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第一章 誰か、中にいる。
1.事の発端
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行きかう車。道路とタイヤが擦れる音。風を颯爽と切る様子を、煌々と照らされたレストラン内から、歩道のガードレールや木々を背景にして、帆野俊は、なんとか気を紛らわそうと角の席から眺めていた。
脳裏に過る嫌な光景。見てしまった。見たくないものを見てしまったのだ。
本来であれば、血が噴き出す様子や、首を吊る、あるいは火事で焼けただれるなどが見えるのだが、今回は例外だった。なにも外傷がなく、倒れる。不便なことに、具体的な背景という背景があまりはっきりせず、本人に重なり、死ぬ瞬間がくっきり映るというもの。よく写真でブレるというが、あれ近い。だが、場所や時間を特定するのが難しいというのは、使えないということに等しい。あまりに邪魔な存在。
「ねぇ、なんで今日誘ったの?」
久しぶりに食事に誘ったというのに、帆野が一言も口にしない様子を見てか、早海琳が不審に感じたらしい。
「え?」
頭の中は、早海の安否を祈ることで埋め尽くされており、聞かれた質問もホワイトノイズのようだった。
「飲み物ばっかだし」
不満げに口にした早海は、頼んだナポリタンをスプーンとフォークを使って、上品に食べていた。上目遣いで見るその目に、真実を見通そうとしている意図が痛々しく、とてもではないが耐えられたものではない。
凄惨な光景ではないにしろ、不謹慎ながらもあまりに綺麗な死にしろ、早海の死を見てしまったという事実に、立ち直れないほどの衝撃を受けていた。ざわつく心。話すかどうかという葛藤。決断も先送りを続け、結局その命の灯を消さないよう、ぶっつけで強引に誘ったのだ。
「昨日も様子がおかしかったし。あえて聞かなかったけど」
会社でのトラブルで仕事を辞め、和みたかったために早海とカメラ通話をしたのだが、その時に”人の死が見える”という能力――というのには、抵抗感があるのだが、それが発動した。どうやら、カメラ越しでも発揮するらしい。
「いつもなら前もって連絡してくれるのに。そんなに嫌なことあったの?」
「いや……」
帆野をじっと見つめていた。思わず、その視線から逃げてしまった。頭の奥の方から、わかりやすいため息をついたのがわかる。申し訳ない気持ちに、心が苛まれる。
「こっちも、ずっと気にしながら食べるのもしんどいから、口で言ってくれると嬉しいんだけど」
スプーンとフォークを丁寧に操っている音が、耳に入る。店内は、他の客の声も聞こえるが、神経が研ぎ澄まされ、周りの音などをかき消していた。自然と拳や体が、強張っていった。
話していいものか。こんなわけのわからない話をした時に、早海は「それは疲れちゃうね」と疑いもなく信じてくれた。だからこそ、きっと“琳に見えた”と話して、怖がらせてしまうのでは。いや、怖がって当然だ。しかし、これ以上引っ張っても……
意を決して話そうと思い、早海に視線を向ける。
「いや……」
「うん」
食べ進めていた手を止めて、話すをじっと待ってくれている。
「前に、話したと思うんだけど、見えちゃうっていう」
ワンテンポもある沈黙が、変な緊張を誘った。
「うん」
「昨日、話したでしょ? その時に、見えたんだよ」
明らかに動揺している様子が、見て取れる。
「なにが?」
さすがにこれ以上、口にすることはできなかった。あまりにも話しづらく、事実から目を背けるかのように、その部分を避けて話してしまった。
「そっか。それは、のど通らないね」
早海も、頼んでいた自分の烏龍茶を口もとに運び、ストローを咥える。震えているのが、見て取れた。
「ごめん」
「ん? なにが?」
それ以降、淡々とナポリタンを食べる一方で、会話が続くこともない。最後かもしれないのに、という気持ちを持つこと自体、心をただ蝕む枷となる。
迫りくる敵は退く、その意気込みはあっても、どこから来るかもわからない敵に、ただひたすら不安にならなければならない。出来ることなら“いつどこで”が知りたいものだが、宝くじで一億円が当たるよう願掛けするに等しい。今言えることは、この日を乗り切ればもう、心配はないということだけ。
