ゆかり

あさのいりえ

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青ざめた指

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 やっと帰り着いた。長い1日だった。シャワーだけでも浴びて寝ようと思った。
 シャンプーの泡が青く染まって流れていくのを見ながら、1日を反芻していた。笑いが止まらなくなってきた。もう何もかもがどうでも良い事のように思えてきた。

 待ち合わせは明るいカフェのテラス席。
 彼女はいつも通り、遅くなってるのにゆっくりと歩いてやってきた。手を振りながら。
「ビックリ‼️どうしたの、その髪。似合ってるけど。初めてだよね、驚いたわ。」
 遅刻しての謝罪が無い。いつもの事。
「遅れてごめんなさいは?」
彼女は手を上げて、カフェラテを注文している。私の言葉は無視された。
 こちらを向いて、言った。
「驚きの色だわ。綺麗なターコイズブルー。」
 偶然知り合ったのが美容師さんだった。その際、迷惑をかけたのでお礼も兼ねて店を訪ねて、話しているうちに髪を染める事になった。そんな説明をしたら、彼女は面白そうに、
「思い切ったわね。髪を伸ばしていたのに、ばっさり切ってるし。私も切りたくなってきた。」
 サラサラの長い髪を梳きながら言った。美しい黒髪。
 赴任先に戻る彼を駅に送ったらいつもは直ぐに帰るのに、あの日は欲しい本があった。
 駅ビルに入ってる大型書店を覗くことにしてみた。
 吹き抜けの場所にあるガラス張りのエレベーターに久しぶりに乗った。
 何気なく下のフロアーを見た。バスに乗って赴任地に戻っているはずの彼の横顔を見つけた。
 彼の横に居た長い髪の女性。
 私じゃ無い、私と同じ黒髪の女性。めまいがして、エレベーターの中で足元がフラついた。壁に手をつこうとしたはずが届かず、横から青い手が伸びて私を支えてくれた。
「大丈夫ですか。立ってられますか。」
 言われて、我に返った。後ろから支えてくれている腕も手も青かった。
「真っ青ですよ。」
 私は青い腕を見ながら動けなかった。私の気持ちそのままの青。
 とりあえずエレベーターから降りましょうと支えられて、トイレの前の椅子に座った。
「はい、お水」
 ピンクの水筒から水を汲んでさしだした。小さな手。
「娘です。大丈夫ですか。何か持病をお持ちですか?救急車とかは必要ですか。」
「大丈夫です。ちょっと立ちくらみがして。寝不足なんで。」
 言い訳がスラスラと出たと言うことは落ち着いたみたいだった。
 ホッとしたようで、笑顔で立ち去ろうとしたのでお礼がしたいと名前を聞いた。
 美容師なんで、良かったら来て下さいと名刺を戴いた。
 その美容室は、こじんまりとして、古いアパートの一階に入っていた。
 電話で予約した時にひとりでされいるのがわかった。他のお客さんに会うことは無い。
 顔を覚えていてくれた。来てくれたんですね、と嬉しそうだった。
 どうしても聞きたいことがあった。青い腕、青い手。
 ところが、今日の腕も手も青くなかった。
 今日はどうしますかと聞かれて、どうしたら良いか相談に乗って欲しいとお願いした。
そして聞いた。あの日の青い腕のことを。
 常連のお客さんの旦那様が脳梗塞で入院した。幸い軽症で、それでもリハビリの病院に転院治療することが決まった。
 久しぶりに自宅に帰ってくる。暗くならない様に、明るく迎えたい。話しているうちに、髪を明るい色にしようか?となり、クリスマスも近いから赤、緑にした。
 家族はビックリして、笑うしかなかったらしい。
 2年後、旦那様が又発症した。覚悟はしていたけれど、今度も運良く軽症だったと笑顔だった。明日退院だから、今回は夏だし青空にすると。
 通常はグローブをして染めるけれど、私は性分で細かいところが気になってそのままで染めてしまうので手が染まってしまう。
 エレベーターでお会いした日の午前中に青く染めたと。その後娘との約束があったので、そのまま出掛けて、私と出会ったと。娘からはいつも色の付いた腕や手を嫌がられましたけれど。と話してくれた。
「私も染めてみようかしら。」
「青にですか?」
 彼が、長い黒髪が好きだった。
「青が良い。短くして毛先を軽くしてカールさせたい。」
 思いつくままに言った。ちゃんと受け止めて、いろいろ細かい質問が飛び、みるみるうちに鏡の中に私で無い私が出来上がった。
 週末に帰ってきた彼はビックリしていた。その髪は?と聞かれたので、これはターコイズブルーだと教えた。

「そのターコイズブルーってあなたが好きだと言ってた色よね。」
 そう彼女とは高校生の時に出会い、ずっと付き合いが続き、親友だと思っていた。
「高校の時にその色のパーカーずっと着てたよね。」
「あなたもこの色にしたくなったでしょ。」
 彼女は笑っていたけれど、私は真剣だった。
「髪も短くするんでしょ。」
 私はどんな顔で彼女に言ってるのだろうか、笑い顔なら良いけれど。
「どうする?このままで良いかしら。」
「えっ。」
「ランチよ。ここで食べる。それとも。」
 驚いた。このままで良いとは思っていないが、決めかねていた。  彼とのことを。
 見透かされたような、言葉に慌てた。返事ができない私を気にせず、明るく言った。
「ここのお勧めランチが美味しいよね。どうする。」
 逆らいたくなった。
「駅ビルの新しい店に行きたい。」
 2人で駅に向かっていた。横断歩道の信号で停まった。
 不意に辺りが青くなってきた。彼女の長い黒髪も後ろ姿も、私の腕も指も青く染まった。
 何かイベントがあるのだろう、大きなライトで様々な色が試されていた。
 手を伸ばして、今、彼女の背を突き飛ばしたい衝動に駆られた。
「わー。」
 歓声とともに、彼女が消えた。
横にいた高校生がふざけてぶつかってきた。彼女は押されて横に倒れてしまっていた。
「お母さん、大丈夫ですか?。」
 倒れている彼女のことより、助けもしないことよりも、謝りもしないことよりも、「お母さん」と言う言葉に怒りが爆発した。
 高校生の腕を掴んで、それからは救急車を呼んだり、近くの目撃者と共に警察に事情を話したり大騒ぎになった。
 彼女は鎖骨と肋骨を折る大怪我だった。救急車に同乗して入院の手続きを手伝い、眠る彼女を残して帰ってきた。疲れた。
 いつ、どこで、何が起こるかわからないと思った。
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