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エピローグ
Ⅰ
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「肝を冷やしたさ」
ミイラさながらの包帯塗れで寝ている死に体に、シエナが笑いかける。わずかに微笑んで応えるも、それさえも響く。心と体の傷に。あの後、到底動ける身ではなくなったので、シエナが運んでくれた。自身もボロボロで魔法もろくに使えなかったというのに。根性でなんとかしたとなにげなしに言うのでおそれいる。
「いやしかし、ユーグがあのとき、あの魔法を使わなかったのを迷ったのは殺したくなったけどね」
「悪かった。後悔しているよ」
「素直に謝って殊勝だね」
うんうん、とうなずくシエナに、苦笑いを浮かべる。
「それで? あの魔導書の能力というのは、結局なんだったんだい? 見当はついているんだろう?」
どうして生きているのか。死ねなかったのか。深い後悔と失意のどん底にいた。そんな俺を立ち直らせたのは大魔道士の魔導書。能力の解明だった。もちろん、工房にさえ行けなかったので頭の中で何度も繰り返し考察・整理を繰り返していた。こんなときにまで・・・・・・と何度も自嘲したけど、最後に残っているのは、知識欲だったのかもしれない。それさえ無くなっていたら、舌を噛み切って自殺してただろう。もしくは、エドガーの死者とは違う生きる屍になっていたか。
ともかく、研究所にある魔導書の解析は進められていて、今現在判明している研究結果は、俺の予測と当たっていた。
「魔法を変換する。それだけだ」
四大属性。オリジナル。過去。現代。種類を問わず、あらゆる魔法に対応できることを古代に完成させられていた、それも魔導書の呪文を詠唱するだけで可能。ぞくりとした。改めて大魔道士の偉大さを実感させられている。それも、大魔道士が成した偉業の一つでしかないとあれば、もう笑うしかない。
「しかし、よく見抜けたね。感心感心」
「誰にだってできるさ。判断材料は揃っていた」
ヒントはあった。エドガーは最後まで気づかなかったが、俺の攻撃と自身が産みだした死者に使った魔法のみに効果があって、肉弾戦を仕掛けたルウにはなにも影響が出なかった。まだ魔導書を扱いきれていなかった、翻訳を誤ったからだと推論したけど、もし万能でなかったら? 能力自体が違っていたら? 俺もエドガーも、最初のページしか読んでなかったけど、もしかしたら――。
もし。もしあそこで。ここはどうして。疑問はあらゆる場面での違和感に繋がって、それから魔法を媒介にして、なにか別の形に組み替える――すなわち変換しかないと結論したのだ。
「よくそこまで分析できるね。あのときのことを、具に覚えていたってことでしょ? 本当にこわいなぁ」
「なんだよ、人を化け物みたいに」
「まさにそのとおりじゃないか。なのに自身の異常さを理解できていないときた。たまに君のことが本当にこわくなるよ」
「おまえは俺を買いかぶりすぎだ。友人だから色眼鏡がかかっているんだよ。昔の魔道士達なんて、一生の間に何十冊魔導書を遺しているか知っているか? それに、おまえだって俺と同じ立場だったら――」
「ああ、うん。その件に関しては耳にリヴァイアサンができるほど聞き飽きている。まぁもういいさ。しかし、これにて一件落着。事件を終わらせることができた。そしてユーグは予定通り魔導書を手に入れられた」
「・・・・・・全部落着ってわけじゃない」
「あ~。たしかに、そのとおりかな」
失言してしまったからか、シエナは気まずそうに頬をかいて、ははは・・・・・・とぎこちない愛想笑い。
そう、全部うまくいったわけじゃないのだ。失ってしまったことのほうがはるかに大きい。特に俺にとっては。
「あ――しかし、あれだね、うん。落ち込むなというのはおかしいか。ドンマイ。また次がある」
元気づけようとしてくれてはいるんだろうが、言葉を選んでほしい。
「残っているものが、あるでしょ? それを糧に、前みたいに生きる。戻るだけだと、割り切ってみたら?」
「・・・・・・難しいことを」
失ったものを、割り切れたわけじゃない。そう簡単には癒やせない。
「失礼いたします。ユーグ様、お食事を持って参りました」
