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第一章
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光太郎は朝日のまぶしさで目を覚ました。
ハッとして目を開けると、隣で陽菜が寝息を立てている。反対側を向いているので寝顔は見えないが、すうすうという可愛らしい寝息が聞こえる。ほっとして背中を陽菜のほうに向けて目を閉じた。
陽菜がゾンビに噛まれてからおよそ一日経過したとすると、完全にゾンビになるまであと六日ほど。時間は多くない。
そのうちもぞもぞと陽菜が起き出した。あくびをする気配。
いきなり噛みついてくる、なんてことはないよな……?
「ん……こーちゃん、起きてる?」
「起きてる」
やはり杞憂だったと思いながら身体を起こし、横に腕を広げて伸びをした。
陽菜も両手を組んで「んー!」と伸びをしている。
「おはよ、こーちゃん」
まだ半分夢の中にいるような微笑み。
光太郎はドキッとしたのを誤魔化すように、凝り固まった肩や首を動かしながら視線をそらした。
「おはよう」
「首、痛いの?」
「寝違えたみたいだ」
昨晩は陽菜の存在を背中に感じていたせいでなかなか寝付けなかった。しかも狭い車内で迂闊に寝返りを打つと陽菜の身体に触れてしまいそうだったので、実はそればかり気にして変な体勢で寝てしまったのだ。そういう欲望を満たすために付いてきたと思われるのは絶対に嫌だった。
だが陽菜は光太郎と密室で眠ることを何も意識しなかったのだろうか。
「陽菜こそちゃんと眠れたのか?」
さり気なく探りを入れてみた。
「もうちょっと下が柔らかいと嬉しいんだけど、いちおう寝られたと思う。昨日は疲れてたのかも」
「働いたり歩いたり泣いたり、忙しかったしな」
「だねー。私、お腹空いた」
「とりあえず朝ご飯、調達するか」
「賛成」
いろいろな方向を窓からのぞいて確かめたところ、近くにゾンビはいないようだ。遠くに彷徨い歩くゾンビの姿が見えるだけなので、車を出てもすぐに襲われることはないだろう。
「ちょっと怖いけど、あのコンビニ行ってみる?」
看板がちょうど通りの先に見えていた。
「そうだな……今なら外に出ても大丈夫かもしれないが」
だができれば危険を冒したくないという気持ちもある。何かできないかと車内に目をやる。運転席と助手席の間にキーが置いてあるではないか。
「この車、動くかもしれないぞ!」
「やったー! ……でもこーちゃん、運転できるの?」
「運転したことはないけど、やってみるしかない」
「そうだよね、面白そう!」
陽菜は目を輝かせたが、一度咳払いをして自分を落ち着かせた。
「でもこの車の持ち主が戻ってきたら、車がなくて困るかも」
「さすがに戻ってこないだろ。とっくにゾンビに食われてる。第一、こんなときに他人のこと心配してる場合じゃないぞ」
「こんなときだからこそ、他の人のことを考えなきゃだよ。他人の車に勝手に乗るなんて……」
「もう勝手に乗って寝たじゃねえか」
「乗るだけと、運転するのとは別。免許ないのに運転して事故を起こしたら怒られちゃう」
「誰も怒らないだろ。そこら中、世紀末みたいになってんだし」
「これって窃盗だよね……?」
「スーパーの棚からポテチを持っていくのも窃盗だけどな」
「あ、そっか。私たち、前科ありだ」
「学校に勝手に住むのも違法だな」
「私たち、けっこうワルだね。でも他人に迷惑かけるのは少ないほうがいいな」
「その意見には俺も賛成。その上で、今回はやむを得ない事情があるってことで、この車はありがたく使わせてもらおう」
「うーん、じゃあ、ちょっと借りるだけ」
「そうそう。ちょっと借りるだけだ。ゾンビパニックが終わって、持ち主が生きてたら返す」
「うん、そうする」
「オーケー。じゃあ、動くかやってみるぞ」
「映画みたいに暴走しないでね」
「たぶん爆発もしないし、空も飛ばない」
光太郎はキーをポケットにしまい、運転席に移動してハンドル周辺のボタンやメーター、シフトレバーを確認する。ハンドルの左に『START』と書かれたボタンを発見したとき、陽菜が助手席に移動してきた。
STARTボタンを押してもエンジンがかかる様子がない。
「これでエンジンかかるはずだよな……?」
「長押しとか?」
長押しを試してもエンジンの動き出す音がしない。
陽菜は助手席の収納スペースを開けて冊子を取り出し、「これ説明書だよね」と言った。
「他人の車がどうこうとか言ってたのは誰だったっけ?」
二人の目が合うと、お互いにおかしくて笑い出しそうだった。
「借りたのに動かなかったら意味ないしね。えっと、ブレーキペダルを踏み込みながら長押しだって」
「ブレーキってどっちだ?」
「左。右はアクセル」
「サンキュー」
言う通りにすると、車がエンジン音をうならせた。
「おーっ!」
陽菜は感動したように拍手した。
「よっしゃ! これでどこにでも行けるぞ」
「朝ご飯を買いに行こう!」
「走るときはDのドライブだよな?」
「たぶん」
陽菜はもう説明書を閉じている。
光太郎はシフトレバーをDに入れ、しっかりとハンドルを両手で握る。
「よし、行くぞ!」
「無免許運転だっ! パトカー来ませんように」
「うへぇ、緊張するなぁ。あ、そうだ、シートベルト。一応な」
「シートベルト大事」
二人ともシートベルトを装着し、今度こそ出発の準備が整った。
「じゃあ、アクセル踏むぞ?」
「うん、コンビニまで真っ直ぐだよ。事故らないでね」
「任せとけ」
コンビニは300メートルほど前方に看板が見えているのだが、路上に放置された車やゴミをよけながら進む必要があるので、真っ直ぐとはいえ案外難しそうだ。
汗ばんだ手でハンドルを握り直すと、アクセルペダルをゆっくりと踏みこんだ。
「おおお、お……っ!?」
「ちゃんと進んでるよ! 遅いけど」
のろのろと車が動き出したかと思えば、また停車した。
「なんかちょっと変じゃないかこれ」
「そうなの? 私はよく分からないけど、良さそうじゃない?」
「動きが重いというか」
「ここにびっくりマーク出てるの関係あるんじゃない?」
「ホントだ、なんだこれ」
説明書で調べたりあちこちいじったりした結果、サイドブレーキを解除すればいいと分かって、今度こそ出発の準備が整った。
「行くぞ!」
「ごーごー!」
再び光太郎はアクセルを踏んだ。
「うおーっ! すげえ走ってる!」
「そうだねすごい!」
「うおーっ!? 曲がるぞこれ曲がる!」
「そうだね曲がるね! めちゃくちゃ遅いけど!」
慣れていないのに加え、路上の障害物をよけるのに慎重を期しているのでカメのようなスピードだ。
「遅くても事故らないことが一番だ」
「こーちゃん、ビビりだね……。ここまでビビりだとは思ってなかったよ」
「初めてなんだから仕方ないだろっ!」
「どんどん左に寄ってるよ」
「マジか!? そっち、擦らないように見ててくれ」
「りょーかい。あ、ゾンビ来た」
建物や脇道などからワラワラとゾンビが出てきた。
「多くねえか!?」
「車だと目立つみたいだね。こーちゃん、この車、ゾンビより遅くない……?」
「仕方ないだろ! まだ慣れてないんだから!」
焦ってゴミをよけようとしてハンドルを切ったら、その先の壊れた車が邪魔で曲がり切れなくなってしまった。このまま行くと車に突っ込んでしまう。
「くっそー! ミスった、バックしないとぶつかる。Pはパーキングで、Dはドライブで、Nは?」
「ノーマル?」
「Sは?」
「スピードアップ……?」
「そんなギアあるのか……?」
「Bがバックじゃないの?」
「ちょっとバックする」
「早くしないと、後ろからゾンビ来てるよ?」
「やばいやばいやばい!」
「こーちゃん、ビビりすぎ……落ち着いて」
「けっこう近づいてきてるな……もうゾンビにぶつかっても仕方ない」
「なんか、仕方ないって言っておけば何しても許される気がしてくるね」
「実際、そんな感じだよな」
そのとき運転席の右側の窓にゾンビの手がいきなり貼りついてきたので、心臓が口から飛び出しかけた。
慌ててシフトレバーをBに入れてアクセルを踏むと、予想に反して車が前進した。
「え? おいなんで!? だぁーっ!?」
「ちょっ!? こーちゃん!?」
ガシャーン!
