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106. 初めての――
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いくら暖房があろうとも、濡れたままでいたら風邪をひく。
今度は俺が先に上がって、髪を乾かすところまで済ませた。
新品の歯ブラシを借りて、歯を磨く。
人生の中で、今日ほど磨き残しが許されない日もないだろう。
洗面所から出て、壁に凭れながら無心でブラシを動かす。
扉を隔てた向こう側から、白宮さんが使っているドライヤーの音が聞こえてくる。
「洗面所使っていいか?」
「いいよー」
中に入ると、バスタオルを巻いた姿の白宮さんがいた。
これでもいつもより露出は少ないのだが、いつもよりも色っぽく見えてしまう。
彼女の体も髪も、もう乾いていた。
口をゆすげば、いよいよ俺も白宮さんも準備万端になった。
「…電気、消すか?」
「うん」
リモコンを手にとって、ボタンを押す。
常夜灯だけが灯って、オレンジ色の光がぼんやりと部屋を照らす。
「先、寝てくれる?」
「わかった」
言われるがままに、俺は布団に寝転んだ。
仰向けになると、彼女はバスタオルを巻いた姿のまま俺のところに来た。
そして、俺の上に膝立ちになり、はらりとバスタオルを解いた。
「…綺麗だ」
ありきたりな褒め言葉が、思わず口から漏れる。
白宮さんは、ゆっくりと腰を曲げて、顔を俺の方へ近づける。
重力に従って、彼女の髪が俺の頭のまわりに垂れる。
目と目が合う。
「…良い?」
「ああ」
短く肯定を返す。
もう、何の悩みも不安もなかった。
顔が、目が、鼻が、そして口が近づき――
時が止まった。
そう思った。
唇に触れる感触、鼓動に合わせて血管の収縮する感覚が、現実に引き戻してくる。
鼻から空気を吸ってみれば、彼女のやわらかい匂いがした。
そのまま何秒も経って、俺たちはようやく唇を離す。
再び、目と目が合う。
潤んだ白宮さんの瞳の端から、涙が一筋零れ落ちた。
「大丈夫か」
「うん。…ただ、嬉しいだけだから」
小さく頷いて、彼女はそう言った。
「もう一回…もっと、しよ…」
小さな声で求めて、俺と白宮さんは再び唇を合わせる。
どちらからともなく、そっと互いに舌を差し込む。
水音が頭の中に響いて、脳を溶かしていく。
「ん…んっ…」
胸のあたりに、ずっしりとした感触が乗る。
白宮さんが体を預けてきたのだろう。
体温がパジャマ1枚越しに伝わってきて、それが顔まで昇って目尻が熱くなる。
絡ませた舌の中に、塩味が混じったような気がした。
やがて、離れた頭は少しだけ横に動いて、俺の肩に収まった。
一人の人間が俺に全体重を預けている。
確かな重さが、存在感となり、安心感となった。
俺は、そっと腕を白宮さんの背中に回した。
「気持ちいいな」
「うん…しちゃった、ね」
「そうだな…」
この行為がどんな意味を持つか、どれだけ重いことかを、俺は知っている。
それでも、生まれ育った世界の価値観に比べれば、理解というものはほど遠い。
だからこそ、『初めて』は大切にしたかった。
そして今、終えてみれば…こんなにも、心に残る充足感があるとは。
「次は…私、だね」
白宮さんは少しだけ体を起こし、俺の腰のところまで体をずらした。
そして、ズボンとパンツに同時に手をかけて、徐にずらしていく。
――まぁ、そういうことだ。体の方は満足していない。
「緊張するから…手、握っててくれる?」
「いいよ」
俺と白宮さんは向かい合って、両手をそれぞれ絡ませた。
正面同士での恋人握りだ。
「…その、目も…悪いけど、瞑っててくれると…助かる、かな」
「わかった」
俺は何も言わずに目を閉じる。
緊張してくれていることが、なんだか嬉しかった。
そのまま、俺は下半身に感覚を集中し、待つ。
…
……
………
…あれ?
期待していた、熱いものに包まれるような感覚が、いつまで経っても来ない。
悪いとは思いながらも、ゆっくりと目を開けてみる。
「…え」
そこには、途中まで腰を下ろした状態で固まった、白宮さんの姿があった。
◆ ◆ ◆
「したこと…ない?え?セックスを?」
「うん…」
再び電気をつけた部屋の中で、白宮さんは項垂れた。
「マジか…」
純粋に驚きだった。
この世界でセックスをしたことがない人間なんて。
少なくとも、元の世界のキスよりも格段にハードルは低いだろうに。
「小学校の頃とか…一度やろうって誘われて、直前までは行ったんだけど…なぜか、急に怖くなっちゃって…そしたら、その男の子に『セックスもできない女だ』なんて言いふらされて…髪の色もあって、避けられることが多かったの」
「そうか…」
内容が内容とはいえ、似たようなことは小学生にはありがちだ。
善悪の区別すらつかないのだから、一方的に悪と断罪はできないが、それでもやられた方はずっと記憶に残り続ける。
「中学も同じ地域だったから、そういう雰囲気が残ってて…結局、辛くて高校からは別の地域に逃げてきちゃった」
「良いんじゃねえの。なかなか上手く行ってるっぽいしな」
白という珍しい髪の色も、その美貌も、優等生であることも、人と隔てられる原因になりうる。
もっとも、今は人当たりの良い学年一の美少女として、うまいこと立ち回っているが。
それは彼女の素顔ではないし、一度トラブルも起きかけたが、なんだかんだ今に至るまで大きな事件はないはずだ。
まぁ、もしかしたら俺の知らないところで告白を断りまくってたりするかもしれないが…クラスが違うとどうにもわからない。
「とりあえず、俺は苦手なことを無理にはやらせたりしないから。さっきのキスと同じように、互いが満足できなきゃしょうがないしな」
「うん、ありがとう…ごめん」
「いいって。今日はもう寝よう」
白宮さんの頭を手のひらで数回ポンポンと優しく撫でて、数瞬くらい自分に似合わないムーヴじゃないかと心配をして、白宮さんにも長袖のパジャマを渡す。
着終わったのを確認してから、またリモコンで電気を消した。
今度は常夜灯もつけなかった。
「じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
俺は手探りで暖房にタイマーをつけた。
白宮さんが隣に潜り込んでくる。
元々一人用のベッドだが、ぴったりくっついておけば狭くは感じない。
背中合わせの状態で、俺は目を閉じた。
白宮さんの寝息をBGMにして、心を落ち着かせると、心地よい睡魔が押し寄せる。
それに身を任せようとしていると…何やら、白宮さんの寝息がおかしい。
「…ひぐっ…ぐすっ…」
「…どうした?」
嗚咽だった。
俺は身を180度回し、白宮さんの方を向いた。
「…セックス…奥原くんにとって、意味のあることだったから、したかった、のに…」
「慌てる必要はないよ」
俺はできるだけ優しい声音で言った。
背中から手を回して、白宮さんの前で繋ぐ。
「大丈夫だから…」
言い聞かせるようにそっと呟くと、白宮さんの嗚咽はだんだんと小さくなって、寝息に取って代わられていった。
今度は俺が先に上がって、髪を乾かすところまで済ませた。
新品の歯ブラシを借りて、歯を磨く。
人生の中で、今日ほど磨き残しが許されない日もないだろう。
洗面所から出て、壁に凭れながら無心でブラシを動かす。
扉を隔てた向こう側から、白宮さんが使っているドライヤーの音が聞こえてくる。
「洗面所使っていいか?」
「いいよー」
中に入ると、バスタオルを巻いた姿の白宮さんがいた。
これでもいつもより露出は少ないのだが、いつもよりも色っぽく見えてしまう。
彼女の体も髪も、もう乾いていた。
口をゆすげば、いよいよ俺も白宮さんも準備万端になった。
「…電気、消すか?」
「うん」
リモコンを手にとって、ボタンを押す。
常夜灯だけが灯って、オレンジ色の光がぼんやりと部屋を照らす。
「先、寝てくれる?」
「わかった」
言われるがままに、俺は布団に寝転んだ。
仰向けになると、彼女はバスタオルを巻いた姿のまま俺のところに来た。
そして、俺の上に膝立ちになり、はらりとバスタオルを解いた。
「…綺麗だ」
ありきたりな褒め言葉が、思わず口から漏れる。
白宮さんは、ゆっくりと腰を曲げて、顔を俺の方へ近づける。
重力に従って、彼女の髪が俺の頭のまわりに垂れる。
目と目が合う。
「…良い?」
「ああ」
短く肯定を返す。
もう、何の悩みも不安もなかった。
顔が、目が、鼻が、そして口が近づき――
時が止まった。
そう思った。
唇に触れる感触、鼓動に合わせて血管の収縮する感覚が、現実に引き戻してくる。
鼻から空気を吸ってみれば、彼女のやわらかい匂いがした。
そのまま何秒も経って、俺たちはようやく唇を離す。
再び、目と目が合う。
潤んだ白宮さんの瞳の端から、涙が一筋零れ落ちた。
「大丈夫か」
「うん。…ただ、嬉しいだけだから」
小さく頷いて、彼女はそう言った。
「もう一回…もっと、しよ…」
小さな声で求めて、俺と白宮さんは再び唇を合わせる。
どちらからともなく、そっと互いに舌を差し込む。
水音が頭の中に響いて、脳を溶かしていく。
「ん…んっ…」
胸のあたりに、ずっしりとした感触が乗る。
白宮さんが体を預けてきたのだろう。
体温がパジャマ1枚越しに伝わってきて、それが顔まで昇って目尻が熱くなる。
絡ませた舌の中に、塩味が混じったような気がした。
やがて、離れた頭は少しだけ横に動いて、俺の肩に収まった。
一人の人間が俺に全体重を預けている。
確かな重さが、存在感となり、安心感となった。
俺は、そっと腕を白宮さんの背中に回した。
「気持ちいいな」
「うん…しちゃった、ね」
「そうだな…」
この行為がどんな意味を持つか、どれだけ重いことかを、俺は知っている。
それでも、生まれ育った世界の価値観に比べれば、理解というものはほど遠い。
だからこそ、『初めて』は大切にしたかった。
そして今、終えてみれば…こんなにも、心に残る充足感があるとは。
「次は…私、だね」
白宮さんは少しだけ体を起こし、俺の腰のところまで体をずらした。
そして、ズボンとパンツに同時に手をかけて、徐にずらしていく。
――まぁ、そういうことだ。体の方は満足していない。
「緊張するから…手、握っててくれる?」
「いいよ」
俺と白宮さんは向かい合って、両手をそれぞれ絡ませた。
正面同士での恋人握りだ。
「…その、目も…悪いけど、瞑っててくれると…助かる、かな」
「わかった」
俺は何も言わずに目を閉じる。
緊張してくれていることが、なんだか嬉しかった。
そのまま、俺は下半身に感覚を集中し、待つ。
…
……
………
…あれ?
期待していた、熱いものに包まれるような感覚が、いつまで経っても来ない。
悪いとは思いながらも、ゆっくりと目を開けてみる。
「…え」
そこには、途中まで腰を下ろした状態で固まった、白宮さんの姿があった。
◆ ◆ ◆
「したこと…ない?え?セックスを?」
「うん…」
再び電気をつけた部屋の中で、白宮さんは項垂れた。
「マジか…」
純粋に驚きだった。
この世界でセックスをしたことがない人間なんて。
少なくとも、元の世界のキスよりも格段にハードルは低いだろうに。
「小学校の頃とか…一度やろうって誘われて、直前までは行ったんだけど…なぜか、急に怖くなっちゃって…そしたら、その男の子に『セックスもできない女だ』なんて言いふらされて…髪の色もあって、避けられることが多かったの」
「そうか…」
内容が内容とはいえ、似たようなことは小学生にはありがちだ。
善悪の区別すらつかないのだから、一方的に悪と断罪はできないが、それでもやられた方はずっと記憶に残り続ける。
「中学も同じ地域だったから、そういう雰囲気が残ってて…結局、辛くて高校からは別の地域に逃げてきちゃった」
「良いんじゃねえの。なかなか上手く行ってるっぽいしな」
白という珍しい髪の色も、その美貌も、優等生であることも、人と隔てられる原因になりうる。
もっとも、今は人当たりの良い学年一の美少女として、うまいこと立ち回っているが。
それは彼女の素顔ではないし、一度トラブルも起きかけたが、なんだかんだ今に至るまで大きな事件はないはずだ。
まぁ、もしかしたら俺の知らないところで告白を断りまくってたりするかもしれないが…クラスが違うとどうにもわからない。
「とりあえず、俺は苦手なことを無理にはやらせたりしないから。さっきのキスと同じように、互いが満足できなきゃしょうがないしな」
「うん、ありがとう…ごめん」
「いいって。今日はもう寝よう」
白宮さんの頭を手のひらで数回ポンポンと優しく撫でて、数瞬くらい自分に似合わないムーヴじゃないかと心配をして、白宮さんにも長袖のパジャマを渡す。
着終わったのを確認してから、またリモコンで電気を消した。
今度は常夜灯もつけなかった。
「じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
俺は手探りで暖房にタイマーをつけた。
白宮さんが隣に潜り込んでくる。
元々一人用のベッドだが、ぴったりくっついておけば狭くは感じない。
背中合わせの状態で、俺は目を閉じた。
白宮さんの寝息をBGMにして、心を落ち着かせると、心地よい睡魔が押し寄せる。
それに身を任せようとしていると…何やら、白宮さんの寝息がおかしい。
「…ひぐっ…ぐすっ…」
「…どうした?」
嗚咽だった。
俺は身を180度回し、白宮さんの方を向いた。
「…セックス…奥原くんにとって、意味のあることだったから、したかった、のに…」
「慌てる必要はないよ」
俺はできるだけ優しい声音で言った。
背中から手を回して、白宮さんの前で繋ぐ。
「大丈夫だから…」
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