ヘルメン

吉田定理

文字の大きさ
1 / 16

しおりを挟む
「ヘルメン」と藤井が言った。
「なんだよそれ」と俺は尋ねた。
「字のごとくだ。ヘルメン・イズ・ヘルメン」
「メルヘンだろ」
「ちげーよ。ヘルメンだっての」
 藤井はやたらと不満そうに眉根を寄せた。
「地獄の男か?」
「なに言ってんの?」
「いや、英語だろ。ヘルのメンで」
「えっ、ああ。だったら地獄の男たちじゃねーの?」
 どうでもいいところで細かい男だ。本が高さをそろえて整然と並べられている本棚を見て、俺は呆れた。
「イケメンは一人でもイケメンって言うだろ?」
「あれっ。言われてみればそうだな。最初に間違えたの誰だよ」
「知らねーよ」
「俺ですらそんな文法間違えねえぞ」
「っていうかイケマンじゃなんかダサいだろ」
「ダサいというより、なんかエロいな」
「まあ否定はしないけどな」
 俺はこのとき、大学からの友人であり、創作仲間であった藤井の「ヘルメン」という言葉の意味を理解していなかった。「ヘルメン」は、いつの間にか始まって終わった『一文字変えるとエロくなる言葉探し』という、実にくだらない、どうでもよい遊びに取って代わられてしまっていた。これ以降、藤井は少なくとも俺との会話の中で「ヘルメン」という言葉を使うことはなかった。また、後になってこのときのやり取りが二人の間で再び話題に上がることもなかった。かろうじて再度話題に上がったのは、俺たちの努力の成果物である、一文字変えるとエロくなる言葉だけだった。
 つまりこれが生前の藤井が口にした、最初で最後の「ヘルメン」であった。


 藤井と俺の出会いは三年前、大学入学時に遡る。たまたま同じ学部、学科に居合わせ、たまたま新入生オリエンテーションで同じグループに入れられた。
 そのときの藤井は黒縁メガネをかけた冴えない男だった。身長は男子の平均程度で、体格は少しぽっちゃり。髪は中途半端な長さで、服装は地味なシャツとジーンズ。女子とイチャイチャした経験などなさそうで、これからもイチャイチャすることはなさそうなヤツだった。
 オリエンテーションは五人一グループで大学敷地内のチェックポイントを回ってスタンプを集めるという企画だったが、俺と藤井の二人は、イベントに積極的に参加するよりも適当に参加している振りをするだけのほうが性分だった。だから先輩の手書きの地図とにらめっこしながらチェックポイント探しをするのは前衛三人に任せて、俺と藤井は甲斐性もなく三人のあとを付いていった。
 ただただ一時間も無為に歩かされるのは精神的に辛いので、俺たちはぽつぽつと会話をした。
「趣味は?」
 名前、出身を聞いた後、藤井はお見合いみたいにそんなふうに質問してきた。
「ギター弾いたりとか、まあ音楽かな」
 俺はまだギターを買って数年であり、簡単な曲の弾き語りができる程度だった。
「マジ? ギター弾けるのかあ。いいなあ。じゃあ音楽系サークル入るつもり?」
「いや、完全に趣味っていうか。バントやったりとかは興味ないんだ。一人で楽しめればいい」
 本当は興味があった。だけど技術的に無理だと思っていた。それにネットで購入した新品八千円のギターじゃ笑いものになるのが落ちだ。ギラギラしたステージの上で派手にギターをかき鳴らす連中とは、きっと馬が合わない。無論、駅前などで路上演奏する度胸もない。
 だが藤井が俺に羨望のまなざしを向けていたので、ボロが出ないうちに話題を変えることにした。
「えっと、藤井くんの趣味は?」
「ゲームなんだけど、最近やったのはフェアリークエストⅩとか、マジカルファンタジーⅢとか。それからアルカディア外伝って知ってる? あれ傑作だから絶対やるべき」
「あー、聞いたことないけど、フェアリークエストなら昔やった」
 海外のゲームなどにも手を伸ばすほどのゲーム好きらしかった。しばらくゲームの話題で盛り上がったあと、俺の趣味の話に戻ってきて、
「実はさ、俺、大学入ったら何か始めたいと思ってたんだ。ギターってやっぱ高いの? ド素人が何年くらいで弾けるようになる?」
「世界で一番簡単な楽器って言うし、一ヶ月も練習すればそれなりに弾けると思うぞ。値段も他の楽器に比べれば安いし」
「そうなの? でも俺、あんまし器用じゃないんだけど」
「そんなに難しくない。怖いのは何も始めないこと、だからな」
「え、どういうこと?」
 バスケの神様、マイケルジョーダンの名言の一つだ。
「びびってるくらいなら当たって砕けろ、ってことだよ」
 結局俺はギターについて素人に毛が生えた程度の知識をありったけ吐き出すことになった。好きなバンドについて話し始めると、傾向が似ていて話が合った。藤井はこのときから、すでに音楽、特に曲を作ることに強い関心を持っていた。こいつの音楽の才能を開花させるために必要だったのは、ひとえにきっかけだったのだ。
 藤井とは同じ講義に出たり、昼飯を食べたり、何かと一緒に過ごすことが多くなった。
 俺のアパートに遊びに来たとき、藤井はギターを弾くようにせがんだ。俺はしぶしぶ手に取り、「今日は調子が悪いな」とか言いながら普段どおりの大して上手くもない演奏をした。だけど藤井は目を輝かせて興奮し、翌週には俺と同じモデルの色違いを買ったと報告してきた。
 嫌な気はしなかった。むしろモチベーションが上がって前より真面目にギターを練習するようになった。講義と講義の間に時間が空いているとき、藤井は大学から近い俺の部屋によく来た。ゲーム機を持参して置いておくようにもなった。暇なとき俺たちはゲームをしたり、弾けるようになった曲を弾いてみせたりした。
 このときはまだ抜かれることはないだろうと思っていた。ギターも作曲も俺のほうがずっと早く始めたのだ。俺はいつまでも藤井の先生でいられると思っていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

せんせいとおばさん

悠生ゆう
恋愛
創作百合 樹梨は小学校の教師をしている。今年になりはじめてクラス担任を持つことになった。毎日張り詰めている中、クラスの児童の流里が怪我をした。母親に連絡をしたところ、引き取りに現れたのは流里の叔母のすみ枝だった。樹梨は、飄々としたすみ枝に惹かれていく。 ※学校の先生のお仕事の実情は知りませんので、間違っている部分がっあたらすみません。

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

処理中です...