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母が数日ぶりに帰ってきた。
それは夕方学校から帰った妹の雪菜(せつな)が、晩ご飯の支度を始めたときのことだった。双子の姉である凜(りん)は、いつも通り手伝いもせず居間のソファに寝転がってマンガを読んでいた。母が帰ってくると、急に家の中が賑やかになる。
「雪菜、ナイスタイミング! ちょうど腹ペコだったのよ」
母が親指を立ててニカッと笑うと、雪菜はその子供っぽい仕草にあきれて「帰ってくるなら連絡してよ、食材買ってないよ」と答えた。
母がまとっていたのは、妖魔退治のときいつも着ている和装束だ。いわゆる紅白の巫女さんの格好だが、妖魔との戦闘で動きやすいように裾が短くなっている。
「先にお風呂入ってくるから、十五分後でよろしくー」
「えーっ! そんなにすぐできないよ」
母はさっさと脱衣所に消え、雪菜は台所であたふたしているのだった。凛はせわしなく働く妹の様子をあくびをしながら眺めていた。
妹の雪菜は、肩まで伸びる黒髪を今はポニーテールにしている。たかが夕飯なのに、その横顔は真剣そのもので、本当に十五分で夕飯の準備をしてしまうつもりらしい。
雪菜は人一倍頑張り屋で、同級生からもよく頼られている。だから時々、凛はこの馬鹿正直な妹のことが心配になる。
「あたしもなんか手伝おっか?」
凛はマンガを開いたまま伏せて台所に移動した。
「じゃあお姉ちゃんはこれにラップして三分チンして!」
「そうだ凜! 私がいない間、ちゃんと学校行ってたでしょうね?」
母がタオル一枚の格好で居間に戻ってきた。
「お姉ちゃん、ちゃんと行ってたよ」
凜が口を開くより早く雪菜が答えた。
凜は次の一言が読めた。「宿題は?」だ。「早く入ってきなよ。風邪ひいても知らんよ」と先手を打つと、母は「はいはーい」と明るい返事をして、今度こそ風呂行ったようだ。
家庭に父はいない。凜と雪菜が中学一年生のとき――つまり三年前に、妖魔との闘いで負傷し、そのまま帰らぬ人となった。
退魔師の家系にはよくあることだと、幼いころから聞かされていた。それなりに覚悟もしていたつもりだった。だがあの朝、笑顔で出かけて行った父が、もう帰ってくることはないのだと告げられたとき、まったく現実感がなく、世界が歪んでしまったような感覚に陥った。双子の妹である雪菜は、三日三晩泣いていた。凜も泣いたは泣いたが、雪菜ほどたくさんの涙は湧き上がってこなかった。
たぶん凜はそのくらいのころから姉妹としての違いを強く感じるようになっていた。
中学へ上がるまでは、どこへ行っても「そっくりだね」と言われ、実際顔も背格好も似ていたし、母でさえ呼び間違えることがあった。決定的に二人が別々の人間なのだと思うようになったのは、去年の夏のこと……。
凜は電子レンジの中で回る耐熱容器をぼーっと眺めながら、無意識のうちに右わき腹あたりを撫でた。薄いTシャツの下には手術痕がある。妖魔との戦闘で負傷したのだ。自分にはあって雪菜にはないもの。
チーン! とレンジが鳴って、凜は現実に戻された。
姉妹は母が髪の毛を乾かし終わるタイミングにぴったり合わせて、夕飯をこしらえた。ご飯、みそ汁、焼き魚に野菜炒め。ちゃんと母の好物であるきゅうりの塩昆布和えまで用意したのは、さすが雪菜と言えよう。長方形のテーブルの三辺にそれぞれが座って、「いただきます」と唱和した。
「最近学校どう?」
母が出し抜けに尋ねた。仕事から帰ってくると、たいていこの質問をする。
「雪菜がまた告白されてた」
凜は機先を制した。勉強なんぞの話題になろうものなら、この世界一おいしい雪菜の料理が台無しになる。
