165 / 172
第四章 ― 革命 ―
第161話 真実へのエレベーター
しおりを挟む
斜行エレベーターが、二人の男を乗せて下りていく。
冷たく緩やかな風が、千頭とオルガの髪をなびかせる。
「俺はお前さん止める。止まり方がわからないと言うなら、口ではなくこの拳で直接教えてやる」
「ハハハ、言葉で説得できないから暴力に訴えるというわけですか。アナタらしくもない」
オルガの真剣な眼差しとは逆に、嘲笑を浮かべる千頭。
「暴力ではないさ。これは語り合いだ」
そう言って、オルガは自らの鎧を脱いでいき、下に着ていた裁っ着け袴を露わにする。
千頭は思わず目を見張る。
「何の真似ですか?」
「語り合いをするのに防具など、邪魔なだけだ。チート能力も使わない」
「……ハハハ……ハハハハッ!!」
呆れた様子で額に手を当てて笑い出した。
「何を言い出すかと思えば。 防具どころかチート能力も使わない? 馬鹿ですかアナタ」
千頭は腰のホルスターから拳銃を抜き取り、銃口をオルガへと向ける。
「正直、強力な防御力を誇る『鋼の肉体』を手持ちの武器でどう攻略しようかと悩んでいましたが、能力を使わないのであれば簡単だ」
トリガーにかけられた指に力が入る。
オルガは飛んでくるであろう弾丸に対応できるよう身構えた。
だが、銃口が火を吹くことはなく、拳銃は床に落ちた。
どういうわけか千頭が手放したのだ。
「ですが、あっさり決着を着けても面白くない。いいでしょう、小樽さんの言う語り合いとやらに付き合ってあげます。真正面からアナタを否定し、その上で今度こそ殺します」
千頭は足元に転がった拳銃を遠くへ蹴飛ばすだけでなく、ベルトに引っ掛けていた魔法石も次々に転がした。
ワイシャツの第1、第2ボタンを開け、袖を捲り、戦闘態勢を取った。
「……亮……」
オルガは静かに目を閉じて、遠い昔の日を思い起こす。
『僕もいつかオジサンみたいな警察官に――ヒーローになれるかな!』
かつて、自分に憧憬の眼差しを向けていた少年の笑顔が瞳の中で蘇る。
「あの頃のお前さんのためにも、お前さんにこれ以上修羅の道を歩ませるわけにはいかん!」
オルガが床を蹴って、千頭へ肉薄し、パンチを放った。それも一発や二発ではない。空手仕込の突きが無数に放たれる。千頭は、その怒濤の攻めを両手を駆使して受け流す。
その手が一瞬掴みやすい位置に来たのをオルガは見逃さなかった。逮捕術の動きで千頭の手を掴み、外側に捻って間接を極めようとする。二ヶ条という技だ。
しかし、その手は千頭が撒いたエサ。
手首の間接が極められるよりも早く、千頭の逆側の手によるボディブローがオルガの内臓を震わせた。
「うぐっ!」
堪らずオルガは後退する。
「まったく、責任能力の無い子供の言葉をいつまで真に受けているんですか――ぐっ!」
追い打ちをかけようとする千頭に、オルガは剃刀の様に鋭い前蹴りで反撃した。
そのキックを胸に受けて、千頭もよろめく。
「責任なら果たしたじゃないか。本気で思っていたからこそなれたんだろう。警察官に、正義の味方に!」
「っ……なってなんかいませんよ。少なくとも小樽さんが言う正義の味方にはね」
「どういう意味だ?」
「言葉のままですよ。アナタは人を守りたかったから正義の味方になったんでしょうが、僕は違う。僕は、正義に見返りを求めたんだ」
千頭が連続で殴りかかってくるのに対し、オルガは応戦する。
「良い事をすればそれが自分に返ってくる! 幼い時分に観ていた特撮ヒーロー物がそんな内容で、僕はそれに憧れたんですよ! もっとも、後になって現実はそんなwin-winではないとわかりましたけどね!」
「良い事をしても見返りがない……だから14年もの間、人の道を外れてきたというのか!」
「その通り! いくら正義を掲げてみたところで、到底元の世界へは還れそうにありませんでしたからね! だから人を傷つけてでも最短の道を歩む事にしたんです!」
「亮! お前さんはそこまで! そうまでして還りたいのか! 元の世界に! 理由は何だ!!」
