ラムネ瓶の底に沈む

ぱぷりか

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さよなら

第五話

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 別れの瞬間とは、どんな顔をすればいいものなのだろう。
 名残惜しげに、晴れやかに、悲しげに。いくら想像してみても、根拠のないまたを言い合える関係でしか交わしたことのない別れの言葉は、なんの参考にもなりはしない。
「暁人ぉ、このたこ焼きなんだか甘いよ」
 ひと口目で露骨に眉尻を下げる聡介に、どうしても食べたいと泣き付かれて買いに走った暁人をため息を吐くしかなかった。
 せめて先に、こちらを労るひと言くらいないものか。まったく母といい、陸といい、この男のどこがそんなに魅力的だったのだろうと情けなくなる。
「仕方ないだろ。化学療法中なんだから味覚がおかしくなってるんだよ。そんなに食べたいなら、今度冷凍のやつも試してみよう。ソースつけない方が味がわかるかもしれないし」
「えぇ、お父さんは王道のソースマヨたこ焼きが一番好きなのになぁ」
「ソースとマヨネーズなら、どっちの方が変に感じるか試してみたら」
「そうか。うーん、うーん、どっちだろう?」
「分からないならいいよ。あ、陸からまた写真きてる」
「どれどれ。お、陸くん気持ち良さそうだな」
 時差を考えればあちらは真夜中。昼間の作業中の写真だろうか、どこまでも続いている青空と360度の平原の中に刻まれた雄大な恐竜の渓谷。すっかり日焼けをしているのが見慣れた陸の顔が、手にした石を指差しながら晴れやかに笑っている。
「肉食竜の爪に見えるけど、もう少し鮮明な画像じゃないとよく分からないな。はは、いいなぁ。あっちじゃあ、こんなのが本当に石ころみたいにゴロゴロ埋まっているんだぞ」
「ふぅん。それじゃあこれは、そんなに貴重なものではないってこと?」
「まあ、そうなるな。でもこの国では中々お目にかかれない。何もかも違うんだな、本当に」
 圧倒的な力を感じる大地の風景に目を細めながら、その中に溶け込む愛弟子の画像を聡介の手が優しく撫でる。数年前までは夏には発掘調査の手伝いなどで日焼けをしていた父の手は、白くなってシワが増え、ひと回りは小さくなったようだ。
 左肺全摘となった手術から数年。間隔をあけての化学療法は、肉体的負担が強いわりにはあまり効果を発揮していない。
「陸が居るのって、父さんが若い頃に行く予定だったのと同じ大学なんでしょう。そんなに何十年も同じ場所からじゃんじゃか化石が出るものなの」
「ここは氷河に守られていた特別な場所なんだ。モンゴルや南米も魅力的だが、やっぱり僕はここが一番好きだよ。暁人が出来なきゃ、父さんもここの作業員くらいにはなれたかもしれないのになぁ」
「そういうこと、息子を目の前にして言うかね」
「だって事実だもん」
 飄々とした態度でこれまで送られてきた写真をフリックしていく聡介の目は、まるで少年のようにキラキラと輝いている。
 両親の関係は、母からの一方的な押しつけに近いものだったと聞いている。母はまだ研修医の身で妊娠してしまい、怒り狂う祖父と呑気な父を説得して結婚に持ち込んだらしい。
 当時準備を進めていた聡介のカナダ留学は、母の妊娠をきっかけに水疱に帰した。自業自得とはいえ、地元に深く根を下ろして生きる梶家の一人娘に手をつけて妊娠させた男は、そのまま息子という足枷をはめられて鳥籠の鳥になったのだ。
 聡介は良くも悪くも自身の興味を引くものにしか関心を示さない人間で、彼にとっては母も暁人もたまたま身内という枠に収まっただけの存在だ。愛されていないわけではない。ただ自分の親は人間より骨を愛する変人なのだと、幼いながらに納得するしかなかった。
「陸くんも随分と逞しくなったなぁ。こっちにいた時は、ニホントカゲの子どもみたいな子だったのに」
「はい?」
「似てるでしょう。子どもの頃はね、尻尾が綺麗な虹色をしているんだ。いまじゃ立派なヴェロキラプトルって感じだね」
「爬虫類に例えるのやめてよ」
「それじゃあ暁人なら何に例えるんだ」
「……クロイワゼミ」
「えぇ、虫はないだろう、虫は」
「すごくキレイで希少な蝉なんだって!」
「そうなの。ちょっと暁人は陸くんに夢を見過ぎだなぁ」
 ぼそりと囁かれた最後の台詞をしっかりと耳がキャッチしてしまい、恥ずかしいやら腹立たしいやらで顔に血が上る。夢を見過ぎってなんだ。結局は独り相撲に終わった初恋の人に、夢を見てなにが悪い。
