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第12話 太古の夢

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 叔父は両目を見開いた。おばもキッチンで徳利を持ったまま固まっている。

 言ってしまえば楽だった。しかし今度は、叔父の反応を待っている間、恐怖で体が音を立てて震え始めた。

 もしも真実が単純であれば問題はない。でも、万が一、そんな簡単な話ではなかったら? 母が父を刺し殺したという、それ以外に説明のつきようがない夢の中の光景が、本当は別の意味を持つものだったとしたら?

 叔父の沈黙しているわずか数秒が、蓮実にとっては何時間にも渡って拷問を受けているような苦痛に感じられた。

「叔父さん……教えて」

 哀願する。

 叔父は腕組みして黙っていたが、やがてかぶりを振った。

「それがわかってどうする」
「どうする? するとか、しないとかじゃなくて、私は自分の過去が知りたい。自分のことが知りたい。自分のルーツを実感したい。そのことだけ。だから、真実を知ったからって、警察に行くとか、そういうアクションを起こすつもりはないの」
「違う。俺が言いたいのは」
「ねえ、あなた」

 横からおばが割り込んできた。

「玉造町に行くだけでしょ。だったら気にすることはないんじゃない? その程度だったら危険なことは何も」
「お前が判断することじゃない」

 苦い顔で叔父は一蹴する。

「蓮実は、思い出し始めている。そしていつか知る。なぜ父親が殺されたのかを」
「殺……された」

 容易に予想は出来ていたが、改めて叔父の口から聞かされると、蓮実は衝撃で言葉を失ってしまった。

 つまり、あの夢は、母が父を刺し殺したという、過去の事実に基づいたものであることに他ならない。

 ということは……母は、いま、どうしている? 両親ともに亡くなったと聞いたが、殺した側の母まで死んだというのか? それが本当なら、どうして。

「全てがわかった時、いや、わからずとも、周りは黙ってはいないだろう。それは蓮実の人生が終わる時でもある。俺は、娘のように育てた姪が、そのような目に遭うのを見るのは忍びない。だから――あの町へ、行かせるわけにはいかない」

 断固として揺るがない叔父の態度に、蓮実はこれ以上話をしても無駄だと悟った。説得するためのあらゆる言葉を考えてみたが、相手の表情を見ていて、やはり厳しいなと溜め息をつく。

「わかった」

 ソファから立ち上がる。

「私、もう何も知らないほうがいいのかもね」

 本心からの言葉ではない。それは叔父も察しているのか、返事はせず、ただ険しい目で見つめてきただけだった。

 リビングから出る前に、蓮実は振り返った。

「ひとつだけ教えて」
「答えられることならな」

 叔父は腕組みして、仏頂面で返した。

「お父さんはお母さんに殺された。そのことは、昔のニュースを調べれば、すぐにわかることなの?」
「いや」

 すぐに叔父は首を横に振った。

「大した話題にはならなかった。ネットでも、昔の新聞でも、調べてみればよくわかるはずだ。少なくとも、あの頃俺が色々な新聞やニュースをチェックした範囲では、どこも取り上げてはいなかった」
「だったら、どうして叔父さんは昔のニュースを私に見せないよう気を付けていたの?」
「俺が見落としていることもあるかもしれないからだ。もっとも、どこかが仮に事件のことに言及していたとしても、事実以上のことは何も書かれなかったかもしれない」

 事実以上のこと、という物言いに、裏に隠されたものを感じ取ったが、蓮実はさらに突っ込んで聞くのを断念した。ひとつだけ教えてもらう、という趣旨に反するし、叔父もどうせ話さないだろうからだ。

「わかった。ありがとう。おやすみ」

 素っ気なく言って、リビングを出た。


 ※ ※ ※


 夢を見た。

 蓮実は谷間の水田に立っている。空の群青色が目の奥に染み込んできそうで、息を吸い込むと、澄んだ空気が肺の奥まで満たされてくる。田んぼの稲の上をバッタのような虫がジジジと羽音を鳴らしながら飛び交っている。

(ここは……?)

 いつもの夢と違うと、夢の中でありながら、確かに実感できた。

 脛まで泥水に浸かりながら田んぼのど真ん中に仁王立ちしている自分の左右に、背後から水をザブザブと鳴らしながら歩いてきた一団が、鮮やかに直線を描いて整列をした。

「我が君、ご命令を」

 髭面の男が脇に立ち、野太い声で指示を求めてきた。金色の首飾りをぶら下げ、上半身裸で、幾何学的文様を刺青として肌に彫っている。手には何の精錬もされてなさそうな無骨な直刀が握られている。

「命令?」

 蓮実の問いに、男はまっすぐ前を見据えたまま、スッと手を上げ、谷の入り口のほうを指で示した。

 仮面の者が水田を突き進んでくる。

 赤色をベースとした面には、黒色で隈取のようなものが描かれている。京劇の面にも見えるが、それと比べて、デザインはかなりシンプルだ。

「マタチの者です」
「マタチ?」

 どこかで聞いたことがある。

「油断召されぬよう。奴はすでに我らの同胞を、たった一人で、五人も――」

 男は最後まで言えなかった。

 額に矢が突き刺さる。のけ反って吹き飛んだ男は、頭から水田の中に沈んだ。

 悲鳴を上げる間もない。半弓を構えている仮面の者マタチは、次の矢をつがえて、蓮実へと狙いを定めた。

 矢が空を裂いて飛来する。

 当たる――と思った瞬間、色白の青年が横から飛び出して、蓮実の前に立ち塞がった。身代わりになって命を落とす気だ。

「やめて!」

 蓮実は叫んだ。

 が、青年は腰を落とすと、腕を素早く振った。飛んできた矢を、真正面から掴む。さらに続けて飛んできた矢も、空いている反対の手で見事に掴んだ。

「ご安心を。我が君には指一本触れさせません」

 そう言って、にっこり微笑みながら振り向いたその顔は――



「桐江君!?」

 蓮実は跳ね起きた。

 汗を掻いている。いつもと同じで気持ちのいい汗ではないが、今回はさらに毛色の違うものだ。冷や汗、というよりも、信じられないほどのエネルギーを消費して流した汗のような感じで。

 あれはただの夢ではない。記憶の奥底を洗い出すことに留まらず、もっと深いところまで呼び起こされていた。かなりの負荷が自分の体にかかっていた。

 時刻は朝六時。枕元の携帯電話を取り、アドレス帳から涼夜の番号を探した。
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