妻を信じなかった皇帝の末路ーあの日の約束を覚えていますか?ー

きぬがやあきら

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贈り物

 母のマリアは優秀なお針子だった。

 街で一番の洋装店に勤めていて、母の仕立てた服が店先に飾られているのを見るたび、ヴィクターはいつも誇らしい気持ちになった。

 ヴィクターが10歳になって間もなく、母が贈ってくれたのは交差する剣を刺繍したハンカチだった。

 越してきたばかりの退役騎士が、近所の子らを集めて剣術の真似事を教えてくれていた。

 母は一日中働きづめでヴィクターが昼間どう過ごしているのか碌に知らないはずだった。

 だが、ヴィクターが剣に興味を抱いていると知っていたのだ。

 ……健気で、温かく、どこまでも優しかった母。

 どうにか幸せにしてあげたかった。

 少しでも楽をさせてあげたくて奔走していたのに、結局死に水すら取れなかった。

 ヴィクターが即位してから聞いた情報だが、ベネディクトはヴィクターが5歳になる頃に一度母を訪ねていたそうだ。

 もっと早くにヴィクターを教皇に売り渡していれば、少しはマシな生活が送れたかもしれないのに……。



 ふと過去に遡ったような心地で、気づけばヴィクターはハンカチを握りしめていた。

 ……ヴィクターはもう間違えてはいけない。

 皇妃となるには無垢で健気すぎるあの女に、大国の重圧など負わせるべきではない。

 これだけ素の能力が高いのなら、離縁後にヴァンクレストに戻れなくても大丈夫だろう。

 3年のうちに生きる術を身につけるに違いない。

 もちろん不自由しないだけの、離縁に伴う諸経費はつけてやるつもりだ。

(だがこれは……せっかくだから、受け取っておくか)

 ひっそりと机に残していくようにとスフィアに助言したのは、多分エイドリアンだ。

 正面を切って渡されれば、ヴィクターはまともに受け取らなかったはずだ。

 気に入らないがあいつはよくヴィクターを理解している。

 それに何かと馬鹿正直なスフィアが、よくヴィクターに気取らせなかったものだとも感心していた。

 ハンカチを畳んでポケットにしまい込み、ヴィクターは改めて決意を固める。

 好き好んで、ではないが、受け取った以上は何か返礼品を用意しなければと腰を上げた。

(金は十二分に与えているのに、使い道は手芸道具ばかりだと言っていたな……)

 いったい何なら気に入るだろう。

 女の好きそうなものなら、エイドリアンが詳しそうだ。

 しかし奴に意見を求めるのも癪だから、ミラが適任だろうか。

 こっそり呼び出すのも不自然だし、どうしたものかと逡巡していた。

 そこで扉が叩かれる。

「陛下、ベネディクト猊下からのご伝言をお持ちしました」

「入れ」

 ノックと共に入室してきたのは、侍従頭だった。

「先ほど顔を合わせたばかりだが、本当に教皇からか?」

「はい、確かに猊下の使いの者です。こちらの封蝋をご確認くださいませ」

 差し出された手紙を受け取り、ヴィクターは一瞥した。
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