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第4章 魔女は拳で語らない

第33話 ジュン最強伝説

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 激しい練習ばかりではない。

 この道場には子どもたちも通っている。未就学児から、上は中学生まで。ジュン先生は、その子らにまで実戦的な練習を強いることはしなかった。

「ちっちゃいうちは夢を見るのが一番だ。高校生くらいから現実の厳しさを知っても、遅くはないさ」

 あれだけ強い人が、そんな甘いことを言うなんて、意外だった。

 果たしてその方針が正しいのか、私にはわからない。だけど、笑顔で元気よく動き回っている子どもたちの姿を見ると、ジュン先生の考えは間違っていないような気がした。

「今度、ハイキングでも行こっか」

 そんな風に楽しい提案をしては、子どもたちを喜ばせる。

 保護者からの評判もいい。中には、いじめられっ子だった息子が、この道場に通うようになったおかげで、たくましく振る舞えるようになった、と感謝の言葉を述べる人もいた。

「せんせー、みて、みて」

 未就学児の男の子が、エイ! エイ! と一所懸命、習ったばかりの型を披露するのを、温かい眼差しで眺めるジュン先生は、いつもの男勝りな言動とは真逆で、我が子を見守る母親のような姿だった。

 子ども同士でいさかいが起きれば、よく大人がやらかしがちな「ケンカ両成敗」の判定を下したりはしない。必ず双方の言い分を聞いた上で、どっちが間違っているか、ジャッジを下す。そうやって明確に基準を設け、子どもたちが自主的に分別できる力を持てるように導いてあげる。一度判定した後は、「うし、これで終わり!」と言って、パンッと手を叩き、問題を引きずらせないようにする。

 教育者としても、優れている。

 どうしていままで、こんな素晴らしい先生がいることに気が付かなかったのか。勿体ない時間を過ごしてきた、と悔やまれた。


 ※ ※ ※


「先生、助けてください!」

 ある日、頭から血を流した門下生の大学生が、道場の中に飛びこんできた。

 何事かとジュン先生が話を聞けば、彼の友人が、不良グループとのいさかいの末に連れ去られてしまったとのことだった。彼は友人を助けようとしたが、多勢に無勢で苦戦してしまい、結局負けてしまったとのことだった。

「そいつら、どこへ行った」

 門下生を傷つけられて、ジュン先生の目は、怒りで血走っていた。

 場所を聞いたジュン先生は、ジャージとジーンズに着替えると、勢いよく道場を飛び出した。たった一人で行かせるわけにはと、私も一緒に出た。

 ジュン先生がバイクにまたがったので、その後部に座った。

「足手まといだ。来るんじゃねえよ」

 迷惑そうに振り返ったジュン先生は文句を言ってきたが、私は聞く耳持たず、先生の腰にしがみついた。

「こう見えても、けっこう、私だって戦えるんですよ」

 いつかのとき、刀を持った敵と対決した経験が、多少の相手には動じない自信を、自分に与えてくれてる。

 ジュン先生はため息をついた。

「まあ、実際、お前はうちの道場で一番戦いのセンスあるからな。いいぜ、連れてってやる。だけど無茶はすんなよ」

 バイクで走ること一〇分ほどで、不良たちの溜まり場に到着した。

 海辺近くの寂れたカラオケハウス。ふつうだったら立ち寄らないような見た目の建屋。ボロボロの外壁が、いかにも悪い人たちの巣窟だと感じさせる。

「どうします? 一度様子を見ますか?」

 あるいは、こっそりウィッチ・パーティの誰かに助けを求めようかと思っていたら、ふん、とジュン先生は鼻を鳴らした。

「チンタラやってられるか。突入するぞ」

 止める暇もなかった。ズンズンと突き進んでいったジュン先生は、その勢いのままに、ドアを蹴破った。木の板や蝶番が宙に飛び散る。まるで嵐のようなジュン先生の突撃の仕方に、私は心の準備ができないまま、急いで後を追いかけた。

 中に入ると、すぐにカラオケのフロアになっていて、壁際のソファ席に座っている金髪や長髪の不良たちが、うろんな表情で煙草を吸っていた。

 そのフロアの中央に、血だらけの男性が、痙攣しながらうずくまっている。

「ひど……い」

 リンチを受けた後だろう。ひと目見て、いますぐ病院に連れていかないといけない状態だとわかる。その彼が、連れ去られたという人に違いない。

「なんだよ、てめえは」

 長髪の男が、鋭い目を向けてきた。そいつがリーダーなのか、私たちに声をかけたのと同時に、不良たちが揃って立ち上がり、鉄パイプや木刀をそれぞれ手に取った。

 どいつから先に倒そうか、と考えていると、またもジュン先生は無造作に前へと進み出た。鉄パイプを持っている金髪の不良に向かって、一切の躊躇なく、歩いていく。

「だらァ!」

 金髪の不良は、鉄パイプを振り上げた。

 直後、その金髪の不良はジュン先生の渾身の右ストレートを喰らって、吹っ飛んだ。壁に激突して、白目をむきながら、ズルズルと崩れ落ちていく。

 残り六名の不良が、怒声とともに、ジュン先生に襲いかかった。だけど、ジュン先生は、それぞれの攻撃をヒラリヒラリとかわしながら、強烈なパンチをお見舞いし、次々と相手を倒していく。

 蝶のように舞い、蜂のように刺す、鮮やかなフットワークと攻撃だった。

 あっという間に、あと一人、リーダー格の長髪の男だけとなった。

「おおおお!」

 平常心を失ったリーダーの男は、木刀を大上段に構えながら、まっすぐ突っこんでくる。そんな行動を取った時点で、彼の敗北は確定していた。

 鈍い音が、室内に響き渡った。

 腰の入ったジュン先生の蹴りが、男の腹にめりこんでいる。げええ、と長髪の男は嘔吐して、膝を折って、崩れ落ちた。

「おい店長」

 バーカウンターの奥に隠れていたチョビ髭の中年男性に対して、ジュン先生はドスのきいた声を放つ。店長と呼ばれた男は、ヒッ、と引きつった声を上げた。

「救急車を呼べ。それで、てめーがこのバカどもに店を貸していたことは、不問にしてやるよ。あと、救急車が来たら、警察もな」

 それから一〇分ほどしてやって来た救急車で、さらわれてリンチされていた男性は、無事病院まで運ばれていった。

「いま店長が警察も呼んだ。面倒事に巻きこまれる前に、帰るぞ」

 すぐにバイクに乗って、道場へと戻った。出ていってから、一時間も経っていない。短時間のうちに鮮やかに解決したその手腕は、まるで千秋さんのようだった。

 友人を助けてもらった、門下生の大学生は、涙ながらにジュン先生に感謝を述べた。友人は、もともと不良グループの一員だったところ、脱退を申し出たら、総がかりでのリンチになってしまった、とのことだった。一部始終を説明してから、今度はジュン先生に謝り始めた。巻きこんでしまってごめんなさい、と。

「気にすんな。ああいう実戦がないとカンが鈍るから、ちょうどよかったぐらいだ」

 どうということない、とばかりに、ジュン先生は快活に笑った。恩に着せることなく、自分の武功を誇ることなく、自然体で振る舞っている。

 なんて格好いい女性だろう。

 私はますますジュン先生に惹かれて、さらなる胸の高鳴りを感じていた。
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