大きな音と衝撃。目の前の車に突っ込み、ぶつかって止まったのだ。ボンネットが少し浮き上がっている。
「嘘だろおおおおッ!?」
「いたた……びっくりした……。こーちゃん、もう事故っちゃった……」
「俺、ちゃんとBにしたよな!? なんで? この車おかしいぞ」
「まだ10分も運転してないのに事故るとか、早すぎて笑っちゃう……っ!」
陽菜はこらえきれなくなってカラカラと笑い出す。光太郎もなんだか肩に入っていた力が抜けて笑えてきた。
「ああもういいや。どうせ俺の車じゃないし。どうやってバックするか早く説明書で調べてくれ」
「待って……ええと……バックは……R」
「Rか! Bはなんだったんだ?」
「ブレーキだって」
「フェイントだったかー。とりあえず、バックするぞ」
「もう事故らないでね」
「大丈夫だ」
シフトレバーをRに入れ直し、アクセルを踏み込む。すると今度はちゃんと車がバックしたのだが、ドンッという鈍い音がして再び衝撃で揺れた。
「うわあッ!? 今度はなんだ!?」
飛び上がってキョロキョロした。バックモニターを見るとゾンビが倒れてもがいていた。
「こーちゃん、またぶつかった!? しかも大丈夫って言ってから三秒しか経ってないし! おかしくてっ、笑いすぎてっ、もうっ、お腹がっ、痛いんだけどっ!」
陽菜はお腹を抱えて笑っている。目尻に涙を浮かべて苦しそうに喘ぎながら。
「笑いすぎだっての! ゾンビが後ろにいるなんて知らなかったんだよ!」
撥ねてしまったゾンビは無視してギアをDに戻し、コンビニへ向かって再発進した。
たったの300メートル先なのに十分以上もかかってしまった。しかも車を降りてコンビニへ行こうにも、集まってきたゾンビに阻まれ、迂闊に外に出られない。
「なあ、これ、朝ご飯取りに行くの無理じゃね? ていうか、このままだと俺たちやばくね?」
「うん、どう見ても無理。別のお店を探すしかないと思う」
「オーケー。人生、諦めが肝心だ。もうちょっとゾンビの少ないところを探そう」
「うん、賛成」
車の外へ出ることなく車を発進させた。
だが一キロも進まないうちにゾンビが邪魔で進めなくなる。腐った顔、血で汚れたシャツ、低いうめき声。どちらを見てもゾンビ、ゾンビ、ゾンビだ。
「道の真ん中を歩かないでくれー!」
「私たちが騒いだからすごい集まってきてるよ! ゾンビがどいてくれるの待ってたら囲まれちゃう」
「もうあいつら、ひいちゃっていいか? ゾンビって痛みとか感じるの? 人間のときの意識は残ってないよな?」
「内臓はみ出しながら動いてるし、大丈夫なんじゃない?」
「じゃあひくぞ? もう突っ込むぞ?」
「私、目、つぶってるね」
「おい、陽菜だけずるいぞ!」
「だって、血が出るところ見たくないし」
「くっそー。俺だって見たくないってのに……」
光太郎は覚悟を決めて歩行者ゾンビに突っ込んでいった。ゾンビに衝突するたびに衝撃で車が揺れて血しぶきが飛び、ゾンビが吹っ飛んでいく。
陽菜は自分の目を隠したまま、車が揺れるたびにキャーキャーと黄色い声をあげた。光太郎もわーわー叫んだ。
やっとゾンビだらけのエリアを抜けると、一旦車を停めた。フロントガラスには派手に血の跡が付いている。
「はぁ……もう何人ひいたか分かんねえ。とりあえず危険地帯は抜けたぞ」
まだドキドキしている胸に手を当てて息を吐いた。少し運転しただけなのにどっと疲れてしまい、ハンドルにもたれかかった。
すると、ぐぅ、と腹が鳴り、陽菜がまた笑った。なかなか笑いがおさまらない。
「あはははっ! もう最高っ! だめっ! 笑いが止まんないよっ! なにこれっ! はぁっ、はぁっ! あー、楽しかったっ! 死ぬかと思ったっ! すごいお腹すいたー!」
光太郎も一緒になって、込み上げる笑いに身を任せた。
「俺だって死ぬかと思ったんだからな! なんかもう、めちゃくちゃのど渇いた!」
そうして何分もバカみたいに笑って、二人の笑いの波がやっと引いてから、ちらっと隣を見ると、陽菜はダッシュボードに頭を載せて光太郎のほうをじっと見ていた。目尻にたまった涙。
「今度こそ、朝ご飯、食べようぜ」
「うん」
陽菜がうなずくと、涙の粒が流れていった。
ハッとして目を開けると、隣で陽菜が寝息を立てている。反対側を向いているので寝顔は見えないが、すうすうという可愛らしい寝息が聞こえる。ほっとして背中を陽菜のほうに向けて目を閉じた。
陽菜がゾンビに噛まれてからおよそ一日経過したとすると、完全にゾンビになるまであと六日ほど。時間は多くない。
そのうちもぞもぞと陽菜が起き出した。あくびをする気配。
いきなり噛みついてくる、なんてことはないよな……?
