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観察
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いつもと代わり映えのしない何気ない日々に、私はこの退屈そうな地上を眺めていた。すると、なにやら深刻そうな顔をした人間が一人何かから逃げるように歩いているのを見つけた。
私は逃げる訳を聞きたかったので、尋ねてみた。
「あなたが恐れているのは夜ですか?」
私は夜を創り出した。そしてしばし相手の様子を伺ったが返事はすぐ返ってきた。
「違います。」
その人ははっきりとそう言った。
私は少し残念な心持ちがしたが、今や夜を怖がる人はそう多くはないだろう。昔と違い、昼も夜も対して違わなくなったのだから。人間は実に巧みに昼夜の境目を消し去ったものだ。私は、また聞いた。
「あなたが恐れているのは親ですか?」
私は今度は少し期待を持って聞いた。たいてい人間というものは成長につれて、自分の親と上手く出来なくなるものだ。現実には、生を受けたその瞬間から両者の関係の乖離は始まっているのだろう。私の観察から言うとそれでいてもなお完璧な他人になれない親と子は、子が親を殺めることで関係を終結させる。
「違います。」
その人は言った。また外れか。親は恐れないのか。私は少し慎重になって考えた。
「あなたが恐れているのは未来ですね?」
私はほぼ確信していた。人間が未来を怖がるのは当たり前だ。世界に存在するどんな望遠鏡をもってしても決して覗くことが出来ないこの世でただ唯一のものなのだから。未来の管理は人間のなせる業ではないし、せいぜい明日のご飯を考えるのが関の山だ。いや、それすらも果たして確約がなされたものでは決してない。しかし、その人の答えは変わらなかった。
「違います。」
私は困惑した。だが未来でないとすると、いよいよ答えは一つしかないだろうことに気がつく。それならば、と私は問を繰り出した。
「あなたが恐れているのは死ですね?」
これ以外にはないだろう。生きている人間は普通、生きたいと願う。産まれてきたその瞬間から人間は生かされ、また誰かを生かしてる。死というのはそれを不可逆的に、しかも永久に断絶してしまう究極のシステムだ。生者は誰も死の手から逃げられないし、死に掴まれたら最後、王にも金持ちにも弱者にも抵抗の余地は残されていない。死の宣告を受けた者は、愛する人の隣にいる事も、夢や希望を叶える事も、決して許されはしない。その上厄介なことに、人間がいつ死ぬのかは誰も知らない。死とはこれ程までに恐ろしいものだ。
「違います。」
その人の口から出てきた言葉はこれだけであった。私は何が何だか分からなくなった。
死をも恐れぬ人間がいたとして、その人間は一体何から逃げるというのだろう。その人間は一体何を恐れるというのだろう。
私の想像力では限界だったので、その人に質問することはやめる事にした。私が離れるとその人は再び歩き出し、家へと帰った。
私はその人の行動を見ていた。特別なものは見当たらないように思えた。
しかし、風呂を出た時であった。その人は鏡をみて恐怖の色を浮かべた。また、椅子に腰を掛けたときにも同様に何かから逃げる素振りをみせた。水を飲んだときにも同じであった。
どうやら、その人は自分自身を恐れていて自分自身から逃れようとしていたらしい。何とも意味のわからぬ話だ。私なんてここに一人しかいないのに。未来や死に比べたらずっと、確かな存在なのに。頭のおかしな奴もいるものだと、私はそう思った。
私は逃げる訳を聞きたかったので、尋ねてみた。
「あなたが恐れているのは夜ですか?」
私は夜を創り出した。そしてしばし相手の様子を伺ったが返事はすぐ返ってきた。
「違います。」
その人ははっきりとそう言った。
私は少し残念な心持ちがしたが、今や夜を怖がる人はそう多くはないだろう。昔と違い、昼も夜も対して違わなくなったのだから。人間は実に巧みに昼夜の境目を消し去ったものだ。私は、また聞いた。
「あなたが恐れているのは親ですか?」
私は今度は少し期待を持って聞いた。たいてい人間というものは成長につれて、自分の親と上手く出来なくなるものだ。現実には、生を受けたその瞬間から両者の関係の乖離は始まっているのだろう。私の観察から言うとそれでいてもなお完璧な他人になれない親と子は、子が親を殺めることで関係を終結させる。
「違います。」
その人は言った。また外れか。親は恐れないのか。私は少し慎重になって考えた。
「あなたが恐れているのは未来ですね?」
私はほぼ確信していた。人間が未来を怖がるのは当たり前だ。世界に存在するどんな望遠鏡をもってしても決して覗くことが出来ないこの世でただ唯一のものなのだから。未来の管理は人間のなせる業ではないし、せいぜい明日のご飯を考えるのが関の山だ。いや、それすらも果たして確約がなされたものでは決してない。しかし、その人の答えは変わらなかった。
「違います。」
私は困惑した。だが未来でないとすると、いよいよ答えは一つしかないだろうことに気がつく。それならば、と私は問を繰り出した。
「あなたが恐れているのは死ですね?」
これ以外にはないだろう。生きている人間は普通、生きたいと願う。産まれてきたその瞬間から人間は生かされ、また誰かを生かしてる。死というのはそれを不可逆的に、しかも永久に断絶してしまう究極のシステムだ。生者は誰も死の手から逃げられないし、死に掴まれたら最後、王にも金持ちにも弱者にも抵抗の余地は残されていない。死の宣告を受けた者は、愛する人の隣にいる事も、夢や希望を叶える事も、決して許されはしない。その上厄介なことに、人間がいつ死ぬのかは誰も知らない。死とはこれ程までに恐ろしいものだ。
「違います。」
その人の口から出てきた言葉はこれだけであった。私は何が何だか分からなくなった。
死をも恐れぬ人間がいたとして、その人間は一体何から逃げるというのだろう。その人間は一体何を恐れるというのだろう。
私の想像力では限界だったので、その人に質問することはやめる事にした。私が離れるとその人は再び歩き出し、家へと帰った。
私はその人の行動を見ていた。特別なものは見当たらないように思えた。
しかし、風呂を出た時であった。その人は鏡をみて恐怖の色を浮かべた。また、椅子に腰を掛けたときにも同様に何かから逃げる素振りをみせた。水を飲んだときにも同じであった。
どうやら、その人は自分自身を恐れていて自分自身から逃れようとしていたらしい。何とも意味のわからぬ話だ。私なんてここに一人しかいないのに。未来や死に比べたらずっと、確かな存在なのに。頭のおかしな奴もいるものだと、私はそう思った。
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