セヴンティ・ツーの狼〜天使のために天使を狩る悪魔の話〜

ニューベロ

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序章─サーティ・フィフスは事務室にいます─

剣豪の悪魔 マルコシアス(1)

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──この世界にはヒトと動植物、そして〈ヒトならざる異形〉が同時に呼吸をしている。

『次は、トテナム・コート・ロード、トテナム・コート・ロード、お出口は右側です。
本日、傘の忘れ物が増えております。降車の際にもう一度、お手回り品のご確認をお願い致します。』

ヒトは〈異形〉に気付かずに生活している。それがどれだけ身近にいるものかも知らずに、未知のウイルスや核戦争に怯え、それを光る板をいじって誤魔化している。光る板はヒトの視線を引きつけて離さない魔力を持っているらしく、先日もこの線路で件の板を見つめていた男が列車に弾き潰され〈イチゴジャム〉になった。悲しいことだ。我々が築き上げたヒトの智を堕落させているのは光る板に他ならない。
世界は発信することに愉悦し、承認に飢え、告げ口や目に見えない集団リンチが当たり前の時代になってしまった。
……宗教に関心が無くなってきたことが唯一の救い……だろうか。

「あっ!」

「!」途端に脚にぶつかった感触が走る。ぱっと見ると女の子がぶつかったらしかった。「ご、ごめんなさい……」謝る女の子の腕からクマの縫いぐるみがするりと落ちていく。さっとそれを受け止め、そのまま女の子へ差し出した。

「おっと……大丈夫?離れ離れにならないようにね」
「わぁ……ありがとう、お兄さん!」
「いいえ」

ここ最近はどこへ行っても複雑で無機質な物に囚われ、石棺に押し込まれているような閉塞感と空気の悪さを感じている。有害物質は不可視化しただけで、今も流れ出続けていることを憂慮する者だっていない。
空の青きを仰ぎ見る者、星の眩きを望み観る者ももういやしない。強いて言えば気象予報士や天文学者程度だ。星空観察はスクリーンで済ませる人間も多いし。

「この空が赤く染まった日のことなんて、だァ──れも考えやしないだろうなァ」

そう呟き、蒸した改札口を出た頃には雨はあがっていた。少し湿った空気に夏の風を感じ、未だ血生臭さの取れないかつての記憶を吹き飛ばそうとしたが、それはあまりに厳しく脳裏に染み付いており、消すことが容易ではないのは分かっていた。
平和が一番だと感じると同時に、死に物狂いで戦ったあの日々がいかに無駄なことだったかと思って拭えない。
諸行無常とはよく言ったものだ。世界は残酷にも、瞬きする度に変わっていく。
悲しいだろうなァ、戦いのためだけに生きてきた者どもは──


「もうあの日の話はよせ、バルバトス」
「!」

凛としたイギリス式英語の女声に名を呼ばれてハッとした。空から視線を下へ下へ下ろすと、せいぜい2m先に背筋のピンとした美しい女の子が立っていた。こちらを真っ直ぐに見つめる双眸そうぼうはアマルフィの海を想起させる澄んだ色だ。ヨーロッパ系の高い鼻と大きな瞳、粟色あわいろの髪、白い肌。人々は〈天使〉と呼ぶような顔立ちだが彼女は正反対の存在。

「うぉっ、マルコシアス!いたのかよ!」
「ああ……セントラルラインに乗って来たのか?魔法連絡通路の方が早く着くだろうに」
「あんな路地裏から出て来たら怪しまれるだろ?それにやっぱ、人間のマネは大事だしさ」

……人間のマネ。俺たちは〈悪魔〉や〈魔神〉と呼ばれる存在で、〈神〉や〈仏〉、〈天使〉や〈天人〉とは対極する者だ。マルコシアスもそう。彼女は本来は狼の姿をした悪魔で、人間の姿をとるとこんなふうになる。
17世紀、何者かによって封印が解かれ自由の身になったものの、〈ゲーティア〉に封じられた悪魔ども、つまり〈ソロモン72柱の悪魔〉は人間界への適応に迫られた。それ以降約400年もの間、俺たちはこうして〈人間のマネ〉をして生きている。勿論魔術も扱えるし、悪魔の王国を根城に天使軍との戦いに備えている。

「わざわざ鉄の塊に汗臭い人間と密集する意味が分からない」
「人間に恨みがあるのは分かるけどよ、もうちょっと優しくなれねーのか?」
「殺さない努力はしているがな」
「だよなァ~~……」