・ ・ ・
とりあえず食べ終わったので、会計を済ませて外へ出る。出て左の歩道を歩けば、早海の自宅へ向かえる。
人気の多い場所を選べば、多少はマシになるだろうか。しかし、多ければ多いで警戒する相手が増えるため、それはそれで大変なような気がしていた。
「手、握ってもいい?」
当然、不安にもなるだろう。答えるまでもない。すぐさま手を強く握った。この手を離さない。離してやるものか、という強い意思を込めて。
「なに話しても、最後っぽくなっちゃうから、なんか話しづらいね。言いたいことは山ほどあるんだけど」
「大丈夫。まだ決まったわけじゃない。大体、なんでほんとだって言いきれる?」
「じゃあ、なんでそんなに不安そうなの?」
確かにそうだ。体は嘘を付けなったらしい。
「本当かどうかどうであれ、俊は、何度も経験して、何度も当たってきたって気持ちがどこかにあるんでしょ? だから、不安なんでしょ?」
理解してもらいたいがために、早海に話した内容が、今更になって牙をむいている。加えて、信じてくれない予想をして、詳細に伝えた、家族の焼け死ぬ映像を伝えたことも、枷になっているだろう。
「信じてるから。大丈夫だよ」
(そう、だよな。悲観してなんてられない)
無理にでも、前に向こうと気持ちを奮いだたせた。
この際だから、過敏でもいい。出来るだけ早海を建物側に近づけ、気を配れるよう、横に並んで歩く。前から通り過ぎる人たちは、これと言って怪しいところはない。あるいは逆に、全員が怪しく見える。
睨みつけて、トラブルにでもなれば隙を作るし、かといって服装だけで判断しようものなら、大丈夫だと判断した、見ず知らずの他人が害を及ぼすかもしれない。外見からの判断など、役に立たないと言ってもいい。年齢や性別などもそうだ。女性だからと言って安全だとは言えないし、老人だからと言って保証はない。確率などに頼って、もし失ってしまったら。
電車の踏切を超えるも、駅の近くということもあって、コンビニやスーパーが栄えるため、人は未だに消えることはない。
心ばかりが擦り切れる……こうなると、人通りが少ないところを選びたい。そうすれば、対象が少なくなるのだから、警戒する相手も少なくなる。しかし、もしそうだとして、犯人が複数であると仮定すると、それはそれで人通りが少ない場所は仇となるかもしれない。
そう思考を巡らせながら、住宅街を狙って、かつ明かりがある道を使い、家に向かって歩いていく。その辺はどうやら、早海も察してくれたのか、帆野がどこに行こうかと迷ってる中、率先して歩いてくれた。とりあえず、商店街は抜け、住宅街へと入る。
道路照明灯が、コンクリートを一定の間隔で、足元を照らしていた。その道を真っすぐ行けば、徒歩数分といったところだろうか。横断歩道を二つ渡り、そのすぐ右側に公園がある。時間も時間で、子どもたちもいない。
ここまでくれば、あともう少し。そう思っていたころ、公園の外側を沿うように歩いて右に曲がり、過ぎた辺りで公園側から走る音が耳に入る。距離からしても、遠いと言えば遠いだろうか。ヒールというわかりやすい音ではない。
近くにあるベンチに座ってる、フードをかぶった人物。相手も足音に気付いたのか、足早に近づいてくる。慌てて、帆野が盾になるように遮ると、なにもせず横を通り過ぎた。未だ、傍にいるために警戒。ほんの一時のことが、とても長く感じられた。
行動を監視していると、早海から見える位置に来たところで右腕が動いた。視界の端に写る、早海の手に握られたスマホを相手に向ける。体は咄嗟に反応したものの、一瞬にして事が終わる。
目立ったきっかけもなく倒れ、スマホが地面に手から零れ落ちた。彼女の体を支えることしかできず、必死に名前を叫ぶ抵抗くらいが精一杯。
当然ながら、びくとも反応もしない。自分の願いなど、はかなく散っていく。襲った人間は、駆け足で逃げていった。ほどなくしてから待った思考がなんとか掴め、追うか、それとも追わないかという二択がよぎる。
しかし、そんな思考すら、やがては混乱の霧に埋もれていき、その代わりに心臓が波を打っていった。誰かが近づく足音が聞こえ、それが自身の背後で止まった気配を感じたため、視線を向ける。
街灯が照らす明かりだけが頼りだが、清潔感のある黒髪に、胸の位置まであるストレートロング。茫然とした眼差しに、飾り気のない化粧。半袖の服に、ベルト付きの長ズボン。
スマホで救急車を呼んでいることを察したのか、女性は後を追う。
(琳……すまない。すまない)
しかし、やがて捕まえること叶わずして、戻ってきた。
「来てくれますか?」
「……は?」
すると、ズボンのポケットから名刺を取り出した。受け取ってみると『特殊事案調査事務所浅霧由惟』と名前が記載されている。
「特殊事案……?」
「まぁ、その、他には相談できない、訳ありな事情を持った人のために原因を調査してる、探偵みたいなものです」
訳あり……まさに心を射抜かれたよう。心当たりしかない。しかし、それが今回とどう関係しているのだというのか。いや、そもそも訳ありというのは、例えば、盗撮している最中に事件を目撃したような、そんな事象とも考えられる。警察にも探偵にも、相談できないような話というのであれば、あまり関わるべきでない人間かもしれない。
「心当たりがあるなら、話を聞いてください。お願いします」
どうしたものか。行ったところで、早海が返ってくるという確証はない。なら、安全を考慮して家に帰った方が良いのではないだろうか。
「もし、心当たりがあるなら、全く理解できない話でもないと思ってます」
(……ってことは)
盗撮系統の理由ではなさそうだ。帆野が経験したような、人の死を見るというようなことと、なにか関係があるというのか。そんな非現実的なことが他にも起こりうると。
「それ、どういう意味ですか?」
それ以上、浅霧は語らない。黙秘、ということを考慮するなら、やはり話しても信じてもらえないという、文脈で判断していいだろう。心の中に迷いが生まれる。自身のことでさえ、しっかりと受け入れられていないというのに。ただ、試しに話を聞いてみるというのは、悪い選択ではなさそうに感じた。
「わかりました」
救急車が到着し、早海を運んでもらった。隊員が患者を運んでいる最中、浅霧が屈んだのが視界に入ったが、帆野の意識は早海に向いてる。浅霧と帆野は、当然ながら説明するために、同席することとなった。
脳裏に過る嫌な光景。見てしまった。見たくないものを見てしまったのだ。
本来であれば、血が噴き出す様子や、首を吊る、あるいは火事で焼けただれるなどが見えるのだが、今回は例外だった。なにも外傷がなく、倒れる。不便なことに、具体的な背景という背景があまりはっきりせず、本人に重なり、死ぬ瞬間がくっきり映るというもの。よく写真でブレるというが、あれ近い。だが、場所や時間を特定するのが難しいというのは、使えないということに等しい。あまりに邪魔な存在。
「ねぇ、なんで今日誘ったの?」
久しぶりに食事に誘ったというのに、帆野が一言も口にしない様子を見てか、早海琳が不審に感じたらしい。
「え?」
頭の中は、早海の安否を祈ることで埋め尽くされており、聞かれた質問もホワイトノイズのようだった。
「飲み物ばっかだし」
不満げに口にした早海は、頼んだナポリタンをスプーンとフォークを使って、上品に食べていた。上目遣いで見るその目に、真実を見通そうとしている意図が痛々しく、とてもではないが耐えられたものではない。
凄惨な光景ではないにしろ、不謹慎ながらもあまりに綺麗な死にしろ、早海の死を見てしまったという事実に、立ち直れないほどの衝撃を受けていた。ざわつく心。話すかどうかという葛藤。決断も先送りを続け、結局その命の灯を消さないよう、ぶっつけで強引に誘ったのだ。
「昨日も様子がおかしかったし。あえて聞かなかったけど」
会社でのトラブルで仕事を辞め、和みたかったために早海とカメラ通話をしたのだが、その時に”人の死が見える”という能力――というのには、抵抗感があるのだが、それが発動した。どうやら、カメラ越しでも発揮するらしい。
「いつもなら前もって連絡してくれるのに。そんなに嫌なことあったの?」
「いや……」
帆野をじっと見つめていた。思わず、その視線から逃げてしまった。頭の奥の方から、わかりやすいため息をついたのがわかる。申し訳ない気持ちに、心が苛まれる。
