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第一章
犯研 01
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さらりと落ち、影を落とす艶やかで癖のない黒髪を少女は煩わしげに細くたおやかな指でさっと形の良い耳にかける。墨を流したように腰まで届く漆黒は一度も染めたことがないようで、処女雪の如き肌によく映える。
長い睫に縁取られた瞳は一点に注がれ、ぷっくりとした上品な薔薇色の唇は時折呟くように小さく動き、一瞬だけ髪に触れた指はその先で忙しなく動いている。
黒い革張りのソファーに座るその膝の上にはラインストーンでデコレーションされたピンクのノートパソコンが置かれ、彼女は先程からずっと打ち込んでいるのだ。
人それぞれ好みの違いはあれど、英明学園を代表する美少女に数えられる一人である。二年F組、御来屋クロエ――華奢で清楚な印象ながら《犯罪マニア》という不名誉な称号を冠されてはいるのだが。
「先生はどう思いますか? 今回の事件」
手元のコミックに目を落としつつ、時折クロエを盗み見ていた三笠颯太は意を決して切り出してみた。ずっと気になっていたのだが、タイミングを考えていたのだ。
今は放課後、彼女も颯太も部活動に励んでいるということになるのだが、青春という空気は一切ない。熱く心を一つにして目指すものがあるわけでもなく、甘酸っぱい体験もまず考えられない。そもそも部室らしくもない。
「先生はやめてって、いつも言ってるでしょ。ただの先輩なんだから」
視線も指もそのままにクロエは不満を漏らした。
彼女はいつもそうだ。颯太さえ気にしなければ好きに話しかけていいことになっている。ただし、先生と呼ばれることだけは拒否する。颯太は一年、たった一年先輩なだけで、いくら小説を書いているからと言って、そう呼ばれることがクロエは気に入らないようだ。
「俺にとっては神にも近いですから。だから、先生です」
颯太が思ったままのことを口にすれば彼女は小さく溜息を吐いて手を止めた。
「神って言うなら、あの男がそうでしょ? あなたにとっては」
吊り目がちなアーモンド型の目が颯太を通り越す。自分にとってはそうではないと、最後の言葉を強調することで示しているようだった。
颯太がつられて振り向けば、いかにも高級そうな黒いアームチェアに体を沈めた男が目に入る。尤も、彼は颯太の真後ろにいるために体をかなり捻らなければならなかった。
彼もまたクロエと同じ二年生でクラスメートという関係にあるはずなのだが、友好的な空気は一切ない。
そして、颯太と同じ制服に身を包んでいるのだが、別物のようにも思えてしまう。存在感がまるで違うのだ。
髪こそ黒々とした短髪だが、百八十を超える身長の持ち主で、座っていても圧倒されるものがあり、全体的に派手な印象だ。
襟を大きく開けたシャツから覗く胸板は逞しさを窺わせ、大振りなデザインのシルバーネックレスが下げられている。男らしい太く長い指には枷のようにゴツゴツした指輪がはめられ、無造作にファイルのページをめくっていた。
彼は完全に自分の世界に入っている様子でクロエと颯太の会話など気にも止めていない。いつものことだ。
颯太はクロエに向き直る。
「確かにあの人は天才です」
聞き耳など立てているはずもないのに、颯太は自然と小声になってしまう。自分達にまるで興味がないことはわかっているというのに。
颯太の中の彼に対する苦手意識がそうさせているのかもしれない。ここでの彼は取っ付きにくいとしか言いようがない。
龍崎大翔、または人気バンド《ドラグーン》のリュウ。颯太にとっては後者の方が馴染みがある。
熱狂的なファンが多い中で颯太は自分はそこまでではないと思っていたが、ひょっとしたら図々しい部類なのかもしれない。こうして憧れの大翔と同じ室内にいて、学園一とも言える美少女と話をしているのだから、何も知らない他人から見れば実に幸せ者だ。大翔に対する幻想など既に薄れつつあるのだが。
