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種火
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「まるで、あちらは彼岸のようじゃな。差し詰めここは三途の川か。こちらが現で、あちらはあの世か」
「怖い話をしないで下さいよ。私たちは生きて旅をしているのですから」
安芸が着物の裾を捲り、草履を脱ぐ。川を渡る支度だ。
「彼岸の向こうへお連れしたと知れたら、後で旦那様に叱られるでしょうね」
「しかし、美しい。夢のようじゃの。あちらへ足を踏み入れたら、戻りたくなくなりそうで、怖いわ」
「あらら、お夏様が乙女のようなお言葉を」
「よう、ではなく、儂は正真の乙女じゃ。さて、もっと見ていたいが、いつまでもここにはおれぬの。極楽へ旅立とうか」
しばし佇んでいた夏が敬慕を絶ち、三人は川を渡る。
川を越えてしばらく行くと、今度は磯の匂いが強まった。再び相模の海が近づいていた。
2
先の言葉通り、花月たち一行は早々に鎌倉へ入った。
海岸を経由して、頼朝公の菩提寺、法華堂を目指していた。
だが、夏が磯遊びの子供に関心を示したものだから、今度は由比ガ浜で足止めだ。
花見の曼殊沙華はともかく、海なら小田原で十分に見慣れているだろう。
さほど珍しくもないはずだ。
「足は痛みませぬか?」
「もう良うなった。この布も今は要らぬ」
松林の先には見渡す限りの砂浜が広がっている。
海辺の小屋や、網を畳む漁師たち。
潮を狩る子供たちや周りで駆け回る者たちが、それぞれに作業をしている。
花月が手頃な木陰に駒を繋いでいる横で、夏は気を逸らせながら草履を脱いだ。
足に巻いていた布も取り、小袖の裾をたくし上げる。
端を帯に挟み込んで、膝がそっくり出たところで付き添っていた安芸に尋ねた。
「これで十分かのう? 可笑しくはないか?」
「可笑しくはありませんが、そんな、防備なくお御足を晒して……。旦那様に知れたら大目玉です」
「ここまで来れば、流石にお父上や城の者の眼も、届かぬ。お主らが黙っていてくれれば良いのじゃ。町人たちは皆、足を出しておる。これは、置いておくぞ」
被衣を外して、地面に伏せた笠の上に置いた。
急いでいる割に、被衣をきっちり畳んでいる辺りは育ちの良さが現れている。
「そなたたちは退屈であれば、木陰で休んでおれ」
「近くにいらしてくださいよぉ! 直ぐに参りますから」
花月たちが退屈だと察しながら、それでも行くなら信念を持っての所業だ。
抜け目のない姫に苦笑しながら、花月は手を止めた。
夏がどれくらい遊ぶかわからないが、まだ日は十分に高い。
先を急ぐ旅ではないから、今日は鎌倉に逗留しても良いかもしれぬ。
ならば今のうちに刀を質屋へ持って行こうか。
「安芸、俺は先に町で宿を探そうと思う……」
安芸に夏を任せるつもりで振り返ると、唐突に安芸は花月から駒を引き離した。
「私が町に行く。質入れも私に任せて。お夏様は花月が見ておれ」
「何故だ。この半端を質に入れようと言い出したのは俺だ。早くせぬとお夏様が遠くへ行ってしまう」
安芸と花月では、花月のほうがやや身長が高い。
とは言えさほどの差はないが、安芸は意味ありげに花月を睨め上げた。
「無理をしないで、お夏様といたら良かろう。長くとも一月がせいぜいなのだから」
ぎくりと、背がこわばった。押し殺すように呟く。
「……助け舟を出したから、見ぬふりをしてくれるのだとばかり」
早朝の井戸端に、馬屋の方角から安芸の声が聞こえた。
いつからいたのか定かではない。
だが、折よく安芸の声が届いたので「見られていたやも」と危懼はしていた。
けれど何も追及されなかったし、夏も寝ぼけていた様子であった。
忘れようとした花月も卑怯だが、油断を誘う安芸も人が悪い。
素直にその場で責め立ててくれれば良かったのに。
「花月があまりに困惑していたから、同情したのさ。最初は腹が立ったけどね。私にはあれほど厳しく警告をしたくせに、自分だけ抜け駆けをしてさ」
「抜け駆けとは……俺たちとあの方は同等ではない」
「まあね。間もなく嫁がれる訳だし。でもご本人が許すなら口吸いくらい良いのでは? 減るものでもないのだし」
