夏姫の忍

きぬがやあきら

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脱走

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「私の家は海岸近くにございます。そのお姿で大通りを歩かれるのは、お嫌でしょう。こちらへ。畦道から参りましょう」

 商人は城の外周をぐるりと指差し、千駄櫃を背負い直した。

「出立の矢先に、かたじけのうございます」

 会釈をして、夏は商人の後ろについた。「事情が」と話しただけで、経路まで気遣ってくれるとは、ありがたい。

「随分と愚かな真似をなさる」

 商人の後ろについていたはずなのに、不思議であった。

 すぐ目の前には美しい女性がいる。

 夏と目が合い、微笑んだ。

 赤い小袖を着た女性が、商人との隔たりを阻んで、立っていた。

「見ず知らずの男について行くなど、赤子と変わりませんよ」

 細く、目尻に向かって尖った眉。瞬けば音を奏でそうに長い睫毛。

 知的な眼差しは白き面に映えて、唇の紅は一層艶やかだった。

 それどころではないのに、夏は、つい、女に見惚れていた。

 背丈は夏より頭一つ高い。すらりと伸びた手足は手甲てっこうと脚絆で覆われている。

 身なりは質素なのに、不思議と眩く輝いていた。仕草もしなやかで、天女の如しである。

「何だ、その言い方は。私は親切心でな」

「失礼致しました。私も、親切心からでございます。衣が必要とあらば、ちょうど、これに持ち合わせがございまして。海岸とこちらを往復するには、時が掛かり過ぎましょう。先を急がれる商人さまのお手を煩わすまでもありませぬ」

「衣を、持っておるのか。しかし、お嬢さんの足元を見て、礼をふんだくるつもりではなかろうな」

「こちらにございますのは、姉の小袖でございます。では、こちらはお譲りするのではなくお貸しいたしましょう。その上で古着屋へご案内して、お好きな衣を選んで頂けば、憂慮はありませんでしょう。親切故に気になるのであれば、一緒にいらして下さい。どうしても奥様のお着物をと仰るなら、私も乗り掛かった船ですから、一緒に参ります」

 女は風呂敷包みを下ろしながら、男を見上げた。

「いや、そこまでお考えならば……、私の出る幕ではございませんな。お嬢さん、ようございました。では、私はこれで」

「ええ、お心遣い、感謝いたします……」

 男は、美女の示した申し出に、そそくさと退散した。

 礼を述べる間もないほどだ。

 夏は一連の流れに驚きもした。だが今は、すっかり女性に目を奪われていた。

 こんなに綺麗な女子は見たためしがない。夏が認める最高の美女は母の美浜であった。

 だが、美浜とは違う。別の、力強い輝きをがある。

 物も言わず、じーっと見つめていると、女は風呂敷包みを結び直しながら夏を見上げた。

 目が合う。清水のように澄み切った瞳だ。目を合わせたまま立ち上がった。

 形の良い唇が薄く開いたので、夏は女が何事かを発するのを楽しみに待ち受けた。

「この、うつけが!  あんな男の話を、真に受けて!」

「え……っ?  うつけ?  この、儂が?」

 せっかく楽しみに待っていたのに、女の叱責に夏は目を瞬いた。
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