巨大交通都市 アピオ

麦杜 紅

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第一章

ヨロズ部

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リガレさんの後を追うように歩いて行き、構内を走る路面電車ならぬ〈構内電車〉に乗った。アピオ構内は街並みの広さなので、他の区に移動するにも電車やバスが必要になるらしい。これが駅構内だなんて信じられない。
 構内電車を乗り継ぎ、電車から降りるとリガレさんが正面を指さして言った。
「あそこだよ!」
 リガレさんの人差し指が向いている方へ視線を向ける。
 真四角の小さな建物。少し離れた位置から見てもわかるほど壁全体が色あせていて、なんだか小汚い。リガレさんの後を追って建物に近づいていくと、壁には〈ヨロズ部〉と書かれた廃れた看板がかかっていた。しかも壁をよく見るとヒビが入っていて、廃墟と言いたいほどにオンボロだ。夜になったらお化けでも出てきそうな雰囲気を醸し出している。
「リガレ・ワイルズ、ただいま戻りました!」
 リガレさんの後に続いて中に入ると、中央には大きなオフィステーブルとそれに合わせた椅子が両サイドに5脚ずつ置かれていた。そのうち2脚に本を読んでいる年配のおじいちゃんとサンドイッチを食べている大柄でふくよかな男性が座っている。どちらもリガレさんと同じ制服を着ているためおそらくヨロズ部の人だろう。
 おじいちゃんが本から顔を上げてこちらを見る。ブラジル系の顔立ちには皺が刻まれていて、表情はとても穏やかだ。優しいそうな雰囲気が滲み出ていて、緊張よりも安堵に近い気持ちで心がほんの少しだけ温かくなる。
「おかえり、リガレくん。で、そちらは……」
「初めまして。今日からヨロズ部でお世話になるアカネ・ローアンです」
「ああ、君が。どうぞよろしくね。私はサイモン・プラヴェシュ。そして、こっちの大きい子がジェリー・ポップくん」
 大柄な男性、ジェリーさんに視線を向けると目が合った瞬間にものすごい勢いで逸らされてしまった。その素早さに驚くよりも先にちょっと傷ついてしまう。
 そんな気持ちが顔に出てしまっていたのか、サイモンさんが気を遣って笑いかけてくれた。
「ああ、ごめんね。ジェリーくんは極度の人見知りなんだ。でも、とっても心優しい青年だから許してあげて」
「はい……」
 ジェリーさんの体が少し動いて、タレ目なブラウンの瞳が泳ぎながらもわずかに私を捉えた。そしてその図体に似合わない小さな声がかすかに耳に届く。
「よ、よろ……しく……」
 ふんわりしたクリーム色の髪を揺らしながら、ジェリーさんはまた顔を背けてしまった。
 すると奥の部屋から別の男性の声が届く。
「おかえりー、リガレ。ベネットさんの所からみんなの昼食買ってきてくれた?」
 その声と共に奥の部屋から金髪の男性が現れた。顔立ちが良く、きっちりと制服を着こなしているからかまるでモデルのようだ。思わず目を奪われていると、彼の深いモスグリーン色の瞳が私に向けられた。
「もしかして、君が今日からヨロズ部に来た子?」
「はい。アカネ・ローアンです。よろしくお願いします」
「そうそう、アカネちゃん。俺はウィリアム・ジュード。ウィルって呼んでくれ」
 そう言ってにこやかに微笑みかけられ、ほんの少しだけ胸が高鳴った。ウィルさんの視線が再びリガレさんに向く。
「で、リガレ。昼食は?」
「あーっと……忘れちゃった……へへ」
「はあ……さてはアカネちゃんにマシンガントーク浴びせかけたな」
「えっ、そんなことしてないよ」
 耳を疑ってリガレさんを見やる。すると、リガレさんと目があって彼の肩がビクリと小さく跳ねた。
「もしかしたらしてたかも……」
「まったく……。お前はお喋りに夢中になりすぎるっていつも注意してるだろ」
「ごめんなさい……。でも、僕ウィルさんのご飯が食べたいし……」
「今日は食材を用意してないから昼食を買ってくるように頼んだんだぞ」
「あー……そうだった……」
「後で買ってきてくれよ?」
「分かった! 今度は忘れないから任せて!」
 そう言ってキレのある敬礼をするリガレさん。それを見たウィルさんは眉を八の字にさせながら微笑んだ。側から見るとまるで兄弟のように見える。面倒見のいい兄と、ちょっと抜けた弟のような。
 サイモンさんの雰囲気からしても、ヨロズ部は案外アットホームな感じなのかもしれない。
 続いて、ウィルさんがやってきた奥の部屋から「来たか」というどっしりとした野太い声と共に、チョコレート色の肌の大柄な男性が現れた。
 面接のときにいたウォレス駅長だ。
「今日からヨロズ部に配属されることになったアカネ・ローアンです。よろしくお願いします」
「ああ、覚えてるよ。改めて、オースティン・ウォレスだ。ここは騒がしい所だがよろしく頼む。私は普段7区の分署にいるが、何かあったら気兼ねなく訪ねてくれ」
「はい。ありがとうございます」
