4 / 45
脱走
4
しおりを挟む
町外れで、夏は城下が目覚める時を待った。
早く着替えをしたい気持ちもある。
だが、目覚めたばかりの町人たちは、まだ、ぽつり、ぽつりと姿を見せるだけで、竃から煙の上がる様子もない。
城門から正面に当たる大通りには、看板を掲げた店が何軒も、並んでいた。
夏は単純に持ち出した簪などと引き換えに、路銀を調達すれば良いと考えていた。
町人の拵えを手に入れる時がなかったし、城の脱出を最上位にしたため着の身着のままだ。
長きに亘って練った計画ではないので、衣服を手に入れる段取りまで、定めていなかった。
掲げた看板から、質屋と古着屋に目星をつけた。
如何にすれば怪しまれずに駆け引きできるだろうか。
(どうしたものか。かような形で質草など持ち込むのは、不審であろうか)
夏は寝間着姿だ。しかも純白の絹製ときている。
往来の様子見に、町家の隅から顔だけ覗かせて辺りを見回した。
町は至っていつも通り、昨日と変わらぬ朝を迎えている。
(うーむ。追い剥ぎに遭ったとでも言い訳しようか。しかし追い剥ぎならば、身包み剥がされねばおかしかろう。裸になるのは、いくらなんでも嫌じゃ。いや、そもそも、儂は女子じゃ。裸にした女子をそのまま逃す追い剥ぎもおるまい)
では、伴の者と旅の途中で野盗に襲撃された筋書は、どうだろう。
皆散り散りになり、命からがら逃げ延びてやって来た。
(……命からがら逃れて来た良家の子女が、質屋へ簪を持って、金に換えてくれと縋るであろうか……?)
それも妙な話かと、夏は首を捻った。あまり大仰な話にして、人の口に登りたくない。
ええい、何か妙案はないものか!
「もし、お嬢さん。かようなお姿で、どうなさった」
良い策が思いつかず頭を悩ませていると、背後から唐突に声が掛かった。
驚き振り返ると、千駄櫃を背負った商人風の男が立っている。年は氏康よりやや上か。
「やんごとなき身の上のお方と、お見受けします。いったい、どのようなご事情で、ここにいらっしゃるので? お困り事でしたら、お力になりますよ」
男の身なりを頭から爪先まで眺めて、夏は思案した。
城へ出入りしている商人たちに比べると、見劣りする。
だが、襤褸を纏うほどでもない。
「其方は何を商うていらっしゃる。千駄櫃の中身は何じゃ?」
「私は塩汲みをしております。そこ、小田原の海で採った塩を、こちらの城下や近隣の町へ売りに出ております」
男は千駄櫃を下ろして、蓋を開けた。包みの布がいくつか見える。
外見に不審な点は見当たらない。だが、信用して話して良いものか。
夏の身分が露見すれば、氏康の麾下に連れ戻される危険は高い。
しかし、この姿のまま遠くへは行けない。夏が逃亡した事件も、そろそろ明るみに出る。
どちらにしても、あまり悠長にしていられない。
「事情があり、手頃な小袖を手に入れたいと思うておりまする。どうにか手に入りませぬか。お礼は後ほど必ず致します」
放っておいても捕まるならば運に任せるのも一興、と、夏は思い切って口にした。
「はあ、ご事情が……。では、我が家の女房の衣では、いかがでしょう。お気に召すか、わかりませんが、まずご覧頂いてからでも」
「ご内儀の! それは、願ってもない」
夏は思い掛けない、男の申し出に口元を綻ばせた。
この商人が直に着物を譲ってくれるなら、あとは万事、上手く行く。
早く着替えをしたい気持ちもある。
だが、目覚めたばかりの町人たちは、まだ、ぽつり、ぽつりと姿を見せるだけで、竃から煙の上がる様子もない。
城門から正面に当たる大通りには、看板を掲げた店が何軒も、並んでいた。
夏は単純に持ち出した簪などと引き換えに、路銀を調達すれば良いと考えていた。
町人の拵えを手に入れる時がなかったし、城の脱出を最上位にしたため着の身着のままだ。
長きに亘って練った計画ではないので、衣服を手に入れる段取りまで、定めていなかった。
掲げた看板から、質屋と古着屋に目星をつけた。
如何にすれば怪しまれずに駆け引きできるだろうか。
(どうしたものか。かような形で質草など持ち込むのは、不審であろうか)
夏は寝間着姿だ。しかも純白の絹製ときている。
往来の様子見に、町家の隅から顔だけ覗かせて辺りを見回した。
町は至っていつも通り、昨日と変わらぬ朝を迎えている。
(うーむ。追い剥ぎに遭ったとでも言い訳しようか。しかし追い剥ぎならば、身包み剥がされねばおかしかろう。裸になるのは、いくらなんでも嫌じゃ。いや、そもそも、儂は女子じゃ。裸にした女子をそのまま逃す追い剥ぎもおるまい)
では、伴の者と旅の途中で野盗に襲撃された筋書は、どうだろう。
皆散り散りになり、命からがら逃げ延びてやって来た。
(……命からがら逃れて来た良家の子女が、質屋へ簪を持って、金に換えてくれと縋るであろうか……?)
それも妙な話かと、夏は首を捻った。あまり大仰な話にして、人の口に登りたくない。
ええい、何か妙案はないものか!
「もし、お嬢さん。かようなお姿で、どうなさった」
良い策が思いつかず頭を悩ませていると、背後から唐突に声が掛かった。
驚き振り返ると、千駄櫃を背負った商人風の男が立っている。年は氏康よりやや上か。
「やんごとなき身の上のお方と、お見受けします。いったい、どのようなご事情で、ここにいらっしゃるので? お困り事でしたら、お力になりますよ」
男の身なりを頭から爪先まで眺めて、夏は思案した。
城へ出入りしている商人たちに比べると、見劣りする。
だが、襤褸を纏うほどでもない。
「其方は何を商うていらっしゃる。千駄櫃の中身は何じゃ?」
「私は塩汲みをしております。そこ、小田原の海で採った塩を、こちらの城下や近隣の町へ売りに出ております」
男は千駄櫃を下ろして、蓋を開けた。包みの布がいくつか見える。
外見に不審な点は見当たらない。だが、信用して話して良いものか。
夏の身分が露見すれば、氏康の麾下に連れ戻される危険は高い。
しかし、この姿のまま遠くへは行けない。夏が逃亡した事件も、そろそろ明るみに出る。
どちらにしても、あまり悠長にしていられない。
「事情があり、手頃な小袖を手に入れたいと思うておりまする。どうにか手に入りませぬか。お礼は後ほど必ず致します」
放っておいても捕まるならば運に任せるのも一興、と、夏は思い切って口にした。
「はあ、ご事情が……。では、我が家の女房の衣では、いかがでしょう。お気に召すか、わかりませんが、まずご覧頂いてからでも」
「ご内儀の! それは、願ってもない」
夏は思い掛けない、男の申し出に口元を綻ばせた。
この商人が直に着物を譲ってくれるなら、あとは万事、上手く行く。
0
あなたにおすすめの小説
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
【時代小説】 黄昏夫婦
蔵屋
歴史・時代
江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。
そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。
秋田藩での仕事は勘定方である。
仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。
ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。
そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。
娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。
さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。
「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。
今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。
この風習は広く日本で行われている。
「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。
「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
— 『万葉集』第10巻2240番
と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」
— 『源氏物語』「夕顔」光源氏
と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。
なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。
漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。
それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
作家 蔵屋日唱
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
江戸の夕映え
大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。
「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三)
そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。
同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。
しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる