宇宙に恋する夏休み

桜井 うどん

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神社とUFO

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「UFOを見に行こう」
 だって、ねえ?
 本気だとは思わなかった。
 いや、UFOが見られると、日向が本気で思っているかは分からない。突飛な行動ばかりしているように見えて、意外とあの子の行動には計算が含まれているような気が、最近してきている。
 それでもとにかく、西瓜を食べたあの日の誘いが、本気だったとは思ってもいなかった。
 日向に「ねぇ、いつにする? UFO見に行くの。いい場所があるんだけど」と、五回目に聞かれたときに初めて私は「え、もしかして本気なの?」と聞き返したのだった。
 日向はすっかりへそを曲げたが、本気なのだと分かってしまえば、話は早い。
「ていうかさ、風邪は大丈夫なわけ?」
「おかげさまでとっくに治りました」
 日向が私の前でくるっとターンをしてみせた。
「ということで、お礼にとっておきの穴場を教えます」
「あのさ、『お礼に』の意味がまったく分からないんだけど。まあ、いいや。とりあえずUFOを見に行けたらそれでいいのね」
「そう!」
「じゃあ、行こっか」
 勿論、本当にUFOが見られるとは思っていなかったが、遊びに行く口実はなんでも良かった。
 空が薄暗くなった午後八時、駅前に向かった。
 待ち合わせ場所は、駅の近くの書店だった。
 白く光った店内を見渡すと、女性誌のコーナーに姿を見つけた。私はてっきり、美術関連のコーナーか、文芸のコーナーにでもいると思っていたので、女性誌のコーナーに日向の姿があるというのは、いくら年齢や性別的に間違いでないとは言え、意外な気がした。だいたい見るからに仕事帰りのキャリアウーマンや、制服姿の女子高生が立ち並ぶ中で、皺だらけのシャツを着た日向の後ろ姿というのはかなり悪目立ちする。
「おまたせ」
 背中をつつくと、日向はすぐに振り向いた。
「おぉ!」
 そして、リモコンでスイッチを入れたみたいにぱっと笑顔になった。
 まともとは言いがたい身なりだし、声は大きいし、集めたくもない注目を集めてしまう。しかし、私を見て露骨に喜んでいる様子を見ていると、まぁ、これだけ喜んでくれるなら周りの人にどう思われようとどうでもいいか、という気分になる。今日は妙な髪ゴムもつけていないし。
「ねぇねぇ、みさきちゃん、晩ご飯食べた?」
 もちろん私のそんな思いなどは知らないので、日向はハイテンションに話しかけてくる。
「食べてないけど、小銭入れしか持って来てないから、あんまりお金ないよ。ファーストフードくらいなら行けるけど」
「私もお金ない! じゃあさ、作ろうよ」
「え、どこで?」
「カセットコンロがあるから、外で」
「何を?」
「ラーメン!」
 そう言って日向は自分が見ていた雑誌のページを広げてみせた。
 なるほど。ラーメン特集だった。
 ラーメンくらいなら、その辺の店でいくらでも食べられそうなものなのに、どうしてこの子は手作りにこだわっているのだろう。外で食べるのが嫌な訳でもなかったので、頷いたけれども。
 スーパーに寄って袋麺ともやしとミネラルウォーターを買った。
「みさきちゃんは何ラーメンが好き?」
「好きっていうか、親が九州出身だからか豚骨ラーメン以外ほとんど食べたことない」
「未知の領域にチャレンジしたい?」
「いや、豚骨でいいんじゃない?日向が嫌いじゃなければ」
「豚骨大好き!」
 カセットコンロと鍋と紙皿諸々を取りに倉庫に寄って、それから神社に向かった。日が長いといっても、午後9時過ぎの参道はあり得ないくらい暗くて、石畳の凹凸に、私と日向は何度も躓いた。昼でも鬱蒼としている闇は、漆黒となって、私の持っている携帯電話の頼りない光などあっけなく飲み込んでしまう。時々日向の足や背中が、光の射程内に届いてちらちらと白く動く。これでは肝試しだ。
 本当は、こんなところにUFOを見に来たことなんてないんじゃない?