オルガの攻めが激しさを増す。
それに比例して千頭も攻撃速度を上げる。
互いの拳と脚が、互いの肉体を何度も抉り、流れ出る汗に血が混じっていく。
「前にも言ったでしょう! のうのうとファンタジーごっこをして過ごしてきたアナタには話しても無意味だと! そう、わかるはずがない! この世界に来る前から失っていたアナタには!」
「ッ!!」
千頭の言葉に、今は亡き愛する妻と息子を思い出したオルガは大きく飛び退いた。
「最初に気づくべきだった……亮、お前さんが求めているのは家族――両親か?」
「……両親ならアナタが異世界へ旅立って数年後に交通事故で死去しています」
千頭が攻撃の手を止めて構えを崩す。
「でも、そうです。家族ですよ。僕の大事な、たった一人の妹です」
「妹?! お前さん、妹がいたのか?!」
「一応、小樽さんも面識はあるはずですが。まぁ、無理もない。体調が良い日に一度だけ小樽さんのところへ連れていったきりですからね」
千頭がかつての記憶を辿り始める。
……妹の――芽の体は弱かった。
だから、両親には事あるごとに言われました。
「お兄ちゃんらしく、芽を守ってあげて」と。
芽は体こそ弱かったですが、性格は底無しの明るさだった。見ているこっちが励まされるぐらいに。
『ケホッケホッ!』
『っ! こらこらダメじゃないか! 洗濯物は僕が干すから、芽は大人しく横になってきな』
『ヤダ! メイがするもん!』
『ダメったらダメだ! ベランダに出たら風邪引くかもしれないだろ』
『むー! おにいちゃんのイジワル! おかあさんに言いつけてやる!』
『いや、言いつけて叱られるのは芽の方だぞ……まったく仕方ないな。ほら、半分な』
『やったあー!』
ハッキリとは覚えてませんが、おそらく善行に見返りを求めるようになったのは、それがキッカケだったんでしょう。
太陽の様な笑顔を振りまく妹を見て、僕は祈らずにはいられなかった。
神様、もし本当にいるなら、僕は良い子でいます。だからどうか妹を元気にしてください、と
それから僕は、家の手伝いだけじゃなく、公園の清掃活動などボランティアを始め、勉強もスポーツも人一倍努力するようになりました。
僕なりに理想の良い子でいようとしたんです。
その結果、僕が高校に入学した頃、妹は重い病気を患い入院、両親が交通事故で亡くなりました。
残された僕と妹は、叔父と叔母の家に引き取られることとなりましたが、二人は僕たちを歓迎しませんでした。無理もないですね。大した遺産も無しに、二人の子供がいきなり転がり込んできて片方は入院費でさらにお金が要りましたから。
この時ばかりは何かする気力も起きず、入院生活を送る妹の前で弱音を吐いてしまいました。
『ごめんな、芽。僕はもう頑張れそうにない』
『……警察官になる夢、本当に諦めちゃうの?』
『どれだけ良い事をしても、神様は見てなんかいないんだよ……そうでなかったら小樽さんがあんな最期を迎えるはずがない……だったらもう――』
『私は、お兄ちゃんが警察官になるところ見たいなあ』
あの時と同じ笑顔で芽が言ってくれた。
本当は自分だって悲しくて泣きたいはずなのに、慰めてくれた。
『お兄ちゃんが警察官になったら、友達の看護師さんに自慢するんだ。あ、知ってた? お兄ちゃん看護師さんの間でイケメンだーって言われてるんだよ。イケメンでしかも警察官だったらきっとモテモテになれるよ!』
『芽……』
『それにね、良い事ならあるんだよ。お兄ちゃんの頑張ってる姿見てるとね、私も頑張らなきゃってなるの』
『え!』
芽がそんな風に考えているなんて思いもしなかった。僕のこれまでの頑張りは決して無意味ではなかったんだ。
『お兄ちゃんが憧れたオジサンもきっと天国で奥さんと子どもに会って幸せに暮らしてるよ…………だから、ね? もう少しだけ一緒に頑張ろ?』
『……ありがとう芽。もうちょっとだけ踏ん張ってみるよ。それでもし僕が警察官になったら、一緒にあの家を出よう』
