雪の残響 ~エラリア帝国の終焉~

Dragonfly

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回帰4

海の果て

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真っ白な光が、脳裏を裂いた。
胸の痛みとともに、ヴェラは目を開ける。

――また、同じこの時。この場所。

目の前にあるのは、赤褐色の扉。

厚い木肌には古代文字が刻まれ、金色の鋲が冷たく光っている。

廊下は沈黙に満ち、深紅の旗がわずかに揺れ、その影が石床に血の川のような模様を描いていた。

紅の妃ハーモニアの私室。
その前に漂う香は、甘くも焦げるように熱い。
まるで、血潮と薔薇を混ぜたような芳香だった。

――この扉を叩けば、彼女がいる。

胸の奥で鼓動がひときわ強く鳴り、指先が震えた。

ヴェラは扉を叩く。

「どうぞ」

と声が応え、開いた扉の向こうから熱を帯びた香が流れ込んだ。

紅と金で織られた夢の胎内のような室内。

天蓋から垂れる紅絹が波打ち、灯火の揺れに合わせて血潮のように脈動している。 その奥に、ハーモニアは立っていた。

紅の衣の裾が床をかすめ、肩を覆う薄布が光をまとい、燃えさしの薔薇のように見えた。

“前回”とは、違う選択をしなければ。

でも、どうすれば彼女を動かすことができるのだろう。

そこは、夢と地獄のあわいだった。
朱の天幕が重く垂れ下がり、金の香炉から漂う煙がうねり、揺らぐ灯が影を無数に刻んでいた。
一瞬、すべての影がハーモニアの姿を模して見えた。

「……白の妃? なぜ、わたくしの部屋に?」
「お許しを」

ヴェラは深く頭を垂れた。

「どうしても、お話ししたいことがあるのです」

ハーモニアの紅い指先が巻物をつつき、金茶色の瞳が獲物を見定める獣のように光った。

「ミハイル・ルースのことなら、もう遅いわよ。私は明日、これを陛下に提出する」

その声は柔らかく、それでいて刃のように冷たかった。

「あなたの養父が、どれほど陛下の政を乱したか――知らないとは言わせないわ、白の妃」

その大半は、実際には紅の妃とその一族の作り上げ練り上げた嘘だ……だが、それを明かす手立てがないという現実を知っているヴェラは、反論の言葉を胸の中に飲み込む。

「それでも……私は、彼の死を望んでいません。どうか……陛下への、助命の嘆願を取り次いでいただけませんか」
「嘆願?」

ハーモニアの唇が、ゆっくりと歪む。

「……皇帝への嘆願を、わたくしに頼むですって?」

その声は、炎に包まれた氷のように震えた。

「あなた、私を何だと思っているの? 陛下の剣である私に、陛下への慈悲を乞う助けをしろなどと――それは、私の誇りを踏みにじる行為よ」」
「あなたは、皇帝陛下の最も近くにおられる。だからこそ、陛下の怒りを鎮めるお言葉を、あなたなら……」
「――やめて」

ハーモニアが扇を乱暴に閉じた。
鈍い音が響き、部屋の空気が一気に張りつめる。

「あなた、何を言っているのかわかっている?わたくしに“とりなせ”ですって? 陛下の御意志を?」
「……ミハイル・ルースを、彼を、どうか生かしてほしいのです。陛下を――いえ、”神の代理人”を動かせるのは、あなたしか……」
「神を、人が動かすことなど、できるわけないじゃない」

紅い唇が、あざ笑うように弧を描く。

「陛下に慈悲を乞うなど――それは、炎の中に氷を投げ込むようなものよ。あの方は――神は、赦しなどという感情を知らないわ」

ハーモニアの声が、鋼のように硬く響く。

「そして、私も。そんな言葉は知らない」

沈黙が落ちた。
香の煙が二人の間を漂い、赤と白の影が交わる。

ヴェラは、震える声で言った。

「それでも、私は信じたいのです。たとえ神が沈黙していても……人の心は届くと。あなたにも――愛はあるでしょう?」

ハーモニアの肩が、わずかに動いた。
金茶の瞳の奥に、微かな痛みが揺れる。

「……あなたほんとうに、愛なんて言葉が好きなのね」

その瞳が、冷たくーーそれでいて形容しがたい感情の数々に彩られて、ヴェラを射抜く。

長い……長い沈黙が、落ちた。そして、色とりどりの感情に揺れた後のハーモニアの瞳の奥に、かすかな光がきらめく。

「残念だけれど」

小さなうなり声のように、ハーモニアはつぶやいた。

「陛下への嘆願の助力は、できないわ」
「紅の妃……!」
「かわりに、これを書き直してあげる」

ハーモニアは扇の先で、書状をつつく。

「今のままだったら、そうね。彼は死罪で、あなたは身分剥奪の上で〈銀の塔〉に送られて生涯奉仕、というところでしょうね。代わりに、こういうのはどう?彼は蟄居引退ーーあなたは〈海の果て〉へ、生涯追放」
「〈海の果て〉……?」

あまり聞きなれない言葉に、ヴェラは一瞬戸惑う。

「あら?知らないの?陛下のすぐ上の兄上が以前叛意を起こした時に、追放されたところよ」
「!……」

聞きなれない名前のはずだった。そこは、高貴な者の流刑地……ただ、多くの貴人は、罪を負っても〈黒の修道院〉への幽閉がほとんどで、わざわざ遠方に行かされることはない。

遠方に流刑となるのは、死罪にすることの影響が大きく、かつ帝都の近くに生存させておくのが危険とみなされる者のみ……。

「あなたの、その、愛だの慈悲だの心だのと言う言葉を、もう二度と聞きたくないのよ」

ハーモニアの美しい眉が、明らかな嫌悪に歪んでいる。

「そして、それをこれ以上、陛下の耳にも入れたくない」
「そんな……」
「もちろん、あの方はそんな言葉、歯牙にもかけないでしょうけどね。私が、嫌なの」

その声は、炎ではなく――凍りついた血のように静かだった。

「殺せば、むしろ記憶に残るわ。帝都の近くに生かしておけば、いつもどこかにあなたの気配を感じなければならない。だから……誰もあなたを知らず、誰もあなたを語らない場所。愛も、憎しみも、すべて波に呑まれる場所で、生涯を沈黙の中で過ごして、忘れられて人知れず消えていけばいいのよ」

紅い帳が燃えるように揺れ、香の煙が渦を巻く。

ハーモニアのあざけるような笑い声が響き、ヴェラの胸に冷たい絶望が広がった。

――ダメ……それでは、ダメ……!!

――どうしたらいいの……!?

世界が、真っ白な光で焼き尽くされた。



“神の声”が、頭の奥で鈍く痛みを伴って響いた。
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