夏姫の忍

きぬがやあきら

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姫と忍

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「さあ、下らぬ問答はこれくらいに致しましょう。夜が明けるまではまだ間がありまする。夏姫様は昨晩もろくに眠っておられぬ。十分には寛げませぬが、横になって、少しはお体をお休めください」

 花月が夏を筵へ誘うと、夏はふっと笑みを零した。

「そなたらは仲が良いの。良き友であるな。これから一月、よろしく頼むぞ」

 夏は花月と安芸、二人に目をやって、大人しく筵の上に横になった。

 待つまでもなく、一息ついた後に夏は寝息を立て始める。

 よほど疲れていたのだろう。

 筵は、三国の主の姫君が眠るのにはとても不相応な臥床だったが、夏自らが城を逃れたのだから、やむをえまい。

 上品な寝姿と筵は激しい違和を放っていた。

 さて、この生来に上品が身に着いた姫君の素性を、どう欺いて近隣を旅したものか。

 旅芸人の一味として、銭拾いまでしていたのに、郎党に嗅ぎつけられた。

 何故奴には「夏姫」だとわかったのか。

 城の奥にいる姫君の顔を知る者は、そう多くない。

 まして姫が単身で城外に出るなどは前代未聞の珍事件だ。

 偶然に見かけて、何か不審に思う点があったとしても、氏康の二女だと気づくはずがない。

 夏に危害が及んではならぬと、即座に首を刎ねた。だが捉えて吐かせるが得策であったか。

(それにしても……)

 城を単身で抜け出す気概があるだけある。癖の強い性分は安芸と互角やもしれぬ。

 無事に城へ帰すまでは、あらゆる意味で気が抜けない。

 夏が寝息を立てるや否や、安芸は叢に腰を下ろした。

 ちゃっかり者の同胞と、仲が良いと肯定はできぬ。

 しかし此度の役務は一月、束の間の自由を安全に、愉しんでもらう目的がある。

 油断はならぬが、いつもの殺伐とした役務とは違う。

 姫君と必要以上に慣れあうのはいかがな物かと思うが、気分は悪くない。

 変わり者だが、可憐な姫を守り、楽しく旅をする。

 安芸ほどの余裕は持てそうにないが、夢のある役割に花月の心は僅かに綻んだ。



 ***



 一夜を明かして、九月七日(九月二十二日)。

 空が白み始める少し前に、花月は町へ戻った。

 事前に話をつけてあった古着屋に入り込み、入用の品を拝借する。

 その足で水を汲んで、安芸の待つ窪地へ引き返した。

 安芸は入れ替わりに町へ入る。

 やがて完全に周囲は闇を抜け出した。

 だが、夏は目を閉じたまま動かなかった。

 陽光の下で改めて見ると、頭や顔のあちこちに血糊がこびりついている。

 花月は自分の腕の未熟さを恥じながら、水を沸かした温ま湯に、布を浸す。

 触れたら起こしてしまうだろうと、一度ためらう。

 だが、清廉な面をいつまでも穢れたままに抛擲しておくほうが罪深い気がした。

 できるだけ優しく、気遣いながらぬぐう。

「む、誰じゃ。……花月か。儂は寝過ごしたのか。その手拭は?」

 しかし僅かにひと撫でしただけで、眼をこすりながら夏が体を起こした。

 眠りを妨げたくはなかったのに。

「お起こしして、申し訳ございませぬ」

「そういえば血を浴びたのだったな。儂はそんなに汚れておるか」

「すぐに綺麗になりまする。じっとしていてくだされ」

 夏はまだ気怠そうな瞳を伏せ、花月のするに任せた。

 額、頬、髪に、湯を含ませた布を押し当てて、擦り過ぎぬよう拭う。

 やがて、唐から渡った陶磁器のごとく、珠の肌は元通りの艶を取り戻した。

 頭にも、目立つところに血の跡は見当たらない。

 衣を着替えた。

 足首まである桃色の小袖に被衣を被り、良家の子女らしいいで立ちにした。

 育ちの良さが隠せないのなら、むしろ隠さず、眼をずらす策を取る手筈にした。

 間もなく卯の刻(午前六時頃)に差し掛かる頃、安芸が木曽馬を引いて戻って来た。

「おお、馬じゃ! かように大きな供を連れて旅立つのか」

 夏がパッと、弾かれたように安芸の元へ駆け寄る。

「お夏様のお供に男二人では物足りないと思いまして。私も花を添えておるつもりですが。……馬がお好きですか?」

 安芸が女姿を示して冗談めかしても、夏は応答をしなかった。

 馬から目を離さない。
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