『うん! 待ってるね!』
その後、入退院を繰り返す芽の世話をしつつ、僕は警察官になりました。
「その先は、小樽さんにも話した通りの流れです」
千頭は車でパトロール中、トラックに衝突されて命を落とす。
オルガの中で、ついに空白が埋まった。自殺してから異世界で再会するまでの間、千頭がどんな人生を歩んできたのか。
「酷い兄でしょう? 一緒に頑張るって約束したのに、僕は妹を一人ぼっちにしてきたんですよ」
「……その妹のため、約束をまた果たすために旅してきたのか……だが、だからといって他人を傷付けていいはずがないだろう!」
「……僕だって初めは堪えようとしたんですよ。超えてはならない一線だと自分に言い聞かせてね。でも、思ってしまったんです。25年前、絶望に打ちひしがれているアナタを見て。『ああ、つくづく正義は報われないな』と」
オルガは目の前が真っ白になった。
全身から力が抜ける。
反対に悔しさが溢れてくる。
目が熱くなって、視界が揺れる。
千頭に14年間も非道を歩ませてしまったのは、自分のせいだった。
自分が人と関わることを、守ることを諦めてしまっていたから、千頭を止められなかった。
あの時にしっかり向き合って千頭の抱えている闇に気づいていたら、言葉を送っていたら、こんな事にはならなかったかもしれない。
後悔の念に、オルガは年甲斐も無く涙を流しかけた。
しかし、オルガはその悲しみをすぐさま振り払って千頭へ一直線に走り出した。
「りょおおおぉぉ!!!」
これ以上ないほどわかりやすい攻撃だったため、千頭はあっさりと避けて、逆にオルガの頬に拳をめり込ませた。
「――なっ?!」
が、攻撃を受けながらも、オルガは前に進むことを止めなかった。
「歯を食いしばれええええ!!!」
カウンターとばかりに千頭の頬を殴った。
千頭はエレベーターの隅にある手すりにまで飛んでいってぶつかり、手すりに仰向けの姿勢でもたれかかる。
「……あまりにも遅くなってしまった。もっと早く。14年前に、この拳をお前さんに届けていれば――亮、お前さんは間違っている!」
続けてオルガは千頭に接近して蹴り上げた。
千頭の体は飛び上がり、エレベーターの前方、線路上に落下する。
オルガもエレベーターを飛び降りて、線路上に立つ。
角度およそ45°の斜面を滑り降りながら迫って来るオルガに、千頭は顔に怒りの色を浮かべて反撃する。
「でしょうね! アナタに僕を理解できるはずがない! だから言っても無駄だと言ったんだ! 目指した場所は同じでも、僕とアナタでは視ている先がまるで違うから!!」
人が変わった様に、荒々しいパンチのラッシュでオルガを攻める。オルガも何発かやり返すが、それを気にも留めない。千頭もまたオルガ同様に己へのダメージを無視し始めたのだ。
互いにノーガードで殴り合っているところへ、エレベーターが高い壁となって下りてきた。
千頭は自分とエレベーターの間にオルガを挟むようにすると、オルガをエレベーターの壁に押しつけるように攻撃した。
千頭が殴る度、オルガの背はエレベーターに叩きつけられ、エレベーターから鈍い音が鳴り響いた。
「……確かに、俺はお前さんじゃない。お前さんの気持ちをわかってやれるはずがない」
「はっ! やっとわかりましたか! だったらもう――」
「それでも! 一つだけハッキリとわかる気持ちがある!!」
「がふっ!!」
エレベーターに叩きつけられた際の反動を利用して、オルガが千頭の顎に飛び膝蹴りを入れた。
斜面を長く転がっていった千頭は、立ち上がってすぐある事に気がつく。エレベーターの終着点が見えていた。
このまま線路上で戦えばエレベーターに押し潰されると判断した千頭は、終着点まで跳躍して登る。
オルガもそれに倣って千頭と同じ地平に降り立つ。
互いの体力は限界に近かった。
オルガの内臓は悲鳴をあげ、それがもんどりを打ちたくなるほど強烈な痛みを発していた。千頭の脳は激しく揺らされ、めまいを起こしていた。
