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始まった日常
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帰宅後、ゲストルームに直行した蒴也は実年齢よりも幼い陽の寝顔を見て、少し残念に思う。
陽が起きている内に帰って来れたら、黒目がちの大きな瞳を見て「ただいま」と言えたのに。
今そう言って迎えてくれるのは、美丈夫とは言え自分よりも年上の闇医者なのだから。
組事務所には赴いたが、自分は普段と変わらず書類を捌いただけなのだ。大した疲れも感じることなく帰って来れたのは偏に優秀な部下達の働き故だ。
『咲恵さんとも相談したんだけどね』
切り出す佐伯の話に、それも必要なことかと納得する。咲恵が以前勤務していた小児医療センターでの陽の受診だ。設備の整った機関で心身の現状を把握する必要があるだろう、と。
今日1日、起きて過ごす時間の長かった陽だったが、発した言葉はやはり「おしっこ」だけだったようだ。
辛うじて興味を示したものと言えば、窓の外、眼下を行き交う自動車だったと言う。
食事においても、お粥や白身魚と言った子供が喜びそうにないメニューだったためか、何か別の理由があったのか、大した量は食べられなかったようだ。
咲恵や佐伯の呼び掛けにも大した反応は見せず、殆どの時間を窓辺で外を見て過ごしたのだと言う。
『咲恵さん明日も同じぐらいの時間には来てくれるって』
夜は危ないから少し早めに帰ってもらったよ、彼女は自転車だから。勝手なことしてごめんね、と頭を下げる佐伯に何一つ非はない。
受診日に関しては陽の様子を見ながら決めることにして、佐伯もマンションを後にした。
『あ、咲恵さんが2人の食事も用意してくれたから食べてね』
言われてみれば組事務所で料理番が食事の用意をしていたが、蒴也と吾妻はそれを食べ損ねていた。普段から食に対する興味が稀薄な2人にはありがちなことだったのだが。
佐伯を見送り、吾妻が冷蔵庫を開ける。
『…』
言葉を失った。入居者はビールとシャンパンだけだった大型冷蔵庫には、大きさに見合うだけの料理がスタンバイしていた。大皿に盛られた料理が五品。ガスレンジの鍋には、けんちん汁と煮物も用意されていた。
『蒴也、食べられるか?』
素の吾妻が蒴也に問う。
『風間さん、まだ下に居たよな。あっ麻生も待機してるな』
到底2人で片付けられる量ではない。普段であればあり得ない顔ぶれで食卓を囲むことになるが、料理を残し咲恵の落胆する顔を見るのが、なんとなく嫌だと思ったのだ。
若頭と若頭補佐、そして参与までもが揃う食卓は麻生にとっては居心地の悪いものであることは考えるまでもないが、蒴也も吾妻も、とにかく相撲部屋のような料理を完食することだけを考えていた。
案の定、呼ばれた風間も麻生も苦笑いを浮かべつつ、用意されていた料理を次々と腹に収めてくれた。
組事務所の料理番は板前崩れの組員だ。毎回旨い物を用意してくれる。仕事で使う飲食店でも一流の料理人が腕を振るっている。
それらとは違う咲恵の料理は豪快でも優しい味がした。
また、食べたい。毎日食べたい、そう思わせる味がした。
『それでは私もこれで』
麻生の手前、丁寧に頭を下げた吾妻が、
『若は明日は特に予定は入れておりませんので』
寝る間も惜しんで炎星会に張り付いていたのだから、明日はゆっくり過ごせとの配慮だ。吾妻とて忙しいはずなのに。
『ああ』
何かあれば連絡するよう伝え、甘えることにした。
陽が起きている内に帰って来れたら、黒目がちの大きな瞳を見て「ただいま」と言えたのに。
今そう言って迎えてくれるのは、美丈夫とは言え自分よりも年上の闇医者なのだから。
組事務所には赴いたが、自分は普段と変わらず書類を捌いただけなのだ。大した疲れも感じることなく帰って来れたのは偏に優秀な部下達の働き故だ。
『咲恵さんとも相談したんだけどね』
切り出す佐伯の話に、それも必要なことかと納得する。咲恵が以前勤務していた小児医療センターでの陽の受診だ。設備の整った機関で心身の現状を把握する必要があるだろう、と。
今日1日、起きて過ごす時間の長かった陽だったが、発した言葉はやはり「おしっこ」だけだったようだ。
辛うじて興味を示したものと言えば、窓の外、眼下を行き交う自動車だったと言う。
食事においても、お粥や白身魚と言った子供が喜びそうにないメニューだったためか、何か別の理由があったのか、大した量は食べられなかったようだ。
咲恵や佐伯の呼び掛けにも大した反応は見せず、殆どの時間を窓辺で外を見て過ごしたのだと言う。
『咲恵さん明日も同じぐらいの時間には来てくれるって』
夜は危ないから少し早めに帰ってもらったよ、彼女は自転車だから。勝手なことしてごめんね、と頭を下げる佐伯に何一つ非はない。
受診日に関しては陽の様子を見ながら決めることにして、佐伯もマンションを後にした。
『あ、咲恵さんが2人の食事も用意してくれたから食べてね』
言われてみれば組事務所で料理番が食事の用意をしていたが、蒴也と吾妻はそれを食べ損ねていた。普段から食に対する興味が稀薄な2人にはありがちなことだったのだが。
佐伯を見送り、吾妻が冷蔵庫を開ける。
『…』
言葉を失った。入居者はビールとシャンパンだけだった大型冷蔵庫には、大きさに見合うだけの料理がスタンバイしていた。大皿に盛られた料理が五品。ガスレンジの鍋には、けんちん汁と煮物も用意されていた。
『蒴也、食べられるか?』
素の吾妻が蒴也に問う。
『風間さん、まだ下に居たよな。あっ麻生も待機してるな』
到底2人で片付けられる量ではない。普段であればあり得ない顔ぶれで食卓を囲むことになるが、料理を残し咲恵の落胆する顔を見るのが、なんとなく嫌だと思ったのだ。
若頭と若頭補佐、そして参与までもが揃う食卓は麻生にとっては居心地の悪いものであることは考えるまでもないが、蒴也も吾妻も、とにかく相撲部屋のような料理を完食することだけを考えていた。
案の定、呼ばれた風間も麻生も苦笑いを浮かべつつ、用意されていた料理を次々と腹に収めてくれた。
組事務所の料理番は板前崩れの組員だ。毎回旨い物を用意してくれる。仕事で使う飲食店でも一流の料理人が腕を振るっている。
それらとは違う咲恵の料理は豪快でも優しい味がした。
また、食べたい。毎日食べたい、そう思わせる味がした。
『それでは私もこれで』
麻生の手前、丁寧に頭を下げた吾妻が、
『若は明日は特に予定は入れておりませんので』
寝る間も惜しんで炎星会に張り付いていたのだから、明日はゆっくり過ごせとの配慮だ。吾妻とて忙しいはずなのに。
『ああ』
何かあれば連絡するよう伝え、甘えることにした。
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