宇宙に恋する夏休み

桜井 うどん

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せんべい布団に溶けるコーラ

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 夏の終わりを日向も意識してのことなのか、二人飲み会の話はすぐに実現した。
 どうあがいても二人しかいないので、会えば自然に段取りは決まる。
 ——金曜日、夜七時!
 コンビニでチューハイと白ワインの瓶とチーたらを買って、大きな池のある公園に向かった。ベンチでプルタブを開けて、乾杯をしていたらすぐに顔の周りに蚊がまとわりついてきた。
「うわー、指の関節噛まれた。むちゃくちゃかゆい」
「あ、虫よけスプレーあるよ」
「遅いって。でも貸して」
「痒み止めも持ってるよ」
「先に言ってよ」
 ひとしきり騒いで、その後もう一度乾杯をして、こぼれた葡萄味やレモン味が手をベタベタにするのも気にせずに、私たちは他愛のない話をしながら酒を飲んだ。
 夜になっても少しも温度が下がらない風が私たちを撫で、チューハイはあっという間にぬるくなった。
 でも、そんなことはどうでも良かった。夏のゆるんだ空気の中で飲むお酒は、どこまでも開放的だった。私と日向の夏休みは、このまま永遠に続くような気がした。
 だから、あんなことを言ってしまったのかもしれない。
「え、日向って男の子と寝たことがあるの?」
 その時、私たちはこの異様な暑さについて話していた。「こんな暑さの中で日向の部屋に泊まったら、室温を余計上げちゃうね」と私が言ったら「うん、でも男の子とくっついて寝た時よりはましだと思うから大丈夫。男の子より女の子の方が体温も低いし」と、日向が返してきたのだ。
 確かにあまり大っぴらに聞くことではないかもしれないが、私は日向がそういう経験はおろかキスすらしたことがあるとは思っていなかった。私もそんなに人のことをとやかく言えるような容姿はしていないが、日向の言動や身づくろいは全く男受けを意識していない。日向自身に魅力がないとは言わないけれど、意識的にしろ無意識的にしろ、アピールが全くない状態では、何も起こりようがないだろうと思っていたのだ。
 日向は「あるよぅ」と言って、さっきまで白ワインが入っていた紙コップを齧るようにくわえた状態のまま、私をにらんだ。
「セックスもしたの? たまたま隣で寝ちゃったとかじゃなくて?」
「ちっがーう。それなりの手順を踏んでエロたらしいことしました!」
 何故か妙に偉そうに、日向は相手の特徴、出会った経緯、セックスに至った理由などを詳細に説明した。あまりに報告調だったため、少しも『エロたらしさ』は感じなかったけれど、とりあえず相手が同じサークルの男子部員で、飲み会の後にホテルに行ってそういうことになったということは分かった。
「……と言う訳で、実はあんまり良い思い出ではないんだけど」
 一通り話し終える頃には、酒もつまみもほとんどなくなりかけていた。
「まぁ、初めてのときは女性側は気持ちよくないっていうもんね。私もそんなに気持ちよくなかったし」
「ずるいなー、男は」
 日向が真顔で言うので、私は笑ってしまった。
「女も段々気持ち良くなるって、言うけど」
「でも、あれはヤマンダが、って。あ、その相手の男の子の渾名なんだけど」
「……ヤマダくんていうの?」
「そう」
「雰囲気もなにもない渾名だね」
「しょうがないでしょ。ヤマンダだって私と寝るために生まれたんじゃないし」
「まぁ、そうだけどさ。ごめん、で、なんだったっけ?」
「うん、結局さ、あのとき私が全然良い気持ちになれなかったのは、ヤマンダが自分の気持ち良さばっかり優先しちゃって、私が楽しいことを全然考えてくれなかったからだという気がする」
 その言葉を聞いたときに、すっかりフィーバーしていた私のテンションが、しゅんと、冷えた。
 日向の口からそんな言葉が出るということは、それだけ、日向がヤマンダとの経験を真剣に考えたことがあるから、なのかもしれない。
「……その。ヤマンダくんのことが好きだったんだね」
 私の言葉に、日向はふっと寂しげな表情で黙りこんだ。
 夏の風に乗って、かさこそと静かな痛みが胸の隙間に入り込んできた。