だというのに、二人は地を蹴った。
相手を自分の拳で説き伏せるために。
「……いい加減にしてくださいよ! たった一つでも僕の気持ちがわかるはずがない!!」
「ああ……お前さんじゃないさ」
「ッ!!!」
「亮。今のお前さんを見て、妹さんは『頑張ろう』って思えるのか?」
ドクンッと千頭の胸が締め付けられた。
二人の拳が突き出され交わる瞬間。
彼は言い返せなかった。
そして胸に叩き込まれたオルガの言葉が有無を言わさず、千頭をぶっと飛ばした。
宙を軽やかに舞う間、千頭の瞳には妹の笑顔が浮かんでいた。
妹が僕を支えてくれた。
あの笑顔が『頑張ろう』と思わせてくれた。
なのに、僕の希望の光であったあの笑顔が、今はただただ眩しくて、見ていられない。
芽、僕はいつの間にか自分の正義すらも見失って、こんな所まで来てしまったよ。
床に打ち付けられた千頭は、そのまま立ち上がろうとはしなかった。
「……ははは……」
千頭は両目を手で覆い隠した後、力無く笑う。
「今日までの14年間にかけて……負けるつもりはなかったのに。……まったく……アナタって人は痛いところついてくれる…………本当に……痛い…………僕の……負けだ」
冷たく緩やかな風が、千頭とオルガの髪をなびかせる。
「俺はお前さん止める。止まり方がわからないと言うなら、口ではなくこの拳で直接教えてやる」
「ハハハ、言葉で説得できないから暴力に訴えるというわけですか。アナタらしくもない」
オルガの真剣な眼差しとは逆に、嘲笑を浮かべる千頭。
「暴力ではないさ。これは語り合いだ」
そう言って、オルガは自らの鎧を脱いでいき、下に着ていた裁っ着け袴を露わにする。
千頭は思わず目を見張る。
「何の真似ですか?」
「語り合いをするのに防具など、邪魔なだけだ。チート能力も使わない」
「……ハハハ……ハハハハッ!!」
呆れた様子で額に手を当てて笑い出した。
「何を言い出すかと思えば。 防具どころかチート能力も使わない? 馬鹿ですかアナタ」
千頭は腰のホルスターから拳銃を抜き取り、銃口をオルガへと向ける。
「正直、強力な防御力を誇る『鋼の肉体』を手持ちの武器でどう攻略しようかと悩んでいましたが、能力を使わないのであれば簡単だ」
トリガーにかけられた指に力が入る。
オルガは飛んでくるであろう弾丸に対応できるよう身構えた。
だが、銃口が火を吹くことはなく、拳銃は床に落ちた。
どういうわけか千頭が手放したのだ。
「ですが、あっさり決着を着けても面白くない。いいでしょう、小樽さんの言う語り合いとやらに付き合ってあげます。真正面からアナタを否定し、その上で今度こそ殺します」
千頭は足元に転がった拳銃を遠くへ蹴飛ばすだけでなく、ベルトに引っ掛けていた魔法石も次々に転がした。
ワイシャツの第1、第2ボタンを開け、袖を捲り、戦闘態勢を取った。
「……亮……」
オルガは静かに目を閉じて、遠い昔の日を思い起こす。
『僕もいつかオジサンみたいな警察官に――ヒーローになれるかな!』
かつて、自分に憧憬の眼差しを向けていた少年の笑顔が瞳の中で蘇る。
「あの頃のお前さんのためにも、お前さんにこれ以上修羅の道を歩ませるわけにはいかん!」
オルガが床を蹴って、千頭へ肉薄し、パンチを放った。それも一発や二発ではない。空手仕込の突きが無数に放たれる。千頭は、その怒濤の攻めを両手を駆使して受け流す。
その手が一瞬掴みやすい位置に来たのをオルガは見逃さなかった。逮捕術の動きで千頭の手を掴み、外側に捻って間接を極めようとする。二ヶ条という技だ。
しかし、その手は千頭が撒いたエサ。
手首の間接が極められるよりも早く、千頭の逆側の手によるボディブローがオルガの内臓を震わせた。
「うぐっ!」
堪らずオルガは後退する。
「まったく、責任能力の無い子供の言葉をいつまで真に受けているんですか――ぐっ!」
追い打ちをかけようとする千頭に、オルガは剃刀の様に鋭い前蹴りで反撃した。
そのキックを胸に受けて、千頭もよろめく。
「責任なら果たしたじゃないか。本気で思っていたからこそなれたんだろう。警察官に、正義の味方に!」
「っ……なってなんかいませんよ。少なくとも小樽さんが言う正義の味方にはね」
「どういう意味だ?」
「言葉のままですよ。アナタは人を守りたかったから正義の味方になったんでしょうが、僕は違う。僕は、正義に見返りを求めたんだ」
千頭が連続で殴りかかってくるのに対し、オルガは応戦する。
「良い事をすればそれが自分に返ってくる! 幼い時分に観ていた特撮ヒーロー物がそんな内容で、僕はそれに憧れたんですよ! もっとも、後になって現実はそんなwin-winではないとわかりましたけどね!」
「良い事をしても見返りがない……だから14年もの間、人の道を外れてきたというのか!」
「その通り! いくら正義を掲げてみたところで、到底元の世界へは還れそうにありませんでしたからね! だから人を傷つけてでも最短の道を歩む事にしたんです!」
「亮! お前さんはそこまで! そうまでして還りたいのか! 元の世界に! 理由は何だ!!」
オルガの攻めが激しさを増す。
それに比例して千頭も攻撃速度を上げる。
互いの拳と脚が、互いの肉体を何度も抉り、流れ出る汗に血が混じっていく。
「前にも言ったでしょう! のうのうとファンタジーごっこをして過ごしてきたアナタには話しても無意味だと! そう、わかるはずがない! この世界に来る前から失っていたアナタには!」
「ッ!!」
千頭の言葉に、今は亡き愛する妻と息子を思い出したオルガは大きく飛び退いた。
「最初に気づくべきだった……亮、お前さんが求めているのは家族――両親か?」
「……両親ならアナタが異世界へ旅立って数年後に交通事故で死去しています」
千頭が攻撃の手を止めて構えを崩す。
「でも、そうです。家族ですよ。僕の大事な、たった一人の妹です」
「妹?! お前さん、妹がいたのか?!」
「一応、小樽さんも面識はあるはずですが。まぁ、無理もない。体調が良い日に一度だけ小樽さんのところへ連れていったきりですからね」
千頭がかつての記憶を辿り始める。
……妹の――芽の体は弱かった。
だから、両親には事あるごとに言われました。
「お兄ちゃんらしく、芽を守ってあげて」と。
芽は体こそ弱かったですが、性格は底無しの明るさだった。見ているこっちが励まされるぐらいに。
『ケホッケホッ!』
『っ! こらこらダメじゃないか! 洗濯物は僕が干すから、芽は大人しく横になってきな』
『ヤダ! メイがするもん!』
『ダメったらダメだ! ベランダに出たら風邪引くかもしれないだろ』
『むー! おにいちゃんのイジワル! おかあさんに言いつけてやる!』
『いや、言いつけて叱られるのは芽の方だぞ……まったく仕方ないな。ほら、半分な』
『やったあー!』
ハッキリとは覚えてませんが、おそらく善行に見返りを求めるようになったのは、それがキッカケだったんでしょう。
太陽の様な笑顔を振りまく妹を見て、僕は祈らずにはいられなかった。
神様、もし本当にいるなら、僕は良い子でいます。だからどうか妹を元気にしてください、と
それから僕は、家の手伝いだけじゃなく、公園の清掃活動などボランティアを始め、勉強もスポーツも人一倍努力するようになりました。
僕なりに理想の良い子でいようとしたんです。
その結果、僕が高校に入学した頃、妹は重い病気を患い入院、両親が交通事故で亡くなりました。
残された僕と妹は、叔父と叔母の家に引き取られることとなりましたが、二人は僕たちを歓迎しませんでした。無理もないですね。大した遺産も無しに、二人の子供がいきなり転がり込んできて片方は入院費でさらにお金が要りましたから。
この時ばかりは何かする気力も起きず、入院生活を送る妹の前で弱音を吐いてしまいました。
『ごめんな、芽。僕はもう頑張れそうにない』
『……警察官になる夢、本当に諦めちゃうの?』
『どれだけ良い事をしても、神様は見てなんかいないんだよ……そうでなかったら小樽さんがあんな最期を迎えるはずがない……だったらもう――』
『私は、お兄ちゃんが警察官になるところ見たいなあ』
あの時と同じ笑顔で芽が言ってくれた。
本当は自分だって悲しくて泣きたいはずなのに、慰めてくれた。
『お兄ちゃんが警察官になったら、友達の看護師さんに自慢するんだ。あ、知ってた? お兄ちゃん看護師さんの間でイケメンだーって言われてるんだよ。イケメンでしかも警察官だったらきっとモテモテになれるよ!』
『芽……』
『それにね、良い事ならあるんだよ。お兄ちゃんの頑張ってる姿見てるとね、私も頑張らなきゃってなるの』
『え!』
芽がそんな風に考えているなんて思いもしなかった。僕のこれまでの頑張りは決して無意味ではなかったんだ。
『お兄ちゃんが憧れたオジサンもきっと天国で奥さんと子どもに会って幸せに暮らしてるよ…………だから、ね? もう少しだけ一緒に頑張ろ?』
『……ありがとう芽。もうちょっとだけ踏ん張ってみるよ。それでもし僕が警察官になったら、一緒にあの家を出よう』
『うん! 待ってるね!』
その後、入退院を繰り返す芽の世話をしつつ、僕は警察官になりました。
「その先は、小樽さんにも話した通りの流れです」
千頭は車でパトロール中、トラックに衝突されて命を落とす。
オルガの中で、ついに空白が埋まった。自殺してから異世界で再会するまでの間、千頭がどんな人生を歩んできたのか。
「酷い兄でしょう? 一緒に頑張るって約束したのに、僕は妹を一人ぼっちにしてきたんですよ」
「……その妹のため、約束をまた果たすために旅してきたのか……だが、だからといって他人を傷付けていいはずがないだろう!」
「……僕だって初めは堪えようとしたんですよ。超えてはならない一線だと自分に言い聞かせてね。でも、思ってしまったんです。25年前、絶望に打ちひしがれているアナタを見て。『ああ、つくづく正義は報われないな』と」
オルガは目の前が真っ白になった。
全身から力が抜ける。
反対に悔しさが溢れてくる。
目が熱くなって、視界が揺れる。
千頭に14年間も非道を歩ませてしまったのは、自分のせいだった。
自分が人と関わることを、守ることを諦めてしまっていたから、千頭を止められなかった。
あの時にしっかり向き合って千頭の抱えている闇に気づいていたら、言葉を送っていたら、こんな事にはならなかったかもしれない。
後悔の念に、オルガは年甲斐も無く涙を流しかけた。
しかし、オルガはその悲しみをすぐさま振り払って千頭へ一直線に走り出した。
「りょおおおぉぉ!!!」
これ以上ないほどわかりやすい攻撃だったため、千頭はあっさりと避けて、逆にオルガの頬に拳をめり込ませた。
「――なっ?!」
が、攻撃を受けながらも、オルガは前に進むことを止めなかった。
「歯を食いしばれええええ!!!」
カウンターとばかりに千頭の頬を殴った。
千頭はエレベーターの隅にある手すりにまで飛んでいってぶつかり、手すりに仰向けの姿勢でもたれかかる。
「……あまりにも遅くなってしまった。もっと早く。14年前に、この拳をお前さんに届けていれば――亮、お前さんは間違っている!」
続けてオルガは千頭に接近して蹴り上げた。
千頭の体は飛び上がり、エレベーターの前方、線路上に落下する。
オルガもエレベーターを飛び降りて、線路上に立つ。
角度およそ45°の斜面を滑り降りながら迫って来るオルガに、千頭は顔に怒りの色を浮かべて反撃する。
「でしょうね! アナタに僕を理解できるはずがない! だから言っても無駄だと言ったんだ! 目指した場所は同じでも、僕とアナタでは視ている先がまるで違うから!!」
人が変わった様に、荒々しいパンチのラッシュでオルガを攻める。オルガも何発かやり返すが、それを気にも留めない。千頭もまたオルガ同様に己へのダメージを無視し始めたのだ。
互いにノーガードで殴り合っているところへ、エレベーターが高い壁となって下りてきた。