俺の反応に目もくれず、彼女はスタスタと歩き始めた。


「なあなあ」
「なんだ」

先を颯爽と歩くマルコシアスの横にやっと追いついて呼び止める。彼女は一切歩を緩めずに声だけで返事を寄越した。一ミリのブレもない等速直線運動の歩きに圧倒され、声を出すのに躊躇する。

「は、腹減ってねぇか?あの店のイタリアンがウマくてさ、マルコシアスも気に入ると思、」
「──くだらない、私が優雅にイタリアンを食べると?」
「あーあー分かったよ!軍人は堅ッ苦しくてヤだな」

「なら私の頼みなどはじめから聞かなければよかったのだ」彼女は一旦歩を緩め、芝居じみた調子でそう言った。この洗練されたわざとらしさから推測するに、彼女はこの会話に慣れっこなのだろう。

「……だってマルコシアスだからさァ」
「何?」
「いや?なんでもねーよ」
「……?」

俺の返答に首を傾げるがすぐに興味は失せたようで、プリーツたっぷりのワンピースの裾をふわりと揺らし緩めていた歩を急いた。彼女に何か言うつもりだったんだけど、なんだったっけな?必死に用事を思い出そうと記憶を漁る。えーと、ああ、俺を呼び出した理由だった!

「そうだ……どうして俺を呼んだんだ?アンタ今休暇中だよなァ」
「休暇中なのはお前も同じだろう。単刀直入に言う、」

「フュルフュールが行方をくらませた」淡々と、すっぱり切られたバターみたいに、容赦のない一言だった。ぐらりと視界が回った気がした。でも、待てよ?今の時期は俺らにとっては夏の大型休暇だろ、休んでいる間の足跡は追跡しないのがルールだ。フュルフュールのヤツも休暇を満喫してるだけってのはねえのか?

「行方知れずって……そうは言うけどさァ、アイツも休暇中だろ」
「いや、休暇は2週間前に終わっている。それでも本国へ戻って来ていないのだ」
「それは困ったな、フュルフュールのやつはサボるような性格じゃねえし……」
「だろう?そこでお前の出番だ」
「俺が探せるのは財宝だけだぜ?」
「ああ、だからお前を呼んだ。小切手は探せるか」
「小切手ェ?財宝ってのはもっとこう……金貨とかでっけー宝石とか王冠とかだろ、俺じゃなくマルバスの方がよく知ってるんじゃね?」

「マルバスは夏季の大型休暇を満喫中だ」彼女は当たり前のことを大げさに言った。なんならマルコシアス自身も休暇中だし俺だって休暇でイギリス旅行を楽しんでいたというのに。
「俺だって休暇中」そう言うと彼女はハァ、と小さな溜め息をついてこちらへ目をやった。明らかにこちらをバカにする目だ。見慣れたものだから今更不快には思わない。俺がバカなのは事実だし。

「知らないのか?ヤツは休暇の間に限って唯一全く連絡の取れない場所にいる。しかもその休暇すら60年ぶりだ、邪魔はできない。ヤツを呼び出す機会を伺っている時間があればフュルフュールの捜索を行うべきだと判断した。」
「じゃあマルバスのヤツはヴァチカンにいるってのか?」

「……その通り」苦々しい表情でマルコシアスは頷く。〈失せ物探しならばマルバス、マルバスならば失せ物探し〉の必要十分条件を満たすアイツがいないから俺に?

「でもイタリアまで行って徒歩で入れるだろ」
「私もお前も3000年の裏切り者だぞ、許されると?」
「あそこの警備キツいもんな……天使が常駐してるし」
「渋っていないで早く探せ、私もアスモデウスとのチェスを中断してまで来ているんだ」

彼女に催促され、耳を塞ぎ意識を一時シャットアウトする。意識だけでフュルフュールの小切手のあるところを、衛星から地球を眺めるような目線で探し当てる。本初子午線からあまりズレていない……しかしイギリス国内にはいない。……もっと北だ、地球がぐるんと北極点へ動いていく。寒いところだ、その示すところは…………。
意識が地球へ突進していく。だんだんとイギリス……グレートブリテン島へ近づいて行く。地面が見え始めた。まだ近づく。まだまだ近づく。もうぶつかる!
……そう思った瞬間に意識と身体が合体し、ふっと耳を塞いでいた手を耳から離した。
マルコシアスが静かに俺の返事を待っている。空気を吸い込み口を開いた。
「申し訳ないが……とんでもない長旅になるぜ」

「承知の上だ」短くそう言い切り、マルコシアスと俺は駅から少々離れたビル街の細く薄暗い通りへ足を踏み入れた。
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