上 下
17 / 39
本編

変化(2)

しおりを挟む
「最近ルーシー達と仲いいよね。あんなことされたのに、手の平ひっくり返したような態度されて嫌じゃないの?」

 相変わらず私は、今日も今日とてジョセフの部屋で勉強をしている。
 最近では、一通り終わったところでお茶を入れて、雑談をするのが定番になっていた。

「……あんなことって。別に彼女達が直接手を出したわけじゃないし、むしろ暴走するミシェルを止めようとしてくれてたみたいだし。感謝するまでじゃないけど、彼女達に対して特別思うことなんて何もないよ。それどころか、最近の一生懸命仕事に取り組む姿勢は素晴らしいと思ってる。頑張ろうとしてる人に対して私にできることがあるなら、できる範囲で協力するのは当たり前のことでしょ」

 ジョセフはムッと顔をしかめて、後ろ頭に両手を組んだ。

「俺はそんなに人間できてない。今でもあの二人のことは許せないし、ルーシー達やバルトのこともはっきり言って嫌いだ。ボブなんてもっと殴ってやればよかった」

 いつもと違うジョセフの乱暴な口ぶりに、少しびっくりする。

「それに……最近では食事も一緒に取ってるのが気に食わない。俺が隣に座りたいのに、あいつら全然退かないし。むしろ、いつも俺が隣に座ってたの知っててわざとやってるんだろ、あれ。それか、全然空気読めないのか。サトゥだって満更じゃないって顔してるよね。いつも無表情をキープしてるのに、あいつらの前ではたまに笑うようになってさ。俺しか知らない顔だったのに。可愛い顔は全部俺だけのものだったのに」

 すぐ隣にいるのにブツブツと超早口で何て言ってるのか全く聞き取れない。「え?何?」と聞き返す私をチラッと伺い、ジョセフは深いため息をついた。

「……いや、何でもないよ。サトゥ、ルーシー達ばかりじゃなく俺のこともちゃんと構って」

 そっとジョセフの顔が近づいてきて、二人の唇がふっと重なる。

 左頬の腫れはすっかり良くなり、痛みはもう全くない。
 それなのに、触れるだけの優しいキスが何度も繰り返され、頬に熱が集まっていく。痛みを伴わないその熱は、すごく心地いい。

 あの事件の後から、ジョセフは唇の表面をそっと触れ合わせるような優しいキスしかしてこなくなった。あんなにしつこくやりたいと言っていたのに、今では「や」の字もない。
 初めは打たれた左頬を気にしているのかと思ったけど、ガーゼが取れ完治した今でも、キスが激しくなることはなかった。もちろん、キス以上のことは何もしてこない。

 多分、私が心に負っただろう傷を気にしてくれてるんだと思う。その優しい気遣いは、単純に嬉しい。
 だけど……そのことに不満がない、訳ではない。

 私は自分の気持ちを認めてから、今までジョセフにどうやって接していたのかわからなくなってしまった。表面上は今まで通り平静を保っているけど、常に心臓がドキドキしている。いや、ドッキンドッキンしている。

 ちょっと目が合ったり、身体の一部が触れたりするだけで、所謂胸キュンが止まらなくなって、心臓の病気なんじゃないかと疑うくらい胸が締め付けられる。ていうか普通に苦しくなる。
 キスの時なんて、心臓の音がジョセフに聞こえているんじゃいかと思うくらい煩く鳴っていて、いつもバレていないかヒヤヒヤだ。
 二人きりで部屋にいる今の状況も、なんで今まで平気だったのか理解不能。以前の私がおかしかったのか、今の私がおかしいのか。
 正解はわからないけど、多分どっちもだ。

 私は今、初恋をしたばかりの中学生と成り果てている。

『恋はするもんじゃない、読むものだ』
『漫画の男以上の男は現実にはいない』

 これが私の教訓だった。
 現実の男なんてろくなもんじゃない。恋愛に対して期待も何もしていなかった。
 だから割りきった身体の関係を持ちかける事ができたし、実際今までそうしていた。

 ……なのにまさか、現実に存在する男を好きになってしまうなんて。想像もしていなかった。

 幸いジョセフは、あの事件があってから私が男性に対して怖がっていると思っているようで、キス以上はしてこない。
 ジョセフのことは全く怖くないのだけど、今セックスするのは無理だ。多分心筋梗塞で死ぬ。

 だってキスをしてる時だってドキドキしすぎて苦しいのに、裸になってあんなことこんなことしてパコパコするとか……………あ、想像しただけで意識が朦朧としてきた。

 という訳で、騙すみたいで心苦しいけれど、私の心が落ち着くまではそういうことにしとこうかと思っている。
 でも相変わらず勉強は続けているので、ずっとこのまましないわけにもいかない。
 与えられるだけでは、この関係は成り立たない。