恭しい言葉遣い。感情がない目に筋肉がないのかと見紛う表情。金色の毛並みと尻尾。耳。以前と変わらない、生きている愛おしい人。俺の、好きな子。
そして、もう以前と同じように、一緒にいられない人。
「おう、ありがとうルウ」
ルウが以前と同じように食事を持ってきてくれ、思考が中断する。彼女を見る度、その小さい唇が言の葉を紡ぐ度、目が合う度。一緒に過ごしているとき。ふとしたときに触れあったとき。小さい喜びのすぐあと、胸が罪悪感でズキズキと痛む。彼女もそうなのだろう。今だって、食事を運んでいるだけなのに、ぎくしゃくしたかんじになってお皿を落としてしまいそうだ。
「・・・・・・では僕はこれで帰ることにしよう。またな、ユーグ」
「ん、ああ」
シエナは、あんな事態の一端を担っていたルウに、いい感情を抱いていない。だから、今も避けている。決して言葉を交わすことも、同じ空間にいようともしない。ルウはそれを悲しむことはなく、黙々と受け入れている。頭をさげ、あいさつを述べるのみだ。
「マット様が、早くユーグ様によくなってもらって、また売り上げに貢献してもらいたいとぼやいていました」
「そうか」
何気ない会話も、長く続かない。お互いが、遠慮をしている。
「そ・・・・・・それでは、ユーグ様。お口をあけてください。あーん」
ぷるぷると震えるスプーンが、目の前に突き出される。躊躇いながら口を開けて咀嚼。食べやすいように用意してくれたミルク粥は、どこの高級料理にも勝てない極楽浄土にいると錯覚させるほどの味なんだろう。本来は。けど、今は味なんて二の次。
「それでは、体をお拭きいたします」
「いや、そこまでは」
「駄目です。昨日できなかったので、汚れているはずです。清潔にしなければ完治が遠くなります」
「しかし、そんな汚いこと、ルウにしてもらうのはさすがに――」
ごにょごにょと、恥ずかしさも相まってうまく説明できない。前にも一度やられた。徹底的に、全身くまなく拭かれるのだ。恥ずかしくないほうがおかしい。もう一度やられたら、死ぬ。確実に死ねる。仮にも好きな子のあんなとこやこんなとこを見られて拭かれて・・・・・・想像するだけで悶死できる。
「これくらい、なんともありません。お願いですから、させてください。そうでもしなければ、私は・・・・・・」
そうやって無理にでも世話を焼いてくれるルウには、感謝と愛情と、そして胸の痛みを覚える。
どうしてここまでルウが俺の世話をしてくれるのかを、俺は理解しているから。罪悪感。自己嫌悪。そして償い。ルウだけのせいじゃない。俺にも責任がある。
遺跡から脱出する前、俺はルウの遺体に縋すがりついて泣き続けた。散々泣き続けて、失ってしまったことの後悔。絶望。慟哭。それは、長い間続いた。
「ユーグ、悲しいけれど、その奴隷は・・・・・・もう。早く帰ろう。魔導書を持って帰ってさ?」
発破をかけているのか。薬の効果が徐々に切れだしたシエナが、這いながらこちらにやってきた。けど、どうでもいい。もう悲しむことも、生きることも、残っていなかった。ここで野垂れ死ぬ。それでいいとさえおもいはじめていた。
「しっかりしなよ! ユーグ、君にはまだやるべきことがあるだろう!? 夢があるだろう!?」
力ないシエナの拳が、ぺシ、ペシと俺の体を揺する。夢。大魔道士を越える。それさえどうでもいい。そんなことがなんになる。夢を叶えたら、ルウが生き返るのか。そもそもあんな魔導書があるから―――――
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ」
大魔道士の魔導書。生き返らせる。自分の中での考えが、像になって形をなしていく。
「もしかしたら・・・・・・いやしかし・・・・・・」
「ユーグ?」
できるかもしれない。僅かな希望が、脳をフル回転させる。神経が消失していると錯覚する鈍い体を、なんとか魔導書まで移動させる。あちこち曲がっている指で、一心不乱にページを捲り続ける。目だけで速読し、内容を把握して、目当ての箇所を探していった。もしかしたら。いや、あってくれ。頼む。後生だ。願いながら続けていった。
「あった・・・・・・」
間違いない。しかし、なんてことだろう。本当にこんなことまでできるとは。けど、時間はない。材料も少ない。急がなければ!
「ユーグ、おい!?」
身体中の皮膚が一斉に切れ、鮮血が迸る。心配するシエナなどおかまいなしに、準備を急ピッチで進める。
魂という定義も形も曖昧で、しかしたしかに実在していると証明されているもの。魔法士の魔力の源。つまり、魂とは巨大な魔力でもある。 それを魔導書の力で再現できるのでは? 失ったルウの魂を復元することができるのではないか? 生前の状態のまま戻すことができるのでは?
つまり、完全な死者の蘇生。
大魔道士は死から人を蘇らせたという伝説がある。それは、エドガーの行っていた死霊薬とはかけ離れた奇跡。この万能の魔導書であれば、可能。そもそも大魔道士はこの魔導書を使って蘇生させたのか。それとも蘇生させた後に魔導書を創ったのか。興味はあるが今はどうでもいい。
魔導書を可能なかぎり読み解き、必要な動作として代替できる魔法とそれに類するものを使った。エドガーの残した死者たちと魔法は、未だ俺の制御下にある。それでも足りないので、魔導具、義肢を。そしてできる限りの俺の血液。それでも、最後はギリギリ足りなかった。迷うことなく、俺は最後のとっておきを犠牲にした。
そして魔導書も使った。結果は見事成功。ルウを以前のまま生き返らせることに成功したのだ。本当は歓喜したかったが、そこで意識がぷつりと途切れた。
義眼の魔法の反動で弱っていた俺は、最後のとどめのようにダメージ+魔力+血液不足に陥って気絶。三日三晩生死を彷徨った。そして、起きてからも激痛に苦しんだ。
後日、不思議がっていたルウに事情を説明すると、驚き、嘆いていた。ごめんなさい。何度そう謝っただろう。それからだ。甲斐甲斐しく世話をするようになったのは。ルウとまた一緒に暮らせるようになって、幸せだったのは束の間。すぐに取り返しのつかないことをしたと青ざめた。
彼女が今俺の側に、奴隷でなくともいるのは罪悪感と後悔。そして罪滅ぼし。それは、今後ルウを一生縛り、苦しめ続けるだろう。一生を俺に捧げるつもりでいる覚悟なのだから。
けど、そんな一緒の生活も、ついに終わらせるべきときがきた。
「こうでもしなければ・・・・・・だって、だってご主人様は私のせいで」
「ルウは気に病むことはない。俺が好きで――」
「だってっ」
俺の言葉は、いたずらにこの子を悲しませて傷つけるだけだって、いつになったら覚えるのだろう。なんの意味なんてないのに。
「ご主人様は、私のために魔導書を失ったのではありませんかっ」
最後のとっておき。それは俺の魔導書。他になにもなかった。けど、それでよかった。魔導書なんて、いくらでも書き直せる。また創れる。魔法の設計図とか魔導具とか、詳しい箇所は自身がないけど、可能なかぎりは覚えている。試験に一生受けられるわけじゃない。
「これじゃあ、釣り合いがとれないじゃないですか・・・・・・裏切り者を生き返らせるために・・・・・・夢のための・・・・・・魔導書を・・・・・・ですからお願いです。私は失われた魔導書の変わりとなります。一生ご主人様のお側におります。ご主人様の望まれることなら、なんでもいたします。どうか・・・・・・」
その言葉を、それだけ聞きたかったか。彼女自身の口から、いつか言ってほしいって。そんな日がいつか・・・・・・。つい頷いてしまいそうな自分を、戒める。舌を噛んで冷静さを取り戻す。口の中が鉄の味で満たされる頃には、もう喜びはなかった。
「なぁ、ルウ」
「はい、ユーグ様。なにかご用でしょうか。なんでも命じてください」
命令じゃない。もう命令できない。そんな関係じゃない。それだけ伝えればいいのに、詰まってしまう。どこまでいっても、俺は変わっていないらしいことに、苦笑する。
「ルウのおかげで、だいぶ傷も癒えてきた。一人で起きあがれるし、身の回りのことも、できるよ」
「はい」
「さっき、なんでもって言ったよね?」
「え?」
「俺が望むことならなんでもって言ったよね?」
それだけで、なんとなく察したのか。彼女は顔を伏せてしまった。
「どこですればいいでしょうか? 体位は? 服は? それとも『もふもふタイム』でしょうか」
「ああ、じゃあまずは『もふもふタイム』を――――って違うわ!」
久しぶりに突っ込んだせいで、喉が痛い。あぶねぇ。誘惑に負けそうになった。決意を新たに、告げる。
「では、なにをどうすればよいのですか」
「生きたいように生きてくれ。幸せになってくれ。償いとか、俺への気持ちとか一切除外して、ルウの思ったとおりに生きてくれ。俺のことはもう忘れて、自由に生きてくれ。俺の元にいなくていい」