「とりあえず、今ここにいる奴らとは自己紹介が済んだらしいな。本当はあと3人いるんだが、今日はシフトが休みでね。また今度会ったら挨拶してくれ」
「承知しました」
「それと、制服は更衣室に置いてあるからまずは着替えてきてくれ。部屋はこの奥の突き当たりを右だ。着替えたらまたここへ戻って来てくれ」
「分かりました。では失礼します」
 そう言って軽く頭を下げて更衣室へと向かった。
 女性用更衣室は狭いながらにも三つのLKロッカーが並んでいて、その手前にはベンチが設置されていた。ベンチの上には制服と、ロッカーに貼り付けるネームプレートが置かれており、着替える前に早速ネームプレートを手に取った。左のロッカーには〈ルージュ・ヴェルノイ〉と書かれたネームプレートが貼り付けられているが、右のロッカーには何もネームプレートが貼られていない。きっとヨロズ部には、私の他にこのルージュさんという人しか女性がいないのだろう。ヨロズ部に入ってから女性の姿を見ていないが、1人は女性がいると知って少し安心した。
 制服に着替え、リガレさんやウォレス駅長がいる部屋へと戻る。
「着替え終わりました」
 みんなの視線が私に集中し、ウォレス駅長が私に体を向けた。
「サイズは指定された通りで間違いないようだな。本当は帽子も今朝届く予定だったんだが、配送部の方で遅延が起きているらしくてな。まあ退勤時間には間に合うだろう。届いたらサイズを確認してくれ」
「承知しました」
「それから、マニュアルを用意しておいたから時間がある時にでも目を通しておくように」
 そう言ってウォレス駅長はテーブルの上に置かれていた分厚い辞書のような本を手に取った。
 まさか。と、思った瞬間にはその辞書のようなものを目の前に差し出された。表紙を見ると〈アピオ総マニュアル-ヨロズ部専用- 第12版〉と書かれており、ウォレス駅長が間違えて手に取ったものではないと分かった。
 マニュアルを手に取ると、想像していた通りの重さがずっしりと手にのしかかる。軽くページをめくるとまさに辞書の紙のようにぺらぺらで薄かった。
「あの……、目を通すっていうのは、その、これ、全部ですか?」
「ああ」
 一体このマニュアルを読破するのにどれだけの時間がかかるだろうか。辞書だって読破したことがないのに。それに、ここまで膨大な量があるのになぜ電子化しないのだろう。これでは重すぎるし、視覚的にも全く読む気が起きない。
 ウォレス駅長の溜め息が耳に届き、マニュアルから視線を外して顔を上げた。
「ユイツグ市長は根っからのアナログ好きでね」
 このアピオを作った人物がアナログ好きだなんて意外だ。
「でも、書面に起こしたりしたらセキュリティが危うくないですか?」
「マニュアルには外部に漏れた際に致命的になるようなことは書いていないんだ。書いてあるのは主ヨロズ部の仕事内容の他に、細かな構内のマップと各区にある店舗すべての基本的な情報だ」
「すべての店舗を把握しろということですか」
 アピオ内にある店の数はゆうに2万を超える。それをすべて把握するなんて不可能だ。
 絶望に顔を歪めた瞬間、ウォレス駅長が豪快に笑い出した。リガレさんやサイモンさん、ウィルさんも笑い出し、ジェリーさんでさえも肩を震わせている。
「全部読めなんて冗談さ。悪かったな」
 呆気に取られているとウィルさんが笑いをこぼしながら私に近づいて来る。
「ウォレス駅長はヨロズ部の新人には必ずこう言ってからかうんだよ。ウォレス駅長もほんと悪い人だなあ」
「なに、洗礼さ。それに、今のアカネみたいな顔は何度見てもいいもんだからな」そう言ってウォレス駅長はマニュアルを指先で軽く叩く。「まあ、覚えておいて損はない。その方がヨロズ部で楽に働けるぞ」
「店舗を全部覚えることがですか?」
 ウォレス駅長の太い指先がマニュアルから離れ、代わりに腕を前で組んだ。
「ああ。ヨロズ部は7区に関わらず、アピオ全体の何でも屋みたいなもんだからな。まあ、働いてれば意味が分かるさ」
 つまりは万屋、だからヨロズ部と言う名前なのかと腑に落ちた。
「まあ、とりあえず今日はこれからリガレと一緒に見回りに行ってくるといい。7区に関わらず、アピオに一番詳しいのはこいつだからな」
 ウォレス駅長の視線がリガレさんに向くと、リガレさんはまたもやキレのある敬礼をして見せた。
「はい! お任せください!」
 初めての見回りという仕事に好奇心で胸の内の半分が埋まる。けれどももう半分は落胆の気持ちで埋まった。
 なぜならまた、リガレさんのマシンガントークを聞くことになりそうだからだ。
「ではリガレ・ワイルズ、見回りに行ってきます! さあ、アカネ! 行こ!」
 敬礼をして先に出て行ってしまうリガレさんの姿に慌てながらも、私も室内にいるヨロズ部の人たちに視線を向けながらリガレさんを真似た。
「あ、アカネ・ローアン、見回りに行って参ります」
 敬礼をし、急いでリガレさんの後を追った。
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