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第1章 魔女のキックが世界を変える

第9話 魔女との契約

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 フロアの一角、四人ほどが座れそうなテーブル席に通された。

 ウーロン茶を飲みながら待っていると、ほどなくして、千秋さんがやって来た。他の男性客につくのと同じように、私の隣りに座る。

「お願いします」

 千秋さんはボーイの一人を呼んで、お酒を頼んだ。運ばれてきたハイボールをひと息で半分ほど飲むと、目の奥を覗きこむようにして、私の顔を見つめてきた。

「別れたカレシのこと?」

 最初から用件はお見通しのようだ。

 この間は失恋したことしか話さなかったけど、今回は全部を話した。何股もかけられていたこと、その一人は拳法部の後輩で、学校に知られたせいで、部活動が半年間活動停止になったこと……終わったところで喉の渇きを覚え、ウーロン茶を一気飲みした。

「たしかに、そのサヤちゃんか、両親が、合意の上でのエッチじゃなかったって訴え出れば、条例で罰することはできるわね。でも、サヤちゃんにはその気はないんでしょ」

「はい。だからすごく悔しくて……私たちにひどいことした本人は平気な顔してて、こっちは泣き寝入りするしかないなんて……納得いかないんです」

「どうかな。少なくとも一緒にいるときは楽しかったんでしょ」

 まさかの突き放すような千秋さんの言葉に、私は目を見張った。同じ女性として怒ってくれるものとばかり思っていた。

「いくら当時は楽しくっても、騙されてたんだったら、そんなの――!」

「本物の愛じゃない、と言いたいのね。でもね、秋山さん、冷静に考えてみて。彼は付き合っている間、一度でもあなたに暴力を振るった? 心に傷を負わせるような言葉をぶつけた? 世の中にはね、信じられないほど、クズみたいな男はいるの。そいつらと比べたら、本能のままに何人もの女の子と付き合うくらい、かわいいものよ」

「そりゃ、千秋さんはこんな仕事してるでしょうから、免疫あるでしょうけど!」

 カッとなって声を荒らげたところで、

「『こんな仕事』ってどういうことよ」

 私の前に、新しいウーロン茶のグラスが、叩きつけられるように置かれた。千秋さんではない。時間差でやって来た、ヘルプ嬢だ。赤いドレスに身を包んだ、ロングヘアの女性。胸のプレートには「エリカ」と書いてある。

「私たちの仕事、バカにしてんの?」

 のっけから喧嘩腰で、ギロリと鋭い目で睨みつけてくる。

「やめて、エリカ。他のお客さんに迷惑かかるから」

「千秋も千秋よ。こんなクソ生意気なJKの依頼を受けようっていうの? しかも、ちょっとそこで聞いてたけど、くっだらない痴話喧嘩じゃない。相手する価値もないわ」

「困っている人を助けるのに、年齢も、内容も関係ない。その依頼がウソでなければ問題ない。それがオーナーの意向でしょ」

「はいはい、ほんとお人好しよね、あんたって」

 肩をすくめながら、エリカさんはヘルプ用の椅子に座った。

 なんなの、この人。第一印象から素敵だった千秋さんに比べて、いかにも底意地の悪い夜の女って感じのエリカさんは、あまり好きにはなれそうになかった。

「いい? 秋山さん。初めてのカレシが、何人もの女の子たちと浮気をしていたというのは、たしかにつらくて悲しいことだと思う。私が、あなたの友達だったら、間違いなく一緒になって腹を立ててるわ。だけど、大事なことを忘れないでほしい。あなたが頼ってきた私たちは――『ウィッチ・パーティ』は、愚痴を聞くのが仕事じゃない。報酬と引き換えに依頼された任務を遂行する、いわば仕事人の集団なの」

「要するに、あんたの話だけじゃ、判断しようがないってこと」

 千秋さんが丁寧に説明してくれた後、エリカさんが続けて口を開いた。

「あんたが相手の男を逆恨みしてる可能性だって十分ありうる」

「不確かな情報に踊らされれば、新たなトラブルを引き起こしてしまう。私たちは、感情的になってはいけないの」

 何も反論できない。

 とにかく誰かに助けてもらいたくて、この店へと足を運んだ。だけど、話した内容は、ただの「悩み事相談」レベルでしかなかった。これでは千秋さんだって動きようがない。そもそも何をどうすれば問題が解決するのか、私自身がよくわかっていないのに。

「……という前提の上で、いいわ、秋山さんの依頼を受けてあげる」

「えっ」

「マジ!?」

 私とエリカさんは同時に声を上げた。

「ちょっと、どうしたの? 千秋らしくない。いつもはもっと慎重に依頼を受けるのに、なんでこの子のは……」

「ひ・み・つ」

 悪戯っぽいチャーミングな笑みを浮かべて、千秋さんはハイボールの残り半分をクイッと飲み干した。それからボーイを呼んで、追加でオーダーする。

 次のハイボールを、またグラスの半分ほど飲んでから、歌でも歌うような軽やかな口調で、私に問いかけてきた。

「まだちゃんと聞いてなかったわね。秋山さんの依頼内容。これまでの経緯はよくわかったけど、大事なのは、どういう決着をつけたいのか。あなたが望むエンディングを教えてちょうだい」

 私が望むエンディング。

 それは、安西先輩に負わされた心の傷を、どうすれば癒やせるか、ということだろうか。

 いや違う。癒やしはありえない。どんな結末を迎えようと、私の中の傷は癒えない。きっと新しいカレシができたとしても、ずっとこの悲しみはついて回る。

 だったら私はどうしたい。どうしてほしい。

「目には、目を」

 使い古された有名な言葉を、あえて声に出す。

 千秋さんはほほ笑み、顔を近付けてきた。私の目の奥どころか、心の中まで覗きこむように、まっすぐ瞳を向けてくる。鼻先が触れる。息が詰まりそうなほどの至近距離。ちょっと間違えれば、互いの唇が重なり合いそうだ。

「同じ苦しみを彼に与えたい――それが、秋山さんの望みね」

 そうだ。いまの私が望んでいるのは、自分が救われることではなくて、安西先輩に罰を与えること。

 仮面が外れるような気がした。真面目でいい子、という仮面が。

 私だけがこんな思いをするなんて、許せない。

「この悔しさを、安西先輩にも味わわせたい……!」

 千秋さんは顔を離すと、満足げにうなずいた。

「その依頼、受けたわ」

 こうして私は魔女と契約を交わしてしまった。でも、後悔はなかった。ただひたすら陶然とした心地良さが体の中を巡っていた。
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