「ん……こーちゃん、起きてる?」
「起きてる」
やはり杞憂だったと思いながら身体を起こし、横に腕を広げて伸びをした。
陽菜も両手を組んで「んー!」と伸びをしている。
「おはよ、こーちゃん」
まだ半分夢の中にいるような微笑み。
光太郎はドキッとしたのを誤魔化すように、凝り固まった肩や首を動かしながら視線をそらした。
「おはよう」
「首、痛いの?」
「寝違えたみたいだ」
昨晩は陽菜の存在を背中に感じていたせいでなかなか寝付けなかった。しかも狭い車内で迂闊に寝返りを打つと陽菜の身体に触れてしまいそうだったので、実はそればかり気にして変な体勢で寝てしまったのだ。そういう欲望を満たすために付いてきたと思われるのは絶対に嫌だった。
だが陽菜は光太郎と密室で眠ることを何も意識しなかったのだろうか。
「陽菜こそちゃんと眠れたのか?」
さり気なく探りを入れてみた。
「もうちょっと下が柔らかいと嬉しいんだけど、いちおう寝られたと思う。昨日は疲れてたのかも」
「働いたり歩いたり泣いたり、忙しかったしな」
「だねー。私、お腹空いた」
「とりあえず朝ご飯、調達するか」
「賛成」
いろいろな方向を窓からのぞいて確かめたところ、近くにゾンビはいないようだ。遠くに彷徨い歩くゾンビの姿が見えるだけなので、車を出てもすぐに襲われることはないだろう。
「ちょっと怖いけど、あのコンビニ行ってみる?」
看板がちょうど通りの先に見えていた。
「そうだな……今なら外に出ても大丈夫かもしれないが」
だができれば危険を冒したくないという気持ちもある。何かできないかと車内に目をやる。運転席と助手席の間にキーが置いてあるではないか。
「この車、動くかもしれないぞ!」
「やったー! ……でもこーちゃん、運転できるの?」
「運転したことはないけど、やってみるしかない」
「そうだよね、面白そう!」
陽菜は目を輝かせたが、一度咳払いをして自分を落ち着かせた。
「でもこの車の持ち主が戻ってきたら、車がなくて困るかも」
「さすがに戻ってこないだろ。とっくにゾンビに食われてる。第一、こんなときに他人のこと心配してる場合じゃないぞ」
「こんなときだからこそ、他の人のことを考えなきゃだよ。他人の車に勝手に乗るなんて……」
「もう勝手に乗って寝たじゃねえか」
「乗るだけと、運転するのとは別。免許ないのに運転して事故を起こしたら怒られちゃう」
「誰も怒らないだろ。そこら中、世紀末みたいになってんだし」
「これって窃盗だよね……?」
「スーパーの棚からポテチを持っていくのも窃盗だけどな」
「あ、そっか。私たち、前科ありだ」
「学校に勝手に住むのも違法だな」
「私たち、けっこうワルだね。でも他人に迷惑かけるのは少ないほうがいいな」
「その意見には俺も賛成。その上で、今回はやむを得ない事情があるってことで、この車はありがたく使わせてもらおう」
「うーん、じゃあ、ちょっと借りるだけ」
「そうそう。ちょっと借りるだけだ。ゾンビパニックが終わって、持ち主が生きてたら返す」
「うん、そうする」
「オーケー。じゃあ、動くかやってみるぞ」
「映画みたいに暴走しないでね」
「たぶん爆発もしないし、空も飛ばない」
光太郎はキーをポケットにしまい、運転席に移動してハンドル周辺のボタンやメーター、シフトレバーを確認する。ハンドルの左に『START』と書かれたボタンを発見したとき、陽菜が助手席に移動してきた。
STARTボタンを押してもエンジンがかかる様子がない。
「これでエンジンかかるはずだよな……?」
「長押しとか?」
長押しを試してもエンジンの動き出す音がしない。
陽菜は助手席の収納スペースを開けて冊子を取り出し、「これ説明書だよね」と言った。
「他人の車がどうこうとか言ってたのは誰だったっけ?」
二人の目が合うと、お互いにおかしくて笑い出しそうだった。
「借りたのに動かなかったら意味ないしね。えっと、ブレーキペダルを踏み込みながら長押しだって」
「ブレーキってどっちだ?」
「左。右はアクセル」
「サンキュー」
言う通りにすると、車がエンジン音をうならせた。
「おーっ!」
陽菜は感動したように拍手した。
「よっしゃ! これでどこにでも行けるぞ」
「朝ご飯を買いに行こう!」
「走るときはDのドライブだよな?」
「たぶん」
陽菜はもう説明書を閉じている。
光太郎はシフトレバーをDに入れ、しっかりとハンドルを両手で握る。
「よし、行くぞ!」
「無免許運転だっ! パトカー来ませんように」
「うへぇ、緊張するなぁ。あ、そうだ、シートベルト。一応な」
「シートベルト大事」
二人ともシートベルトを装着し、今度こそ出発の準備が整った。
「じゃあ、アクセル踏むぞ?」
「うん、コンビニまで真っ直ぐだよ。事故らないでね」
「任せとけ」
コンビニは300メートルほど前方に看板が見えているのだが、路上に放置された車やゴミをよけながら進む必要があるので、真っ直ぐとはいえ案外難しそうだ。
汗ばんだ手でハンドルを握り直すと、アクセルペダルをゆっくりと踏みこんだ。
「おおお、お……っ!?」
「ちゃんと進んでるよ! 遅いけど」
のろのろと車が動き出したかと思えば、また停車した。
「なんかちょっと変じゃないかこれ」
「そうなの? 私はよく分からないけど、良さそうじゃない?」
「動きが重いというか」
「ここにびっくりマーク出てるの関係あるんじゃない?」
「ホントだ、なんだこれ」
説明書で調べたりあちこちいじったりした結果、サイドブレーキを解除すればいいと分かって、今度こそ出発の準備が整った。
「行くぞ!」
「ごーごー!」
再び光太郎はアクセルを踏んだ。
「うおーっ! すげえ走ってる!」
「そうだねすごい!」
「うおーっ!? 曲がるぞこれ曲がる!」
「そうだね曲がるね! めちゃくちゃ遅いけど!」
慣れていないのに加え、路上の障害物をよけるのに慎重を期しているのでカメのようなスピードだ。
「遅くても事故らないことが一番だ」
「こーちゃん、ビビりだね……。ここまでビビりだとは思ってなかったよ」
「初めてなんだから仕方ないだろっ!」
「どんどん左に寄ってるよ」
「マジか!? そっち、擦らないように見ててくれ」
「りょーかい。あ、ゾンビ来た」
建物や脇道などからワラワラとゾンビが出てきた。
「多くねえか!?」
「車だと目立つみたいだね。こーちゃん、この車、ゾンビより遅くない……?」
「仕方ないだろ! まだ慣れてないんだから!」
焦ってゴミをよけようとしてハンドルを切ったら、その先の壊れた車が邪魔で曲がり切れなくなってしまった。このまま行くと車に突っ込んでしまう。
「くっそー! ミスった、バックしないとぶつかる。Pはパーキングで、Dはドライブで、Nは?」
「ノーマル?」
「Sは?」
「スピードアップ……?」
「そんなギアあるのか……?」
「Bがバックじゃないの?」
「ちょっとバックする」
「早くしないと、後ろからゾンビ来てるよ?」
「やばいやばいやばい!」
「こーちゃん、ビビりすぎ……落ち着いて」
「けっこう近づいてきてるな……もうゾンビにぶつかっても仕方ない」
「なんか、仕方ないって言っておけば何しても許される気がしてくるね」
「実際、そんな感じだよな」
そのとき運転席の右側の窓にゾンビの手がいきなり貼りついてきたので、心臓が口から飛び出しかけた。
慌ててシフトレバーをBに入れてアクセルを踏むと、予想に反して車が前進した。
「え? おいなんで!? だぁーっ!?」
「ちょっ!? こーちゃん!?」
ガシャーン!
大きな音と衝撃。目の前の車に突っ込み、ぶつかって止まったのだ。ボンネットが少し浮き上がっている。
「嘘だろおおおおッ!?」
「いたた……びっくりした……。こーちゃん、もう事故っちゃった……」
「俺、ちゃんとBにしたよな!? なんで? この車おかしいぞ」
「まだ10分も運転してないのに事故るとか、早すぎて笑っちゃう……っ!」
陽菜はこらえきれなくなってカラカラと笑い出す。光太郎もなんだか肩に入っていた力が抜けて笑えてきた。
「ああもういいや。どうせ俺の車じゃないし。どうやってバックするか早く説明書で調べてくれ」
「待って……ええと……バックは……R」
「Rか! Bはなんだったんだ?」
「ブレーキだって」
「フェイントだったかー。とりあえず、バックするぞ」
「もう事故らないでね」
「大丈夫だ」
シフトレバーをRに入れ直し、アクセルを踏み込む。すると今度はちゃんと車がバックしたのだが、ドンッという鈍い音がして再び衝撃で揺れた。
「うわあッ!? 今度はなんだ!?」
飛び上がってキョロキョロした。バックモニターを見るとゾンビが倒れてもがいていた。
「こーちゃん、またぶつかった!? しかも大丈夫って言ってから三秒しか経ってないし! おかしくてっ、笑いすぎてっ、もうっ、お腹がっ、痛いんだけどっ!」
陽菜はお腹を抱えて笑っている。目尻に涙を浮かべて苦しそうに喘ぎながら。
「笑いすぎだっての! ゾンビが後ろにいるなんて知らなかったんだよ!」
撥ねてしまったゾンビは無視してギアをDに戻し、コンビニへ向かって再発進した。
たったの300メートル先なのに十分以上もかかってしまった。しかも車を降りてコンビニへ行こうにも、集まってきたゾンビに阻まれ、迂闊に外に出られない。
「なあ、これ、朝ご飯取りに行くの無理じゃね? ていうか、このままだと俺たちやばくね?」
「うん、どう見ても無理。別のお店を探すしかないと思う」
「オーケー。人生、諦めが肝心だ。もうちょっとゾンビの少ないところを探そう」
「うん、賛成」
車の外へ出ることなく車を発進させた。
だが一キロも進まないうちにゾンビが邪魔で進めなくなる。腐った顔、血で汚れたシャツ、低いうめき声。どちらを見てもゾンビ、ゾンビ、ゾンビだ。
「道の真ん中を歩かないでくれー!」
「私たちが騒いだからすごい集まってきてるよ! ゾンビがどいてくれるの待ってたら囲まれちゃう」
「もうあいつら、ひいちゃっていいか? ゾンビって痛みとか感じるの? 人間のときの意識は残ってないよな?」
「内臓はみ出しながら動いてるし、大丈夫なんじゃない?」
「じゃあひくぞ? もう突っ込むぞ?」
「私、目、つぶってるね」
「おい、陽菜だけずるいぞ!」
「だって、血が出るところ見たくないし」
「くっそー。俺だって見たくないってのに……」
光太郎は覚悟を決めて歩行者ゾンビに突っ込んでいった。ゾンビに衝突するたびに衝撃で車が揺れて血しぶきが飛び、ゾンビが吹っ飛んでいく。
陽菜は自分の目を隠したまま、車が揺れるたびにキャーキャーと黄色い声をあげた。光太郎もわーわー叫んだ。
やっとゾンビだらけのエリアを抜けると、一旦車を停めた。フロントガラスには派手に血の跡が付いている。
「はぁ……もう何人ひいたか分かんねえ。とりあえず危険地帯は抜けたぞ」
まだドキドキしている胸に手を当てて息を吐いた。少し運転しただけなのにどっと疲れてしまい、ハンドルにもたれかかった。
すると、ぐぅ、と腹が鳴り、陽菜がまた笑った。なかなか笑いがおさまらない。
「あはははっ! もう最高っ! だめっ! 笑いが止まんないよっ! なにこれっ! はぁっ、はぁっ! あー、楽しかったっ! 死ぬかと思ったっ! すごいお腹すいたー!」
光太郎も一緒になって、込み上げる笑いに身を任せた。
「俺だって死ぬかと思ったんだからな! なんかもう、めちゃくちゃのど渇いた!」
そうして何分もバカみたいに笑って、二人の笑いの波がやっと引いてから、ちらっと隣を見ると、陽菜はダッシュボードに頭を載せて光太郎のほうをじっと見ていた。目尻にたまった涙。
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