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ナイフ
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俺は狭く薄暗く陰湿な路地で一人うずくまっていた。それもひどい痛みを抱えたまま。こんな状況に長く身を置いていると余計に痛みが悪化しそうなことはバカの俺でも分かりそうなものだが、どうにも体が動かない。いや、手足ならなんとかいうことを聞いてくれる。しかしこの場から抜け出て外へ行こうと賛同してくれるのは脳だけであって、その他の部分はそろって反対してくるからどうしようもない。その脳ですら、俺の味方をしてくれているのかどうかはかなり怪しい。実際、ここ数日の間で頭を使ったことといえば、カラスを捕まえるためにはどうしたらよいかと考えていたことぐらいだ。結局何もいいアイデアは出てこなかった。ネズミすら食べられない俺が空を駆ける鳥に打ち勝てるわけがない。今日もきっと同じだ。同じような時間が均等に、非情に流れていく。時間を食べることはできないか考えようと顔を上げると、黒いものがこちらをうかがっているのに気が付いた。俺が顔を上げたと同時にそいつは俺のほうへとやってきた。近づいてもそいつが誰なのかは分からなかった。
背丈はやけに高く、細く痩せているらしいことは見て取れるが顔は黒いフードで覆われていて、目の位置すらよくわからない。そいつはまるで死神のようだった。死神御用達の鎌こそ持ってはいなかったが少しの生気も漂ってこない風貌に人間と名付けることは無理だった。死神は俺の前まで来ると立ち止まってしばし俺を観察した。生きているかどうか、まあ見た目で判断するのはあんたと同じように難しいよ、とぼんやりと思っているとやはりそうだったらしく死神は触診を始めようとした。あまりに華奢で握れば折れてしまいそうな指を伸ばして俺に触ろうとした。途端に俺の中に恐怖の感情がほとばしった。こんな理解不能な死神もどきに触れられたらどんなことになるか分かったもんじゃない、俺はやられる前にやることにした。
一瞬の、本当に一瞬の空間を裂いて死神の心臓を狙ってナイフを突き刺した。死神は油断していただろう。俺は健康な生者にどうやっても見えなかったであろうから。ナイフは心臓に深く刺さった。はずだった。そのはずだったがおかしなことに、反作用がなかった。ナイフを持った俺の手は完全に死神の体内に埋もれていたのだが。すると次の瞬間、ナイフが溶けてゆくのを手の中で感じた。奇妙の感覚はやがて言いようのない痛みへと変わり、俺を苦しめ始めた。経験したことのない痛みだった。だがそんな俺の悶絶さえ目の前にいる死神には何も届かなかったのかもしれぬ。俺はやがてその場に倒れた。黒い液体が体を蝕んでいくのを感じた。境界はご丁寧にも担架をもって俺の名前以外のすべてを運んでやろうと、その内面よりも遥かに美しい顔をして俺のほうに近づいてきた。
「俺はそっちにはいかない」そう、口に出せればよかったのだが……
死神はとっくにどこかに消えていた。俺もついでに消えてしまえばよかった。消えないから、まだ苦しみが続くのだと思うと他の解を探す気にもなれないでいる。苦しみが苦しみだから。永遠が永遠だから。俺はまた死ぬことができない。
背丈はやけに高く、細く痩せているらしいことは見て取れるが顔は黒いフードで覆われていて、目の位置すらよくわからない。そいつはまるで死神のようだった。死神御用達の鎌こそ持ってはいなかったが少しの生気も漂ってこない風貌に人間と名付けることは無理だった。死神は俺の前まで来ると立ち止まってしばし俺を観察した。生きているかどうか、まあ見た目で判断するのはあんたと同じように難しいよ、とぼんやりと思っているとやはりそうだったらしく死神は触診を始めようとした。あまりに華奢で握れば折れてしまいそうな指を伸ばして俺に触ろうとした。途端に俺の中に恐怖の感情がほとばしった。こんな理解不能な死神もどきに触れられたらどんなことになるか分かったもんじゃない、俺はやられる前にやることにした。
一瞬の、本当に一瞬の空間を裂いて死神の心臓を狙ってナイフを突き刺した。死神は油断していただろう。俺は健康な生者にどうやっても見えなかったであろうから。ナイフは心臓に深く刺さった。はずだった。そのはずだったがおかしなことに、反作用がなかった。ナイフを持った俺の手は完全に死神の体内に埋もれていたのだが。すると次の瞬間、ナイフが溶けてゆくのを手の中で感じた。奇妙の感覚はやがて言いようのない痛みへと変わり、俺を苦しめ始めた。経験したことのない痛みだった。だがそんな俺の悶絶さえ目の前にいる死神には何も届かなかったのかもしれぬ。俺はやがてその場に倒れた。黒い液体が体を蝕んでいくのを感じた。境界はご丁寧にも担架をもって俺の名前以外のすべてを運んでやろうと、その内面よりも遥かに美しい顔をして俺のほうに近づいてきた。
「俺はそっちにはいかない」そう、口に出せればよかったのだが……
死神はとっくにどこかに消えていた。俺もついでに消えてしまえばよかった。消えないから、まだ苦しみが続くのだと思うと他の解を探す気にもなれないでいる。苦しみが苦しみだから。永遠が永遠だから。俺はまた死ぬことができない。
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