 無意識は私よりもずっと自分のことを分かっていたのだろう。
「女同士だったらそんなこともないんだろうけどね」 
 だから冗談めかして口から出た台詞に、自分でもびっくりした。
 日向は一瞬目を見開いて、数秒のタイムラグの後で、やっと笑った。
「……そうだね」
 枯れかけた向日葵みたいな笑顔だった。
 なんとなく気まずい空気が流れたそのタイミングは、ちょうどお酒がなくなったタイミングだったので、私たちは公園を後にした。
 歩きながら、昔のアイドルのヒットソングを口ずさんだら、日向が対抗して歌いだした。だんだん声が大きくなって、カラオケみたいになってきた。
 夏の暗くなりきれない空に、歌声は際限なく昇っていく。
 調子に乗り過ぎた日向は、振付まで入れはじめて、道行く人に変な眼で見られた。恥ずかしいよりもおかしくて、一緒に歌い続けた。
 最後の決めポーズをびしっと決めて、日向と私は壁が壊れたみたいに笑い始めた。
 酔っぱらっていたのだろう。
そのまま手をつないで走りだした。倉庫にはすぐに着いた。相変わらず埃っぽくてがらんどうだったけれど、その時にはまったく気にならなかった。ひきっぱなしのせんべいぶとんに、日向が私を突き飛ばした。そのまま、日向がすぐ横にダイブしてきた。だから私は、汗ばんだ小さな身体に覆いかぶさって、小さな唇にキスをした。日向は笑いながらキスを返してきた。
その後のことは、どちらが先、とか、どちらからどちらへ、ということではなくて、ただ自然にそうなっていた。止まりどころがなくて、止まりたくもなくて、私たちは進み続けた。
もちろん、そうは言ってもスムーズにすべての行為が進行したわけではなかった。日向は、『ヤマンダ』との一件があるにせよ、経験などないに等しいような人間だったし、私も女性とそういうことになるのは初めてだった。
失敗ばかりした。
最初はお互いに動きがぎこちなくて、むやみに体勢を変えていたら、布団の横に置いてあったペットボトルが倒れてコーラの匂いが闇に混じった。
シャワーを浴びていなかったから身体の臭いがきつくて、お互い何度か顔を背けて気まずい感じになった。日向の腕の柔らかくて白いところを舐めてみたら、虫よけスプレーがすごく苦くて吐きそうになった。
くすぐったがりの私は脇腹への刺激に弱く、暴れて日向の肩を蹴ってしまった。
日向が伸びたままの爪で私のデリケートな部分に侵入した。痛みに悲鳴をあげたら、勘違いした日向が調子に乗って動きを激しくして、一瞬本気で日向を殴ろうかと思った。
何もかもがいちいち間抜けだった。昼の熱気が残っている倉庫の中で、汗だくになりながら、それでも私たちはお互いを楽しませるために、お互いに楽しむために、求め続けたのだ。
結構良い時間だったのだ。
日向の熱い手の平が私の汗ばんだ肌の上を滑るとき、私は息がとまるかと思った。
私の骨ばった指が日向の、柔らかな内側を探ろうとしているとき、日向は身を震わせて、耐えるようにぎゅっと目を閉じていた。
それは決して痛みを堪えている表情じゃなかった。
男女のそれとは違って、明確な終わりがある訳ではないけれど、なんとなく「終わり」を感じた私たちは、息を弾ませながら身体を離した。
 すっかりだるくなった身体には、妙な充実感が漲っていた。
「……」
 その時の私は、日向に何かを言おうと思っていた。
 ——よかった?
 ——ありがとう。
 ——日向、あんた、びっくりするくらい、下手。
 ——もう一回する?
 労りの言葉も、感謝の言葉も、照れ隠しの言葉も、扇情の言葉も、何もかも伝えたかったけれど、すべてが口にした端から陳腐になってしまう気がした。
 日向は何を考えているんだろう?
 そう思って、首をひねれば、日向が私を見つめていた。
 日向は何度か口を開きかけて、思い直して、ゆっくりと口を閉じた。
 その唇の動きを見ていたら、私はもう一度日向に覆い被さりたくなったけれど。
 日向がきっと私と同じことを言いたかったのだと分かったから、黙って日向に笑みを返した。
 日向もにこっと私に笑いかけ。
 私たちは手をつなぎ。
 いつの間にか、眠っていた。
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