曖昧にしておきたかった単語に、花月は顔を背けた。
「怖い話をしないで下さいよ。私たちは生きて旅をしているのですから」
安芸が着物の裾を捲り、草履を脱ぐ。川を渡る支度だ。
「彼岸の向こうへお連れしたと知れたら、後で旦那様に叱られるでしょうね」
「しかし、美しい。夢のようじゃの。あちらへ足を踏み入れたら、戻りたくなくなりそうで、怖いわ」
「あらら、お夏様が乙女のようなお言葉を」
「よう、ではなく、儂は正真の乙女じゃ。さて、もっと見ていたいが、いつまでもここにはおれぬの。極楽へ旅立とうか」
しばし佇んでいた夏が敬慕を絶ち、三人は川を渡る。
川を越えてしばらく行くと、今度は磯の匂いが強まった。再び相模の海が近づいていた。
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先の言葉通り、花月たち一行は早々に鎌倉へ入った。
海岸を経由して、頼朝公の菩提寺、法華堂を目指していた。
だが、夏が磯遊びの子供に関心を示したものだから、今度は由比ガ浜で足止めだ。
花見の曼殊沙華はともかく、海なら小田原で十分に見慣れているだろう。
さほど珍しくもないはずだ。
「足は痛みませぬか?」
「もう良うなった。この布も今は要らぬ」
松林の先には見渡す限りの砂浜が広がっている。
海辺の小屋や、網を畳む漁師たち。
潮を狩る子供たちや周りで駆け回る者たちが、それぞれに作業をしている。
花月が手頃な木陰に駒を繋いでいる横で、夏は気を逸らせながら草履を脱いだ。
足に巻いていた布も取り、小袖の裾をたくし上げる。
端を帯に挟み込んで、膝がそっくり出たところで付き添っていた安芸に尋ねた。
「これで十分かのう? 可笑しくはないか?」
「可笑しくはありませんが、そんな、防備なくお御足を晒して……。旦那様に知れたら大目玉です」
「ここまで来れば、流石にお父上や城の者の眼も、届かぬ。お主らが黙っていてくれれば良いのじゃ。町人たちは皆、足を出しておる。これは、置いておくぞ」
被衣を外して、地面に伏せた笠の上に置いた。
急いでいる割に、被衣をきっちり畳んでいる辺りは育ちの良さが現れている。
「そなたたちは退屈であれば、木陰で休んでおれ」
「近くにいらしてくださいよぉ! 直ぐに参りますから」
花月たちが退屈だと察しながら、それでも行くなら信念を持っての所業だ。
抜け目のない姫に苦笑しながら、花月は手を止めた。
夏がどれくらい遊ぶかわからないが、まだ日は十分に高い。
先を急ぐ旅ではないから、今日は鎌倉に逗留しても良いかもしれぬ。
ならば今のうちに刀を質屋へ持って行こうか。
「安芸、俺は先に町で宿を探そうと思う……」
安芸に夏を任せるつもりで振り返ると、唐突に安芸は花月から駒を引き離した。
「私が町に行く。質入れも私に任せて。お夏様は花月が見ておれ」
「何故だ。この半端を質に入れようと言い出したのは俺だ。早くせぬとお夏様が遠くへ行ってしまう」
安芸と花月では、花月のほうがやや身長が高い。
とは言えさほどの差はないが、安芸は意味ありげに花月を睨め上げた。
「無理をしないで、お夏様といたら良かろう。長くとも一月がせいぜいなのだから」
ぎくりと、背がこわばった。押し殺すように呟く。
「……助け舟を出したから、見ぬふりをしてくれるのだとばかり」
早朝の井戸端に、馬屋の方角から安芸の声が聞こえた。
いつからいたのか定かではない。
だが、折よく安芸の声が届いたので「見られていたやも」と危懼はしていた。
けれど何も追及されなかったし、夏も寝ぼけていた様子であった。
忘れようとした花月も卑怯だが、油断を誘う安芸も人が悪い。
素直にその場で責め立ててくれれば良かったのに。
「花月があまりに困惑していたから、同情したのさ。最初は腹が立ったけどね。私にはあれほど厳しく警告をしたくせに、自分だけ抜け駆けをしてさ」
「抜け駆けとは……俺たちとあの方は同等ではない」
「まあね。間もなく嫁がれる訳だし。でもご本人が許すなら口吸いくらい良いのでは? 減るものでもないのだし」
曖昧にしておきたかった単語に、花月は顔を背けた。
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