2 / 18
第2話:あくまで、お仕事ですので。
しおりを挟む雨音だけが支配する冷たい世界で、銀の騎士はピクリとも動かなかった。
泥と血に汚れ、かつての威風など見る影もない。だが、私の瞳には、彼女が「最強の聖騎士」であることも、絶世の美女であることも、あまり意味をなさない。
今の私の目に見えているのは、手入れを怠り、限界を超えて稼働させられた挙句、不当に廃棄された「高級な備品」だ。
あるいは、かつての私のように、誰かのために心臓をすり潰してしまった「同類」か。
「……失礼します。搬送作業に入りますね」
私は傘を脇に抱え、泥の中に沈む彼女の体に手をかけた。
私の体は小さい。前世の私よりもずっと華奢だ。
しかし、この世界に転生した際に、最低限の「女主人のステータス」は与えられているらしい。
具体的には、重い樽や食材を運ぶための筋力。そして、前世の修羅場で培った、重篤な患者……もとい、動けなくなった部下を運ぶためのコツ。
よいしょ、と。
骨と金属が擦れ合う音がしたが、私は構わず、効率的な重心移動だけで彼女の体を抱え上げた。
ずしり、と鉄の重みが腕に伝わる。
だが、それ以上に重いのは、彼女が背負わされてきた「責任」という名の重圧だろう。
私は彼女を抱えたまま、宿屋『木漏れ日』の清潔な床を汚さないよう、慎重に、かつ迅速に浴室へと運び込んだ。
◆
浴室には、常に最適な温度で魔法の温水が溜まっている。
私は彼女を脱衣所のベンチに横たえ、さっそく「業務」を開始した。
「さて。まずはこの……劣悪な労働環境の結晶を、剥ぎ取らなくてはいけませんね」
私は無機質な瞳で、彼女の全身を覆うフルプレートの鎧を見つめた。
普通の女の子なら、血塗れの鎧を前にして悲鳴を上げたり、躊躇したりするのかもしれない。あるいは男主人公なら、女性の体に触れることに赤面して「ど、どうしよう!」とマゴマゴするのだろう。
だが、あいにく私は、前世のデスマーチで恥じらいや性欲といった「人間らしい情緒」を完膚なきまでに削ぎ落とされている。
私にとって、目の前の裸に近い女性……に、なっていくであろう個体は、あくまで「最優先でケアすべきタスク」に過ぎない。
カチャリ、と指先が鎧の継ぎ目に触れる。
前世で精密機器の修理も、部下の不始末の処理もこなしてきた私の指先は、迷いなく隠されたピンとベルトを探り当てた。
「ひどいですね……」
思わず、独り言が漏れた。
胸当てを外した瞬間、露わになったのは、白いはずの肌を覆い尽くす無数の打撲痕と、魔力枯渇による紫色のうっ滞だ。
本来、彼女のような「盾」の役割を担う騎士には、後方からの適切な回復魔法と、定期的な休息が必要なはず。
それを、あの勇者は怠った。
ただ、彼女が「頑丈だから」という理由だけで、限界まで酷使し続けたのだ。
「……あ、ぁ……」
不意に、アルテミスが微かな声を上げた。
意識が戻ったわけではないだろう。ただ、重い金属から解放されたことで、身体が呼吸を取り戻しただけの反応だ。
「じっとしていてください。今、洗浄しますから」
私は事務的なトーンで告げ、彼女を浴室の中へと引き入れた。
湯気が立ち込める中、私は彼女の体にシャワーを当てる。
泥が流れ、血が薄まり、その下から国宝級とも言える美しい肢体が現れる。
すらりと伸びた手足。鍛え上げられているが、決して女性らしさを失っていない柔らかな曲線。そして、今は苦痛に歪んでいるが、神話の女神も嫉妬しそうなほど整った顔立ち。
もし、ここに前世の健康な……いや、不純な動機を持った男がいたなら、鼻血を出して倒れているかもしれない。
だが、私は、手に取った石鹸の泡立ち具合をチェックするだけだ。
「お客様。少し、冷たいですよ」
私は白手袋を脱ぎ、温かいタオルで彼女の体を包み込むようにして洗っていく。
前世で培った「部下を1分でリラックスさせるツボ」と「効率的なリンパマッサージ」の知識を総動員する。
首筋から肩、背中にかけて、指先を滑らせる。
彼女の体は、驚くほど強張っていた。
まるで、いつ斬りつけられてもおかしくない戦場に、まだ心が残っているかのように。
「……ぅ、ん……はぁ……」
アルテミスの口から、吐息が漏れる。
私の指先が、彼女の凝り固まった肩甲骨の裏を解した瞬間だった。
彼女の体が、ふっと力を抜いた。
無意識の領域で、彼女が「ここは安全だ」と誤認……いや、認識し始めた証拠だ。
私は無表情のまま、彼女の長い銀髪を丁寧に洗い上げる。
絡まった泥を解き、指を通す。
美しい髪だ。手入れさえすれば、月光を編んだような輝きを取り戻すだろう。
「……殺して。……もう、いいから……」
不意に、彼女の唇から、絶望が形になったような言葉が零れ落ちた。
うっすらと開かれた金色の瞳。そこには、生への執着など微塵も感じられない。
「お客様」
私は、彼女の耳元で淡々と告げた。
「あいにくですが、当宿のサービス項目に『殺害』は含まれておりません。ご希望であれば、オプション料金として『安眠』を提示させていただきますが、いかがされますか?」
「…………なに、を……」
「……さあ、次は仕上げの薬草風呂です。これを終えれば、少しはマシな顔になりますよ」
私は彼女を湯船に沈めた。
ふわりと広がる、癒やしの香り。
アルテミスは、もはや抵抗する気力もないのか、あるいは私の指先の「ママ力」に毒されたのか、なすがままに目を閉じ、静かに深い眠りへと落ちていった。
湯気に包まれた彼女を見つめながら、私は自分の手を眺める。
温かい。
前世の冷え切ったオフィスでは決して感じることのなかった、生きている人間の温度だ。
「……さて。次は、ベッドの準備ですね。宿屋の夜は、まだ始まったばかりですから」
私は立ち上がり、濡れたエプロンを軽く払いながら、業務の次の項目を脳内リストにチェックした。
11
あなたにおすすめの小説
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
空手馬鹿の俺が転生したら規格外の治癒士になっていた 〜筋力Eのひ弱少年治癒士が高みを目指す!?〜
くまみ
ファンタジー
前世は空手部主将の「ゴリラ」男。転生先は……筋力Eのひ弱な少年治癒士!?
「資質がなんだ!俺の拳は魔法を超える!……と、思うけど……汗」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
俺は五里羅門(ごり・らもん) 35歳独身男だ。硬派すぎて女が寄り付かず。強すぎる空手愛と鍛え抜かれた肉体のせいで不本意ながら通称「ゴリラ」と呼ばれていた。
仕事帰りにダンプに跳ねられた俺が目覚めると、そこは異世界だった。だが転生した姿は前世とは真逆。
病弱で華奢。戦闘力最低と言われる職業の「治癒士」(ヒーラー)適正の10歳の少年・ノエル。
「俺は戦闘狂だぞ!このひ弱な体じゃ、戦えねぇ!
「華奢でひ弱な体では、空手技を繰り出すのは夢のまた夢……」
魔力と資質が全てのこの世界。努力では超えられない「資質の壁」が立ちふさがる。
だが、空手馬鹿の俺の魂は諦めることを知らなかった。
「魔法が使えなきゃ、技で制す!治癒士が最強になっちゃいけないなんて誰が決めた?」
これは魔法の常識を「空手の技」で叩き壊す、一人の少年の異世界武勇伝。
伝説の騎士、美少女魔術師、そして謎の切り株(?)を巻き込み、ノエルの規格外の挑戦が今始まる!
社会の底辺に落ちたオレが、国王に転生した異世界で、経済の知識を活かして富国強兵する、冒険コメディ
のらねこま(駒田 朗)
ファンタジー
リーマンショックで会社が倒産し、コンビニのバイトでなんとか今まで生きながらえてきた俺。いつものように眠りについた俺が目覚めた場所は異世界だった。俺は中世時代の若き国王アルフレッドとして目が覚めたのだ。ここは斜陽国家のアルカナ王国。産業は衰退し、国家財政は火の車。国外では敵対国家による侵略の危機にさらされ、国内では政権転覆を企む貴族から命を狙われる。
目覚めてすぐに俺の目の前に現れたのは、金髪美少女の妹姫キャサリン。天使のような姿に反して、実はとんでもなく騒がしいS属性の妹だった。やがて脳筋女戦士のレイラ、エルフ、すけべなドワーフも登場。そんな連中とバカ騒ぎしつつも、俺は魔法を習得し、内政を立て直し、徐々に無双国家への道を突き進むのだった。
ダンジョンがある現代社会に転生したので、前世を有効活用しようと思います
竹桜
ファンタジー
ダンジョンがある現代社会に転生した。
その世界では探索者という職業が人気だったが、主人公には興味がない。
故に前世の記憶を有効活用し、好きに生きていく。
出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜
シマセイ
ファンタジー
実力至上主義の貴族家に転生したものの、何の才能も持たない三男のルキウスは、「出来損ない」として優秀な兄たちから虐げられる日々を送っていた。
起死回生を願った五歳の「スキルの儀」で彼が授かったのは、【サブスクリプション】という誰も聞いたことのない謎のスキル。
その結果、彼の立場はさらに悪化。完全な「クズ」の烙印を押され、家族から存在しない者として扱われるようになってしまう。
絶望の淵で彼に寄り添うのは、心優しき専属メイドただ一人。
役立たずと蔑まれたこの謎のスキルが、やがて少年の運命を、そして世界を静かに揺るがしていくことを、まだ誰も知らない。
勇者パーティーにダンジョンで生贄にされました。これで上位神から押し付けられた、勇者の育成支援から解放される。
克全
ファンタジー
エドゥアルには大嫌いな役目、神与スキル『勇者の育成者』があった。力だけあって知能が低い下級神が、勇者にふさわしくない者に『勇者』スキルを与えてしまったせいで、上級神から与えられてしまったのだ。前世の知識と、それを利用して鍛えた絶大な魔力のあるエドゥアルだったが、神与スキル『勇者の育成者』には逆らえず、嫌々勇者を教育していた。だが、勇者ガブリエルは上級神の想像を絶する愚者だった。事もあろうに、エドゥアルを含む300人もの人間を生贄にして、ダンジョンの階層主を斃そうとした。流石にこのような下劣な行いをしては『勇者』スキルは消滅してしまう。対象となった勇者がいなくなれば『勇者の育成者』スキルも消滅する。自由を手に入れたエドゥアルは好き勝手に生きることにしたのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる