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親友1

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 結局学校に行く気にはなれず、さりとて慧の気配が残る部屋にいる気にもなれずに、私服で外に出た和馬は漫画喫茶でコンビニのおにぎりを囓りつつ時間を潰し、早めにバイト先に向かった。
――まず、普通に挨拶する。そこからだ。
 同じくバイトでシフトに入っている雪人との接触の仕方を考えながら。

 雪人が自分に対してどんな想いを抱いているかは気になる。だが確認しようがないし、したくもない。
 もしも砂原の言う通りだと言われたら?
 そうだとしたら。

 雪人の想いには応えられない。そう答えれば和馬は唯一とも言える友人で親友の雪人を失うことになる。
 ズキン、と胸が強く痛んだ。
 二年の間、ほぼ毎日顔を合わせて声を聞いていた。その存在を失うなんて。
 和馬の中で雪人という存在は、親友以上の家族に近い。それほどに信頼しているし信用しているし、世界のどこにも代わりのいない無二の存在だ。

 友達がいない、イコール孤独ひとりが好きというわけではない。中学時代は大人数でつるんでいたこともあった。
 けれど高校生になってアルバイトが許された和馬は、友人と遊ぶことよりも将来の資金を貯めること、銀行の預金残高を増やすことを優先させた。
 結果、付き合いの悪くなった和馬から友人達は離れていった。
 残ったのは雪人だけだった。

――どーすりゃいいんだよ。
 昨夜慧の告白を聞いて、和馬は自分がいかに利己的に生きてきたか気付かされた。誰にも本心から笑いかけて貰えなかった慧の辛さなど、見ようともしなかった。自分のことで精一杯だった。

 雪人のことは大切にしたいと思う。絶対に失いたくない。だから考えなければならないのだ。
 早めにバイト先のビルに着くと、三階の非常ドアが開いた。

「んなデケーごみ忘れやがって、ありえねーだろ」
「気付かなかったのはお前も同じだろ、黙って行けよ」

 大きな商業指定ごみ袋を下げて非常階段を下りてくる砂原に、挨拶しないわけにはいかなかった。

「…ちわス」
「和馬ァァ、テメーーーッ!」
「うわっ」

 襲い掛かるように背後から腕を首筋に巻かれて絞められ、一瞬で動きを封じられてしまう。

「雪人に何言いやがった!昨日どこにいたんだよ!?」
「っウチに、帰った、す」
「雪人が行っただろーが!」
「きた――けど」
「何言ったテメー!」

 詰問に答えるものの、砂原の腕はぐいぐい絞まってくる。

「なにも。砂原さ、くるし」
「何やってんだよ!」

 非常階段を駆け下りてきたのは早瀬だ。

「大丈夫か和馬?――砂原ぁ!」
「まっ。おかげで俺はアイツ手に入れられたワケだけどなっ♪」
「げほっ、けほ」
「はぁ!?お前ふざけるにも限度があるだろーが!」

 不気味な笑顔を残して階段から店に戻っていく砂原に背を向け、和馬の腰を抱いた早瀬はビル正面にあるエレベーターに向かった。

「平気か?」
「はい。……すんません」

 頭を下げるも、まだ呼吸が荒い。

「謝らなくていい。アイツと何かあったのか」
「いや…」
「言えよ。何か揉めてるのか?」

――ピン!

 獣のじゃれ合いのような砂原との接触よりも、薄暗いエレベーターの箱の中、腰に回ったままの早瀬の手と髪にかかる生温かい息の方が和馬には不快だった。
 煩わしいとさえ感じる視線を避けると、覗き込んで追ってくる。

「和馬?大丈夫か、お前」
「別に。ナンもないです。ほんと、平気だから」

 腰に纏い付く手のひらを剥がそうとすると、逆にその手を掴まれる。

「じゃあ雪人と何かあったのか」
「――っあの」
「和馬。お前が、『何か』を耐えてる顔って痛々しい」

 思いがけない言葉に、え?と見上げた和馬の身体をエレベーターから出して、まだ明かりの灯っていない店内の影に隠すように早瀬は密着してくる。砂原の姿はない。

「その顔だよ。お前が何を悩んで思いつめてんのか知らないけど。俺はただのバイト先の男だけど。だからお前のしがらみとは何も関係ねぇ、もっと頼ってくれよ」
「早瀬さん…」
「俺は一応、お前より十二も年上の兄ちゃんだぜ?」

 口の端で笑うもののいつもより余裕のない早瀬の笑顔。手を強く握られて俯き、頬にも触れてくる手は妙に冷たい。
 尚も近付くその顔から逃れる術を探した。

「なぁ、…和馬」

――ピン!

