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一章

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 赤ん坊になって何日か過ごしてみて、やっとわかったことがある。最初は警戒してここで暮していたけど、今は落ち着いていられる。俺の身におこっていることは魔法による攻撃でも幻覚でもない。もちろん夢じゃない。これは現実なんだと。

「お~い、レオン。ただいまぁ、パパだぞ~」

 そしてパパと名乗るこの男は俺の父親で、その妻は母親。俺の名前はれおん。どうにもわからないけど、とにかくそういうことらしい。赤ん坊で情報を懸命に収集した結果、得られた確証がそれ。

「はいレオン、ママと一緒にお風呂に入りましょうね~」
「ええ~~~? パパと入りたいよな~~?」
「じゃあ三人で入りましょうか?」
「うん、そうだね~~」

 とても仲のいい夫婦で、お互いを愛し合っていて、そして息子である俺を溺愛している。本当の赤ん坊だったら父親に可愛がられて喜ぶんだろうか。母に甘えるものなのだろうか。孤児だった俺には両親がいなかったし、元々赤ん坊だった頃の記憶がないからどう反応していいのかわからない。

 とりあえず父親に頬ずりされると髭がチクチクして痛いし、キスされまくるのは・・・・・・・・・気持ち悪い。いや、本当に申し訳ないけど。母親に抱っこされると恥ずかしくなる。抱っこされながら背中を摩られたり胸を押しつけられると安心するんだけど、それでもどうにも照れくさい。
 
「ねぇパパ! きょうレオンが寝返り打ったのよ!」
「まじで!? 嬉しいなぁ! どれ、パパに見せて見せて!」
 
 1ヶ月くらい経ってからの俺に二人は素直に成長を喜んでいるけど、なんとか自分で行動できるようにと努力した結果がそれだけなのが情けない。とはいえ、行動範囲が広がったのを機に、いろいろと家の中を寝返りしまくって自分なりに調べだした。

 度肝を抜かれた。家の広さと丈夫さ。快適さ。平民じゃここまで揃えられないし許されない。もしかして、両親って貴族か商人なんだろうか?

「ごめんママ。今日また給料少なかった」
「気にしないで、工夫したり節約してみるわ」

 どうもそうじゃないらしい。

 そして、二人と一緒に移動したり過ごすことも増えて、家のいたるところにある道具の数々は、俺が暮していた国にはどれもなかったものばかり。食事を作る、洗濯、掃除が簡単にできすぎる。どうも魔法とは仕組みが違うらしい。風呂に入るのも簡単で、石鹸とかシャンプーとかはどうやって作られたのか、実に興味深い。もしかして、魔王との戦いから遙か未来の世界じゃないのか?

 でも、そうじゃなかった。 

「レオン、寝る前に絵本読もうか~~?」

 父親=パパが読み聞かせてくれる絵本には、いろんな物語がある。魔法使い、騎士、王様。どれも俺の世界では当たり前だった存在はおとぎ話の登場人物、創作でしかあり得ない。

「このドラマに出てる俳優かっこいいよね~。まぁパパのほうがかっこいいけど~~。ねぇレオンもそうおもわない?」

 母親=ママと一緒に見るテレビというもので得られるドラマでの内容、映画とかアニメでもそうだ。

「見て見てパパ。レオン新聞読んでるわ」
「うわぁ、本当だね。もうそんな成長してるのかぁ。ママに似たのかな?」
「パパに似たのよ。だって後ろ姿と腕を組んでる仕草なんてあなたそっくりだもの」

 調べていくうちに、今俺がいるのは地球という星で日本という国の住人ってこと。まさか、とある疑問を抱いた。いや、そんな。日に日に増していく疑問を振り払うように必死になって調べていって、そして確信に至った出来事がある。

「そういえば、目が開いてからレオンと一緒にお出かけってしなかったね~~」
「そうね~。首も据わってなくてこわかったしね~。でも、今日は初めて見えるお外に驚いてるのね~」

 三人で買い物に出掛けたときがある事実に気づくきっかけだった。人の多さ。知らない乗り物。城と同じくらい高い建物にも驚いたけど、おかしいのが人間しかいない。少なからず人間の街にいた魔物も、亜人も、魔族もいない。魔王が侵略を企てていたことも、魔族との戦争という歴史も、どこにもない。もちろん勇者、女神の足跡も。

 いたるところにある文字も、形や用途、種類が違いすぎる。国ごとに違うのも、

 魔力、魔法だってまったく感知できなかった。家で過ごしているときは、大して気にしていなかったが、勇者だった頃は、女神の加護により、少なからず魔力をかんじとれていた。頬を撫でる風、土と草の匂いをかんじとるのと同じで、ごく自然に存在していて、かんじとれていた。それが、まったくピクリともない。両親と街で買い物をしている間、どこにもない。

 まるで別世界だ。目が眩むほどの外の光景に、おもわず内心唸った。違う。まるでじゃない。ここは俺の世界とは文字通りの別世界なんだ。認めたくなかった、疑念が事実として受け入れられた。

「ねぇ、パパ? レオン最近落ち込んでない?」
「ああ、そうだね。どうしたんだろう」
「お~い、レオン? どうしたの? パパと遊ばない? ほら、お馬さんごっこしよ?」
 
 ごめんなさいパパ。お馬さんには腐るほど乗ってたし、それにパパも疲れちゃうからいいです。今は考え事に集中させてください。

 どうして俺が赤ん坊としてまた産まれたのか。そして記憶と人格を保っているのか。考えても答えは出ない。だとしたら、俺のやるべきことはただ一つ。元の世界に戻る方法を探しだすこと。魔王を倒したとはいえ、まだ魔王軍も魔族も残っている。まだ仲間達は戦っているだろう。別世界の赤ん坊になったとしても、勇者であることは変わらない。

 でも、一体どうすれば?

 ぐうううぅぅ~~~、と空腹になって一気にやる気と思考が消失してしまった。

「あらあら、ミルク飲みましょうね~。あら?」

 ごめんなさいママ。手間をかけます。そのうち自分で用意して食べれるように頑張るから。

「パパ、粉ミルクがなくなっちゃったわ」
「あ、じゃあ買ってこないとね。じゃあしばらくおっぱいでなんとかなる?」

 ん? おっぱいって?

「そうね。まだおっぱいが出るから」

 おっぱいが出るってなに?

 ポロン、とママが服と下着をはだけさせて、おもむろに胸をさらけだした。女の人の裸はおろか、胸を見たことなかった俺には意味がわからなくて。母親とはいえ、意識は二十歳だから刺激が強すぎて。

「おんぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 赤ん坊の衝動、泣き叫ぶということで感情を発散するしかなかった。

「はいはい、ママのおっぱいでちゅよ~~~」

 早く戻らないと。それもできるだけすぐに。勇者としての矜持と誇り。それ以前に母親から授乳されて、変な気分になってしまった自分への恐怖。快感とは違う新たな感覚に目覚めるという自信。このままじゃ人としての道を踏み外すと、俺の本能が告げていた。
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