「こっちも、ずっと気にしながら食べるのもしんどいから、口で言ってくれると嬉しいんだけど」
スプーンとフォークを丁寧に操っている音が、耳に入る。店内は、他の客の声も聞こえるが、神経が研ぎ澄まされ、周りの音などをかき消していた。自然と拳や体が、強張っていった。
話していいものか。こんなわけのわからない話をした時に、早海は「それは疲れちゃうね」と疑いもなく信じてくれた。だからこそ、きっと“琳に見えた”と話して、怖がらせてしまうのでは。いや、怖がって当然だ。しかし、これ以上引っ張っても……
意を決して話そうと思い、早海に視線を向ける。
「いや……」
「うん」
食べ進めていた手を止めて、話すをじっと待ってくれている。
「前に、話したと思うんだけど、見えちゃうっていう」
ワンテンポもある沈黙が、変な緊張を誘った。
「うん」
「昨日、話したでしょ? その時に、見えたんだよ」
明らかに動揺している様子が、見て取れる。
「なにが?」
さすがにこれ以上、口にすることはできなかった。あまりにも話しづらく、事実から目を背けるかのように、その部分を避けて話してしまった。
「そっか。それは、のど通らないね」
早海も、頼んでいた自分の烏龍茶を口もとに運び、ストローを咥える。震えているのが、見て取れた。
「ごめん」
「ん? なにが?」
それ以降、淡々とナポリタンを食べる一方で、会話が続くこともない。最後かもしれないのに、という気持ちを持つこと自体、心をただ蝕む枷となる。
迫りくる敵は退く、その意気込みはあっても、どこから来るかもわからない敵に、ただひたすら不安にならなければならない。出来ることなら“いつどこで”が知りたいものだが、宝くじで一億円が当たるよう願掛けするに等しい。今言えることは、この日を乗り切ればもう、心配はないということだけ。
・ ・ ・
とりあえず食べ終わったので、会計を済ませて外へ出る。出て左の歩道を歩けば、早海の自宅へ向かえる。
人気の多い場所を選べば、多少はマシになるだろうか。しかし、多ければ多いで警戒する相手が増えるため、それはそれで大変なような気がしていた。
「手、握ってもいい?」
当然、不安にもなるだろう。答えるまでもない。すぐさま手を強く握った。この手を離さない。離してやるものか、という強い意思を込めて。
「なに話しても、最後っぽくなっちゃうから、なんか話しづらいね。言いたいことは山ほどあるんだけど」
「大丈夫。まだ決まったわけじゃない。大体、なんでほんとだって言いきれる?」
「じゃあ、なんでそんなに不安そうなの?」
確かにそうだ。体は嘘を付けなったらしい。
「本当かどうかどうであれ、俊は、何度も経験して、何度も当たってきたって気持ちがどこかにあるんでしょ? だから、不安なんでしょ?」
理解してもらいたいがために、早海に話した内容が、今更になって牙をむいている。加えて、信じてくれない予想をして、詳細に伝えた、家族の焼け死ぬ映像を伝えたことも、枷になっているだろう。
「信じてるから。大丈夫だよ」
(そう、だよな。悲観してなんてられない)
無理にでも、前に向こうと気持ちを奮いだたせた。
この際だから、過敏でもいい。出来るだけ早海を建物側に近づけ、気を配れるよう、横に並んで歩く。前から通り過ぎる人たちは、これと言って怪しいところはない。あるいは逆に、全員が怪しく見える。
睨みつけて、トラブルにでもなれば隙を作るし、かといって服装だけで判断しようものなら、大丈夫だと判断した、見ず知らずの他人が害を及ぼすかもしれない。外見からの判断など、役に立たないと言ってもいい。年齢や性別などもそうだ。女性だからと言って安全だとは言えないし、老人だからと言って保証はない。確率などに頼って、もし失ってしまったら。
電車の踏切を超えるも、駅の近くということもあって、コンビニやスーパーが栄えるため、人は未だに消えることはない。
心ばかりが擦り切れる……こうなると、人通りが少ないところを選びたい。そうすれば、対象が少なくなるのだから、警戒する相手も少なくなる。しかし、もしそうだとして、犯人が複数であると仮定すると、それはそれで人通りが少ない場所は仇となるかもしれない。
そう思考を巡らせながら、住宅街を狙って、かつ明かりがある道を使い、家に向かって歩いていく。その辺はどうやら、早海も察してくれたのか、帆野がどこに行こうかと迷ってる中、率先して歩いてくれた。とりあえず、商店街は抜け、住宅街へと入る。
道路照明灯が、コンクリートを一定の間隔で、足元を照らしていた。その道を真っすぐ行けば、徒歩数分といったところだろうか。横断歩道を二つ渡り、そのすぐ右側に公園がある。時間も時間で、子どもたちもいない。
ここまでくれば、あともう少し。そう思っていたころ、公園の外側を沿うように歩いて右に曲がり、過ぎた辺りで公園側から走る音が耳に入る。距離からしても、遠いと言えば遠いだろうか。ヒールというわかりやすい音ではない。
近くにあるベンチに座ってる、フードをかぶった人物。相手も足音に気付いたのか、足早に近づいてくる。慌てて、帆野が盾になるように遮ると、なにもせず横を通り過ぎた。未だ、傍にいるために警戒。ほんの一時のことが、とても長く感じられた。
行動を監視していると、早海から見える位置に来たところで右腕が動いた。視界の端に写る、早海の手に握られたスマホを相手に向ける。体は咄嗟に反応したものの、一瞬にして事が終わる。
目立ったきっかけもなく倒れ、スマホが地面に手から零れ落ちた。彼女の体を支えることしかできず、必死に名前を叫ぶ抵抗くらいが精一杯。
当然ながら、びくとも反応もしない。自分の願いなど、はかなく散っていく。襲った人間は、駆け足で逃げていった。ほどなくしてから待った思考がなんとか掴め、追うか、それとも追わないかという二択がよぎる。
しかし、そんな思考すら、やがては混乱の霧に埋もれていき、その代わりに心臓が波を打っていった。誰かが近づく足音が聞こえ、それが自身の背後で止まった気配を感じたため、視線を向ける。
街灯が照らす明かりだけが頼りだが、清潔感のある黒髪に、胸の位置まであるストレートロング。茫然とした眼差しに、飾り気のない化粧。半袖の服に、ベルト付きの長ズボン。
スマホで救急車を呼んでいることを察したのか、女性は後を追う。
(琳……すまない。すまない)
しかし、やがて捕まえること叶わずして、戻ってきた。
「来てくれますか?」
「……は?」
すると、ズボンのポケットから名刺を取り出した。受け取ってみると『特殊事案調査事務所浅霧由惟』と名前が記載されている。
「特殊事案……?」
「まぁ、その、他には相談できない、訳ありな事情を持った人のために原因を調査してる、探偵みたいなものです」
訳あり……まさに心を射抜かれたよう。心当たりしかない。しかし、それが今回とどう関係しているのだというのか。いや、そもそも訳ありというのは、例えば、盗撮している最中に事件を目撃したような、そんな事象とも考えられる。警察にも探偵にも、相談できないような話というのであれば、あまり関わるべきでない人間かもしれない。
「心当たりがあるなら、話を聞いてください。お願いします」
どうしたものか。行ったところで、早海が返ってくるという確証はない。なら、安全を考慮して家に帰った方が良いのではないだろうか。
「もし、心当たりがあるなら、全く理解できない話でもないと思ってます」
(……ってことは)
盗撮系統の理由ではなさそうだ。帆野が経験したような、人の死を見るというようなことと、なにか関係があるというのか。そんな非現実的なことが他にも起こりうると。
「それ、どういう意味ですか?」
それ以上、浅霧は語らない。黙秘、ということを考慮するなら、やはり話しても信じてもらえないという、文脈で判断していいだろう。心の中に迷いが生まれる。自身のことでさえ、しっかりと受け入れられていないというのに。ただ、試しに話を聞いてみるというのは、悪い選択ではなさそうに感じた。
「わかりました」
救急車が到着し、早海を運んでもらった。隊員が患者を運んでいる最中、浅霧が屈んだのが視界に入ったが、帆野の意識は早海に向いてる。浅霧と帆野は、当然ながら説明するために、同席することとなった。
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