑑みてもブレインの異能の才覚は幼い頃から誰もが認めるところであり、いずれは必ずや当主となるだろう、と。

 彼が十歳の時に生まれた、ジルヴェスト・ディーク・オルデアスさえいなければ。

 希少で特異なオルデアスの血を市井へ流出させるという禁忌を犯した、先代オルデアス家当主。
 その実の息子でありながらも、誰一人、次期当主にジルヴェストは相応しくないと声を上げることすらなかった。
 それほどまでに強大な異能を、たった一人の男が保持していた。

 そうしてまた、ディークの血統がオルデアス家当主となったのだ。

 その結果、長年他の血統――特に『ディーク』への劣等感を募らせていたロッズの長たるブレインの祖父は、自分の存命中に自らの血統が当主に就く可能性が限りなく低くなったことを、孫自身の不出来さのせいだと理不尽に責め立てるようになっていった。

 かつては誰よりも自分のことを評価し、称賛し、良き理解者でもあった存在へ抱いていた絶大な信頼。
 それを失ったことは、まだ若かった男のその後の人生観に決して消えない影を落とした。

 とはいえ、ブレイン自身はジルヴェストという年下の男を決して嫌ってはいなかったのだ。
 一族内の血統においては政敵同士であったとしても、手のかかる魔獣を相手に共闘する存在として、これ以上頼もしい者はなく。
 人間ではオルデアスだけに許された奇跡の力が、世界の摂理を容易く粉砕する様を間近で観察できることは喜びでもあった。

 そのうえ、強大すぎる異能の力に振りまわされ気味であった少年が、一時とはいえブレインへ密かに師事した過去もある。
 魔獣討伐の長期遠征中でなければ叶わなかったであろう、ロッズとディークの二人による師弟関係を知る者は、当事者以外皆無だ。

 だからこそ、こうして明確に敵対することになった今でさえ、ブレインは現オルデアス家当主のことを個人的には憎からず思っている。


 ただしそれは、そのジルヴェストの異母弟を血に染めることを躊躇するような感情――ではない。


「――ふむ。水への支配権が先程よりも格段に強まっているな。どのような仕掛けか些か興味はあるが……まだ続けるか?」

 平淡な声音で呟くように話しかけながら悠然と佇むブレインの周囲には、つい先程まで石畳だった物が不揃いな大きさで無数に浮かび上がり、ピタリと静止している。
 が、前方から視認性の低いか細い水流の矢が音もなく雨のように飛来した瞬間、素早く位置を変えると、その全てを受け止める盾となった。

 耳障りな鈍い音と共に、石の盾の幾つかはその表面を穿たれ砕けるものの、それが荒れた街道へと転がるよりも先に僅かな水が地を濡らす。
 その隙をつくかのように、ブレインの背後からも数本の水流が地を這うように飛び掛かって来るが、結局は同じ出来事が繰り返されるだけだ。

 後ろを振り向くことも、ましてや一歩たりとも立ち位置を変えることもせず、黒装束に身を包んだ男は冷めた青の瞳を僅かに細める。
 その視線の先では、青藍だったはずのロングコートを歪な黒の色で染め上げた青年が、地に片膝と片腕をついた姿で蹲っていた。

 服だけではなく、青年が抱えたままの王子の顔も、二人の足元に広がる無事な石畳の上も、赤黒い水で濡れている。
 彼らを守るように存在していた一際巨大な水流も、たった数回の攻防によって今はもう幾つかの拳大の球の姿となり、頼りなく周囲を浮遊しているに過ぎない。

 それでも浅紫の瞳に灯る光の強さに翳りの一つもないのは、その手に抱く主が無傷のままだからか。

 青ざめた顔で、護衛が肩口に負った深い傷に震える両手を押し当てながら強く強く口を引き結んでいる少年の、膝立ちしている姿。
 ブレインはそれを一瞥した後、おもむろに指先を二人へ向ける。
 その瞬間に吹き荒れた風が、ただの風であるはずもなく。