「お姉ちゃん!?」余計なことを言わないで、と雪菜がにらんできたが、迫力はなく、むしろ膨らんだ頬が可愛らしい。それにもう後の祭りだ。
「またか、けしからん! いや、よくぞうちの娘を選んでくれたとほめるべきか?」
「お母さんはほっといて!」
「いやいやいや。今度はどこのどいつだ?」
「誰でもいいでしょ。どうせ言っても分かんないよ」雪菜は顔を赤らめて目をそらした。
この手の話題が苦手な雪菜には申し訳ないが、この流れならしばらく勉強の話題が出てくることはないだろう。
「分かんなくても聞いときたいんだよ、親って生き物は」
「サッカー部の町田ってやつだよ」凜は遠慮なく燃料を追加してやった。
「町田かああああああ!! 町田ああああああ!」
「近所迷惑だよ! というかお母さん知らないでしょ!」
「まあ、知らないけど今覚えたし。ちゃんと私に挨拶に来いよサッカー部の町田ああああ!」
「来ないよっ! もういい加減にして!」雪菜が泣きそうな顔でわめいた。
「で、どうなった?」
母に詰め寄られ、雪菜はもじもじと答える。
「だって……わたし、町田くんのことよく知らないし……ほとんど話したこともないのに、いきなりそういうこと言うとか、意味不明だし……」
「つまり雪菜は町田を振ったというわけ。いつもみたいにね」凜は結論を代わりに言ってやった。
「哀れ町田くん。我が娘に代わってご冥福をお祈り申し上げます。黙祷」
「母よ、町田を殺すな」
「しかし娘よ、男を振ってばかりだねぇ? 高校入学してまだ半年も経ってないのに何人に告白されたっけ?」
「五人かな」
凜はすかさず答え、ニヤニヤと雪菜に目線を送った。
「ふ、振って当たり前だよ! 男子って何考えてるか全然分からないし」
「男子の考えてることなんて、『あれ』くらいだよな」
「まあ、『あれ』だねぇ」と母も物知り顔で頷く。
「あれって何?」
凜も母も「あれ」をことさら強調したが、雪菜だけは分からずぽかんとしている。
「雪菜は優等生で学級委員長だし、客観的に見ても可愛くて男子が好きそうなタイプだし、性格は明るくて面倒見もいいし、頭もいいし、胸は……まあ、あたしほどじゃないけど、体型もすらっとしてるし、肌きれいだし、そういうのを全然鼻にかけないし」
「な、なに? それが、どう関係あるの?」
まったく否定しないところが憎らしくもあるが、相変わらず異性のことは何も知らないらしい。凜はたっぷりと焦らしてからはっきりと答えてやった。
「雪菜をエロい目で見てるってこと」
当人は「そんなまさか!」という顔で、ショックを隠し切れない様子。こんなに世間知らずというか――異性のことを知らなすぎて大丈夫なのだろうかと心配になるくらいだ。
「むりむりむりむり……っ!」雪菜が激しく首を振った。「絶対ない! ああもう、最低!」
「とりあえず娘をやらしい目つきで見ていた町田くんに、喝入れに行こうか。……ご挨拶もかねて」
「やめてよ! いやらしい目つきなんてしてなかったよ!」
「そなの?」
「いや、あいつ、いつも太ももガン見してるよ」
「へっ……?」
雪菜は気づきもしないだろうが、凛は雪菜を見ている奴らのことを、雪菜以上に知っている自信がある。
「こんのドヘンタイ町田めがああああああああッ!!」
「机に足乗せないでお母さあああああああん!!」
数日ぶりの三人そろっての夕食は終始にぎやかだった。話題は学校での人間関係やら、気になる相手はいないのかといった色恋のことばかりで、勉学の『べ』の字も出ないで済んだ。
食事が済むと、雪菜が率先して片づけを始めた。
「手伝うよ」
「いいよ、お姉ちゃん。わたしやるから。座ってて」
「いや、少しはあたしも」
「本当にわたしがやりたいの。わたしの仕事だから。お姉ちゃんどうせ宿題してないでしょ?」