千頭は自分とエレベーターの間にオルガを挟むようにすると、オルガをエレベーターの壁に押しつけるように攻撃した。
千頭が殴る度、オルガの背はエレベーターに叩きつけられ、エレベーターから鈍い音が鳴り響いた。
「……確かに、俺はお前さんじゃない。お前さんの気持ちをわかってやれるはずがない」
「はっ! やっとわかりましたか! だったらもう――」
「それでも! 一つだけハッキリとわかる気持ちがある!!」
「がふっ!!」
エレベーターに叩きつけられた際の反動を利用して、オルガが千頭の顎に飛び膝蹴りを入れた。
斜面を長く転がっていった千頭は、立ち上がってすぐある事に気がつく。エレベーターの終着点が見えていた。
このまま線路上で戦えばエレベーターに押し潰されると判断した千頭は、終着点まで跳躍して登る。
オルガもそれに倣って千頭と同じ地平に降り立つ。
互いの体力は限界に近かった。
オルガの内臓は悲鳴をあげ、それがもんどりを打ちたくなるほど強烈な痛みを発していた。千頭の脳は激しく揺らされ、めまいを起こしていた。
だというのに、二人は地を蹴った。
相手を自分の拳で説き伏せるために。
「……いい加減にしてくださいよ! たった一つでも僕の気持ちがわかるはずがない!!」
「ああ……お前さんじゃないさ」
「ッ!!!」
「亮。今のお前さんを見て、妹さんは『頑張ろう』って思えるのか?」
ドクンッと千頭の胸が締め付けられた。
二人の拳が突き出され交わる瞬間。
彼は言い返せなかった。
そして胸に叩き込まれたオルガの言葉が有無を言わさず、千頭をぶっと飛ばした。
宙を軽やかに舞う間、千頭の瞳には妹の笑顔が浮かんでいた。
妹が僕を支えてくれた。
あの笑顔が『頑張ろう』と思わせてくれた。
なのに、僕の希望の光であったあの笑顔が、今はただただ眩しくて、見ていられない。
芽、僕はいつの間にか自分の正義すらも見失って、こんな所まで来てしまったよ。
床に打ち付けられた千頭は、そのまま立ち上がろうとはしなかった。
「……ははは……」
千頭は両目を手で覆い隠した後、力無く笑う。
「今日までの14年間にかけて……負けるつもりはなかったのに。……まったく……アナタって人は痛いところついてくれる…………本当に……痛い…………僕の……負けだ」
0
あなたにおすすめの小説
転生したら世界一の御曹司だった〜巨乳エルフメイド10人と美少女騎士に溺愛されています〜
まさき
青春
異世界転生した最強の金持ち嫡男、
専属エルフメイドと美少女騎士に囲まれて至福のハーレム生活
現代日本で「地味だが実は超大富豪」という特殊な人生を送っていた青年は、ある日事故で命を落とす。
しかし目を覚ますと、そこは魔法と様々な種族が存在する異世界だった。
彼は大陸一の富を誇る名門貴族――
ヴァン・バレンティン家の嫡男カイルとして転生していたのだ。
カイルに与えられたのは
・世界一とも言える圧倒的な財力
・財力に比例して増大する規格外の魔力
そして何より彼を驚かせたのは――
彼に仕える十人の専属メイド全員が、巨乳美少女だったことである。
献身的なエルフのメイド長リリア。
護衛騎士でありながら隙あらば誘惑してくる女騎士シルヴィア。
さらに個性豊かな巨乳メイドたち。
カイルは持ち前の財力で彼女たちの願いを叶え、最高級の装備や生活を与えていく。
すると彼女たちの忠誠心と愛情はどんどん加速していき――
「カイル様……今日は私が、お世話をさせてください」
領地を狙う貴族を金と魔力で圧倒し、
時にはメイドたちの愛が暴走して甘すぎる時間に巻き込まれながらも、
最強の御曹司カイルは
世界一幸せなハーレムを築いていく。
最後までお読みいただきありがとうございました。よろしければ応援をお願いいたします。
転生後はゆっくりと
衣更月
ファンタジー
貧しい集落で生まれたリリは、生まれた瞬間から前世の記憶があった。
日本人特有の”配慮”に徹した赤ん坊を演じていたことで、両親から距離を置かれた挙句、村人からも「不気味な子」として敬遠されることに…。