「脳の使い方を間違えた、ね」
彼が天才であることはクロエにも否定することはできないのだが、どうしても余計なことを付け足したいらしかった。
「それをあなたが言うんですか」
颯太が呆れ混じりに吐き出せ、クロエはそっと目を伏せる。
「私は凡才だから」
颯太は全力で否定したいのを必死に堪えた。
彼女が凡才であるはずもない。もし、そうであるなら自分は何になってしまうのだろうか。たとえば、その問いをぶつけたとしても彼女は答えをくれはしないだろう。彼女は天使でも女神でもない。
「俺にとっては二人とも天才ですよ」
毎日アームチェアに悠々と座ってファイルを見ているだけの大翔を天才と称するならばクロエのことも同列で扱われなければならないと颯太は常々思っている。
否、ここには忘れてはならない人間がもう一人いた。
「……三人ですね」
今この場にはいないが、彼(・)もまた間違いなく天才だというのは颯太如きが覆すことのできない事実だった。
言い換えるならば、この部屋に入ることの許された四人の内、颯太だけが取り立てて何もない凡才なのである。
「二人と私を一緒にしないで」
クロエの口から発せられたのは珍しく強い言葉だった。睨まれると美人なだけに迫力があり、気の弱い颯太は萎縮してしまう。
「すみません……」
颯太も懲りないのだが、彼女はとにかく二人と同列にされることを嫌がる。彼女は自身を颯太と同列と考えているのだが、それは間違いとしか言いようがなかった。
颯太が彼女と同列として振る舞った日にはもう三人目の天才から言葉にはできないような仕打ちを受けることだろう。暫く口がきけなくなるかもしれない。考えるだけで体に震えが走るほどだ。
「二人は本物の天才だけど、私は違う。劇的な推理も何もできない。助手ですらない」
クロエにコンプレックスがあるとするならば、それなのかもしれない。
彼女ほどの才色兼備な人間が何を悩むのか、颯太には微塵もわからないが、そもそも理解が可能な領域ではない。同じ空間にいると違いをひしひしと感じてしまう。
つまり、彼女は自分というものをまるでわかっていないのだ。常に過小な評価をし、大抵の場合颯太にとっては迷惑であることが多い。
長い睫に縁取られた瞳は一点に注がれ、ぷっくりとした上品な薔薇色の唇は時折呟くように小さく動き、一瞬だけ髪に触れた指はその先で忙しなく動いている。
黒い革張りのソファーに座るその膝の上にはラインストーンでデコレーションされたピンクのノートパソコンが置かれ、彼女は先程からずっと打ち込んでいるのだ。
人それぞれ好みの違いはあれど、英明学園を代表する美少女に数えられる一人である。二年F組、御来屋クロエ――華奢で清楚な印象ながら《犯罪マニア》という不名誉な称号を冠されてはいるのだが。
「先生はどう思いますか? 今回の事件」
手元のコミックに目を落としつつ、時折クロエを盗み見ていた三笠颯太は意を決して切り出してみた。ずっと気になっていたのだが、タイミングを考えていたのだ。
今は放課後、彼女も颯太も部活動に励んでいるということになるのだが、青春という空気は一切ない。熱く心を一つにして目指すものがあるわけでもなく、甘酸っぱい体験もまず考えられない。そもそも部室らしくもない。
「先生はやめてって、いつも言ってるでしょ。ただの先輩なんだから」
視線も指もそのままにクロエは不満を漏らした。
彼女はいつもそうだ。颯太さえ気にしなければ好きに話しかけていいことになっている。ただし、先生と呼ばれることだけは拒否する。颯太は一年、たった一年先輩なだけで、いくら小説を書いているからと言って、そう呼ばれることがクロエは気に入らないようだ。
「俺にとっては神にも近いですから。だから、先生です」
颯太が思ったままのことを口にすれば彼女は小さく溜息を吐いて手を止めた。
「神って言うなら、あの男がそうでしょ? あなたにとっては」
吊り目がちなアーモンド型の目が颯太を通り越す。自分にとってはそうではないと、最後の言葉を強調することで示しているようだった。
颯太がつられて振り向けば、いかにも高級そうな黒いアームチェアに体を沈めた男が目に入る。尤も、彼は颯太の真後ろにいるために体をかなり捻らなければならなかった。
彼もまたクロエと同じ二年生でクラスメートという関係にあるはずなのだが、友好的な空気は一切ない。
そして、颯太と同じ制服に身を包んでいるのだが、別物のようにも思えてしまう。存在感がまるで違うのだ。
髪こそ黒々とした短髪だが、百八十を超える身長の持ち主で、座っていても圧倒されるものがあり、全体的に派手な印象だ。
襟を大きく開けたシャツから覗く胸板は逞しさを窺わせ、大振りなデザインのシルバーネックレスが下げられている。男らしい太く長い指には枷のようにゴツゴツした指輪がはめられ、無造作にファイルのページをめくっていた。
彼は完全に自分の世界に入っている様子でクロエと颯太の会話など気にも止めていない。いつものことだ。
颯太はクロエに向き直る。
「確かにあの人は天才です」
聞き耳など立てているはずもないのに、颯太は自然と小声になってしまう。自分達にまるで興味がないことはわかっているというのに。
颯太の中の彼に対する苦手意識がそうさせているのかもしれない。ここでの彼は取っ付きにくいとしか言いようがない。
龍崎大翔、または人気バンド《ドラグーン》のリュウ。颯太にとっては後者の方が馴染みがある。
熱狂的なファンが多い中で颯太は自分はそこまでではないと思っていたが、ひょっとしたら図々しい部類なのかもしれない。こうして憧れの大翔と同じ室内にいて、学園一とも言える美少女と話をしているのだから、何も知らない他人から見れば実に幸せ者だ。大翔に対する幻想など既に薄れつつあるのだが。
「脳の使い方を間違えた、ね」
彼が天才であることはクロエにも否定することはできないのだが、どうしても余計なことを付け足したいらしかった。
「それをあなたが言うんですか」
颯太が呆れ混じりに吐き出せ、クロエはそっと目を伏せる。
「私は凡才だから」
颯太は全力で否定したいのを必死に堪えた。
彼女が凡才であるはずもない。もし、そうであるなら自分は何になってしまうのだろうか。たとえば、その問いをぶつけたとしても彼女は答えをくれはしないだろう。彼女は天使でも女神でもない。
「俺にとっては二人とも天才ですよ」
毎日アームチェアに悠々と座ってファイルを見ているだけの大翔を天才と称するならばクロエのことも同列で扱われなければならないと颯太は常々思っている。
否、ここには忘れてはならない人間がもう一人いた。
「……三人ですね」
今この場にはいないが、彼(・)もまた間違いなく天才だというのは颯太如きが覆すことのできない事実だった。
言い換えるならば、この部屋に入ることの許された四人の内、颯太だけが取り立てて何もない凡才なのである。
「二人と私を一緒にしないで」
クロエの口から発せられたのは珍しく強い言葉だった。睨まれると美人なだけに迫力があり、気の弱い颯太は萎縮してしまう。
「すみません……」
颯太も懲りないのだが、彼女はとにかく二人と同列にされることを嫌がる。彼女は自身を颯太と同列と考えているのだが、それは間違いとしか言いようがなかった。
颯太が彼女と同列として振る舞った日にはもう三人目の天才から言葉にはできないような仕打ちを受けることだろう。暫く口がきけなくなるかもしれない。考えるだけで体に震えが走るほどだ。
「二人は本物の天才だけど、私は違う。劇的な推理も何もできない。助手ですらない」
クロエにコンプレックスがあるとするならば、それなのかもしれない。
彼女ほどの才色兼備な人間が何を悩むのか、颯太には微塵もわからないが、そもそも理解が可能な領域ではない。同じ空間にいると違いをひしひしと感じてしまう。
つまり、彼女は自分というものをまるでわかっていないのだ。常に過小な評価をし、大抵の場合颯太にとっては迷惑であることが多い。
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