正解だった。……怒っているのだろうか。
雪菜は凜の手から食器を奪い取るようにして、流しのところへ持っていく。スポンジを泡立てて食器を洗う。その働きぶりは不器用な凜が手伝う隙を与えないほど甲斐甲斐しかった。
凜は足手まといになると判断し、仕方なくソファに寝転がってマンガの続きを開いた。
同じくソファでテレビを見ていた母が「二人とも、いつもありがとね」と言った。
雪菜は食器の泡をすすぐのに夢中で聞こえなかったのか、返事をしなかった。凜も返事をしなかった。ほとんどの家事をしているのは雪菜なのだから。
凜は自分が怠け癖のある性格で、家事も決して得意ではないと分かっている。それでも家族のためになるならと、手伝おうとしたことはこれまでに何度もあった。だが雪菜の圧倒的に献身的な働きぶりや、完成度の高い仕事と比べてしまうと、あまり貢献できているとは言い難い。
雪菜が夕食の後片付けを終えると、母が改まって二人を呼んだ。
「今度は仕事の話。二人への仕事よ」
雪菜が「妖魔討伐?」とかぶせ気味に尋ねた。一方、凜は宿題や一学期の期末テストの話ではないと分かり、胸をなでおろした。
「その通り。経緯から話すから聞いてちょうだい。今回私は妖魔出没の連絡を受けて、退治をしてきたわけだけど、その妖魔が命乞いをして、妙なことを言ってたの。――自分は王に呼ばれただけだ、俺みたいな下っ端を殺しても何にもならないぞ、ってね」
「……王」
雪菜がその意味するものを噛みしめるように呟いた。
「ええ、確かに王と言った。もしも本当に王になる力を持った妖魔がこの町にいて、ザコを呼び寄せ、何かを企んでいるとしたら、その企みをつぶさなきゃならない」
「わたしが退治しに行く」
雪菜が身を乗り出した。
「そうしてもらうつもりだけど、まず話を聞きなさい」母が雪菜を一旦落ち着かせた。「私の集めた情報から推測すれば、王の隠れ場所はだいたい特定できる。それに今回の妖魔退治は私が単独で動いていただけだから、こちらの動きは妖魔たちにほぼ知られていない。つまりやり方次第では妖魔の王に奇襲をかけられるってわけ」
凜と雪菜は頷いた。
「そこで、すぐにでも動けて実力が折り紙付きの、少数精鋭の退魔師が必要なのよ。もし町のどんくさい退魔師協会に相談なんかしてたら、奇襲の準備に一週間もかかってチャンスを逃すでしょうね。だからあえて私たちだけで動くの。あなたたち二人に任せるのが最適だと、私は判断した。私が言うのもなんだけど、今やあなたたち二人はこの町で一番の実力を持つ退魔師よ」
私の全盛期にはまだ及ばないけどね、と母はいたずらっぽく付け加えた。
母の実力はこの町の外にも知れ渡っているほどで、父が生きていた頃は、それこそ二人は敵なしの最強だった。今は年齢のため、霊力がかなり弱まったが、退魔師協会に太いパイプを持ち、現役で最前線でも活躍している。
「凛と雪菜の実力は協会も認めてる。けれどまだ実績は多くないし、そう都合よくチャンスも巡ってこない。だけどこの作戦が成功したら、名実ともにあなたたちはこの町で最高の退魔師になる」
最高の退魔師――。その甘美な響きに、雪菜が瞳を輝かせている。
凜は冷静に疑問を口にする。
「でも母さん、あたしたちだけで動いて大丈夫なの?」
協会は退魔師の社会的地位や生活を保障してくれる大切な存在だ。母が退魔師以外の仕事をしないで食べていけるのも、退魔師協会から給料と報奨金が出ているからである。そんな協会をないがしろにしても大丈夫なのだろうか。
「これが合理的かつ重要な作戦である以上、事後報告でも文句ないはずだわ。ジジババに文句言われても、私が納得させるし、何より結果を突き付けてやれば黙らせられる」
「じゃあ母さんの手に入れた情報は本当に当てになるの?」