絶望しているのか悲しんでいるのか。突き放されたのか。ルウは感情を読みとれない不思議な面持ちになって、最後には泣きそうになって俺を見つめてくる。
間違っていた。俺たちの関係は。今更ながら好きになった子を奴隷にして一緒にいるという状況の異常さ、そして今のルウの心境。お互いを鑑みて、これまでのことを振り返って、清算しなければいけないときがきたんだ。
「かしこまりました。私も、今自分がなにをしたいのか、本当の意味で理解できた気がいたします」
立ち上がって、そのまま部屋を去っていく。手を伸ばしかけて、反対の腕で押し止める。顔にぐっと力を入れて、笑顔を作って浮かべ続ける。引き留めたい。好きだ。ずっといてくれ。伝えればきっと残ってくれるだろう。罪悪感と罪滅ぼしから。けど、それはルウが心から願ったことじゃない。俺のせいで、もうルウを縛ってはいけない。
最後なんだから、俺を優先するんじゃない。ルウを優先したい。
ドアが開いて、そして閉じられた音がした。本当に、ルウがいなくなった実感がゆっくりやってきて、同時にベッドに寝っ転がった。
これでいいんだ。お互いのためにも。もう一緒にいる必要はない。別々に、やり直さないと前には進めないだろう。涙が出てくるほど、深い喪失感に苛まれながら、必死に言い聞かせる。
慣れるだろうか。妙に広くなった部屋を見渡して、涙が出た。
ミイラさながらの包帯塗れで寝ている死に体に、シエナが笑いかける。わずかに微笑んで応えるも、それさえも響く。心と体の傷に。あの後、到底動ける身ではなくなったので、シエナが運んでくれた。自身もボロボロで魔法もろくに使えなかったというのに。根性でなんとかしたとなにげなしに言うのでおそれいる。
「いやしかし、ユーグがあのとき、あの魔法を使わなかったのを迷ったのは殺したくなったけどね」
「悪かった。後悔しているよ」
「素直に謝って殊勝だね」
うんうん、とうなずくシエナに、苦笑いを浮かべる。
「それで? あの魔導書の能力というのは、結局なんだったんだい? 見当はついているんだろう?」
どうして生きているのか。死ねなかったのか。深い後悔と失意のどん底にいた。そんな俺を立ち直らせたのは大魔道士の魔導書。能力の解明だった。もちろん、工房にさえ行けなかったので頭の中で何度も繰り返し考察・整理を繰り返していた。こんなときにまで・・・・・・と何度も自嘲したけど、最後に残っているのは、知識欲だったのかもしれない。それさえ無くなっていたら、舌を噛み切って自殺してただろう。もしくは、エドガーの死者とは違う生きる屍になっていたか。
ともかく、研究所にある魔導書の解析は進められていて、今現在判明している研究結果は、俺の予測と当たっていた。
「魔法を変換する。それだけだ」
四大属性。オリジナル。過去。現代。種類を問わず、あらゆる魔法に対応できることを古代に完成させられていた、それも魔導書の呪文を詠唱するだけで可能。ぞくりとした。改めて大魔道士の偉大さを実感させられている。それも、大魔道士が成した偉業の一つでしかないとあれば、もう笑うしかない。
「しかし、よく見抜けたね。感心感心」
「誰にだってできるさ。判断材料は揃っていた」
ヒントはあった。エドガーは最後まで気づかなかったが、俺の攻撃と自身が産みだした死者に使った魔法のみに効果があって、肉弾戦を仕掛けたルウにはなにも影響が出なかった。まだ魔導書を扱いきれていなかった、翻訳を誤ったからだと推論したけど、もし万能でなかったら? 能力自体が違っていたら? 俺もエドガーも、最初のページしか読んでなかったけど、もしかしたら――。
もし。もしあそこで。ここはどうして。疑問はあらゆる場面での違和感に繋がって、それから魔法を媒介にして、なにか別の形に組み替える――すなわち変換しかないと結論したのだ。
「よくそこまで分析できるね。あのときのことを、具に覚えていたってことでしょ? 本当にこわいなぁ」
「なんだよ、人を化け物みたいに」
「まさにそのとおりじゃないか。なのに自身の異常さを理解できていないときた。たまに君のことが本当にこわくなるよ」
「おまえは俺を買いかぶりすぎだ。友人だから色眼鏡がかかっているんだよ。昔の魔道士達なんて、一生の間に何十冊魔導書を遺しているか知っているか? それに、おまえだって俺と同じ立場だったら――」
