32 / 39
第一部 三章
二人のエルサレム
しおりを挟む
また気がつけば四組にいるんだろうな。
☆ ☆ ☆
夕日が差し込む教室には一人、彼女だけがいた。
「ひどい顔」
言われて自分の目元を袖で拭う。
「遅かったじゃない」
「来ないかと思った」腰に手を置いて顎を出す。
その瞳はこちらを睨みつける。まさしく「氷の女王」彼女が軽く合図をしたら、横から憲兵が飛んで来て俺の首を跳ねるだろう。
「で、答えは出たの?」
凍てつくような声音。
「俺は、」
間。一度深呼吸をする。
なんて話し始めようか。
俺は口下手だから、説明したりするのがすごく苦手で。喋り始めてからどんどん話が脱線してしまって、伝えたいことも満足に伝えられないんだ。
だから、よく考えて頭で整理をつけてから口を動かしたい、使う単語は間違っていないか、文法は、比喩はおかしくないか。どこで息を吸おうか。
なんて。そんなこと考えても、意味ないか。
自分の思う通りに、舌を動かそう。
主語がむちゃくちゃで破綻していたとしても。
彼女なら、許してくれる気がした。
「俺は、主人公になりたい」
拳を強く握り締める。
「悪と戦う主人公に、ヒーローになりたい。分かってるよ。なれないって、無理なんだって。歩いていたら空から女の子が降って来たり、トラックに跳ねられて異世界に転生したり。そんな非日常、ありもしないって分かってる。分かっているんだよ……」
沈みかけた太陽が教室をオレンジ色に染める。
言葉に詰まる。視線を下げてしまいそう、彼女の強い眼差しから逃げようと。
そんなこと、しちゃいけないんだ。
聖本を睨み返す。
「でもさ、聖本。お前は、お前は何でエアガンなんて持ち歩いてるんだよ?」
「……カッコいいから、だけど」
「そうだ、そうだろう」
カッコいいから。それはあまりに単純な理由。
小学生でもわかる明快な言葉。
頭とは別に人の体にあるかもしれない場所があるとしたら。
そこが勝手に命令して、口にしてしまわないよう必死に唇を噛み締めてまで抑えた言葉。
エンドロールを眺めながら昨日の俺が思った言葉。
「カッコいいからだよ。カッコいいんだよ。俺にとってあいつらは」
堰が切れたように、動く口が止まらない。
拳に爪が食い込む。
「カッコいいから……分かっていても、無理なんだよ。憧れちまうんだよ、主人公に!」
大声を出していた。
もしかしたら他の教室に生徒が残っているのかもしれなかったがお構い無しに。
厳しい面持ちをしていた聖本麗は、そっと頬を緩ませ白い歯を見せる。
「言えるじゃない」
「ちょっとはマシな顔になったわ」と、一歩こちらに歩み寄り二人の距離が縮まる。
「あんたの憧れのためにも私と約束をしなさい」
後ろで両指を絡ませ両腕を揺らしながら、一足を大きくして近づいて来る。
息がかかるほどそばに来て、彼女は小指を突き出す。
思えば初めて立ち姿のこいつを間近で見た。自分より背が高いか同じくらいだと思っていたが、実際は少し低かった。
「もう逃げないこと。いい?」
腰を曲げて上目遣い。まつげが長いんだな。
からかうような微笑みを直視できずに、ついそっぽを向いてしまって。
差し出された長い指に自分の小指を合わせた。
いや、ダメだ。これ。
「居眠りばっか、してるクセに」
ごにょごにょと照れ隠しに言葉を吐き出す。
してるクセに、なんなのだろうか。自分でも意味がわからない。
「なによ」と力強く繋いだ指を縦に振り解き、プイと明後日の方向を見つめる。
「わ、私はねあんたとは違って、とってもいい夢を見てるのよ」
俺から一歩離れて腕を組み、目を閉じて、言い淀む。
とってもいい。それって。
「もしかして、明晰夢、か?」
長い髪を勢いよく揺らしてこちらを振り向く。
そのうちの一本が、半開きの口端にくっついていた。
そんなことも気にせずに、忙しなく聖本は瞼を瞬かせる。
「あんたも、もしかして見れるの?」
返事をする代わりに首を縦に振ると。
一度ぺろり、舌を覗かせて「そっか。見れるんだ」と嬉しげに呟く。
それがどうかしたのかと、不審げに彼女の顔色を伺っていると、その表情に満面の笑みを浮かべる。
その横顔には夕焼けが化粧をし、輝いてた。
「私と一緒に……をみましょう」
途中、なんて言ったのか。
思い返すが、思い出せないのだ。
壊れたラジオみたいに、肝心な部分だけノイズが掛かったように聞き取れない。
けれど、うまく聞こえなかったのだけれど、彼女はきっと素敵な提案をしているのだろうと思った。どこか俺を、ここではない、見たことのない、素晴らしい世界に連れて行ってくれるような気がしたんだ。
だから俺はわかったとか、いいよとか言って、その誘いに応じた。
すると目の前の少女はニコリ笑みを浮かべ、コクリ小首を傾げる。
黒髪が二ミリ横に流れて、とてもいい香りが俺の鼻を撫でる。まっすぐに右手をこちらに差し出す。
握手を求めているのだろうか。
あんまり女の子の手を握ったことはないな。手汗とか、大丈夫か。そんな思いがふと脳裏をよぎったが、自分の腕は引き寄せられるように彼女へと伸びていた。
その手を握る。
冷たそうな白い手。けれど温もりに満ちていて、手のひらから熱を感じる。
ああ、体が火照ってきて。
頬が熱くなる。
染める夕日の色が、赤くてよかった。
☆ ☆ ☆
夕日が差し込む教室には一人、彼女だけがいた。
「ひどい顔」
言われて自分の目元を袖で拭う。
「遅かったじゃない」
「来ないかと思った」腰に手を置いて顎を出す。
その瞳はこちらを睨みつける。まさしく「氷の女王」彼女が軽く合図をしたら、横から憲兵が飛んで来て俺の首を跳ねるだろう。
「で、答えは出たの?」
凍てつくような声音。
「俺は、」
間。一度深呼吸をする。
なんて話し始めようか。
俺は口下手だから、説明したりするのがすごく苦手で。喋り始めてからどんどん話が脱線してしまって、伝えたいことも満足に伝えられないんだ。
だから、よく考えて頭で整理をつけてから口を動かしたい、使う単語は間違っていないか、文法は、比喩はおかしくないか。どこで息を吸おうか。
なんて。そんなこと考えても、意味ないか。
自分の思う通りに、舌を動かそう。
主語がむちゃくちゃで破綻していたとしても。
彼女なら、許してくれる気がした。
「俺は、主人公になりたい」
拳を強く握り締める。
「悪と戦う主人公に、ヒーローになりたい。分かってるよ。なれないって、無理なんだって。歩いていたら空から女の子が降って来たり、トラックに跳ねられて異世界に転生したり。そんな非日常、ありもしないって分かってる。分かっているんだよ……」
沈みかけた太陽が教室をオレンジ色に染める。
言葉に詰まる。視線を下げてしまいそう、彼女の強い眼差しから逃げようと。
そんなこと、しちゃいけないんだ。
聖本を睨み返す。
「でもさ、聖本。お前は、お前は何でエアガンなんて持ち歩いてるんだよ?」
「……カッコいいから、だけど」
「そうだ、そうだろう」
カッコいいから。それはあまりに単純な理由。
小学生でもわかる明快な言葉。
頭とは別に人の体にあるかもしれない場所があるとしたら。
そこが勝手に命令して、口にしてしまわないよう必死に唇を噛み締めてまで抑えた言葉。
エンドロールを眺めながら昨日の俺が思った言葉。
「カッコいいからだよ。カッコいいんだよ。俺にとってあいつらは」
堰が切れたように、動く口が止まらない。
拳に爪が食い込む。
「カッコいいから……分かっていても、無理なんだよ。憧れちまうんだよ、主人公に!」
大声を出していた。
もしかしたら他の教室に生徒が残っているのかもしれなかったがお構い無しに。
厳しい面持ちをしていた聖本麗は、そっと頬を緩ませ白い歯を見せる。
「言えるじゃない」
「ちょっとはマシな顔になったわ」と、一歩こちらに歩み寄り二人の距離が縮まる。
「あんたの憧れのためにも私と約束をしなさい」
後ろで両指を絡ませ両腕を揺らしながら、一足を大きくして近づいて来る。
息がかかるほどそばに来て、彼女は小指を突き出す。
思えば初めて立ち姿のこいつを間近で見た。自分より背が高いか同じくらいだと思っていたが、実際は少し低かった。
「もう逃げないこと。いい?」
腰を曲げて上目遣い。まつげが長いんだな。
からかうような微笑みを直視できずに、ついそっぽを向いてしまって。
差し出された長い指に自分の小指を合わせた。
いや、ダメだ。これ。
「居眠りばっか、してるクセに」
ごにょごにょと照れ隠しに言葉を吐き出す。
してるクセに、なんなのだろうか。自分でも意味がわからない。
「なによ」と力強く繋いだ指を縦に振り解き、プイと明後日の方向を見つめる。
「わ、私はねあんたとは違って、とってもいい夢を見てるのよ」
俺から一歩離れて腕を組み、目を閉じて、言い淀む。
とってもいい。それって。
「もしかして、明晰夢、か?」
長い髪を勢いよく揺らしてこちらを振り向く。
そのうちの一本が、半開きの口端にくっついていた。
そんなことも気にせずに、忙しなく聖本は瞼を瞬かせる。
「あんたも、もしかして見れるの?」
返事をする代わりに首を縦に振ると。
一度ぺろり、舌を覗かせて「そっか。見れるんだ」と嬉しげに呟く。
それがどうかしたのかと、不審げに彼女の顔色を伺っていると、その表情に満面の笑みを浮かべる。
その横顔には夕焼けが化粧をし、輝いてた。
「私と一緒に……をみましょう」
途中、なんて言ったのか。
思い返すが、思い出せないのだ。
壊れたラジオみたいに、肝心な部分だけノイズが掛かったように聞き取れない。
けれど、うまく聞こえなかったのだけれど、彼女はきっと素敵な提案をしているのだろうと思った。どこか俺を、ここではない、見たことのない、素晴らしい世界に連れて行ってくれるような気がしたんだ。
だから俺はわかったとか、いいよとか言って、その誘いに応じた。
すると目の前の少女はニコリ笑みを浮かべ、コクリ小首を傾げる。
黒髪が二ミリ横に流れて、とてもいい香りが俺の鼻を撫でる。まっすぐに右手をこちらに差し出す。
握手を求めているのだろうか。
あんまり女の子の手を握ったことはないな。手汗とか、大丈夫か。そんな思いがふと脳裏をよぎったが、自分の腕は引き寄せられるように彼女へと伸びていた。
その手を握る。
冷たそうな白い手。けれど温もりに満ちていて、手のひらから熱を感じる。
ああ、体が火照ってきて。
頬が熱くなる。
染める夕日の色が、赤くてよかった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
10
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる