ゆかり

あさのいりえ

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生き霊

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 最近、妻の機嫌がとても良い。鼻歌交じりで夕食を用意している。外食に連れてってとの不満も聞かない。弁当や一週間分の食材の買い物もひとりでサッと済ませてくる。
 笑顔で赴任先に送り出してくれる。
 ある週末、仕事の都合で帰れなくなり食材を買いに街に出た。
 通りの向こうから、懐かしい顔が歩いてくる。
 変わらず美しい、しばらく通っていたスナックのママだった。
 声をかけてみた。ママはビックリしていたが、笑顔で挨拶を返してくれた。ちょっと強気にお茶に誘ってみた。
 ママはちょっと不思議そうな顔をして、約束があるからと優しく断り、店に来て欲しいと請われた。
 単身赴任の気楽さで、いつでも飲みに行けるが、最近自粛していたのを解禁することにした。
 久しぶりに店の扉を開けた。カウンターの中のママが、ひとり笑顔で迎えてくれた。
「本当に、お久しぶりねえ。直ぐに来てくれたのね。無事だったのね?」
 笑顔で私をじっと見ている。
「やっぱり落ちてるわねえ。」
「何が?」
「以前のあなたには、いつも背後に黒い影が憑いていたの。」
 思わず後ろを振り向いたが、誰もいない。店には二人っきりだ。
「私ね見えてたのよ。あの頃、あなたが私を誘う度に、背後の影がユラユラと大きくなって。もう怖くて怖くて。」
「あなた、あの頃アルバイトの若い子を食事に誘ったりしてたでしょ?覚えてる?」
 確かに、ママを誘っても誘っても無視されていたので、先ずはアルバイトの子を誘って皆んなでならと下心丸出しで頑張っていた。
「あの子、あなたに誘われて食事に行く度に具合が悪くなって、大変だったのよ。」
 驚いた。この店から足が遠のいた理由を思い出せなかった。
「だから、彼女あれからすぐに辞めちゃったでしょ。次の子にはあなたから誘われても、絶対断るように言ってたのよ。あなたは面白く無かったでしょうね。」
 そうだった。何となくつまらなくなって足が遠のいたんだった。
「それが今日、昼日中久しぶりにお会いしたらあなたが明るい笑顔で立っているじゃない。びっくりして。だから、お店へお誘いしたのよ。」
「今のあなたの背後には何も見えないわ。」
「それって悪霊の類いなのかな?」
「ううん、生き霊じゃないかと思ってたのよ。あなたってお盛んだったし。生き霊になってでもあなたを思ってる人がいるって、モテるというか愛されてるんだと思ったりしたのよね。私には怖かったけれど。」
 確かに、あれから幾つかの店に通い若い子やらママを誘ってみたが、どの店でも長く続かなかった。つまらなくなって、夜遊びからも遠のいていた。まあ仕事も忙しかったけれど。
「だから、今のあなただったら大歓迎よ。いつでもいらして。」
 ママは美しい、完璧な営業スマイルだった。そして初めて私の手を取って言った。
 
 
 

 
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