「ああ、うん。その件に関しては耳にリヴァイアサンができるほど聞き飽きている。まぁもういいさ。しかし、これにて一件落着。事件を終わらせることができた。そしてユーグは予定通り魔導書を手に入れられた」
「・・・・・・全部落着ってわけじゃない」
「あ~。たしかに、そのとおりかな」
失言してしまったからか、シエナは気まずそうに頬をかいて、ははは・・・・・・とぎこちない愛想笑い。
そう、全部うまくいったわけじゃないのだ。失ってしまったことのほうがはるかに大きい。特に俺にとっては。
「あ――しかし、あれだね、うん。落ち込むなというのはおかしいか。ドンマイ。また次がある」
元気づけようとしてくれてはいるんだろうが、言葉を選んでほしい。
「残っているものが、あるでしょ? それを糧に、前みたいに生きる。戻るだけだと、割り切ってみたら?」
「・・・・・・難しいことを」
失ったものを、割り切れたわけじゃない。そう簡単には癒やせない。
「失礼いたします。ユーグ様、お食事を持って参りました」
恭しい言葉遣い。感情がない目に筋肉がないのかと見紛う表情。金色の毛並みと尻尾。耳。以前と変わらない、生きている愛おしい人。俺の、好きな子。
そして、もう以前と同じように、一緒にいられない人。
「おう、ありがとうルウ」
ルウが以前と同じように食事を持ってきてくれ、思考が中断する。彼女を見る度、その小さい唇が言の葉を紡ぐ度、目が合う度。一緒に過ごしているとき。ふとしたときに触れあったとき。小さい喜びのすぐあと、胸が罪悪感でズキズキと痛む。彼女もそうなのだろう。今だって、食事を運んでいるだけなのに、ぎくしゃくしたかんじになってお皿を落としてしまいそうだ。
「・・・・・・では僕はこれで帰ることにしよう。またな、ユーグ」
「ん、ああ」
シエナは、あんな事態の一端を担っていたルウに、いい感情を抱いていない。だから、今も避けている。決して言葉を交わすことも、同じ空間にいようともしない。ルウはそれを悲しむことはなく、黙々と受け入れている。頭をさげ、あいさつを述べるのみだ。
「マット様が、早くユーグ様によくなってもらって、また売り上げに貢献してもらいたいとぼやいていました」
「そうか」
何気ない会話も、長く続かない。お互いが、遠慮をしている。
「そ・・・・・・それでは、ユーグ様。お口をあけてください。あーん」
ぷるぷると震えるスプーンが、目の前に突き出される。躊躇いながら口を開けて咀嚼。食べやすいように用意してくれたミルク粥は、どこの高級料理にも勝てない極楽浄土にいると錯覚させるほどの味なんだろう。本来は。けど、今は味なんて二の次。
「それでは、体をお拭きいたします」
「いや、そこまでは」
「駄目です。昨日できなかったので、汚れているはずです。清潔にしなければ完治が遠くなります」
「しかし、そんな汚いこと、ルウにしてもらうのはさすがに――」
ごにょごにょと、恥ずかしさも相まってうまく説明できない。前にも一度やられた。徹底的に、全身くまなく拭かれるのだ。恥ずかしくないほうがおかしい。もう一度やられたら、死ぬ。確実に死ねる。仮にも好きな子のあんなとこやこんなとこを見られて拭かれて・・・・・・想像するだけで悶死できる。
「これくらい、なんともありません。お願いですから、させてください。そうでもしなければ、私は・・・・・・」
そうやって無理にでも世話を焼いてくれるルウには、感謝と愛情と、そして胸の痛みを覚える。
どうしてここまでルウが俺の世話をしてくれるのかを、俺は理解しているから。罪悪感。自己嫌悪。そして償い。ルウだけのせいじゃない。俺にも責任がある。
遺跡から脱出する前、俺はルウの遺体に縋すがりついて泣き続けた。散々泣き続けて、失ってしまったことの後悔。絶望。慟哭。それは、長い間続いた。
「ユーグ、悲しいけれど、その奴隷は・・・・・・もう。早く帰ろう。魔導書を持って帰ってさ?」
発破をかけているのか。薬の効果が徐々に切れだしたシエナが、這いながらこちらにやってきた。けど、どうでもいい。もう悲しむことも、生きることも、残っていなかった。ここで野垂れ死ぬ。それでいいとさえおもいはじめていた。
「しっかりしなよ! ユーグ、君にはまだやるべきことがあるだろう!? 夢があるだろう!?」
力ないシエナの拳が、ぺシ、ペシと俺の体を揺する。夢。大魔道士を越える。それさえどうでもいい。そんなことがなんになる。夢を叶えたら、ルウが生き返るのか。そもそもあんな魔導書があるから―――――
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ」
大魔道士の魔導書。生き返らせる。自分の中での考えが、像になって形をなしていく。
「もしかしたら・・・・・・いやしかし・・・・・・」
「ユーグ?」
できるかもしれない。僅かな希望が、脳をフル回転させる。神経が消失していると錯覚する鈍い体を、なんとか魔導書まで移動させる。あちこち曲がっている指で、一心不乱にページを捲り続ける。目だけで速読し、内容を把握して、目当ての箇所を探していった。もしかしたら。いや、あってくれ。頼む。後生だ。願いながら続けていった。
「あった・・・・・・」
間違いない。しかし、なんてことだろう。本当にこんなことまでできるとは。けど、時間はない。材料も少ない。急がなければ!
「ユーグ、おい!?」
身体中の皮膚が一斉に切れ、鮮血が迸る。心配するシエナなどおかまいなしに、準備を急ピッチで進める。
魂という定義も形も曖昧で、しかしたしかに実在していると証明されているもの。魔法士の魔力の源。つまり、魂とは巨大な魔力でもある。 それを魔導書の力で再現できるのでは? 失ったルウの魂を復元することができるのではないか? 生前の状態のまま戻すことができるのでは?
つまり、完全な死者の蘇生。
大魔道士は死から人を蘇らせたという伝説がある。それは、エドガーの行っていた死霊薬とはかけ離れた奇跡。この万能の魔導書であれば、可能。そもそも大魔道士はこの魔導書を使って蘇生させたのか。それとも蘇生させた後に魔導書を創ったのか。興味はあるが今はどうでもいい。
魔導書を可能なかぎり読み解き、必要な動作として代替できる魔法とそれに類するものを使った。エドガーの残した死者たちと魔法は、未だ俺の制御下にある。それでも足りないので、魔導具、義肢を。そしてできる限りの俺の血液。それでも、最後はギリギリ足りなかった。迷うことなく、俺は最後のとっておきを犠牲にした。
そして魔導書も使った。結果は見事成功。ルウを以前のまま生き返らせることに成功したのだ。本当は歓喜したかったが、そこで意識がぷつりと途切れた。
義眼の魔法の反動で弱っていた俺は、最後のとどめのようにダメージ+魔力+血液不足に陥って気絶。三日三晩生死を彷徨った。そして、起きてからも激痛に苦しんだ。
後日、不思議がっていたルウに事情を説明すると、驚き、嘆いていた。ごめんなさい。何度そう謝っただろう。それからだ。甲斐甲斐しく世話をするようになったのは。ルウとまた一緒に暮らせるようになって、幸せだったのは束の間。すぐに取り返しのつかないことをしたと青ざめた。
彼女が今俺の側に、奴隷でなくともいるのは罪悪感と後悔。そして罪滅ぼし。それは、今後ルウを一生縛り、苦しめ続けるだろう。一生を俺に捧げるつもりでいる覚悟なのだから。
けど、そんな一緒の生活も、ついに終わらせるべきときがきた。
「こうでもしなければ・・・・・・だって、だってご主人様は私のせいで」
「ルウは気に病むことはない。俺が好きで――」
「だってっ」
俺の言葉は、いたずらにこの子を悲しませて傷つけるだけだって、いつになったら覚えるのだろう。なんの意味なんてないのに。
「ご主人様は、私のために魔導書を失ったのではありませんかっ」
最後のとっておき。それは俺の魔導書。他になにもなかった。けど、それでよかった。魔導書なんて、いくらでも書き直せる。また創れる。魔法の設計図とか魔導具とか、詳しい箇所は自身がないけど、可能なかぎりは覚えている。試験に一生受けられるわけじゃない。
「これじゃあ、釣り合いがとれないじゃないですか・・・・・・裏切り者を生き返らせるために・・・・・・夢のための・・・・・・魔導書を・・・・・・ですからお願いです。私は失われた魔導書の変わりとなります。一生ご主人様のお側におります。ご主人様の望まれることなら、なんでもいたします。どうか・・・・・・」
その言葉を、それだけ聞きたかったか。彼女自身の口から、いつか言ってほしいって。そんな日がいつか・・・・・・。つい頷いてしまいそうな自分を、戒める。舌を噛んで冷静さを取り戻す。口の中が鉄の味で満たされる頃には、もう喜びはなかった。
「なぁ、ルウ」
「はい、ユーグ様。なにかご用でしょうか。なんでも命じてください」
命令じゃない。もう命令できない。そんな関係じゃない。それだけ伝えればいいのに、詰まってしまう。どこまでいっても、俺は変わっていないらしいことに、苦笑する。