 何度も言いかけたけれど、こんなところで喧嘩別れして、一人で帰る勇気もなかったので、黙々と歩き続けた。名前を知らない虫が、高い声で鳴いていた。
「着いた」
 日向が急に声を出したので、私はびくっとして立ち止まった。
 神社の敷地に入ってから5分も経っていないのに、ずいぶん長い時間がかかったような気がした。顔を上げると、確かに拝殿らしい建物が建っている広場のようなところに出ていた。参道よりは微かに明るくて、深い青色の空には、月も見えた。
 もちろん誰もいない。石畳を避けて歩くと、玉砂利の踏まれるじゃこじゃこという音が、耳に痛いくらい、夜の空に響いた。
 私と日向は、ちょうど拝殿の前の一番広くなっている場所の真ん中で立ち止まり、しばらく、虫の音と、夜の静寂に耳を傾けた。
「さあ、ラーメンだ!」
 またまた日向がとんでもないことを言いだしたので、私はずっこけそうになった。
「いや、待って、ここで? あえてここで? 絶対怒られるし!」
「あ、大丈夫。この神社、夜は誰もいないみたいだから」
「ていうか、建物が燃えたりしたら洒落にならないし!」
「真ん中でやったら砂利ばっかりだから燃えないだろうし。たき火とかなら心配だけど、カセットコンロだから大丈夫!」
 日向は自信満々に言いきった。
 いつものことだが、人の話を聞く気が全くない。
 しかし私の常識に照らし合わせて、神社の境内のど真ん中で豚骨ラーメンを作るなんて言うことは、いくらなんでも、非常識すぎるし、多分なにがしかの犯罪だ。
「なんていうか、そういう問題じゃなくて……ほら、宗教的な施設な訳だし、敬意とか」
「でも、絶対暇だよ! UFO待ってる間」
 日向が何の躊躇いもなく言いきったので、私の心は折れてしまった。
 なんかもう、いいや。色々と。
 日向の説得を諦めたところで、別の疑問がわいてくる。
「っていうかここなの? UFOの観測する場所って」
「うん」
 あっさりと日向は頷いた。
「関係がありそうななさそうな……もっと、山とかだと思ってたんだけど」
「UFOに関係がありそうなところなんて、そうそうないよ。見えればよし」
 じゃあ見えるのかよ、と言いそうになるが、さすがにそれを言ってはおしまいだ。
 どう突っ込むか考えている間に、日向はちゃくちゃくとラーメン作りを進めている。
 小さな鍋に、ミネラルウォーターをとぽとぽ注ぐ。カセットコンロにボンベをセットして、火をつける。鍋の端に小さな気泡が出てきて沸騰してきたことが分かったら、袋のラーメンと粉末のスープを入れる。鍋が小さいので、麺は半分くらいに割って入れる。もやしを洗うような余分な水はないので、袋からそのまま入れていた。ひげが絡まって、く、く、く……と袋の中で抵抗していた。
「なんだか、おままごとみたいだね」
「え、なんで?」
 なんだか全てが稚拙で。
 そんなことは言わないけれど。
「ママレンジって知らない? あんな感じだと思って」
「知らないなー」
「本当に料理が出来る子供用のおもちゃ。ホットケーキが焼けるらしいよ」
「えー、何それ、欲しい」
「でしょ」
 ホットケーキの甘いイメージにはおよそ似つかわしくない、もやしくさい湯気が鍋の上で揺れた。ひなたはいつのまにか取り出した割り箸を突っ込み、麺をほぐす。
「出来上がりー」
 あっという間だった。
 薄やみの中でもつるりと光る黄色っぽい麺は、日向の手で深い紙皿に取り分けられる。ひげ根のついたもやしももちろん、一緒くたに。スープは鍋を傾けて、これだけはなぜか几帳面なくらい半分ずつ、ちょろちょろと注がれた。スープが神社の砂利に少しだけこぼれて、なんだかものすごく悪いことをしているような気持ちになった。
「いただきます」
 食べてみた麺はまだ少し固く、もやしもまだ少し生っぽかった。
 でも、なんだか無性に懐かしい味だった。
「そういえば、袋のインスタントラーメンとか最近食べてなかったわ」
「そうなんだ」
「カップ麺とか、店のラーメンとかならちょくちょく食べてたんだけど」
 そうだ、小学生の頃は、日曜日に母がよく作ってくれた。
 子どもが一日中家にいて、母にとってはちっとも休みじゃなかった休日。簡単に済ませたいけれど、栄養のバランスが気になるから、必ずもやしやほうれん草を入れてくれていた。子どもにとっては純粋にごちそうだった。
 だから懐かしかったのだ。
 遠くに来たと思う。でも、小学生のころから何も変わっていないような気もする。
 私が感傷に浸っている間、日向は言葉を発しなかった。
 半人前分のラーメンはあっという間になくなった。空の器を横において、私と日向は石畳の上でしばらく空を見つめていた。
 夏の空は明るい。空をじっくり眺めたのなんて久しぶりだから、夜空に星が見えるのがどうにも不思議な気がした。空気はゆるんでいて、ノースリーブのシャツからむき出しになっている腕は、汗でしっとりと冷たくなっている。
 遠くで虫が鳴いている。
 それ以外には何も、聞こえない。
 十五分くらいは経っただろうか。
「ごめんね」
 神妙な声で話しかけられて、私は内心首を傾げながら日向の方を見た。
「え?」
「本当は、UFOなんて見えたことないんだ」
 とても重大な秘密を打ち明けるように、日向は言った。
「元からあんまり信じてなかったけど」
「そう言われると悲しい」
「どっちよ?」
 私が笑うと、日向もちょっと困ったように笑った。
 そして、語った。
「UFOを目撃したことはないんだけど、UFOはずっと見たいと思ってたの。UFOというか、宇宙人かな? 興味があるのは。宇宙人にずっと会いたかった。小さい頃から、ずっと憧れてて、テレビ番組とかも、いつも録画して何度も見てたし、本とかもたくさん読んだ。ああいうのって大体、番組でも本でも、黒字に白文字とか、ポイントに赤とか黄色とか入れて、胡散臭い雰囲気を出すじゃない? だから親とかは結構いやがってたんだけど。確かに、小学校低学年の子どもに見て欲しい画面のトーンじゃないよね。でも、どんなおどろおどろしい番組を見てても、小さい頃の私のイメージにあったのは、知らない星に来て途方にくれてる宇宙人の姿だったんだよね。何故か。だってそうじゃない? 自分のいた星を離れて、地上に降り立ってみたら周りには分かり合えない地球人が、うじゃうじゃ周りを囲んでるんだよ? それで、宇宙人だ宇宙人だって騒いでるような光景、宇宙人の目線で見たらきっと心細いでしょう? 私ね、ロズウェルを見たときに、ああ、きっとこんな風に宇宙人って地球にいるんじゃないかなって。でも、ロズウェルでは仲間がいるけど、本当の宇宙人ってもっと孤独なんじゃないかなって思ったの。そうだったら喋ってみたいって、ずっと思ってた」
 日向がこんな風に、自分のことを長く話すのは、久しぶりだった。聞けば聞くほど奇妙な価値観だけれど、筋は通っていた。そして、何か切実な響きを帯びていた。
「日向は、自分なら宇宙人と分かり合えると思ったの?」
 だから、私はこんな質問をした。そうまで宇宙人に感情移入をしてしまうということは、何か強烈に自分との共通項を、宇宙人に見いだしているのだろうと思ったのだ。
「……むしろ自分が宇宙人っていうか」
 そして、日向の返答が思っていたのよりもさらに淋しい色を帯びたものだったので、私ははっとした。
 私の表情が変わったのに気付いたのか、日向が立ち上がった。
「ごめんね。変な話して。帰ろっか」
「えっと、うん」
 ゴミとコンロを片付けて、私たちは帰り支度をした。
 そういえばUFOを見に来た割には空を見上げていない。これでは神社にラーメンを食べにきたのとかわらない、と思ったので、歩きながら私は出来るだけ空を見上げることにした。
 もちろんUFOは見えなくて、しかも暗い中で足下も見ないで歩いたものだから、私は何度か本気でこけそうになった。
 日向はそれをからかうでもなく、心配するでもなく、ただ静かについてきた。
「もう、夜はちょっと涼しくなってきたね」
「うん。そういえば、日向、大学はいつから?」
「十月一日」
「やっぱりそんなもんなんだね。私が学生のときと一緒」
「そんなにしょっちゅう変わるものじゃないでしょー。ってか、みさきちゃん何歳?」
「二十四」
「おお、もうすぐアラサーだ」
「言わないで」
「そう言えば、せっかく大学に入ったのに、全然飲み会とか行ってないな~」
「日向、酔うとどうなるの?」
「陽気になる」
「なんだ、普通か」
「みさきちゃんはどうなるの?」
「私も普通に陽気になる。でも、顔が赤くならないから、全然酔ってるようには見えないらしいけど」
「ふーん。あ、じゃあ、今度一緒に飲もうよ」
「いいよ。でも飲み屋って雰囲気があんまり好きじゃないな」
「じゃあ、適当に買って外で飲もうよ! 安くつくし」
「ああ、面白そうだね。いつにしよう?」
「いつでもいいよ。でも夏休みが終わるまでに」
 日向のその言葉を聞いた時、胸の上の方がひっかかれたようにちくりと痛んだ。
 でも、そんな様子を悟らせる訳にもいかないので、笑顔で二人飲み会の計画を立てて、手を振って別れた。
 日向の姿が見えなくなって、一人で夜道を歩き出したとき、やっと、その正体が淋しさだったことに気がついた。
 ああ、そうか。
 夏が終わるのだ。
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