 慌てて水球の幾つかが繋がり合い姿を変え、満身創痍の護衛とその主を覆うように包み込もうとするが、大抵の魔獣を容易く切り刻めるほどの風の刃を完全に阻むことなどできない。

「っ……キオ!!」

 体からまた幾つかの鮮血が宙を舞うなかで、キオは悲鳴の音で自分の名を呼ぶ主の声を聞いた。

(……クソが。でも、これで……いや、あと少し粘れるか……)

 体を苛む激痛と失血のなか、それでも胸の内でまだ悪態をついていられるのは、泣きそうな顔で自分を支えるように抱きしめてくれるフレンを守れているからだ。
 だが、勝敗は誰の目から見ても既に明らかだろう。

 キオがブレインとまともに異能で渡り合えたのは、僅か一合い。
 身を盾にしなければ、続けざまに放たれた鋭利な風から主を庇いきれず、あっという間に傷を負った。

 ブレインに率いられた異国の言葉を話す襲撃者たちも、初めて目にしたであろう異能による戦いを前に今は街道の隅から様子を窺っているだけだが、勝者の立場である余裕が佇まいから垣間見える。
 視界の隅で密かにそれを眺めたキオは、もうほとんど役に立たない体へまた少し力を込めた。

 フレンを抱く左腕は大きく切り裂かれた肩口を除けばほとんど無傷だが、右腕はコートの生地すらほとんど残っていないほどボロボロだ。
 まだ五指が全て繋がっているのは、単に幸運だっただけと自覚している。
 右の脇腹付近からも大きくコートの色が変わっているが、それよりも問題なのは、かろうじて膝をつくことができた左足だ。
 おそらく腱を切られたのだろう、力が入らない。
 ぼたぼたと石畳へ滴り落ちる血が少しずつ面積を広げていくなか、抱き寄せているフレンがいなければ体のバランスを保つのも難しい。

 守っているつもりなのに、これではどちらが支えられているのかわからない。
 そう小さく自嘲したつもりだったのに、キオの口から零れたのは不規則な呼吸と嚙み殺した呻き声だけ。

「キオ……キオ、もう、もうい――っ」

 震える声で口走りかけた言葉を咄嗟に飲み込んだ小さな主は、やはりどこまでも優しい子だとキオは思う。
 こんな無様を晒しているのに、必ず守ると言った約束を信じてくれているのだろう。
 フレンを守るために在る自分――唯一誇れるその存在意義を、他ならぬ主が尊重してくれる。

 その幸せと体越しに感じる確かな温もりが、キオの意識を変わることなく鮮明に繋ぎ止めていた。

(あと少し――もう一撃くらいならば、受けれる……それなら、オレの力でも奴へ届くか?)

 宙に浮かぶ水球は残り二つまで数を減らし、時折摂理に従うように地へと落ちかけるほど不安定だ。
 その状況と、元から白いキオの顔が更に作り物めいた白さへと変わった様を眺め、ブレインはもう一度口を開いた。

「そろそろ限界だろう。生憎私は癒しの術が得意ではない。無駄に足掻けば、本当に死ぬぞ――ん?」

 足を奪っておきながらも、ブレインが失血からの意識喪失をわざわざ待っているのは、いくら実力差があろうとキオがオルデアス家の人間だからだ。

 意識があれば、どんな異能で抵抗されるかわからない。
 だが反対に言えば、意識さえなければ問題はない。

 伝承の時代ならいざ知らず、無意識下で発動できるような特殊な異能など、今はとうに失われている。
 一族の中で常に上位者として生きてきた男は、それをよく知っていた。
 それゆえにブレインが不意に零した疑問の声は、キオに起因する何かではない。

 ただ単に突然、ぽつりと一滴の雨がその頬を濡らしたせいだ。

 晴れ渡っていたはずの空をブレインが一瞥すると、夕焼け色に染まっていた天を隔てるように厚い黒雲が流れ込んでくるところだった。
 二度、三度、瞬きを繰り返すうちに、仄暗さと共に軽い雨音が森の街道を包み込んでいく。