「ルウのおかげで、だいぶ傷も癒えてきた。一人で起きあがれるし、身の回りのことも、できるよ」
「はい」
「さっき、なんでもって言ったよね?」
「え?」
「俺が望むことならなんでもって言ったよね?」
それだけで、なんとなく察したのか。彼女は顔を伏せてしまった。
「どこですればいいでしょうか? 体位は? 服は? それとも『もふもふタイム』でしょうか」
「ああ、じゃあまずは『もふもふタイム』を――――って違うわ!」
久しぶりに突っ込んだせいで、喉が痛い。あぶねぇ。誘惑に負けそうになった。決意を新たに、告げる。
「では、なにをどうすればよいのですか」
「生きたいように生きてくれ。幸せになってくれ。償いとか、俺への気持ちとか一切除外して、ルウの思ったとおりに生きてくれ。俺のことはもう忘れて、自由に生きてくれ。俺の元にいなくていい」
絶望しているのか悲しんでいるのか。突き放されたのか。ルウは感情を読みとれない不思議な面持ちになって、最後には泣きそうになって俺を見つめてくる。
間違っていた。俺たちの関係は。今更ながら好きになった子を奴隷にして一緒にいるという状況の異常さ、そして今のルウの心境。お互いを鑑みて、これまでのことを振り返って、清算しなければいけないときがきたんだ。
「かしこまりました。私も、今自分がなにをしたいのか、本当の意味で理解できた気がいたします」
立ち上がって、そのまま部屋を去っていく。手を伸ばしかけて、反対の腕で押し止める。顔にぐっと力を入れて、笑顔を作って浮かべ続ける。引き留めたい。好きだ。ずっといてくれ。伝えればきっと残ってくれるだろう。罪悪感と罪滅ぼしから。けど、それはルウが心から願ったことじゃない。俺のせいで、もうルウを縛ってはいけない。
最後なんだから、俺を優先するんじゃない。ルウを優先したい。
ドアが開いて、そして閉じられた音がした。本当に、ルウがいなくなった実感がゆっくりやってきて、同時にベッドに寝っ転がった。
これでいいんだ。お互いのためにも。もう一緒にいる必要はない。別々に、やり直さないと前には進めないだろう。涙が出てくるほど、深い喪失感に苛まれながら、必死に言い聞かせる。
慣れるだろうか。妙に広くなった部屋を見渡して、涙が出た。
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龍之介が見たものは、人魔戦争に敗れた魔族が、辺境の森で厳しい生活を余儀なくされている姿だった。
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バラバラだった魔族を再び一つにした龍之介は、転生前の知識と異世界の人間の暮らしを参考に、森の中へ楽園を作るべく奔走するのだが……
異世界転生~チート魔法でスローライフ
玲央
ファンタジー
【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。
43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。
その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」
大型連休を利用して、
穴場スポットへやってきた!
テントを建て、BBQコンロに
テーブル等用意して……。
近くの川まで散歩しに来たら、
何やら動物か?の気配が……
木の影からこっそり覗くとそこには……
キラキラと光注ぐように発光した
「え!オオカミ!」
3メートルはありそうな巨大なオオカミが!!
急いでテントまで戻ってくると
「え!ここどこだ??」
都会の生活に疲れた主人公が、
異世界へ転生して 冒険者になって
魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。
恋愛は多分ありません。
基本スローライフを目指してます(笑)
※挿絵有りますが、自作です。
無断転載はしてません。
イラストは、あくまで私のイメージです
※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが
少し趣向を変えて、
若干ですが恋愛有りになります。
※カクヨム、なろうでも公開しています
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