 タイミング良く開いたエレベーターから出て来たのは。

「オハザッス!」

 制服姿の雪人だった。

「――おぅ。お前も早いな」
「学生は暇だからね」

 愛想良く返す雪人を追って、早瀬の腕から逃れた和馬も更衣室に向かった。




 制服、といっても白いワイシャツに黒のズボンという簡素なギャルソンスタイルに着替える雪人は和馬を見ない。狭い更衣室、二人にあてがわれたロッカーは並びのふたつだ。

「ユキ……昨日、ごめん」
「………」
「ごめん。砂原さんに、変なこと言われて」
「アイツに何言われた!?」

 フロアまでは厨房、化粧室があるとはいえ、声を抑えて語気を強める雪人は和馬の胸倉を掴む。

「でも、もう」
「何言われたんだよ!」
「そんなの、どうでも」
「どうでも良くねーから聞いてんだろーが、言えよ!」

 シャツの胸元を引かれて雪人と向き合う。親友の目を真っ直ぐ見つめた。

「和馬。言えよ」
「ずっと…友達だった。お前だけは、俺から離れていかなかった」

 こんなこと、口にしたことはなかったけれど。言わなければいけない気がした。

「ありがと、雪人。…お前を。信じなくてごめん」

 揺れる親友の瞳が、言われた意味を理解しようと真摯に見つめ返してくる。
 何のことか分からなくてもいい。ただ言葉にして伝えたかった。

「ありがと。ほんと、ごめ」

 その想いを遮ったのは、親友の唇だった。

「んっ!?んんっ、んー!」

 触れる舌を拒んで押し返し、距離を取る雪人の声音がいつもと違う。

「和馬」
「―――死ねよゲス」

 搾り出すように吐き、唇を擦る和馬の声も心も冷えていく。

「好きだ」
「死ねよ」
「好きだった。ずっと」
「死ね!――っ」

 呼吸が止まるほど強く抱き締められて、カッと頭に血が昇った。
 裏切られた。そう判断した脳が雪人を否定する。

「放せっ、放せよ!~~ヘンタイはテメーだろっ、クソゲス野郎!…放、せって!」

 髪を引き千切っても、どれだけもがいても離れない身体が、雪人の体温を伝えてくる。

「和馬」

――兄貴のナカ、熱い

 身の内を犯し、息づく男の象徴。あんな行為を許せるのは世界で一人しかいない。

「絶対ぇヤらせねーからな、テメーなんかに」

 絡みつく下肢に膝が震える。

「ヤッたらお前いれたまま死んでやるからな!」
「それいーな。俺も一緒に死ぬわ」

 肩口で笑いを噛み殺す雪人が楽しげに受け、和馬は自由になる身体の部位で暴れるが、雪人の縛めは解けない。

「放せよ、死ねっ!」
「和馬。なぁ和馬。俺がお前にヤらせてくれなんて頼んだこと、あったかよ」
「放せ、どけよっ」
「お前に対して、ひとつでも間違えたことがあったのかよ」
「ど、け、よ!」

 唯一使える右脚で地団駄を踏むようにダン!ダン!と踏み下ろし踵で雪人の足を狙うと、その膝を抱えられ、左脚でぐらついた身体を支えられずに背中からロッカーに叩き付けられる。

「お前に対する想いに嘘はない。お前が好きだ。だからずっと大切にしてきた。誰よりもお前を想ってきた。俺の大事な親友だ」

 やっと離れた男に罵声を浴びせることが出来なかったのは、見つめ合う瞳から零れる涙を見てしまったからだ。
 雪人の涙を見たのは、初めてだった。

「和馬……頼む。友達の俺まで捨てないでくれ。和馬。ずっと友達でいい。親友のお前が好きだ。…和馬」

 頼むよ、和馬。繰り返される泣き言。

「……ごめん。雪人」

 折れてしまったのは和馬にとっても雪人が大切だからだ。失うのは泣きたいくらい辛いから。

 だが涙に濡れる無防備な頬を両手でぬぐってやると、近付く唇。これは断固拒否した。







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この辺でちょうど半分になります。
これからもよろしくお願いしますm(_ _)m
反応とかいただけたらむせび泣いて喜びますよろしくお願いします。。
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