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第7話 不穏なる訪問
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間もなくラストオーダーの時間となり、最後の飲み物をもらった後、二十分ほど歓談してから店を出た。
夕華は回復することなく、完全に酔い潰れた状態で、涼夜にもたれかかっている。
「長峯さん、彼女の家の場所知ってるかな」
「えっと、前にアドレス交換したけど」
と、携帯電話のアドレス帳を調べてみるが、さすがに住所情報までは入っていない。
付き合ってたんじゃないの? と意地悪いことを言いたくなったが、やめた。きっと二人は高校の時に別れたんだと思う。じゃなかったら、久しぶりに会う、なんてことがあるはずない。
「誰も知らないんだ。悪いけど、君の家、ここから近いよね。今晩泊まらせることできるかな」
「泊まらせるのはいいよ。でも、私一人じゃ連れてけない」
「僕も一緒に行く。家までタクシー使おう」
言うやいなや、涼夜はちょうど近くまで来たタクシーを呼び止めた。夕華を後部座席に押し込むと、助手席に座り、蓮実も乗るように促す。手際の良さに感心しながら、蓮実も後部座席に乗り込んだ。
マンションに着き、涼夜と協力しながら、十階の自分の部屋まで夕華を運んでいく。ベッドに寝かせたところで、蓮実は溜め息をついた。
「ごめんね、桐江君。手伝ってもらって」
「気にしないで。あとは大丈夫かな?」
「うん。明日の午前中は講義ないから、平気」
そう言いつつ、緊張で心臓の鼓動が早くなっている。涼夜から言い出すわけはないので、自分から切り出さないといけない。「よかったら桐江君も泊まっていったら?」そのひと言が言えない。
「じゃあ、僕はこれで」
「あ――うん」
玄関へと向かうの後ろ姿をただ見ることしか出来ない。涼夜がドアノブに手をかけた瞬間、ようやく口を開いた。
「あの、桐江君」
「なに?」
爽やかに振り返る涼夜。蓮実は携帯電話を取り出す。
「番号、教えてくれない?」
「いいよ」
お互いの連絡先を交換する。入ってきたデータを愛しげに守るように、蓮実は自分の携帯電話をきゅっと胸に抱いた。
「また今度遊ぼう」
「う、うん、また今度ね」
なんてことのない常套句に深い意味を感じそうになる。勘違いしてはならない、と蓮実はかぶりを振った。
涼夜が出ていった後、フローリングの床にマットを敷き、その上に横たわった。もうレジュメのことなどどうでもよかった。
ほどなくして、眠りについた。
※ ※ ※
インターホンが鳴る。
蓮実は寝ぼけ眼をこすりながら、モニターのボタンを押した。
マンションのエントランスに、スーツを着た老人と、同じくスーツ姿の若い女性が立っている。画面越しでも、鋭い視線が突き刺さってくる。不穏な空気を感じ取った蓮実は、若干動悸を早くしながら、「どちら様でしょう」と尋ねた。
老人は険しい表情を崩さず、画面の向こうで、警察手帳を開いて見せた。内藤隼人、と書かれてあるのが見えた。部課名までは見切れなかった。
いやなものを感じつつも、まさか追い返すわけにもいかず、蓮実はロック解除のボタンを押した。画面の向こうで、老人と若い女がマンションの中に入っていくのが見えた。
時計を見ると、昼十二時前だ。
ほどなくして、二人は部屋の前までやって来た。
中へ通すと、一切遠慮することなく、二人は奥まで入っていく。不躾な態度にムッとしつつも、蓮実はキッチンまで行き、「お茶とコーヒー、どちらにしますか」と尋ねた。
「水で結構」
老人は傲岸不遜な態度のまま、短く言い捨てた。
「私も水でいいわ」
女も答える。敬語を使わない喋り方に蓮実は腹を立てそうになったが、気持ちを鎮めて、グラスを二つ用意して、テーブルの上に置いた。
「どうぞ」
蓮実に促されると同時に、老人と女は椅子に腰かけた。
老人は六十代くらいだろうか。顔こそ老けているが、精悍で、肉体もスーツの上からわかるほど筋骨隆々としている。全体的にエネルギーに満ち溢れており、警察というよりも軍人のような雰囲気だ。
女もまたシャープなスタイルながら、逞しそうな体つきをしている。
「さて、本日ここを訪ねたのは、失踪している浅井夕華のことについて聞きたいからだ」
「失踪?」
いきなりの本題は、蓮実にとっても初耳のことだった。
失踪とは、どういうことだ。
夕華は昨日の朝、二日酔いでふらふらになりながらも、電車に乗って自宅まで帰っていったはずだ。駅まで見送ったから間違いない。
そのことを話すと、老人は冷笑した。
「家に着いたのを見届けたわけでもあるまい。どちらにせよ、長峯蓮実、お前が彼女を最後に見た人間となる」
敬語を使わないどころか高圧的な態度。警官らしからぬ態度に、徐々に蓮実は不信感を抱き始めている。この二人はどこかおかしい。
表情を硬くした蓮実を見てか、女が話を引き継いだ。
「正直に答えて。昨日、どこで何をしていた?」
午前中はレジュメを作成し、午後は講義に出ていたが、夕方の最後のひとコマだけはさぼって家に帰ってレジュメ作成の続きに取りかかっていた。ほとんど徹夜に近い作業になったから、二人が訪ねてくるまで、死んだように眠っていた。
全部本当のことを伝えた。嘘をつく必要も何もない。ところが。
「すると家にいた間はまるでアリバイがないと」
女はメモを取る手を止め、意地悪げに微笑んだ。
怒りよりも先に、恐怖が湧き上がってくる。この人達は何者なのか? なぜこんなにも高圧的な態度を取ってくるのか? まるで物語に出てくる秘密警察のような連中だ。警戒の念を強めた蓮実は、ここから先の会話は慎重に進めないと、大変なことになりそうだと感じた。
「もちろんアリバイはありません。でも、レジュメを見てもらえればわかります。これをちょっとやそっとで書けると思いますか」
テーブルの上に置きっぱなしになっていたプリントの束を掴み、二人の前にドンと投げ置いた。いつ書き上げたものか証明できない以上、意味はないが、臆しては負けだと思った。
「それに何を疑われているのか知りませんが、少しくらい情報を伝えてくれてもいいじゃないですか。私は、夕華が失踪したというのを、いま聞いたばかりなんです。その詳細も教えてくれないのに、なんだか人を疑うようなことばかり」
「黙れ」
蓮実の文句は、老人の重く低く響き渡るひと声で、呆気なく中断させられた。あまりにもどす黒い圧迫感に抗いきれず、口を閉じ、おとなしくする。
「誤解するな。誰が失踪に関わっているか、などはどうでもいい。問題の本質が違う。大事なのは、お前が、何を知っているか、何をしたか、だ」
「浅井夕華の行方については見当がついている。だから、いつかは見つけられる。いま重要なのは、あなたが彼女と何を話し、何を聞き、何を見たか。それを私達は知りたい」
「あるいは家にいたと主張している時間帯、浅井夕華の失踪に関わる何かをしていたのかもしれない。それがわからない以上、我々はお前に対する疑いを晴らすことは出来ない」
「何もわかっていないとは言わせない。私達がマークしている人物に、すでに三人も接触している。あなたはグレーどころか、限りなく黒い」
「事を起こすのはそう遠くないのだろう?」
老人は身を乗り出し、真正面から蓮実を睨んでくる。
「どうだ? 素直に話したほうがいいのではないか?」
蓮実は身を引きながら、ひたすら首を横に振った。二人が何を言っているのか理解出来ない。自分のわからないところで、勝手に何かが進んでいる。巻き込まれてしまっている。自分は無関係だと主張したかったが、何と無関係なのかもわからない上、そんなことを言ったとしても聞き入れてくれなさそうな雰囲気がある。
やがて、老人は拍子抜けしたような表情になった。
「どうやら……本当に何も聞かされていないようだな」
「演技では?」
「私の目を疑うのか。こいつは違う。己が何者であるかも理解していない様子だ。おそらく周りに守られているだけで、一切関わりを持たないようにされているのだろう」
「でも、放置しておくわけには」
「今日のところは許しておいてやれ」
老人は立ち上がった。つられて女も席を立つ。
二人が玄関前まで行ったところで、ようやく自分が解放されたのだとわかった。安堵の溜め息をつくと、老人が振り返った。
「ひとつだけ教えろ。大学で研究している内容、あれはお前が自主的に選んだものか? それとも、誰かに指示されたものか?」
正直に、教授に指示された、と答えようかと思った。しかし、老人の言葉で「それとも」がやけに強調されていたのが気になり、嘘をつくことにした。
「自分で、選びました」
「ほう……」
老人は目をすがめた。どこか楽しげな表情だ。
「血は争えぬか。知らぬとはいえ、あれを選ぶとはな」
そして二人は挨拶もせず、さっさと外へ出ていってしまった。
残された蓮実は震える手でテーブルの上のグラスを取り、流しへと持っていく。ふと見ると、グラスの中の水は少しも減っていない。
思い返せば、二人はずっと、蓮実の出した水に口をつけようとすらしていなかった。
夕華は回復することなく、完全に酔い潰れた状態で、涼夜にもたれかかっている。
「長峯さん、彼女の家の場所知ってるかな」
「えっと、前にアドレス交換したけど」
と、携帯電話のアドレス帳を調べてみるが、さすがに住所情報までは入っていない。
付き合ってたんじゃないの? と意地悪いことを言いたくなったが、やめた。きっと二人は高校の時に別れたんだと思う。じゃなかったら、久しぶりに会う、なんてことがあるはずない。
「誰も知らないんだ。悪いけど、君の家、ここから近いよね。今晩泊まらせることできるかな」
「泊まらせるのはいいよ。でも、私一人じゃ連れてけない」
「僕も一緒に行く。家までタクシー使おう」
言うやいなや、涼夜はちょうど近くまで来たタクシーを呼び止めた。夕華を後部座席に押し込むと、助手席に座り、蓮実も乗るように促す。手際の良さに感心しながら、蓮実も後部座席に乗り込んだ。
マンションに着き、涼夜と協力しながら、十階の自分の部屋まで夕華を運んでいく。ベッドに寝かせたところで、蓮実は溜め息をついた。
「ごめんね、桐江君。手伝ってもらって」
「気にしないで。あとは大丈夫かな?」
「うん。明日の午前中は講義ないから、平気」
そう言いつつ、緊張で心臓の鼓動が早くなっている。涼夜から言い出すわけはないので、自分から切り出さないといけない。「よかったら桐江君も泊まっていったら?」そのひと言が言えない。
「じゃあ、僕はこれで」
「あ――うん」
玄関へと向かうの後ろ姿をただ見ることしか出来ない。涼夜がドアノブに手をかけた瞬間、ようやく口を開いた。
「あの、桐江君」
「なに?」
爽やかに振り返る涼夜。蓮実は携帯電話を取り出す。
「番号、教えてくれない?」
「いいよ」
お互いの連絡先を交換する。入ってきたデータを愛しげに守るように、蓮実は自分の携帯電話をきゅっと胸に抱いた。
「また今度遊ぼう」
「う、うん、また今度ね」
なんてことのない常套句に深い意味を感じそうになる。勘違いしてはならない、と蓮実はかぶりを振った。
涼夜が出ていった後、フローリングの床にマットを敷き、その上に横たわった。もうレジュメのことなどどうでもよかった。
ほどなくして、眠りについた。
※ ※ ※
インターホンが鳴る。
蓮実は寝ぼけ眼をこすりながら、モニターのボタンを押した。
マンションのエントランスに、スーツを着た老人と、同じくスーツ姿の若い女性が立っている。画面越しでも、鋭い視線が突き刺さってくる。不穏な空気を感じ取った蓮実は、若干動悸を早くしながら、「どちら様でしょう」と尋ねた。
老人は険しい表情を崩さず、画面の向こうで、警察手帳を開いて見せた。内藤隼人、と書かれてあるのが見えた。部課名までは見切れなかった。
いやなものを感じつつも、まさか追い返すわけにもいかず、蓮実はロック解除のボタンを押した。画面の向こうで、老人と若い女がマンションの中に入っていくのが見えた。
時計を見ると、昼十二時前だ。
ほどなくして、二人は部屋の前までやって来た。
中へ通すと、一切遠慮することなく、二人は奥まで入っていく。不躾な態度にムッとしつつも、蓮実はキッチンまで行き、「お茶とコーヒー、どちらにしますか」と尋ねた。
「水で結構」
老人は傲岸不遜な態度のまま、短く言い捨てた。
「私も水でいいわ」
女も答える。敬語を使わない喋り方に蓮実は腹を立てそうになったが、気持ちを鎮めて、グラスを二つ用意して、テーブルの上に置いた。
「どうぞ」
蓮実に促されると同時に、老人と女は椅子に腰かけた。
老人は六十代くらいだろうか。顔こそ老けているが、精悍で、肉体もスーツの上からわかるほど筋骨隆々としている。全体的にエネルギーに満ち溢れており、警察というよりも軍人のような雰囲気だ。
女もまたシャープなスタイルながら、逞しそうな体つきをしている。
「さて、本日ここを訪ねたのは、失踪している浅井夕華のことについて聞きたいからだ」
「失踪?」
いきなりの本題は、蓮実にとっても初耳のことだった。
失踪とは、どういうことだ。
夕華は昨日の朝、二日酔いでふらふらになりながらも、電車に乗って自宅まで帰っていったはずだ。駅まで見送ったから間違いない。
そのことを話すと、老人は冷笑した。
「家に着いたのを見届けたわけでもあるまい。どちらにせよ、長峯蓮実、お前が彼女を最後に見た人間となる」
敬語を使わないどころか高圧的な態度。警官らしからぬ態度に、徐々に蓮実は不信感を抱き始めている。この二人はどこかおかしい。
表情を硬くした蓮実を見てか、女が話を引き継いだ。
「正直に答えて。昨日、どこで何をしていた?」
午前中はレジュメを作成し、午後は講義に出ていたが、夕方の最後のひとコマだけはさぼって家に帰ってレジュメ作成の続きに取りかかっていた。ほとんど徹夜に近い作業になったから、二人が訪ねてくるまで、死んだように眠っていた。
全部本当のことを伝えた。嘘をつく必要も何もない。ところが。
「すると家にいた間はまるでアリバイがないと」
女はメモを取る手を止め、意地悪げに微笑んだ。
怒りよりも先に、恐怖が湧き上がってくる。この人達は何者なのか? なぜこんなにも高圧的な態度を取ってくるのか? まるで物語に出てくる秘密警察のような連中だ。警戒の念を強めた蓮実は、ここから先の会話は慎重に進めないと、大変なことになりそうだと感じた。
「もちろんアリバイはありません。でも、レジュメを見てもらえればわかります。これをちょっとやそっとで書けると思いますか」
テーブルの上に置きっぱなしになっていたプリントの束を掴み、二人の前にドンと投げ置いた。いつ書き上げたものか証明できない以上、意味はないが、臆しては負けだと思った。
「それに何を疑われているのか知りませんが、少しくらい情報を伝えてくれてもいいじゃないですか。私は、夕華が失踪したというのを、いま聞いたばかりなんです。その詳細も教えてくれないのに、なんだか人を疑うようなことばかり」
「黙れ」
蓮実の文句は、老人の重く低く響き渡るひと声で、呆気なく中断させられた。あまりにもどす黒い圧迫感に抗いきれず、口を閉じ、おとなしくする。
「誤解するな。誰が失踪に関わっているか、などはどうでもいい。問題の本質が違う。大事なのは、お前が、何を知っているか、何をしたか、だ」
「浅井夕華の行方については見当がついている。だから、いつかは見つけられる。いま重要なのは、あなたが彼女と何を話し、何を聞き、何を見たか。それを私達は知りたい」
「あるいは家にいたと主張している時間帯、浅井夕華の失踪に関わる何かをしていたのかもしれない。それがわからない以上、我々はお前に対する疑いを晴らすことは出来ない」
「何もわかっていないとは言わせない。私達がマークしている人物に、すでに三人も接触している。あなたはグレーどころか、限りなく黒い」
「事を起こすのはそう遠くないのだろう?」
老人は身を乗り出し、真正面から蓮実を睨んでくる。
「どうだ? 素直に話したほうがいいのではないか?」
蓮実は身を引きながら、ひたすら首を横に振った。二人が何を言っているのか理解出来ない。自分のわからないところで、勝手に何かが進んでいる。巻き込まれてしまっている。自分は無関係だと主張したかったが、何と無関係なのかもわからない上、そんなことを言ったとしても聞き入れてくれなさそうな雰囲気がある。
やがて、老人は拍子抜けしたような表情になった。
「どうやら……本当に何も聞かされていないようだな」
「演技では?」
「私の目を疑うのか。こいつは違う。己が何者であるかも理解していない様子だ。おそらく周りに守られているだけで、一切関わりを持たないようにされているのだろう」
「でも、放置しておくわけには」
「今日のところは許しておいてやれ」
老人は立ち上がった。つられて女も席を立つ。
二人が玄関前まで行ったところで、ようやく自分が解放されたのだとわかった。安堵の溜め息をつくと、老人が振り返った。
「ひとつだけ教えろ。大学で研究している内容、あれはお前が自主的に選んだものか? それとも、誰かに指示されたものか?」
正直に、教授に指示された、と答えようかと思った。しかし、老人の言葉で「それとも」がやけに強調されていたのが気になり、嘘をつくことにした。
「自分で、選びました」
「ほう……」
老人は目をすがめた。どこか楽しげな表情だ。
「血は争えぬか。知らぬとはいえ、あれを選ぶとはな」
そして二人は挨拶もせず、さっさと外へ出ていってしまった。
残された蓮実は震える手でテーブルの上のグラスを取り、流しへと持っていく。ふと見ると、グラスの中の水は少しも減っていない。
思い返せば、二人はずっと、蓮実の出した水に口をつけようとすらしていなかった。
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