「……こんな時に雨か、鬱陶しい」

 そう独り言ちた男は、念のために雨と自分を隔てるようにガラスケースのような結界を異能で創り上げた。
 対峙する青年が水との親和性が高い異能の持ち主である以上、この天候の急変に足元を掬われるとも限らない。
 もっとも、それは万に一つもない可能性だろうと考えながらもブレインはほんの僅か、思索に耽った。

(欠陥品、一族の恥晒し……そう当主が公言したのは、何年か前の新年祝賀の席だったか)

 一族の中でも主だった有力者たちが勢ぞろいする場で、静かに、されどはっきりとそう言い放ったのを、ブレインも確かに聞いた。
 そう評された少年が、幼さが微かに残る整った顔を真っ青にして俯き、小さく肩を震わせながら、その場に同席していたことも覚えている。

(確かに、ジルヴェストと比べるならば凡庸な異能ではある。だが私の前ですら水の支配権を維持し続け、ここまで攻守に対応できる者など……各血統の上位者とも遜色はなかろう)

 ただその力は、残念ながら自分を殺すには至らなかっただけ。

 僅かな期待から一転、いつもの諦念に満ちた光をアイスブルーの瞳に宿したブレイン。
 その目には、血に染まり蹲る青年の体に容赦なく降りかかる雨が、命という体温を更に奪っていく光景が映っていた。

 負わせた傷の数、深さ、失血の量。
 それをほぼ正確に把握している男は、胸の内で大きなため息を零す。

(有能な一族を散らすのは惜しいが……所詮命など、そういうものか)

 ついには項垂れるように視線を伏せた手負いの獲物からは、もはや表情も読み取れない。
 その体が崩れ落ちるまで、あと幾ばくも無いだろう。
 貴重な死体の運搬と目撃者たる騎士たち、そして王族の処理について、ブレインが頭の中で計画を再確認し始めようとした時。

 穏やかな雨音のなかで、やけにはっきりとその声は響いた。


「オレの勝ちだ。ブレイン・ロッズ・オルデアス」


 錯乱したにしては落ち着き払った声音で告げられた、不遜な台詞。
 それにブレインが眉を寄せるでもなく、反対に僅か目を細めたのは、この状況からまだ何か逆転の一手を打ってくるのかという期待からだった。

 だが次の瞬間、なぜか高く宙を舞っている自分には、さすがに虚を突かれた。

(なっ!?ばかな……結界は?なぜ、体が動か――)

 くるくると回る視界には、雨と黒雲、森と街道がせわしなく移り変わり、状況の把握が一歩遅れる。
 弧を描くように飛ばされた自分が身動き一つ思い通りにならないまま、ようやく落下し始めたのを感じた時、ブレインはやっと全てを理解した。

 眼下の街道に立つ黒装束の姿は確かに自分の物ではあるが、その首から上を失っていることも。
 雨に濡れ始めた体の傍には、漆黒の影を塗り固めたような細長い何かが一つ、宙で体をくねらせていることも。
 不安定な視界の中で、どうにか目で追ったその影の発生源が、血だまりが広がる青年の足元であることも。

 どんな魔獣の一撃をも防いできた防御結界――若かりし頃のジルヴェストにも通用した強固な守りの異能が、認識外の速さで僅か一撃の下で消し去られ、この首を刈られたのだ、と。

(は、ははっ……素晴らしい。これが最高血統の異能、その一端か……)

 視界と意識が急速に闇へと包まれるなか、ブレインの思考は掻き消えていき――その後、二度と目覚めることはなかった。


 そうして水に濡れた石畳に、空へ舞い上がっていた何かがどちゃりと音を立てて落ちると同時に、首を失った男の体がゆっくり前へと傾き、倒れる。

 それが、一方的な蹂躙劇の幕開けでもあった。


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