 ーーだって、そういう契約なんだから。

 長い長いキスの間、ジョセフがじっと私の様子を伺っていたなんて、その時の私は全然気が付かなかった。



「建国祭?」

「そう、毎年年を越す時にするのよ。冬の間は寒くて雪も積もるし、気分が塞がりがちになるでしょ?だから冬の終わりに、パァーッと皆で騒いでお祝いするのよ!」

 今日も朝食をルーシー、ケイト、アリスの四人で食べていた。
 今日から掃除のスケジュールが不規則になるので、何か理由があるのか尋ねてみたら、そう教えてくれたのだ。

「年を越す前に一日中、飲んで食べて歌って踊って騒ぎまくるの!それで今年もお疲れさま、来年もよろしくねって皆で言い合うのよ。もちろん、今年も無事に終えたことに対する感謝と、来年も無事に過ごせるように願いを込めて。それで、年が明けた後は交代で皆一週間位休みがもらえるから、各々実家に帰ったり、旅行に行ったり、やる事がない人はダラダラしたりして過ごすの」

 なるほど、所謂お正月か。
 つまり私達女中は、これから年末恒例の大掃除をやるわけだ。納得納得。

 この国の暦は大体日本と似たようなもので、一年間365日を四つに分けている。
 日本でいう三・四・五月、六・七・八月、九・十・十一月、十二・一・二月という感じだ。
 ちなみに起の節、承の節、転の節、結の節と名前がついている。
 起承転結って…。
 大昔に日本人が召喚されて決められたとしか思えないけど、その由来の理由は不明らしい。
 今はニ月の半ばで、そろそろ今年も終わるということか。

「さすがに建国祭の時期は伯爵様も屋敷に帰ってくるから、今まで以上に綺麗にしないとね」

「楽しみねぇ、あの綺麗な顔を遠くからでも眺められるなんて!」

「本当!私まだ一度しか拝見したことないの!今年は絶対ご挨拶するわ!」

 ケイトとアリスが手を握りしめて興奮ぎみに話し始める。

 この屋敷の主であるウィンドバーク伯爵は、王宮でも結構上の地位にいるみたいで、ほぼ王都の別邸で暮らしている。
 確か第二王子の側近とかだったような。いや、第三だったか。まあ、どちらにしろかなり国の中枢に近い所に位置していることは確かだ。
 今は文官として国政にも携わっていて、多忙を極めているらしい。
 だからと言って領地を放り出す訳にもいかないので、たまには帰ってきているらしいけど、とんぼ返りで王都へ戻るためその姿を見ることはほぼない。

 ーー私と新川真菜が召喚された場に、その彼ーウィンドバーク伯爵もいた。

 その後、色々あって結果雇ってもらうことになったので、私は何度か顔を合わせたこともある。聖女の付属品で扱いに困っていた私を充てがわれそうになったのは、他でもない彼なのだ。

 薄い白金色の艶やかな髪を綺麗に一つにくくり、切れ長の鋭いアイスブルーの瞳に、シャープな顔立ちのイケメン。タイプで言うと塩顔、いや、ソルト顔に分けられるか。
 確か歳は三十歳位って言ったっけ。いかにも高位貴族という見た目に確固たる地位、世の女性が放っておくはずもないのに何故か未だ独身。
 なぜそんな人に私が押し付けられることになったのかは、未だに謎である。が、そこには庶民には知り得ないお貴族様の政略的な理由があったのだろう。今更知りたいとも思わないけど。

 はっきり言って、私は彼のことが好きではない。むしろ、嫌いの部類に入る。
 いくら顔が整っていて家柄が立派だとしても、あんな無表情で何考えているかわからないような能面男はごめんだ。
 そして何よりも、人の上に立つことが当然だと言わんばかりの、あの偉そうな態度が気に食わない。まあ、実際偉いのだけど。

 初めて会った時、何処にも行く当てのない完全にお荷物扱いの私に対して、しょうがないから貰ってやるが図に乗るな、迷惑をかけるようなことがあれば直ぐに追い出すからそのつもりでいろ、というようなことをオブラートに包みもせずに淡々と述べられた。
 その時点で彼に対する印象は最悪で、その後それが回復することはなく今に至るという訳だ。

 雇ってもらってからは、領地管理や屋敷の雰囲気をみても彼が良き統治者であることは伝わってきた。が、だからといって人として好感を持てるかと言ったら、話は別だ。
 まあ、一番の上司にあたる人物なのであからさまに嫌悪感を出すことはしないけど。

 私情を仕事に持ち込むのは、仕事ができない人間のやることだ。嫌いな人の下でもしっかりと仕事をこなすのが、できる大人の対応だと常に思っている。
 彼も私情で人を評価したりはしないようなので、そこは好感をもてるのだけど。
 一言で言えば、『合わない』それにつきる。

 とにかく、三人は伯爵様が戻ってくることにキャーキャー言って喜んでいるが、物凄く嫌なことを聞いてしまい私のテンションはだだ下がりだ。出来る限り関わりたくない。

 私は三人に気づかれないように、こっそりとため息をついた。



しおりを挟む

処理中です...