「正直、確定とは言えないわ。だからこそ協会に相談しても、くだらない議論で時間を無駄にする可能性が高い。だったら最初から協会なんかに頼らないで動いたほうがいい。もし情報が間違っていたら、周辺を調査して王の動きや手がかりを探る。それでより正確な情報を協会に持っていければ、結局あなたたちの手柄になるわ」
「お母さん、わたし必ず成功させて、みんなに実力を認めさせたい。それに、わたしの手でみんなを守りたい」
雪菜は静かな決意を胸に宿している。
妖魔の王は高い知恵を持ち、呪いや妖術にもたけた強敵だ。三年前、父が亡くなったときも、王クラスの妖魔が複数体関わっていたと聞いている。雪菜にとって、王クラスの妖魔を自らの手で倒すことは特別な意味を持っているのかもしれない。そして同じく凜にとっても。
「あたしもやるよ」
「お母さん、わたしが一人で行く。わたしにやらせて」
何言ってるんだ、と凜は驚いて雪菜を見た。雪菜は凜のほうなど全く見ようともしない。ただただ母に訴えかけている。
「お願い」
「さすがに一人では危険すぎる。これは二人の任務」
「わたし大丈夫だよ。毎朝早起きして練習してるし、なんでもうまくやれるし、わたしの弓で遠くから狙うのが一番安全だし」
「あきらめなさい。二人で協力すること。実力があるとはいえ経験はまだまだなんだから。何かあったとき、一人じゃ対処しきれないわ」
「でも」
「雪菜」
「……はい」
雪菜は不承不承に頷いた。
凜は母の判断が正しいと思った。奇襲とはいえ、妖魔の王相手に一人で立ち向かうのは危険すぎる。それに雪菜の得意武器は弓であり、万が一奇襲に失敗して接近されたら一気に不利になる。
雪菜だって分かっているだろうに反抗するなんて珍しいな、と凛は内心で思った。
「明日の夕方ここを出なさい。日が落ちたら奇襲をかけなさい」
「「はい」」
姉妹が同時に返事をした。
「あなたたちなら必ずできる。私の自慢の娘だもの」
初めての重大任務。自分たちだけに与えられた、自分たちにしかできない秘密の任務。 凜はこの降って湧いたような好機に今から武者震いが止まらなかった。
それは夕方学校から帰った妹の雪菜(せつな)が、晩ご飯の支度を始めたときのことだった。双子の姉である凜(りん)は、いつも通り手伝いもせず居間のソファに寝転がってマンガを読んでいた。母が帰ってくると、急に家の中が賑やかになる。
「雪菜、ナイスタイミング! ちょうど腹ペコだったのよ」
母が親指を立ててニカッと笑うと、雪菜はその子供っぽい仕草にあきれて「帰ってくるなら連絡してよ、食材買ってないよ」と答えた。
母がまとっていたのは、妖魔退治のときいつも着ている和装束だ。いわゆる紅白の巫女さんの格好だが、妖魔との戦闘で動きやすいように裾が短くなっている。
「先にお風呂入ってくるから、十五分後でよろしくー」
「えーっ! そんなにすぐできないよ」
母はさっさと脱衣所に消え、雪菜は台所であたふたしているのだった。凛はせわしなく働く妹の様子をあくびをしながら眺めていた。
妹の雪菜は、肩まで伸びる黒髪を今はポニーテールにしている。たかが夕飯なのに、その横顔は真剣そのもので、本当に十五分で夕飯の準備をしてしまうつもりらしい。
雪菜は人一倍頑張り屋で、同級生からもよく頼られている。だから時々、凛はこの馬鹿正直な妹のことが心配になる。
「あたしもなんか手伝おっか?」
凛はマンガを開いたまま伏せて台所に移動した。
「じゃあお姉ちゃんはこれにラップして三分チンして!」
「そうだ凜! 私がいない間、ちゃんと学校行ってたでしょうね?」
母がタオル一枚の格好で居間に戻ってきた。
「お姉ちゃん、ちゃんと行ってたよ」
凜が口を開くより早く雪菜が答えた。
凜は次の一言が読めた。「宿題は?」だ。「早く入ってきなよ。風邪ひいても知らんよ」と先手を打つと、母は「はいはーい」と明るい返事をして、今度こそ風呂行ったようだ。
家庭に父はいない。凜と雪菜が中学一年生のとき――つまり三年前に、妖魔との闘いで負傷し、そのまま帰らぬ人となった。
退魔師の家系にはよくあることだと、幼いころから聞かされていた。それなりに覚悟もしていたつもりだった。だがあの朝、笑顔で出かけて行った父が、もう帰ってくることはないのだと告げられたとき、まったく現実感がなく、世界が歪んでしまったような感覚に陥った。双子の妹である雪菜は、三日三晩泣いていた。凜も泣いたは泣いたが、雪菜ほどたくさんの涙は湧き上がってこなかった。
たぶん凜はそのくらいのころから姉妹としての違いを強く感じるようになっていた。
中学へ上がるまでは、どこへ行っても「そっくりだね」と言われ、実際顔も背格好も似ていたし、母でさえ呼び間違えることがあった。決定的に二人が別々の人間なのだと思うようになったのは、去年の夏のこと……。
凜は電子レンジの中で回る耐熱容器をぼーっと眺めながら、無意識のうちに右わき腹あたりを撫でた。薄いTシャツの下には手術痕がある。妖魔との戦闘で負傷したのだ。自分にはあって雪菜にはないもの。
チーン! とレンジが鳴って、凜は現実に戻された。
姉妹は母が髪の毛を乾かし終わるタイミングにぴったり合わせて、夕飯をこしらえた。ご飯、みそ汁、焼き魚に野菜炒め。ちゃんと母の好物であるきゅうりの塩昆布和えまで用意したのは、さすが雪菜と言えよう。長方形のテーブルの三辺にそれぞれが座って、「いただきます」と唱和した。
「最近学校どう?」
母が出し抜けに尋ねた。仕事から帰ってくると、たいていこの質問をする。
「雪菜がまた告白されてた」
凜は機先を制した。勉強なんぞの話題になろうものなら、この世界一おいしい雪菜の料理が台無しになる。
「お姉ちゃん!?」余計なことを言わないで、と雪菜がにらんできたが、迫力はなく、むしろ膨らんだ頬が可愛らしい。それにもう後の祭りだ。
「またか、けしからん! いや、よくぞうちの娘を選んでくれたとほめるべきか?」
「お母さんはほっといて!」
「いやいやいや。今度はどこのどいつだ?」
「誰でもいいでしょ。どうせ言っても分かんないよ」雪菜は顔を赤らめて目をそらした。
この手の話題が苦手な雪菜には申し訳ないが、この流れならしばらく勉強の話題が出てくることはないだろう。
「分かんなくても聞いときたいんだよ、親って生き物は」
「サッカー部の町田ってやつだよ」凜は遠慮なく燃料を追加してやった。
「町田かああああああ!! 町田ああああああ!」
「近所迷惑だよ! というかお母さん知らないでしょ!」
「まあ、知らないけど今覚えたし。ちゃんと私に挨拶に来いよサッカー部の町田ああああ!」
「来ないよっ! もういい加減にして!」雪菜が泣きそうな顔でわめいた。
「で、どうなった?」
母に詰め寄られ、雪菜はもじもじと答える。
「だって……わたし、町田くんのことよく知らないし……ほとんど話したこともないのに、いきなりそういうこと言うとか、意味不明だし……」
「つまり雪菜は町田を振ったというわけ。いつもみたいにね」凜は結論を代わりに言ってやった。
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「母よ、町田を殺すな」
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「五人かな」
凜はすかさず答え、ニヤニヤと雪菜に目線を送った。
「ふ、振って当たり前だよ! 男子って何考えてるか全然分からないし」
