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第一章 誰か、中にいる。

2.経緯

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 病院の集中治療室前。ソファーに座って、見える左奥の窓には、もう既に夜のとばりが下りている。

 なにが悪かったか、どうしてこうなったのか。混乱した頭の中を埋め尽くすそれらから集中力を引っ張り出して、相手からの必要最低限の質問を答えていったが、やはり言葉がつまってしまったことがあった。その際は、浅霧にフォローしてもらう。

 話し終わると、看護師は集中治療室へと戻っていく。ソファーにもたれ掛かって座り、茫然としている中、ふと早海の家族のことを思う。

(……どう説明すればいい)
 両手のひらで顔全体をぬぐった。震えもしない両膝が視界に入る。

 間違いなく亡くなった。経験からしてそうだ。諦めたくはなくても、生きていると思いたくても、不安で押しつぶされそうになる。この状態でいるくらいなら、早く答えが知りたい、残酷にも気持ちは急かしている。

 一方、隣に座っている浅霧の様子はというと、スマホをいじっていた。
(こんな時に!)
 憤りを隠して、口調を落ち着けて「なにしてるんですか?」と聞いた。

「なんで、早海さんの携帯が外に落ちてたんだろうって」
「え?」
 言われてみれば、襲われる直前にスマホを構えていた。
「写真を撮ろうとしてたって、考えられませんか?」

「……確かに」
 スマホを覗こうと、体を遠慮がちに覗く。すると、見えるようにして、太ももの上にスマホを近づけた。しかし、最新には写真が残っていない。

「顔がわかれば……」
「ですね。それがあれば、ちょっとは変わったんですけど」
「結局、わかってないんでしょ? 追ってても」
「うーん、早海さんの件に関しては、個人的に相談されてて」
「え?」

「ストーカーで悩んでるって」
(そんな話……)
「帰り道、よくフードを被った男につけられてるって。それで、最近一緒に帰ってたんですけど。今日はあなたがいてくれたから、安全かなと思って。一応念のため、早海さんの家に行って、その周辺を歩いていたところ、あの公園で」
「そうだったんですか……」

 あんまり信用されてないのかな、と自身の心配をする帆野は、軽く自己嫌悪に陥った。犯人の写真を撮ろうとした時もそうだった。なにかと、自分でなんとかしようとしているところからも、同様に感じられる。

 すると、集中治療室から出てきた看護師の一人が、浅霧を避けるように帆野の近くに寄る。浅霧は、少しばかり帆野と距離を取った。
「ご家族の方とは、連絡が取れましたか?」
「えぇ、取れました。こっちに向かってるそうです」
「ありがとうございます」

 確認が取れて立ち去ろうとしたとき、気になった帆野は、看護師に聞いた。
「様態は……」
「外傷もなく、心臓も機能しています。しかし……意識が戻りそうもないのです。もちろん、最善を尽くしますが……」

 そう言って一礼をし、来た道を戻っていく。
 霧がかかった頭は、晴れるどころか深みが増して、濃度が濃くなっていく。誰にも会いたくない。段々と鬱蒼としていった。

    ・ ・ ・

 早海の家族が来て、病院との話があった後、浅霧と帆野は先に警察が来て話すことになった。その話を済ませたところ、二十二時が過ぎる。

 現在、浅霧に言われたよう、事務所のソファーの上に座っている。目の前に、膝の高さくらいある横長のガラステーブルあり、上にスタンガンと灰皿が置いてあった。正面には、カウンターとキッチンが見え、そこで浅霧がお茶を汲んでいる。

 その姿を見て、頼られている浅霧、頼られていない自分と比べ、劣等感を抱いていく。やがて視線は下がっていった。
(俺は何もできなかった)
 膝の上に置かれた拳をぐっと握る。今まで以上の後悔の念。不甲斐なさを噛みしめ、怒りで自身の心を圧迫する。

 テーブルとコップが衝突する。反射的に反応した顔は、視線の先に浅霧の脚を映していた。コップは帆野と浅霧の手元に、対面に位置する椅子に腰を掛ける。優しく仄かに光る、オレンジ色の天井の照明が、二人を包み込む。

「ここ四か月の、植物人間のリストです」
 一緒に持っていた紙を、読めるようにしてテーブルの上に置いた。そこには、一枚の紙に表面だけに並べられた、人間の名前が二十三名。

「これは……」
「異様でしょ? どうなってるか、私もよくわからないんですが……」
「そうですね……」
「見たことありませんか? テレビで」
「……そういえば、テレビで報道されてたような。ネットでは、議論が交わされたって」

 関東に集中してるということで、『眠ってしまった町』など、半ば面白半分にかかれた記事もあり、炎上していた。記事を見ただけだが"そもそも眠らない町は東京。関東全域だから不適切"など、そこではない的外れな意見もある。

 当然"国の実験"などという都市伝説めいた説も出され、様々な憶測や議論が交わされた。オカルトめいた視点も散見され、被害者の近隣で黒い影――死神を見たと主張する霊能者もいたらしい。そんな意見を、ネットニュースを通して知る。

 ロード――連絡帳のように個人間でやり取りするSNSアプリ、以外のSNSをやっていないために、具体的な議論がどうあったのかは、概要程度しか知らないが、炎上になったこともあってか、見る意欲もでなかった。

「このうちの」
 と、言って、紙を指さす。
「ある一人に相談されたんです。顔のない男が近所をうろついてるって」

「顔のない男?」
「はい。『はっきりこの目で見た!』って言ってて、どうもこの暑さで、長袖長ズボンだったらしいんですよね。周りには、信じてもらえなかったようですが」

「なるほど……」
「早海さんも同じように相談されまして。そこで、今回なにか手掛かりがつかめないかって思って、一緒に帰ってたんです」
「そうだったんですね……でも、逃げられましたよね?」

「ですね。良いところまで行ったんですが」
「姿とか見なかったんですか?」
「見ませんでした。ですが、脱ぎ捨てられてた服は見ました」
「脱ぎ捨てられた?」

「はい」
「まさか、全裸で走ったなんてことは……」
「あるいは、透明人間かも」
「……え? まさか、そんなこと」

「まぁ、あり得ませんよね。ただ、この事件は、不思議なことが沢山あるのも事実です。調査していって、わかればいいことですから。今回、上手くいけば、捕まえられたかもしれなかったんですが、まさかあんな意図も簡単に。撮れれば、多少は変わっていたかもしれませんが、それもなく」

 あまり感情が読みにくい人だが、不甲斐なさは帆野と同じように、感じていることは想像がつく。

 そんな未来的なことが、本当に起きているのだろうか、という疑問は湧き出てきたものの、帆野自身が奇妙な現象の体験者なわけで、感情的にも簡単に否定することができない。しかし、透明人間という雲を掴むような相手を、どう倒せばいいのか……

 それすらわからず、結局のところは以前となんら変わらない。帆野の中で、なにかわかったと言えば、この異様な能力は自分だけに限らず、他の人間にもあるということだけだった。

「話変わるんですけど……」
 考えていたら、一つ疑問が浮かんだ。
「はい」
「こんな話、なんで信じたんですか? 透明人間なんて、パッと思い浮かぶのも不思議ですし」

 浅霧は口を閉ざす。考えているのか、それとも言えないことなのかはわからない。
「そもそも、えっと……名前、聞いてませんでしたね。すみません」

 軽く名前だけを伝えた。
「帆野さんが、今の話を聞いて、なんで驚かなかったんですか?」
 直接聞いてくるとは夢にも思わなかった。確かに、先ほど″心当たりがあるなら″と言われはしたが、お互いになにか察しつつも、ある程度はやり取りが続いていくのかと。どうしようかと迷うが、勇気を出す。

「そうだったんですね。私も同じように思ってたんですよ。自分だけかと」
「え?」
「もっとも、そんなわかりやすいものでもないんですけど、私の場合、人に避けられるんですよね」

「……なんというか、気のせいなのか、嫌われてるのかわからないですね」
「はい。中々悩みました。人ごみの中歩いていると、私のところだけドーナッツみたいになってまして」

「ドーナッツ……毎回起きるんですか?」
「はい。老若男女関係なくなんで、通る人みんなそうなんです。帆野さんとか、早海さんとか。後は、一階のマスターとか。大丈夫な人もいるみたいですけど……」
「なるほど……」

(マスター? あぁ、店みたいな感じだよな)
 大きくシャッターが閉められていて、その雰囲気は醸し出していた。レストランなのか、喫茶店なのか、具体的に帆野は知らなかった。

 事例が違うとはいえ、同じような悩みを抱えている人が偶然にもいて、少しばかり気持ちが安らぐ。
「それで、信じられたってわけですか?」
「はい。まぁ、うちの兄も変なことして消えちゃって」
「消えた?」
「仮想現実ってあるじゃないですか。いわゆるVR。今生きてるこの世界が、それなんじゃないかって話はよくあると思うんですけど、あれを証明するために一生懸命だったんですよ」
「お兄さんが?」

「はい。そこで、ゲームとかであるグリッチって知ってます?」
「あぁ、壁抜けとかするために、変な行動をとって抜ける奴」
 グリッチ——ゲーム制作者側が意図的に作っていない、不具合やバグを利用する裏技、テクニックのようなものの事。壁抜けやワープなどがある。ある手順を踏んで異常な力を手に入れたり、いきなりエンディングなるものもある。

「そうです。それが出来れば、証明できるんじゃないかって。二十歳も越えてるのに、外に出るたびやってるんですよ? まぁ、家から出てくれたことはありがたいですけど。そしたら、急に“ついにできたんだ”とか言って、私を連れて実家の角に行ったんです。まぁ例えていうなら、なにかの儀式ですかね。踊ったり、体を捻ったり。そしたら、手の先が家の中に入ったんですよ。その状態で歩いていったら、中に入っちゃって。その後、急に眩暈がして、起きたら、兄がこの世から存在しないことになってた」

「さ、さすがにいくらなんでも、そんな話は信じられませんよ」
「目の前で起きてなければ、私だって信じてません。でも、それからなんですよね。私が避けられるようになったのも」
「なにかの偶然じゃないですか?」
「まぁ、普通はそう考えますよね……」

 偶然じゃないか、とは言ったものの、頭の片隅に、もしかしたらという考えはある。グリッチを起こした日を聞けば、帆野自身が能力に目覚めた時期と重なるかもしれない。だが、それ以上に、あまり関連性があると直観的にも感じられなかったため、あくまで頭の片隅にあるだけの疑問で、口にするまでもなく煙のように消えていく。

「私も、費用には協力します」
 なんの脈略もなく、浅霧がそう口にした。
「え?」
 費用というのは、病院の入院費。早海は母子家庭で、奨学金を借りて大学に入ったこともあって、家族の貯蓄も少ない。母親が一人で払うのも苦労が付きまとうため、こちらも協力したいと帆野は願い出た。その件のことだろう。

「あ、あぁ、入院費用ですか。良いんですか?」
「もちろん。私にとっても、掛け替えのない唯一の友人ですから」
「……もしかして、大学が一緒とか?」
「はい。いろいろとお世話になりました」
 今になって気が付いたが、それでパスワードに気が付けたのかもしれない。友人でさえ、教えないのがリテラシーなのは当然だろうが、恐らく、誕生日を試したところ開いたのが落ちだろう。

「費用も当然ですが、早く解決しないといけません。お母さんが諦めてしまったら、元に戻らないかもしれない」
 そうは聞いても、帆野は、そもそも助かる保証がないために不安でいっぱいだった。その反面、浅霧は、意地でも救うという強い意志が見える。その気持ちに触発され、代わりにと言ってはなんだが、調査に協力したいと願い出た。さすがに浅霧ばかりにやってもらうのも気が引ける。

「大丈夫です。これが本業みたいなものですし」
「恥ずかしい話……一週間前に仕事辞めたんですよ。時間は山ほどあります」
「そうですか? でしたら、よろしくお願いします」
 こうして、浅霧と二人で調査が始まった。
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