 誤魔化すように取り上げたタブレットを操作して、適当に発掘風景を映した動画を再生する。送ってもよいのは当たり障りのないものに限定されているらしいが、どの画像の中でも陸は楽しそうだ。
 留学したての頃はぎこちなかった言葉もすっかり馴染み、ちょっとした挨拶にも愛想良く返事をする様子は無口だった彼と結びつかない。
「陸、幸せそうだね」
「そうだな」
「一般人の立場ででも行けばよかったのに。きっと凄く、綺麗だよ」
 治療目的でもなんでも、まだ体力が残っている内なら数ヶ月くらいはカナダで過ごすことも出来たはずだ。積極的に薦めもしないが、聡介が行きたいというなら行かせてやるつもりだった。
「嫌だよ。陸くんの中では、元気なままの僕で居たいんだ」
「見栄っ張り」
 照れたように触れるその頭には、紺色のバンダナ帽子がかぶせられている。体質のせいなのか、聡介は薬による脱毛が回復しにくく、今回の効果はまだ出ていないにも関わらず髪はまばらだ。
 短く刈り上げてバンダナを巻いた頭や、すっかり痩せて細くなった身体を、聡介は陸にだけは見られたくないのかもしれない。
「暁人。次のマーカーで駄目だったときはな、父さん治療をやめようと思うんだ」
「え、でも」
「薬もあまり合っていないみたいだし、残された時間はもっと有意義に使いたい」
 画面の中で化石標本の紹介をしている陸の声が、やけに遠く聞こえる。録画された彼の説明にあれこれと解説を交えたり疑問を呈したり、聡介は自分がさっき口にしたことも忘れたように楽しげだ。
 積極的な治療を中止すれば、彼は今よりもっと多くの時間をこうしたことに費やせるだろう。ゆったりと、穏やかに、愛するものだけに囲まれて。
「わかった。爺ちゃんには俺から伝えておくよ。父さんの言い方じゃあ、爺ちゃんの血管切れちゃうからさ」
 暁人が研修医を終えるまであと数年。申し訳ないが、頑固で厳しい祖父にはもう少し現役で頑張ってもらわなければならない。
「父さん、ごめんね」
 なぜ謝罪の言葉が出たのかは、自分でもよく分からなかった。ろくに親らしいことをしてもらった記憶もなく、自分のことばかりで好き勝手に生きてきた人だ。
 挙げ句の果てに、そんな父親を誰よりも心酔している人に横恋慕をして相手にされず、踏んだり蹴ったりとはこのことだとため息しか出ない。
 それでも、遠い地いる人を見つめる優しい眼差しに、小さな石ころの様な化石にはしゃぐ姿に、子どもの夢を取り上げてしまったような罪悪感がよぎるのだ。父親らしいことは何ひとつ出来なくとも、彼は夢を捨てこの地に留まることを選んだのだから。
「暁人はやっぱり、母さんによく似ているなぁ」
「そんなこと、初めて言われたよ」
「本当さ。父さんさ、人間にあんまり興味持てないんだけど、母さんの目は好きだったんだ。暁人と同じ、琥珀みたいな色をしていた」
 懐かしそうな聡介の顔に、自然と手が目元に触れる。梶家の先祖には英国人の血が混じっていて、祖父がクォーターになるらしい。日本人よりも色素が薄い目の色は、父ではなく母方の影響だ。
「陸くんも、好きだったろう」
「知らないよ」
「ははは、まあ頑張れよ。陸くん、父さんのこと大好きだから手強いぞ」
 分かったような事ばかり言う聡介に耐え切れず、お大事にとだけ叫んで背中を向ける。親兄弟で同じ人を好きになどなるものではないと、心の底から切実に思う。
「母さんの血を甘くみんなよ、ばーか」
 見えていないのを良いことに、病室のドアを閉めてから舌を出してやる。暁人を産んだことで儚く散ったような印象のある母だが、祖父の話を聞く限りそんな殊勝な性格ではなかったらしい。
 留学の話が決まったとき、恐らくなんの未練も躊躇いもなかったであろう父を前に、母は一計を案じたのではないか。これは息子だから許される邪推ではあるが、本当に暁人が母に似ているのであればあり得なくはないと思う。
 自分とて、馬鹿みたいに純情でも一途でもない。もっと好きになれる人が現れたら、新しい恋を始められるのなら、躊躇なくそちらになびくつもりではある。
 けれどもし、結局どうしても忘れられないのなら、あの欲深のきれいな人を待とうかとも思うのだ。あの離れを守り続けていれば、陸はいつの日かきっと帰ってくるのだから。
「さて、そろそろ仕事に戻らないと」
 遠くはない別れのとき、自分はどんな顔をして父の前に立つのだろう。恋しさも憎しみもすべて込めて穏やかに笑えたら、それだけでいいと願った。
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