「男子の考えてることなんて、『あれ』くらいだよな」
「まあ、『あれ』だねぇ」と母も物知り顔で頷く。
「あれって何?」
凜も母も「あれ」をことさら強調したが、雪菜だけは分からずぽかんとしている。
「雪菜は優等生で学級委員長だし、客観的に見ても可愛くて男子が好きそうなタイプだし、性格は明るくて面倒見もいいし、頭もいいし、胸は……まあ、あたしほどじゃないけど、体型もすらっとしてるし、肌きれいだし、そういうのを全然鼻にかけないし」
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「そなの?」
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「手伝うよ」
「いいよ、お姉ちゃん。わたしやるから。座ってて」
「いや、少しはあたしも」
「本当にわたしがやりたいの。わたしの仕事だから。お姉ちゃんどうせ宿題してないでしょ?」
正解だった。……怒っているのだろうか。
雪菜は凜の手から食器を奪い取るようにして、流しのところへ持っていく。スポンジを泡立てて食器を洗う。その働きぶりは不器用な凜が手伝う隙を与えないほど甲斐甲斐しかった。
凜は足手まといになると判断し、仕方なくソファに寝転がってマンガの続きを開いた。
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雪菜は食器の泡をすすぐのに夢中で聞こえなかったのか、返事をしなかった。凜も返事をしなかった。ほとんどの家事をしているのは雪菜なのだから。
凜は自分が怠け癖のある性格で、家事も決して得意ではないと分かっている。それでも家族のためになるならと、手伝おうとしたことはこれまでに何度もあった。だが雪菜の圧倒的に献身的な働きぶりや、完成度の高い仕事と比べてしまうと、あまり貢献できているとは言い難い。
雪菜が夕食の後片付けを終えると、母が改まって二人を呼んだ。
「今度は仕事の話。二人への仕事よ」
雪菜が「妖魔討伐?」とかぶせ気味に尋ねた。一方、凜は宿題や一学期の期末テストの話ではないと分かり、胸をなでおろした。
「その通り。経緯から話すから聞いてちょうだい。今回私は妖魔出没の連絡を受けて、退治をしてきたわけだけど、その妖魔が命乞いをして、妙なことを言ってたの。――自分は王に呼ばれただけだ、俺みたいな下っ端を殺しても何にもならないぞ、ってね」
「……王」
雪菜がその意味するものを噛みしめるように呟いた。
「ええ、確かに王と言った。もしも本当に王になる力を持った妖魔がこの町にいて、ザコを呼び寄せ、何かを企んでいるとしたら、その企みをつぶさなきゃならない」
「わたしが退治しに行く」
雪菜が身を乗り出した。
「そうしてもらうつもりだけど、まず話を聞きなさい」母が雪菜を一旦落ち着かせた。「私の集めた情報から推測すれば、王の隠れ場所はだいたい特定できる。それに今回の妖魔退治は私が単独で動いていただけだから、こちらの動きは妖魔たちにほぼ知られていない。つまりやり方次第では妖魔の王に奇襲をかけられるってわけ」
凜と雪菜は頷いた。
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「これが合理的かつ重要な作戦である以上、事後報告でも文句ないはずだわ。ジジババに文句言われても、私が納得させるし、何より結果を突き付けてやれば黙らせられる」
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「……はい」
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