そして、5才の誕生日に遠くの町に捨てられた。
でも、リリは悲観しない。
前世の知識チートは出来ないけど、大人メンタルで堅実に。
目指すは憧れのスローライフが出来るほど、ほどほどの守銭奴としてリリは異世界人として順応していく。
全25話(予定)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
傷物転生令嬢マグダリーナと原初の魔法使いエステラの幻想譚-女神とスライムの光とともに- (旧タイトル:ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――
※他サイトでも掲載しています
※ちょいちょい手直ししていってます
2026.12.14 タイトル変更 旧タイトル:ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
御家騒動なんて真っ平ごめんです〜捨てられた双子の片割れは平凡な人生を歩みたい〜
伽羅
ファンタジー
【幼少期】
双子の弟に殺された…と思ったら、何故か赤ん坊に生まれ変わっていた。
ここはもしかして異世界か?
だが、そこでも双子だったため、後継者争いを懸念する親に孤児院の前に捨てられてしまう。
ようやく里親が見つかり、平和に暮らせると思っていたが…。
【学院期】
学院に通い出すとそこには双子の片割れのエドワード王子も通っていた。
周りに双子だとバレないように学院生活を送っていたが、何故かエドワード王子の影武者をする事になり…。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
『5階にトラック突撃!?ポンコツ女神の使役権と地球通販を得た医学生、辺境の村でワスプ薙刀と現代医療を駆使し最強防衛ライフを始める』
月神世一
ファンタジー
マンションの5階でカレーを作っていたら、なぜかトラックが突っ込んできた件。
外科医を目指す医学生・中村優太(24)は、特製の絶品バターチキンカレーを食べる寸前、マンションの「5階」に突撃してきた理不尽なトラックによって命を落としてしまう。
目を覚ますと、そこはコタツでカップ麺を啜るジャージ姿の駄女神・ルチアナの部屋だった。
「飲み会があるから定時で帰りたい」と適当な理由で異世界転移をさせられそうになる優太だったが、怒りのガラポン抽選でユニークスキル【地球ショッピング】と【女神ルチアナこき使い権】を引き当てる!
かくして、ポンコツ女神を強制連行して剣と魔法の世界『アナステシア』に降り立った優太。
しかし、彼にはただのチートスキルだけではない、元SEALs直伝の「CQB(近接戦闘術)」、有段者の「薙刀術」、そして何より「現代医療の知識」があった――!
降り立った辺境のポポロ村で彼を待っていたのは、クセが強すぎる住人たち。
キャルル: マッハの飛び蹴りを放つ、ファミレス大好きなウサ耳村長。
リーザ: タダ飯とポイ活に命を懸ける、図太すぎる地下アイドル人魚。
ルナ: 善意で市場や生態系を破壊する、歩く大災害の天然エルフ。
ルチアナ: 優太のポイントでソシャゲ課金と酒を目論む、労働拒否の駄女神。
優太は【地球ショッピング】で召喚した現代物資と、自身のサバイバル能力&薙刀術で野盗や魔物を無双! さらには特製のスパイスカレーで異世界人の胃袋を完全に掌握していく。
そして、村人に危機が迫った時。
優太の「絶対に命を救う」という善意の心が、奇跡の黄金ガチャを引き起こす……!
「俺は医者だ。この村の命も、平和な日常も、俺の戦術(スキル)で全部守り抜く!」
現代の【医療・戦術・料理】×【理不尽ギャグ】×【異世界サバイバル】!
凶悪な「ワスプ薙刀」を振るい、ヤバすぎる仲間たちと送る、最強医学生のドタバタ辺境防衛ライフが今始まる!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる