終焉のラメント(合唱)

Dragonfly

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三章

吟遊詩人と夏の巫女の旅・人間界へ①

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南の古代都市国家―― 
灰に沈んだその名残が、風に揺れながら、夏の巫女リュシアと吟遊詩人エラリオンを迎えた。

焦げた石畳はところどころ溶け、熱を帯びた記憶だけを残している。
黒く煤けた壁面は、まるで人々の欲望が焼け付いた跡のように、空へひび割れを伸ばしていた。

風が吹くと、舞い上がる灰が陽光を遮り、昼なお薄暗い。
リュシアはその景色を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと固くなるのを感じた。

「ここは……人が自分自身を欲望で焼き尽くした跡地ね」

冷静に言ったつもりが、声にはわずかに震えが滲んだ。
エラリオンは彼女をちらりと見て、唇にかすかな笑みを浮かべる。

「君がそう感じるなら、たぶんそうなんだ。これは人間の欲望が生んだ壮大な舞台で、燃え尽きてもなお物語は残っている 。でも――人が自分の欲望を燃やす火って、案外、光にもなるんだよ」
「光が、どこに残っているというの?」

リュシアは即座に切り返す。

「残っているのは灰と焦げ跡だけじゃない。欲望と栄華を繰り返し求める声の、焼け残りみたい」
「それでも、何かを求めた物語の燃えかすだし……ここで生まれた物語は、別のところへ伝わっているよ」

エラリオンは煤を指先で払うように空へ投げ、笑う。

「見た目、ここはただの瓦礫だけどね」

――その口調の軽々しさに、リュシアはいら立つ。
だが同時に、彼の言葉が核心に触れているのも否定できない。

二人は、かつて栄華を誇った中心――巨大な円形劇場へ足を踏み入れた。

舞台の残骸が黒く焼け、観客席は半ば崩れ、空に向けてすり鉢のように広がっている。
その中心に近づいた瞬間、風が吹いた。

――歓声と、悲鳴が、かすかに混じって聞こえた。

幻聴……?

だがリュシアには、それが物語の残響であると直感で理解できた。

胸が圧迫されるように苦しい。
どれだけ息を吸っても、肺が満たされない気がする。

エラリオンは彼女の横顔を見つめ、声を落とした。

「空気が重い?ここには、物語の焼け跡が残っている。欲望を焚き付け、最後には全部を呑みこんだものの、燃え滓が」
「そんなものを、物語と呼んでいいの?」

リュシアは押し返すように言う。

「自分たちの欲望と激情に飲まれて、廃墟を作って、灰しか残っていないのに」

エラリオンは肩をすくめた。

「君はいつだって正しいよ。でもね、リュシア」

彼は舞台の中央にしゃがみ込み、焼け焦げた床を指先でなぞる。

「人が物語を求める理由は、必ずしも高潔だからじゃない。弱さも、欲も、全部まとめて人だから」
「あなたは、いつも甘いのよ」
「君が、いつも辛口すぎるからさ」

エラリオンが軽く笑うと、リュシアは目を逸らした。
そして周囲の壁に残る文様や煤を丁寧になぞりながら、 かつてここで語られ、歌われ、叫ばれた物語の欠片を捕らえようとする。

リュシアにはそのほとんどが、欲望に歪んだ声に感じられた。
「もっと富を」「もっと名誉を」「もっと頂点を」―― 。

「願望をぶつけるだけの声からは、何も生まれないのに」

リュシアのつぶやきを聞いたエラリオンは舞台の中央に立ち、両手を広げて広い劇場を見渡してみせた。

「君は物語が人を導くと思ってる?でも、僕は物語は人を惑わすとも思うよ。どっちが正しいかなんて……結論はわからない」
「でも、結論を出したいわ、私は。導いて欲しいもの」

リュシアは毅然と答える。その口調の強さに、エラリオンは小さく息を呑んだ。

静かな灰の風が二人を包みこむ。
焦げた劇場の中心で、夏の巫女と語り部は互いをあらためて見つめあった。

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 

焼け落ちた劇場の奥へ進むにつれ、空気は重く、ひどく澱んでいく。
観客席の残骸は黒い階段のように闇の上へと積み重なり、 その間には――人影が座っているように見えた。

いや、人影ではない。
幻影だ。

恐怖に歪む顔。
期待に目を輝かせる顔。
渇望に口を開けたままの顔。
どれも、息をしていないのに、生きていた頃の熱だけが残っていた。

リュシアは喉が詰まったような息苦しさを覚える。

「……観客、なの?」
「観客だった連中の残響だね」

エラリオンは乾いた声で答える。

「祈りが死んだ日の、目撃者たち」
「祈りが死んだ日、って……いつのこと?」
「もう少し、先へ進めばわかるよ」

舞台中央には、黒く焦げた楽器が転がっている。
かつては人々の祈りを伴奏したはずの竪琴、笛、太鼓。
それらはいまは骨のようにひび割れ、炭になりかけていた。

リュシアは一歩、舞台へ近づく。
その瞬間――

幻影の上演が始まった。

天へ向かって伸び上がるように、観客たちが立ち上がる。
歓声とも悲鳴ともつかぬ声が、劇場いっぱいに渦を巻いた。

『奇跡を!』
『救いを!』
『強さを与えよ!』
『満たせ!満たせ!もっとだ!』

嫌悪感に近い圧力が胸に押し寄せ、リュシアは思わず耳を塞ぎそうになるが、ぎりぎりのところで拳を固く握りしめて耐えた。

「これが……人間たちの祈りなの?」

呟きには怒りだけでなく、深い悲しみもにじんでいた。
エラリオンは幻影の乱舞を見つめながら、静かに言葉を落とす。

「祈りは願うことじゃない。願いは欲だ。これは祈りじゃなく、ただの要求の合唱だよ。――女神は道具じゃないのに」

その声は淡々としていたが、底に深い痛みがある。
リュシアはそれに気づき、眉をひそめた。

「わかっているなら……止めなかったの?」
「止められると思う?」

エラリオンは軽く笑った。
しかしその笑みは、いつもの軽さではない。燃え残った罪を抱える者の、それだ。

「人は、自分の欲に火をつけたがる。燃え上がってるときは、誰の声も聞かない」

彼の声に、リュシアの内側に怒りが再び湧き上がった。

「……祈りの声が、欲の声になってしまったのね」

幻影の観客たちの声はさらに過熱し、舞台の中央――焦げた楽器の奥が、ひときわ強い光を帯び始めた。
バチン、と乾いた音が響いた。

幻影の中に浮かび上がった〈女神の竪琴〉の弦が一本、真っ赤に燃え上がって切れ落ちる幻が見えた。

“欲望”の形をした光が、劇場天井へ向かって吹き上がり、観客席の幻影は歓喜と絶望を同時に孕んだ顔で叫び続ける。

『もっと!もっと!もっと!』

リュシアはついに耐えられず、叫ぶように言い放つ。

「これは――祈りじゃないわ!ただの欲望よ!」

エラリオンは彼女を見つめ、 その瞳の強い光に、心を奪われたように目を細める。

「君が怒ってくれて、よかったよ」
「……怒るに決まってるじゃない、こんなの」

幻影の上演は、まるで燃え尽きた炎が名残を惜しむように揺れ、そして、ふっと消えた。

残ったのは灰と焦げた匂い、そして二人のあいだの沈黙だけ。

だがリュシアの胸の奥では、激情に呑まれた断末魔が、まだ燃え続けていた。  

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 

廃劇場の奥――灰に沈む舞台の奥へ、エラリオンは足を踏み入れる前にふっと息を吸った。
その横顔には、いつもの飄々とした笑みではなく、静かな影があった。

リュシアはその気配を感じ取る。

「あなたも……その時、ここにいたのね?」

エラリオンはうなずき、舞台の中心――黒く焦げた円形の痕へ目線を落とした。

「歓声だったよ、最初は。祈りの形をしていたけど……実際には要求だった。そして……人々の激情と傲慢が、〈女神の竪琴〉の弦を一本、焼き切るのが見えた。そして――その炎から、象徴だけが残された」

彼が手をかざすと、舞台の中空にふたたび幻が現れ、炎の中心にふたつの器が形を成す幻が見えた。

ひとつは、葡萄酒に満たされた黄金色の杯。
もうひとつは、縁の欠けた陶器の杯。

リュシアは懐に手を入れ、黄金の杯の実物を取り出した。
たちまち、杯の内側が赤いぶどう酒で満たされる。

杯は眩い黄金に輝いているが、内側の影は濃い。
エラリオンは眉をひそめた。

「気が付いているだろうけれど、その杯の葡萄酒は尽きない。でも、満たしても満たしても、力も、奇跡も、賞賛も……飲むほどに欲望が膨らむ」
「……依存の器ね」

とリュシアが小さくつぶやく。

エラリオンは自身の懐の内側を探り、欠けた杯の実物を差し出した。縁の欠けた、素朴な陶器の杯。
だがその欠け目には、温かな光が滲んでいた。

「一方。対となるこの欠けた杯は、飲み物を注いで心の痛みや真実を“人と語り合う”と、持ち主の重荷が軽くなる。自分の欠けを恥じず、誰かに共有することで救いが生まれるんだ」

リュシアはその説明に静かに息を呑む。

「……語り合うための器。互いに欠けを認めて、分かち合う……」

エラリオンは、リュシアの横顔をそっと見る。
怒りと悲しみに揺れる彼女の目――それが、炎の記憶以上に胸に刺さった。

「竪琴の弦が切れたのは、救いへ導く力を、人々が欲望でねじ曲げた結果だ」

リュシアの喉が震える。
やがて押し殺すように漏れた言葉は、痛切だった。

「切れたのは……秋の弦の一本ね 」

彼女の涙が、欠けた杯の縁にひとしずく落ちる。
杯はその雫を受け止め、柔らかな光を返した。

エラリオンは目を細め、静かに言う。

「そう。そしてその時にここでは、黄金の杯と、欠けた杯が生まれた」

その言葉に、リュシアはまぶたを閉じてうなずいた。
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