9 / 9
恋するFlowerBoy
しおりを挟む
0.Opening…
カタンとレコードに針が下りる音。
レコードが回転し始めると針が揺れるカタンカタンという音に混ざって、甘いミュートを着けたトランペットがクリアには響かないスピーカーから響いてくる。モノラルの楽曲。
曲の名前は、『ラ・ヴィ・アン・ローズ』。
かつてオードリー・ヘプバーンが出演した、世界中で様々な世代に愛されているそんな映画の主題曲。今では甘く切ない恋人同士を表現するBGMとしては、街角でよく聞かれるそんな曲だった。
甘くしっとりとした音楽に乗って、ゆっくりと映像が広がってくる。
音楽がモノラルならば、映像もどこか懐かしさを感じるモノクロームの世界。
クリアではない画像には、縦に横にと何本も線が入ってしまっている。
ぼやけた画像から曲に乗って見えてきたのは、ヨーロッパのどこかにある噴水広場。
闇に街灯が点され、光を浴びて小雪がちらちらと舞っている。
人々は足早に立ち去ろうとしているところで、一人のバスケットに花を一杯入れた花売りの少女が現れる。ぼろぼろの服、寒さで頬や手を真っ赤にさせ必死に花を売っている少女。言葉は聞こえてこないけれど、口の動きから少女が一生懸命になって、花を売っているのが判った。
寒い夜。誰も立ち止まろうとはしない街。それでも少女は花を売っている。
けれど最後には急ぎ足の馬車を避けようとして、転んでしまう。
冷たい石畳。転んだ拍子に散ってしまった売り物の花。肘と膝からは泥と血で汚れていた。
途方にくれる少女。少女は、涙を流しながら噴水に向かった。
噴水の水は、薄氷が張っている。氷を割って、汚れた手足を噴水の水で洗い、頭にしていた三角巾で汚れを拭いていく少女。
噴水にはみすぼらしい少女の姿が写る。本当は可愛い少女のはずなのに、やせて骨張り、泥が付いてしまった表情がますます少女を惨めに写す。
少女はどんどん悲しくなり、涙をはらはらと流していく。
すると少女だけが写っていた噴水の水鏡に、黒い影が重なってくる。少女は驚きに顔を上げた。
目の前には優しい笑みを浮かべた、紳士が一人立っている。
暖かみのある紳士の表情。紳士は何かをしゃべり、コートの内ポケットから財布取り出すと、紙幣を数枚、少女に渡した。
『花をいただけますか?』
紳士の唇の動きから、その言葉が読みとれる。
びっくりしながら少女は、首を横に何度か振ると、紳士は少女を慈しむように頭を撫でると胸のポケットに入っている真っ赤なチーフを取り出す。
不思議そうに見つめる少女。紳士はにっこりと笑いながら、チーフを一回パッと拡げ、まるでマジシャンが手品前に仕掛け確認させるように少女に見せる。首を傾げる少女。紳士はチーフを筒のように握った手の中に入れる。そして逆の手でトン、トン、トンと三カウント数えた後、丸めていた手を開く。
手の上には可愛いチューリップの形を作ったチーフが出来上がっていた。
今まで泣いていた少女の顔が笑顔になる。笑みを浮かべる少女。紳士は真っ赤なチューリップの形に見えるチーフを、少女の胸に飾る。
驚いたまま動けない少女を紳士は冷たくなっている手を取り立ち上がらせる。戸惑う少女に大丈夫と告げるように笑う。紳士は少女をホールドし、甘く暖かい『ラ・ヴィ・アン・ローズ』に乗って踊り始める。
二人は雪が舞い散る街で、誰よりも幸せな笑みを少女は浮かべていた。
1.Blow in The Wind…
「いってらっしゃい~」
明るく元気な母親の声に送られて、雫陽月はいつもよりも少しだけ緊張した表情でバンを走りだした。
ワゴン型の扉には〝雫生花店〟とはっきりと書かれている、薄汚れた白い車。
ダサいなんて言葉が今使われているか知らないけれど、陽月にとっては〝雫生花店〟すべてがダサダサな存在だった。
今陽月が運転している配達用の白いバンもそうだけれども、それ以外にも薄汚れた木造住宅を改造しているような、古めかしい店の作りにしてもそうだ。
扱っている花だって、店のほとんどを占有しているのは、仏壇用の地味な白とか黄色の菊を中心のラインナップになっている。
時節柄で桃だとかカーネーションだの必要な植物を並べるには並べる時もあるけれども、普通の花屋が力を入れているような華やかでお洒落な花はまったくない。いつも無難そのものの色を並べたバラやチューリップにカスミ草が置かれている程度だった。
花の扱いにしても、フラワーギフトなんて言葉を使ったら他の花屋から苦情が来そうな白い薄紙で包んでリボンは安っちい赤か緑。常連客へのラッピングは、古新聞に包まれている。
雑誌などでよく載っているフラワーショップとはまったく縁遠く、屋号はその名も〝雫生花店〟。
都心の外れにある東野銀座にある店は、絵に描いたような下町そのものの花屋だった。
配達先もそうだ。
ほとんどがご近所さん。元華道のお師匠さんが教えているフラワースクールに、街はずれに数件あるスナック程度。後は葬式に店のなんちゃら祝い。
いくつ上げても地味以外の何ものでも無い店。
陽月の子供の頃からの夢は、花屋以外の職業だった。けれども気が付くと店を手伝わされ、大学を卒業した年には本格的な仕事になってしまっていた。
もっとも大学に行っても、特にやりたいものも無かった所為もある。しかし一番悪いのは、何年募集しても来てのない店のアルバイトに抗うことが出来なかった。
これが女の子にでも生まれていたなら、家を出て嫁に行くという手もあったんだけどな…。
道の狭い商店街をすりぬけながら、陽月は大きく溜息を付いた。
子供の頃から言われ続けていた跡取り息子という言葉に、陽月はうんざりしていた。
本音では別に花屋が嫌なわけではない。
ただ、このまま家を継いで花屋になるのが嫌なだけだった。出切ればもう少し派手な仕事でもあれば…。
葬式の花に仏壇の花。客はすべて町内。どう考えても地味すぎる。
仕事に対して溜息と愚痴が出ない日は無かった。せめて今日配達しに行く会社に勤められれば、もう少し派手な人生送れるのだろうけどな…。
上を見たらキリがないかもしれない。けれども、心がときめかない訳なった。
いつもは面倒で嫌々行っている配達。
けれども今日は少しだけ違っていた。
これから行く先は、花に全然興味がない陽月でも知っているほど有名なフラワープランナーのいる会社だったからだ。
有名な雑誌で掲載されるような大きな会社に配達に行くだけで、心がときめくから本当に現金なものだ。
もっとも担当者の傲慢さ加減は、最低だったけれど。それでもおつりが繰るくらいに、心が躍っていた。
話は数時間前の電話に遡る。
* * *
春が終わり、まもなく梅雨といううっとうしい時期に突入したそんな時期。雨が降るのか振らないのか判らない湿気が、暑苦しさとだるさを感じさせる。
ただぼーっとしている暇な時間の店番は、知らず知らずに船をこいでしまう、一人で店番をしていた昼過ぎだった。
滅多に来ない客。決まった客だけで成り立っている店には、注文の電話すらかかって来ないそんな時刻。
ぼんやりと座っていることだけ許される時間に、突然、眠気を覚ます目覚まし時計のベルのように、店の電話はけたたましい音を上げた。
『はい、雫生花店です』
ぼんやりとしていた時の電話で、多分愛想のいい言葉ではなかったのは後から考えて認めよう。陽月の態度に苛立っているのか、電話の先で小さく舌打ちしている音がした後、低い男の声が耳の中に響いてくる。
『イルデフランスはあるか?』
いささか威圧的ではあるけれど、印象に残る低い声だった。
陽月は眠い目を擦りながら、電話を受ける。
『は? あの…』
何を言っているのかまったく理解出来なかった陽月は、今かかっている電話がキャッチセールスか何かに思え眉を思いっきり寄せた。
途端受話器越しに〝チッ〟というリップノイズが聞こえてくる。
『花の判る店員はいるか?』
「俺が店員ですが…、何か?」
偉そうな男の声だった。腹が立つ男の声にムッとしながら応える陽月。男は陽月の態度に苛ついているのか、また舌打ちを下後、次に諦めたように今度は深い溜息を付く音がする。
『判った…、それならばしょうがない。じゃあ聞くが、定番で赤い一重咲きのチューリップを探しているのだがあるだろう? 品種名は〝イルデフランス〟だ』
「あ? ああ…」
男の説明を聞いて始めて、自分の無知さ加減に気付いた陽月は、頬を赤らめながら思わず息を吸った。それから順に、頭の中にあるチューリップを一つずつ思い浮かべていく。
赤、白、黄色と…まるで歌の歌詞にあわせたように。
薄いピンクの一重はピンクダイヤモンド。オレンジ色の百合咲きはバレリーナだけどこれはうちには入れていないし…。赤の一重がイルデスランス…。
いつも扱っている赤い一重チューリップの名前で、〝イルデフランス〟と聞いたことがある…、そんな気がした。
チューリップの定番中の定番で、一年中入荷出来るほど流通されている花だった。
確か今朝の市で〝いつもお任せとするわ〟と言ってくれる親切なフラワー教室用にと、競り上げたチューリップがそんな種類だった。
一人で無言のまま頭の中を整理していると、電話の先から大きな咳払いが聞こえてくる。
『で、今そこに有るのか、無いのか? どうなんだ! 能なし! こっちは急いでるんだ! どちらかはっきり応えろ!』
なかなか返事をしない陽月に男は痺れを切らしたのか、電話先の声が荒立った。
信じられないくらいにきつい言い方。まったく、気の短客だな…。
心の中で呟きながら、電話の先で顔が見えないのをいいことに、悪態を顔で表現するように唇をひっくり返してタコの様な表情をする。
それから自分を落ち着かせるように息を吐くと、出来るだけ今の気持ちがばれないようにこぼれんばかりの笑顔を作る。
「申し訳ありません~、お客様。赤い一重のチューリップでしたら、ちょうど今朝入荷しましたが…」
陽月が謙ったように詫びると、微かに電話先の男から笑みが浮かべているであろう息づかいが、耳元に聞こえてくる。
やったね。電話先の男を見返した気がした陽月は、電話の前で少しだけ自分を誉めるように胸を張った。
しかし陽月の態度がまるで向こうに見えているかの様に、男の横柄な声が聞こえる。
『それは知っている。で、今、そこに何本ある? まだ箱ごと手付かずのまま残っているか?』
何でお前が知っているんだよ? という疑問が脳裏をよぎった瞬間、陽月の表情が作り笑顔から訝しいものに変わっていく。
「まあ…、ここにありますが…、でもあれは別のお客様から依頼を受けまして…」
わざとニュアンス的に口ごもる陽月の言葉を、男は腹を立てたようにな叫び声を上げ遮る。
『そっちは別の花で手配しろ!! それよりも、今そこに仕入れた百本が手つかずでまだあるんだな?』
「でも…、困るんですが…」
『なんだと! とにかく百本まるまる買ってやるから、とにかく他には回すな!』
「そ、そんな勝手な…」
『勝手なのはそっちだ!』
「なっ、なにいっちゃってんだよ…。つうかあんたいったい誰なんだよ? それにこっちのこともずいぶん詳しいじゃないか!」
俺は客だぞ! と言われれば身も蓋も無い話だった。けれど、相手の男のでかい苛立つ声に、陽月も怒鳴り声になっていた。そして叫んでいるとますますこいつはなんなんだ、という苛立ちが強くなり男への反感が増してくる。
しかし相手は陽月よりも上手な様だった。陽月が叫んだ途端、電話の先から舌打ちがし、次に馬鹿にするような大きな溜息がする。
『お前こそ、今の叫び方が客に対しての態度ではないだろう? まあ自分の店で扱っている商品も判らないような奴に接客態度なんて求めても時間の無駄だがな…』
何なんだよこいつ! と苛々しながらも陽月は言葉を飲み込んだ。
確かに男の言う通りなのだ。
実際に嫌々やっている店番なんだから、客に嫌われようがどうだった陽月にはよかった。しかしまるで心の中を見透かすように真実をはっきりと言われ、陽月は思わず顔を赤らめてしまった。
自分に言い訳をするならば、確かにいやいややっている仕事ではあった。けれど電話の男の様に、ここまではっきりと言われるほどひどい働き方をしたことがなかったからだ。
『まあ、いい…。とにかくそこにあるイルデフランスは全部を買わせて貰う、いいな?』
「はぁ…」
ここまで言われてしまうとこれ以上断ることも出来ずに、陽月は頷いた。
もっともフラワースクールの花の方は、別のもので代わりがきいたのもあったけれど…。
『じゃあ、二箱きちんと届けて貰うぞいいな?』
「はぁ、まあ…。あので、いつ、どこに?」
男は小さく溜息とは違う息を吐く。
『届けてほしい場所は、有楽町にあるコンベンションセンター六階会議室、クリスタルルームだ。行けばすぐに判る』
「六階のクリスタルルームですね」
『ああ、時間は今日15時必着、遅刻は許さない。宛先は、株式会社三代ビジネスコンサルティングの一ノ瀬宛だ』
そこまで聞いて、陽月の心臓は鼓動を早める。
三代ビジネスサービスの一ノ瀬といったら、やる気のない花屋の陽月ですら聞いたことがある。
業界の内外問わずメディアで騒がれている。
若干三十歳で、フラワーコンサルティング部門、チーフ。
一之瀬が作るアレンジメントは、業界では有名華道家にも負けず劣らない評価されている。けれどそれ以上に、今まで花を使ったビジネスを行ってこなかった会社に、ビジネスプロデュースを行う部門を設けさせた。
それだけではなく、実際にチーフとして部門を指揮し、普段では花など考えられないミーティングや職場へのプロデュースは何誌もの雑誌で取り上げられていた。
いきなりびっくりした心臓に軽い目眩を起こす。
『おい、大丈夫だろうな?』
名前を聞き言葉を失っていた陽月に、男は声を荒立てる。
「あ、はい。あの、一ノ瀬様ですね。だ、だ、だ、大丈夫です。で…、一本三百円なんですけど……、いいですか?」
無言の後、軽く咳払いが聞こえる。
『しょうがない…、来月月末払いの請求書は出せるか?』
「はい…、あ、多分…」
『多分?』
「いえ、大丈夫です…、大丈夫、大丈夫…」
『じゃあ、遅れるなよ! それとお前の緊急連絡先を教えておいてくれ』
威圧的な男の声に、陽月は背筋をただして、自分の携帯の電話番号を伝えると冷たい口調で〝判った〟と声がして一方的に電話は切れる。
電話の雰囲気からいって、多分一ノ瀬本人の様な気がした。
急にチューリップが必要になったんだろうか? 今までにない注文に、陽月は心を躍らせながら、間もない配達時間までの準備を開始した。
2.Inside of light
出来た時はこんなにすごい建造物があるかと、世の中の話題をさらった。
しかし十年以上経った今では、清掃だけでも税金の無駄遣いと言われているそんなコンベンションセンター。
見上げればノアの箱舟の絵を思い出され、晴れていると光に満ち溢れて驚くくらいに奇麗だった。
貸し出している部分では、コンサートやコンベンションなど色々な使われ方をされているらしいけれども、陽月がここに来たのは初めて。
右も左も判らず思い切り緊張しながら陽月はガードマンの指示で、業者用の駐車場に車を止めた。それから花が入ったダンボールを抱えて、一ノ瀬が言っていた六階まで業務用の荷物エレベーターで上がった。
フロアは大型の結婚式場の様に、何かで使われていて静まり返っている部屋と、会議が終わったのかドアが開かれて名刺交換をしている人が何人もいるそんな部屋。似たような用途で使っている部屋が、いくつも並んでいた。
目指す会場を少し遠目に見ると、会場はこれから行う何かの為に、何人もの業者やスーツを着た社員らしき人間で賑わいでいた。
ここに一ノ瀬さんがいるんだ…。
そう考えると自然に力が入ってくる。ただ依頼された花を運ぶだけだと判っていても、背筋に感じる緊張、手が震えている。
自分を必死に奮いたたせて慌しい様子を近くから覗くと、中は入り口より職人らしきすれ違う人々の迫力。皆がきびきび動いているように見え、見慣れない光景に陽月は戸惑い段ボール箱を抱えておろおろするしかなかった。
誰に声をかけようか困っていると、ドアの先から先ほどの男のものと思われる怒鳴り声が聞こえてくる。
「そんなことも出来ないのか! ぼんくら!」
電話で受けた印象そのものの罵声。声の主を除き見るとどこかの雑誌で見たことがある男の姿だった。
あ、本物の一ノ瀬淳史だ…。
商店街のヒーローショーですら連れて行ってもらった経験の無い陽月は、初めて有名人と出逢った驚きに思わず心をときめかせていた。
陽月の笑みとは反対に、光が溢れている会議室の中は凍える様な空気が流れている。
声がかけにくい空気。
周りが一ノ瀬を見る視線と、苛立っている当事者は荒らしを思わせるきつい沈黙だった。
一ノ瀬は大きく舌打ちをすると担当者らしき人々に踵を返す。
「出来たら呼べ、出来るまで呼ぶな。たくっ…、いい加減注意させるなよ!」
自分の言いたいことだけいうと、苛立ったまま一ノ瀬は部屋を出て行ってしまう。
後に残ったのは、陽月の様な新参者が声をかけられる様な空気ではない無言のみ。
陽月は小さく溜息を付くと段ボール箱を抱えて、一ノ瀬を追いかけた。
* * *
たどり着いたのは、控え室に使っているらしい小さめな会議室だった。
扉には入室の際には、ノックして下さい。一ノ瀬とA4の張り紙がされているから間違えはないだろう。
生一ノ瀬を見て舞い上がってここまで付いて来たのはいい。けれども控え室まで来て本当に良かったのかと考えると、不安が心によぎってくる。
部下に怒鳴っていた時や電話での口調。思い出すとやはりここは無難に会場に戻って納品した方がいい気に陽月はなってきた。
Uターンしようと思ったその時、控え室から何かをひっくり返すようなすごい音が聞こえてくる。
何事? と近寄る陽月。一度すごい音がした部屋はすぐに不気味なほどに沈黙してしまった。
中が気になる…。
一ノ瀬さんが怒りのあまり、脳の血管でも切って倒れていたら大変だし…。
不謹慎な好奇心と微かな心配とが重なり合う。
陽月はドアを軽くノックしてドアノブに手をかける。
ドアはありがちなミステリードラマの設定の用に、手をかけた瞬間開いてしまう。
どうやらドアがきちんと閉まる前に施錠したらしく、その所為で上手くかみ合っていなかったらしかった。
「あの…、大丈夫ですか?」
最初は泥棒の用に小さな声。こそこそと、身体を小さくして…。こそこそ隠れているせいか、一ノ瀬の後ろ姿以外見えない。
何をしているんだろう? 気になって乗り出した次の瞬間、物音に振り向いた一ノ瀬と目が合う。
!!
…。
こっそり入ってきたことに対する罪悪感よりも、自分の目に映っている一ノ瀬の姿に驚き言葉を失った。
あまりに考えられない一ノ瀬の奇行だった。
何も話せずに言葉を失っているのは、陽月だけではない。
当事者の一ノ瀬も見られては行けない自分の姿に陽月と同じように話すことが出来ずに、ただポカンと口を開けている。
当然だった。
多分本人も誰かに知られたくない行動だったのだろう。
一ノ瀬はおそらく装飾に使うであろうバラやかすみ草をばくばくと、まるで何かに取り憑かれたように食べていたのだから…。
動けずに固まるしかない二人。
陽月ははっと我に返るとさりげなく、何も見てないという様子を装って笑う。
「あ、あの…、失礼いたします~。雫生花店ですがご注文のお花をお届けに上がりましたが…」
きわめて不自然な笑顔。今の陽月にとっては、引きつっていようが、取り繕うっていようが、混乱してようが笑顔は笑顔だった。当然かなりやけも混ざっている。
「あ…、ああ…」
顔の筋肉を引きつらせながら、応える一ノ瀬。
一ノ瀬の方も陽月と変わらずどう反応して良いのか、態度を決めかねているらしい。その証拠に先ほどまでムシャムシャと食べて花が無くなった、バラやかすみ草の茎が微かに戸惑うように揺れているのが見えた。
「あ、あの…、ご依頼の花、ここに置いて良いでしょうか?」
「ああ。いや…、すまんがレセプションルームに届けて貰えるか?」
「あ、あは。そうですね、ハハハハ…」
後ずさりしながら、陽月は部屋を出ようとする。
一ノ瀬の奇行に対して関わってはいけないという思いよりも、記憶から今見たモノを抹消しなくてはいけないと言う意志の方が強いだろう。
この耐え難い空間からもう少しで抜け出せるとドアノブに手をかけた瞬間、一ノ瀬が叫ぶ。
「いや! 待ってくれ!」
え? と驚くように動きを止める陽月に、一ノ瀬は手にしていた茎を投げ捨てて駆け寄ってくる。
「待ってくれ、花はこちらで頂こう…」
頂く? もしかしてまた食べるってこと?
微かな不安と疑問。思っている事を表情にすぐ表してしまう陽月は、眉を寄せながら一ノ瀬を見つめてしまった。
「あの…、これチューリップなので…、食べると毒になりますよ…」
「え? あ…、いや…、そのくらいの事は知っているから…、大丈夫だ。そのチューリップは食う為じゃない…、いや今回のコンセプトに重要だから…」
一ノ瀬に向ける陽月の視線は、信じていないとはっきり言っているものだった。陽月の視線と言葉に狼狽えている一ノ瀬は、控え室に入る前の偉そうぶりが想像出来ないほど、顔を引きつらせている。
「あ、それなら良かった…、家の花で中毒死ってものあまり縁起のいいはなしじゃないんで…。じゃあ、納品書と請求書…、置いていきますね…」
もう一度後ずさりにチャレンジする陽月。
一ノ瀬は一度深く息を吸うと、陽月の腕を思いっきり掴んだ。
「ま、待ってくれ…」
「あの…、俺…、誰にも言いませんから…、ほら、ただの納品の業者だし…」
「それは…、いや…。確かに見たことは誰にも言わないで欲しいんだが…」
「大丈夫ですよ。それにきっと一ノ瀬さんが花食っていたって皆言っても信じないか、でなければやっぱりって言うかどちらかですから…」
「やっぱり言うのか…」
つい口を滑らせた言葉に、一ノ瀬は過敏に反応し陽月を世にも恐ろしい目で睨み付ける。
「あ、すみません…。それはただの言葉のあやで…。これは秘密にしまし。絶対します!」
「本当だな…」
「はい…、つーか今回の納品以外…、もう、逢わないし…」
「…」
何か訴えるような視線で、思案している一ノ瀬。
厳しくてきつい一ノ瀬の視線が、まるでビクターの犬のように空ろで縋ってくるように陽月には見えてくる。
やばいよ…、この人。
花を食べる行為よりも、この人の今のどこかドンと腰掛けたような視線の方が、危険度を訴えている。
そこまで言って陽月の心の少しずうずうしいかなぁ~、とも思えるアイデアが浮かんだ。
「あの…、よかったら事情聞いてもいいですか? 俺、秘密守れるし…」
「…」
無言で固まる一ノ瀬の厳しい瞳。陽月も不安げに一ノ瀬を見つめる。
いつもの陽月であったら長いなどせずに、逃げ出していただろう。しかし心の中ではさっきまで威張り腐っていた一ノ瀬の弱みを見てしまったという特権意識が浮かんでいた。陽月は、少しだけ感覚が違っていたのだと思えた。
「じゃあ、理由は聞きません…。でもばれるとまずいから焦ってるんですよね? だったら俺をバイトで雇って下さい」
「バイトで?」
「ええ、一ノ瀬さんと周りの人の連絡役引き受けますよ。そうしたら一ノ瀬さんがお腹、空いて花をがっついていてもばれないし…」
「……」
「判った…、まず花を見せてくれ…」
気持ちの行き違いに一ノ瀬は大きく溜息を吐いた後、眉を歪めたまま陽月を見つめる。
「え? えぇ…」
戸惑いながら陽月は段ボール箱を机の上に置くと、中の花を傷つけないように力加減を気にしながら開けた。
一ノ瀬は、陽月が取り出すのを待たず段ボールから真っ赤なチューリップを一本取り出す。
まるで宝石の鑑定でもしているように、じっくりとチューリップを見る一ノ瀬は、まじめにエリートサラリーマン、格好いい。
ちょっとだけ一ノ瀬を感心しながらも、持ってきた花に値踏みをされているのは事実。電話の時のように嫌み言われて怒鳴られたらと思うと、陽月の背筋に冷たい汗が流れてくる。
「これなら良いだろう…。判った、次回も君の所から購入するから…」
「え?」
「今回の事は黙っていてもらう。もし君が望むなら、俺の仕事も手伝ってもらう。その交換条件だ、君の話を受けよう…」
一ノ瀬は何かを吹っ切ったように、チューリップを一輪持つ手でニヤリと微笑んだ。
辺りに漂うチューリップの歌のような安心感。
けれどもほっこりしていた空気に、すぐに冷たいブリザードの風を一ノ瀬は流す。
「とにかく、今日は俺の仕事を見ていてくれ…、まあお前の都合はあそこまで豪語したんだ、当然大丈夫だな?」
厳しい一ノ瀬の表情に、陽月はその時、自分が軽はずみなことを言った気が初めてした。
と言っても後の祭り。
陽月は顔を引きつらせながら、笑みを浮かべた。
脳天気そうに見える陽月の表情に、一ノ瀬は無言のまま表情を引くりとさせていた。しかし笑顔を向けたまま固まっている陽月に、眉を寄せたままジトリと厳しい視線で見つめる。
「別に腹が減ってたから食ったんじゃない…」
「えっ…、違うんですか…」
びっくりした陽月に、一ノ瀬は表情を硬くしてきつい目を向けた。
一瞬の沈黙。一ノ瀬は陽月には通じないと諦めたのか、大きく溜息を付く。
「最近…、無意識にストレスが溜まるんだ…」
「はぁ、大変ですね…」
「君にはストレスがなさそうだね…」
「そんなことないですよ、毎日ストレスばっかりで…。でもそんなにすごいんですか? 一ノ瀬さんのストレスって…」
一ノ瀬から見れば、全然ストレスのなさそうな陽月の態度に、眉を目を思いっきり眉間に寄せる。
「会社は君みたいに使えない人間ばかりだからな…。新規事業はまず実績を上げないとだめなんだよ…」
何を判りきっていることをいわせるんだと言う一ノ瀬の態度。
陽月からしてみれば、自分を中心に考えている行動がすべてストレスを生んでいる気がする。
だいたい他人が思っていることをどこまで理解出来るかなんて、すべて自分の努力次第じゃないか…。もちろん俺は面倒だから努力もしない代わりに、相手にも求めないけどね…。
いつもなら話半分にして内容を聞き流す所だけれども、先ほどバイトで雇え、などと乱暴な発言をした自己責任もある。
すでにここで、陽月は一ノ瀬に偉そうに、発言してしまったことを後悔し始めていた。
「っていっても~。やっぱり一ノ瀬さんみたいに出来る人って、そういないんじゃないんですかね? それ考えたらしょうがないと思いますけど…」
「…」
ちょっと言い過ぎたかな…と、少しだけ反省しつつ一ノ瀬を見た。一ノ瀬は眉を寄せたまま別の所をみて、何かをぶつぶつ言っている。
そして一ノ瀬の手が無意識に近くにあったバラの花に伸びると、先っぽからムシャムシャと食べ始める。
別に美味そうに食べている訳ではない。
どちらかというと、自分の上手く口から出ない思いを、何かにぶつけないといけないという思いが伝わってくるほど、苦しそうにバラの花を食べていた。
驚いた陽月は慌てて一ノ瀬から、バラの花を取り上げた。
「何やってるんですか、一ノ瀬さん!」
陽月に花を取り上げられて、一ノ瀬は初めて我に返った。そして無言のまま、自分が食べた花を見て、大きく溜息を付いた。
「別に…、花の所為じゃないんだ…」
「一ノ瀬さん…」
「ただ気が付くと八つ当たりでもするようにかみ砕いていて、最後には腹の中に納めてしまってるんだ…」
「それって…、なんかまずくないですか? 医者に行った方が…」
一ノ瀬は躯をびくっとさせたて陽月を見た後、また視線を下に落とした。
「ああ…、確かにな…、でもその勇気がない。医者に行くのは、自分が負けを認めている気がして…」
苦しい物でも吐き出すように一ノ瀬が息を吐く。
「一ノ瀬さん…」
陽月は一ノ瀬の横に立つと、頭を数度ぽんぽんと子供をあやすように叩いた。
その瞬間一ノ瀬の今まで青ざめていた顔色が一気に赤くなる。
「お前は、それで俺を慰めているつもりか…」
「えっ…」
「お前は俺に同情して、それで満足か!」
いきなりの展開。
今まで真っ青になって苦痛を訴えていた男が、いきなり立ち上がると物凄い形相で陽月を睨む。
「一ノ瀬さ…ん…」
ぶ、分裂症?
「あんたさー、落ちてたと思ったらいきなり、復活してやばいんじゃない?」
「…」
一ノ瀬は厳しい目をして、陽月の元にずんずん近づいてくる。
まじにやばいよ…、恐怖に後づさる陽月。
逃げようとする陽月をどんどん追いつめる一ノ瀬。
陽月は一ノ瀬の顔を思いっきり引っ叩いた後、何を考えているのか自分でも理解出来ない行動をとってしまった。
それは、キス。
混乱しているときの人間とは、可笑しな行動をするもので、などと冷静に判断している余裕などない。
よく少女漫画で混乱している女に、男が軽く叩いた後、むちゅーっとチューをするあれが脳裏を横切り、陽月は何を思ったのか実行してしまった。
一ノ瀬相手に…。
もちろんべろチューなんて豪快なものではない。しかし唇を越えて、お互いの前歯がぶつかるほど物凄い近距離のチューだった。
キスに今までショートしていた一ノ瀬の頭の回線が繋がったのは、表情が元に戻り、動きが鈍きなる。
陽月は安心して、唇を離すと逃げる算段を頭の中に立てていく。
とにかくこの部屋を出れば、後は自分で言ったことも何とか誤魔化すことが出来る。
必死な思いで陽月が走ろうとすると、一ノ瀬はすかさず腕を掴んだ。
「何処に行こうとしているんだ…」
まずい…、目が座ってるよ…。
かなり自爆行為とはいえ、突然のキスで少しは冷静になったと思えた一ノ瀬だった。しかし、陽月がした行為は、逆効果だと、すぐに体感させられる。
「判った…」
「何が~?」
低く地を這うような一ノ瀬の声。対照的に上ずって頭のてっぺんから出している陽月の声。
こうなるとマングースに睨まれたハブの気分。
マングース一ノ瀬が、不適な笑みを浮かべ、近くにあった荷物を梱包するビニールロープを手にする。
「キスを仕掛けてきたのは、君だからね…」
「何を言っちゃってんですか、い、一ノ瀬さん! もし悪いことしたんなら謝ります。すみませんでした。だから、れ、冷静になりましょう、冷静に…」
もしかしたら、混乱で半べそくらいかいていたかも知れない。
そのくらいパニックを起こしている陽月の両腕を掴む。そして両腕を陽月の背中に回すと、見事な手つきで花をまとめるようにビニールロープで身動きが出来ない様に括る。
「げっ、何ですか…。ちょっと冗談は止めて下さいよ…」
「冗談なんかじゃない…。君がその気なら、もっといいことを君にして上げよう…」
一ノ瀬の表情はすでに危ない人を通り越して、まるで餌に食らいつく妖怪かゾンビ。
のたうち回ろうが、ばたばた暴れようが、そんな事はお構いなし。
足をすくって陽月を床に転がすと、乱暴に服を解いていく。
当然陽月も逃げようとする。
しかし、パワーは妖怪一ノ瀬の方が上。
どう足掻いてもただ子供が大人に喧嘩を挑んでいる様なものだった。
「おっさん! ふざけろ! これじゃただの変態だろう!」
「うるさい…。静かにしろ…、ガキ」
物凄い低い声で睨んだ後、騒いでいる陽月の唇を自分のもので覆う。
先ほど陽月が仕掛けたものなど、生やさしいほどの口付け。
思い切り陽月の口蓋を暴れ回る一ノ瀬の舌。
何が何だか判らないままに絡められる舌に体温が加わり、初めて陽月は一ノ瀬が自分の上に乗っかっているのだと気付いた。
重くのしかかってくる、一ノ瀬の体重。躯を少し上げた部分からは、手が人間が性的な欲望を感じる部分を弄ってくる。
もっとリアルなのは、一ノ瀬の屹立だった。
このおやじ興奮して、勃起しているよ!
やばいよ…。
そうは思えども、口は塞がれたまま、腕は自分の躯の下で潰れている。
足はばたばたさせればさせるほど、一ノ瀬の力を持った息子の姿を実感させれられる。
そうなってくると、元々努力も根性も忍耐も好きではない陽月は、後は一ノ瀬のさせる様にされ、流される様に流されるしかなかった。
逆に抵抗するのも、バカらしく思えてくる。
あがなうのを止めると陽月は従順に一ノ瀬に躯を任せる。
一ノ瀬もあまりに早いホールドアウトに、少しだけ調子が狂ったのか様子を伺ってくる。
「どうした? もう抵抗しないのか?」
「抵抗したって、無駄でしょう? それとも抵抗したら止めてくれますか?」
「いや…」
「だったら、しょうがないでしょう? こっちは体力がないんだから…」
拗ねた口調で唇を尖らす陽月に、一ノ瀬は一度目を丸くするように大きく見開いた後、目を細めて笑みを浮かべる。
「そんな体力なくて、よく花屋が出来るな…。まあいい、お前がいいなら…自由にさせて貰う…」
ちょっと真剣に恐い笑い。
まるでお化け屋敷の魔物か魑魅魍魎の様な笑みを浮かべている一ノ瀬に、陽月は慌てて叫ぶ。
「ちょっとまった!」
「何だ!」
苛立つ妖魔一ノ瀬。しかしどんなに陽月にも引けない部分がある。
「痛いのだけは…、止めて下さいね…」
じとりと目が細くなり、眉が寄る魔王一ノ瀬。
本の少しの沈黙の後、くくくっとそれこそリアルバケモノそのもの笑いをする。
「なら、痛かったら言え…」
「まじで? それで勘弁してくれる?」
「それはその時、考える…」
「げー、きったねー!」
叫んだ陽月に、一ノ瀬は大きく舌打ちをする。
「ぐちゃぐちゃ言っているから萎えたじゃないか…。銜えろ…」
「げー、まじで?」
言い終わる前に、一ノ瀬は自分の前を開けて小さくなった自身を陽月の口の中に突っ込んだ。
もごもごもごもご…。
もう反論を口から吐き出すことの出来ない陽月。
「いいか、丁寧に舐めろよ…、俺を気持ち良く出来たら、お前も気持ち良くしてやる…」
嘘なのか本当なのか判らない言葉。
しかし変な所に見栄を張りたがる陽月は、変態一ノ瀬のおちんちんを噛んで脅かすことも出来る状況で、素直になる。
それも何もそんなに丁寧にしなくても、と言われそうな程、亀頭の裏をくすぐるように舐めたかと思うと、思いっきり喉の奥に吸ってみたりと…。
それでもつたないテク。しかし一ノ瀬はすぐに興奮し始め、熱い息を吐きながら自分から腰を揺らし陽月の喉に先の辺りをぶつけてくる。
喉には青臭い先走りの液の味。
そうなるとやばいのは、陽月の方だった。
ジーンズの下では自分では制御不能の棒がむっくりと力を持ち、頭では性欲男一ノ瀬だけと恨めしくなってくる。
自分で弄りたい。
しかし両腕は縛られ、挙げ句に自分が敷いていて痛くなり始めている。
突き上げる興奮と苦しさに、陽月は躯を必死に一ノ瀬に擦り付け何とかもっと激しい快感を求めて様と、うなり声を上げる。
ばたばたと暴れる陽月に、与えられる行為に酔っていた一ノ瀬は眉を寄せながら唾液でべろべろになっているデカイ息子を外す。
「どうした…」
この一言が何よりも救い。
「俺も…、気持ちよくして…」
羞恥心など母のお腹の中に追いてきた。
すでに理性など消し去るほど、気持ちよくなることだけが頭の中に浮かんでいる陽月は、涙を流しながら懇願する。
時の勝利者一ノ瀬は、下品な笑みを浮かべて陽月を見下ろす。
「そんなに気持ち良くなりたいか…」
水源地の水のように次から次へと沸いてくるやり場のない性欲を持て余しながら、陽月は固く目を閉じて頷いた。
悪代官の様に満足げな笑みを浮かべている一ノ瀬は微かに〝それでは…〟と呟くと、陽月のシャツとズボンを乱暴に脱がせた。
びっくりした陽月。
しかし一ノ瀬は暴力を振るう為ではないのだと、次の瞬間の全身への愛撫で気付かされた。
キスマークなど付くのはお構いなし。
寒さでツンと立った乳首は当然、乳頭の周りの褐色を帯びた乳暈、脇、へそ、そして陽月自身とすべてを自分の物だと主張しているように唇を落としていく。
それは今まで陽月が知っていた、こんにゃくやエロ本、DVDなどに頼る快感とは比べ物にならないほど、くせになりそうな程やばい感覚だった。
「ぁ…んっ…、ぃやっ…」
息がどんどん上がり、自分でもびっくりするくらい甘えた声が、止めどもなく出てくる。
気持ちいい、そして早く達きたい…。
陽月の頭の中は真っ白になり、官能を求めること以外の言葉が浮かばなくなる。
「ずいぶん感じているじゃないか…」
悪魔一ノ瀬冷たい呟きが聞こえた瞬間、今まで快感を引き出してくれていたや唇すべてが躯から離れていく。
「だめ…、もっと気持ちよくして…」
他人から見たら情けないほどに一ノ瀬に縋り付いているのが自分でも判る。
けれども腕の自由が利かない陽月は、一ノ瀬に達かせて貰うしか方法が無いのだ。
先ほどよりももっと情けないくらいに涙して、一ノ瀬の懇願する。
「お願い…、達かせてくれ…。自由にしてくれ…。何でもするから…、お願い…」
もう達せられるならなんでも出来る、そこまで陽月は追いつめられていた。
「何でもか…、その言葉忘れるなよ…」
一ノ瀬がくくくっと笑ったのを理解する余裕も無く、陽月はうんうんと頷いた。
達けるならば、例え悪魔にも心を売ってもいい。
神様だって許してくれる。
そんなとんちんかんな言葉が頭に浮かぼうとも、それでもいいのだと陽月には思えた。
「なら…」
呟きが聞こえた後、飛んでもない部分ににゅるんとした気持ちの悪さと圧迫感が襲ってくる。
一ノ瀬は縋り付く陽月の両足を、自分の肩の上に乱暴に乗せた。そして近くにあったハンドクリームの中を、思い切り陽月の後ろの蕾に押しつけ付けてくる。
ねっとりとしたクリームを押しつけるまでならば、百歩譲っても許せるかもしれない。けれども事もあろうに一ノ瀬は、自分の指にもクリームをたっぷり付けた指で、陽月の腸内を暴いていく。
それも指二本も使って。
「げげっ…、うげっ…」
痛みなのか、かゆみなのか、それとも別の何なのかまったく判らない感覚が躯を襲ってくる。
けれども気が付くと、驚きと最初の痛みで萎えてしまった陽月の竿が、またぐぐぐっと力を付けて戻ってきていた。
自分の躯に何が起こっているのか、陽月にはまったく理解出来ない。
気持ちがいいのだ。
先ほどの興奮とは少し違う。それでも確実に最高の気持ちよさを与えてくれる確信が、その狭い器官にはあった。
一ノ瀬は二本の指を縦横無尽躯の中で動き回る。
まるで生きている動物のように。そして自分では狭いと思っていた入口をどんどん拡げていく。
何の為に?
波の様に襲ってくる快感とは別の所で、小さな不安が浮かび上がってくる。
この男は何をしたいのか…と。
そして指は三本に増えると、もうこれ以上限界と思える程、大きく拡げていく。
きつい圧迫感に、目を思い切り瞑った瞬間、ふーっと息を抜ける様に、指も狭い入り口から消え去る。
陽月の口からも、安堵の息が吐かれた。
しかしそれは終わりでは無く、始まりだった。
息を吐いた陽月の口が、再び一ノ瀬の唇に寄って塞がれ、また舌が中で暴れ回る。
そして陽月にはまったく予想出来ないことが本当に起こった。
一ノ瀬は自分の屹立にハンドクリームを思い切り塗ると、自分で緩めた小さかった陽月の後蕾を一気に貫いた。
「くっ…」
眉が歪むほどの苦痛に、陽月は思わず歯を食いしばった。
それは勢いに任せた方も同じだったらしく、一ノ瀬のそれなりに調った偉そうな顔が苦痛に歪んでいる。
そりゃ狭い所に挿れられた方も、挿れた方も痛いだろうさ、はははっ。
などと笑う余裕など、陽月にはないのだ。
指と比べたたら、指に怒られてしまいそうな程の苦痛。
先ほどの快感とはまったく違う涙がちょちょ切れる。
痛くしないっていったじゃないか! そんな泣き言を言ってもいい場面だと思うのだけれども、お互いそんな余裕などありはしない。
双方大きく呼吸を何度か繰り返し、繰り返し。
そうすると人間の躯は不思議なもので、だんだんに慣れてくる。
それは一ノ瀬でも同じらしく、何度かゆっくりと息を吸って、吐いてとしている内に〝あ、大丈夫かも?〟と思ったらしい。
今度はゆっくりと陽月のお尻を左右に揺らしていく。
「いや…、だめ…、あっん、うぇ…、げげっ…」
一回痛みの波が去った後に来るものは、驚くことに先ほどと同じ気持ち。
快感だった。
揺らされるだけで、入り口の部分がくすぐったくなり、一ノ瀬の分身が与える圧迫感が気持ちいいところを擦っているそんな気がしてくる。
男でもこんなに感じられる部分があるとは…。
「ぁ…んっ、あっ…、んっうっ…、気持ちいい、気持ちいい、もっとして…」
初めて知った感覚に、酔っぱらいながら、陽月は自分から一ノ瀬の動きに合わせて腰を動かしていた。
一ノ瀬も慣れていない狭い器官は、陽月が感じれば感じるほどに最高な締め付けをもたらしていく。
そして気が付くとお互いが繋がっている部分だけしか考えられなくなり、気が付くとどちらともなく興奮の先の甘い蜜をぶつけ合っていた。
3.Smile of an evil spirit
目覚めるとしどけた格好をしている、全身を夕日が照らしている。
ぼんやりした頭、動かそうとしてもなかなか動かない躯。
陽月は自由の利かないすべてに苛立ちながら、何とか寝転んでいた床から上半身をもたげた。
両腕の痛み。ゆっくりと動かしてみると、手首には紐の後がくっきり残りあざになっている。
いったい自分はここに何をしに来て、で何をしていたのだろう…。
ああ、きっと配達に来てここで幽霊に逢って、閉じこめられて、襲われて…。
など現実逃避しようとする頭を許さない、部屋にこもった青臭い匂い。
それでも全身がべたべたしない所を見ると、あれば夢か幻か…。
はははっ…。いやきっと悪夢。悪い夢でも見たに違いない。
いくら現実から離れようとしても、動かない躯は何を今まで誰としていましたと〝これは本当に起こった出来事ですよ~〟雄弁に伝えてくる。
あほらし…、帰ろう…。
陽月は大きくてバミューダトライアングルくらいに深い溜息を付くと、あまりにありえない現実から逃れる為に家に帰ろう決意する。そして近くにあった机の助けを借りて、まるで生まれたての仔鹿の様な情けない格好で立ち上がる。
何も身につけていない躯。
それでもあのおやじの親切は、躯を拭いてくれたことと、風邪を引かないように着ていた服を布団替わりに掛けてくれたことだろう。
まったく、腹が立つと言うよりも、情けない。
情けないのは当然なのだ。
微かな記憶を辿ると、配達にここ来てから、二回も犯って。あの変態おやじは三十分も経たず即効解決でストレスを解消して会場に向かったのだ。
くそじじいなりの微かな優しさを残して、意識が遠くなる陽月を放置して…。
ブツブツと文句を言いながら、陽月は緩慢な動きで服装を整える。
それから、まあ、一応帰るぞと言っておいた方がいいかな~という良心からテーブルに置いてあるメモ用紙を取る。
しかしメモ用紙には、すでに先客がいる。
先客のメモは、書道でもやっていたんかい! と突っ込みたくなるような奇麗な文字で〝クリスタルルームにいる、目が覚めたら来い。でないと花代は払わない 一ノ瀬〟とふてぶてしい内容の伝言が書かれている。
どこまでふてぶてしい奴なんだ!
少しイライラしながら、元来のんきな性格なのか、真剣に考えるのは、代金の事。
チューリップ二百本の代金が入らなかったら、婆ちゃん、母ちゃん、父ちゃんに怒られるだけではすまされない。
その前に車がなかったら父ちゃんに怒られるかな、配達も手伝えないし…。
これは悪魔の化身一ノ瀬のろいなのだ。
きっとあのくそじじいは、陽月の知らないところでエロエムエッサムと謎な呪文を唱えているに違いない。
ほとんど現実逃避…。
陽月は大きく溜息を付くと、戻れなさそうな旨を家に電話した後、親の小言を聞く前に電話を切り、一ノ瀬の待つクリスタルルームに向かった。
* * *
クリスタルルームは名前の通り、一面のガラス張りの部屋。
外からの光をふんだんに取り入れ、部屋の中がきらきらと輝いている。
夕日と用意されたスポットライトの先には、陽月が持ってきた真っ赤なチューリップに囲まれた新製品と思える清涼飲料水。
品のある薄緑の缶緑と、光を屈折するフルートグラスに入った限りなく透明に近い緑の液体。その中で炭酸の泡が弾けては消え、また生まれている。
今日発表される新商品は、微炭酸のライムソーダ。
ライムソーダと真っ赤なチューリップの関係に付いては、陽月には判らない。けれども見てドキッとするほど奇麗だと感じるから、すべてが良しなのだろう。
「あ、すみません、吉田さん。そこのカスミ草を、もう少し高めにしてください」
聞き覚えのある声。しかし陽月の知っているこの声の持ち主の話し方とはまったく違う、まるで春の女神が微笑んでいる様なそんな甘ったるい話し方。
眉を寄せたまま、陽月が声の方向を見つめると、部屋の飾りで使うらしきフラワーアレンジメントの指導をまるで天使が浮かべるような笑みを浮かべてしている。
何重人格ですか? あの人…。
今日だけでも三変化する一ノ瀬に、戸惑いながら見つめている向こうも陽月の視線に気がついたらしく周りに声を掛けてこちらに近寄ってくる。
「ああ、君か…、すまないが時間がなかったので、花を先にこちらに運ばせてもらった…」
「はぁ…」
満面の笑みで応える一ノ瀬の態度に複雑な表情をしながら、陽月は頷く。しかし自覚症状がまったくないのか、後光で後ずさりしそうなほど輝ける笑みを浮かべたまま、一ノ瀬は軽く首を横に曲げる。
「何本か潰れた花があったが…、まあ今回は初の取引だからどうこう言うのは止めよう…」
一ノ瀬が優しい笑みを浮かべれば、浮かべるほど胡散臭く感じるのは、陽月だけだろうか。
いや…、身を呈した感覚は、疑い様もない。
「どうしたんですか?」
「何がだ?」
「さっきと全然違うから…」
「全然違うって…、何がだい? 言ってみてもいいよ?」
ぎろりん! と効果音でも聞こえてきそうな大魔王一ノ瀬の瞳。
陽月は返事も出来ずにただ、固まるしかなかった。しかし相手は何十枚も上手。
目は座ったまま、にっこりとやさしい表情で微笑んでいる。
「何をやっている、今日は見学だけしていたらいい。これからのことは、これが終わったら相談しよう…」
「これからって…」
「何を言ってるんだ。お前は俺の連絡係としてバイトするんだろう?」
目が笑っていないんですけど…。
雪の女王ならぬ、雪山の大魔王一ノ瀬に出逢ってから、目眩と寒気を感じる瞬間が多々ある。
背筋にぞくぞく来る寒いものを感じながら、陽月は後ずさりながら一ノ瀬を見つめた。
「あの、どうぞお気を使わないでください。辞退します、もう帰らせて頂きます」
「遠慮しなくていい!」
〝でも…〟と言葉を続けて丁重に辞退し様と思った瞬間、別のところから一ノ瀬を呼ぶ声がする。
一ノ瀬は軽く手を上げると、すっきり爽やかな笑顔をそちらに向ける。
「とにかく、君は邪魔にならないところで見ていて、次からは手伝ってもらうから…」
「でもちょっと!」
などと呼び止めようとする陽月をまた放置して、まったくストレスの感じていないような笑顔で一ノ瀬は行ってしまった。
おいおい…。
当然困ったのは陽月の方。
周りは陽月を置き去りにして、発表会に向けて立ち止まる様子はない。
発表会の開始時刻は、ちょうど日暮れ時。
夕日の一番奇麗に差し込む時刻に記者発表し、そのままレセプションに突入する。
一ノ瀬の所業は許せないものがあったけれども、それでも始めてみるテレビで見るビジネスの現場に常にぐーたらな陽月の心もどきどきしてくる。
初めて見る世界に、初めての感覚だった。
皆ばたばたと一つのことを作り上げている。
魔物一ノ瀬の指示を受けて、女性たち数人のチームになってチューリップとカスミ草を奇麗に部屋を飾り、男たちは製品をクローズアップするレセプションの支度をしている。
これが雑誌に載っていた一ノ瀬マジックなのだ。
一時間も経たないうちに、部屋は可愛らしい花畑となり、橙色の光が外から入るといっそう華麗さをます。
取材にきた記者もレセプションの参加者も皆この瞬間の商品発表に、感嘆を上げている。
陽月自身も人間としては最低な一ノ瀬の才能に、思わず感動してしまった。
そしてほんのちょっとだけ、手伝えるなら手伝ってみたいと思ってしまうくらいにかっこいいと思ってしまった。
もちろんほんのちょっとだけだったけれども…。
梅雨の晴れ間と言っても、空が茜色の時間はそれほど長い時間ではない。
蒲色の空がどんどん群青色に染まり、周りのビルに灯りがともる。
商品発表会場から、室内はレセプション会場に変化を遂げると、花の周りの風景もまた別の色に変わっていく。
普段は真っ赤なチューリップが、こんなにも色々な変化するんだと、その時初めて陽月は知った。
不思議な世界だった。
こんな花畑でライムソーダを飲んだら、最高だろうな…などと思わせるそんな風景をレセプション中でも客に思わせる。
何もすることもなく、ただぼんやりとすべてを見学していた陽月にとっても、ものすごい貴重な瞬間だった。
時間が経ち、客は消え去り、レセプションルームの電気が落ちる。
陽月が持ってきたチューリップは赤い可愛らしいリボンをかけられて、今日発表されたライムソーダと一緒に客たちが持ち帰っていった。
満足そうな表情で帰途につく客たち。
客たちは口々に天才マジシャン一ノ瀬の企画を誉めている。
それが彼の評価。
きらめく商品発表会、夢から覚める瞬間を始めて陽月は知った。
シンデレラの魔法が醒めると、こんな気分になるのだろうか、とまじめに感じるほどに。
ここに来て、どのくらいの時間が経ったのだろうか。
客既に皆消え、スタッフも最後の点検をしている数人だけがしか残っていない。
会社の関係者でない陽月は、邪魔にならないようにしょうがなく一ノ瀬の控え室で時間を潰していた。
時計をちらりと見ると、まもなく九時になろうしていた。
電話を受けてからほぼ半日。一ノ瀬という男に引っかき回されて、過ぎてしまった。
疲れた…。
陽月が深い溜息を付いた時、音を立ててドアが開き、一の瀬が入ってくる。
「待たせた…」
「いえ…」
小さく陽月が呟くと、鼻から息を吐きながら一ノ瀬が微かに笑みを浮かべた。
「疲れたか?」
「そりゃあ、まあ、慣れない場所にいましたから…」
「こういう場所に納品したことがないのか?」
「無いですよ…、家なんて小さな街の花屋ですから…。配達する場所なんて、近所の華道教室とか、スナックくらいですよ。後は、彼岸、盆、正月、仏壇用の花ばっかで…」
疲れもあって、陽月は溜息を吐くように呟いた。
「で、お前はそれで満足していないって訳か?」
図星だった。
家で扱っている花すべてが、陽月にとって配達も店番も仕入れもすべてが煩わしいものだった。
今日、一ノ瀬の仕事を見ていて、きらきらしたことをやってみたいと本気で思った。
今までやっていたことから脱して、何か目指す物が欲しいと本気で感じた
だからと言って、本当に出来るかというと、また別の話なのだと言うことも思い知った。
今の陽月では、きっと何も出来ない。
見学しか自分には向いていないのだと…。
「そうですね、でも適材適所って言うんですか? 俺にはあの花屋があっている気がするんですよ…」
陽月は唇だけで笑みを作って、一ノ瀬を見た。一ノ瀬は眉をきゅっと寄せると陽月の腕を力任せに掴んだ。
「本当に、お前はそれでいいのか? 俺の手伝いをしたいと言ったのは口から出任せだったのか?」
びっくりした。
腕を握る腕の強さに驚きながら、陽月は一ノ瀬の手を一本ずつ指を外しながらゆっくりと解いていく。
「でも、今日見て、何も出来ないな~って思いました…。商品発表からレセプションまでずっと見学していて、外の光と照明と花がすごく奇麗だった」
「…」
「俺は自分が持ってきたチューリップがあんな風に使って貰えるんだって、感動出来ただけで、あそこまでして貰えて、立ち会えて良かったな~ってまじに思いました…」
一ノ瀬の手をすべて解し終えると、陽月は真っ直ぐに一ノ瀬の方を見て小さく頭を上げる。
「強姦は最低だと思いましたけど、でも今日はあなたに逢えて良かったと思います。もう逢うこともないかもしれないですが、有り難うございました…」
立ち去ろうとした瞬間、一ノ瀬が陽月の肩を骨を本気で折るんじゃないかと思えるほど、力任せに掴む。
「ま、待てよ…」
地を這う地獄からの使者の様な不気味な強さを含んだ一ノ瀬の声。
この声のトーンに聞き覚えがある。
いきなり押し倒された時、一ノ瀬が出したのが今の様なごごごぉ~とゴーレムが躯を引きずって進むそんな音だった。
陽月は身構えながら、すかさず離れようとする。しかしそんなささやかな抵抗が、大魔王一ノ瀬に通じる訳がなかった。
「待てよ、今日のお礼だ、いい所に連れていってやるよ…」
「いや…、えっ、遠慮します…」
頭を下げて空いている右手を一ノ瀬の顔の前に突き出すと、陽月は逃げようと算段していく。
「遠慮するなよ…、とにかく、ついてこい」
一ノ瀬はそう言うと、陽月の腕を掴んで歩き始める。
無理に引き離すことが出来ず、陽月は諦めて一ノ瀬に付いていくことに決めた。
* * *
一ノ瀬はまるで犯人でも連行するように、陽月をタクシーに押し込み近くのシティホテルに連れて来た。
どうやらこのホテルは一ノ瀬が定宿にしているらしく、簡単にチェックインをすると、手慣れた様子で鍵を受取り部屋に向かう。
何も話さないまま部屋に入ると、一ノ瀬の手が陽月から外れた。
驚く程に鼓動を早める、陽月の心臓。
何がとか、どうしてとか、質問したいことが山ほどある。
しかし訊くことも、逃げることも、拒絶することすら出来ずに、陽月は付いてきてしまった。
入り口で動けないまま立ちつくしている陽月。一ノ瀬は部屋にある応接セットの椅子の上に着ていたジャケットを置くと、小さく溜息を付きまた近くまで来る。
そしてまるで恋人を部屋に連れてきた様な慣れた手つきで、陽月の唇に自分のそれを重ねる。
最初はなすがまま一ノ瀬の口付けを受けていた陽月だった。
けれどもすぐに我に返ると、陽月は一ノ瀬の一物に膝蹴りをした。
小さく〝っう…〟という呻き声の後、陽月から離れる一ノ瀬。
「おっさん、こうやって素人部屋に連れてきちゃ、犯ってんのかよ! 昼はそのまま流されたけど、もうその手には乗らないからな…」
吐き捨てる陽月。一ノ瀬は鬼の様な形相で睨むと、今まで腕を抱きしめていた両手で陽月の頬を挟むように叩いた。
「おっさん! 何すんだよ!」
「目が覚めたか! 君は今日、俺の何を見ていた!」
「何言ってるんだか判かんねーよ! この強姦おやじ、きちんと説明しろよ」
悪態を付きながらばたばたと暴れる陽月は、一ノ瀬の腹に何度も蹴りを入れる。
「お前! いてーだろう!」
足の裏や膝が何度も腹にヒットするたびに、苦痛の息を漏らしながら、今度は一ノ瀬の頭の中で堪忍袋を閉じていた紐が、プツッと音を立てて切れる。
鬼の形相をした一ノ瀬は、両手で挟むように陽月の顔を叩くと、物凄い力で両肩を押さえつけた。
「君におやじやおっさん呼ばわりする年齢じゃない! それよりも俺は同意の上だと思ってここに連れて来たんだがな! 君は自分の行動を自覚がないのか!」
「何がだよ!」
両足をばたばたさせ、両手ではとにかく届く限りの物を打ちながら陽月は、一ノ瀬から逃げようとする。
昼、逃げられずに二度も犯ってしまったことを後悔するように、全身全霊の力を入れて暴れた。
「あ~! 落ち着け! 暴れるな、とにかくまず話し合おう、それからだ!」
必死に止める一ノ瀬の姿は、暴れる子猫を押さえつける三味線屋の様な格好なのだろう。
しかし陽月に取っては、そんなことは関係ない。
このまま流されれば、自分の何かが一八〇度変わりそうで、陽月は恐かったのだ。
「と、に、か、く! 俺の話を聞け!!」
陽月の両肩を地面に力一杯押さえつけ、一ノ瀬の叫び声が部屋に響き渡る。
あまりの一ノ瀬の強い力に、陽月は思いっきり目を見開き動きを止めた。
「俺はホモでもなければ、若い男を部屋に連れ込む趣味はない!! 今まで一度だってあんな乱暴なセックスはしたことがない!」
「じゃあ!」
「お前は、お前が特別なんだ!!」
今まで陽月が訊いたことがない、苦しそうな一ノ瀬の四つ目の顔だった。
きつくもなければ、傲慢でも、愛想笑いをしてる顔でもない。
どこかやり場の無い思いに戸惑う、そんな一ノ瀬の苦しそうな表情だった。
「すまん、声を荒げて…」
また知らない一ノ瀬の姿に、すっかり毒気を抜かれてしまった陽月は、暴れも悪態も忘れてパニックになっていた自分を小さく反省した。
「…、いや…、こちらこそ…、暴れしまって…」
抵抗しない陽月の姿に安心したのか、一ノ瀬は床に押さえつけていた手を外し、その場にしゃがみ込んだ。陽月も穏やかな呼吸をしながら、一ノ瀬の前に座った。
一ノ瀬は小さく息を吐いた後、どうしていいのか判らない思いをぶつけるようにきちんとセットされていた髪の毛を掻きむしる。
「自分でも判らないだ…。何故花を食べてしまうのか、君にあんなことをしたのかも…」
すべて一ノ瀬が言っていた、ストレスなのだろうか…。
「おっさん、ホモじゃないの?」
陽月の素朴が疑問に、ぎろっと視線をきつくしながら睨み眉根を深く潜める。
「さっきから違うと言っているだろう? 何度も言わせるな…」
微かに〝そんなこと〟と言葉を足す。
もしかして、この人照れてる? と突っ込みたくなるプリティな態度。
可愛いと思っても、だからと言って昼間のとんちきな態度は理解出来るものではなかった。
「でもさ、あんた、俺にあんなことしたじゃんか!」
「それは!」
「それは、何?」
意地悪げに首を傾げる陽月に、一ノ瀬は勘弁した様に深々と溜息を付く。
「判らない、本当に判らないんだ…。だからお前をここに連れて来た。いや…、もっと別の理由があるのだと思う…。しかしそれが何なのかは自分でも応えられない…」
「何でさ?」
「何で? そんなの決まっているだろう! 自分でも理解出来ていないからだ」
どうどうと、訳の判らないことで胸を張られ、陽月は脱力した。
この男、頭が切れすぎてどっか別の回線まで切れてしまったんだろうか…。
そんな弱い面見せられると、拒むこと出来なくなるじゃんか。自分の頭の中を掠める結論に、陽月は大きく溜息を漏らす。
「でさぁ、あんた、俺とまたHなこと出来るっていうの?」
「ああ、そのつもりで先ほどキスをした。どうする逃げるか? それともここで抱かれるか? 好きな方を選んでいい」
お前は神かと突っ込みたくなる程の偉そうな発言に、陽月は眉を寄せながら小さくなおかつ聞こえるように呟く。
「請求書とかは…?」
当然一ノ瀬の耳には届いてる。
一ノ瀬はにやりと表情に笑みを浮かべると、陽月の上に覆い被さり、唇を奪う。
何度も何度も啄むような、フレンチキッス。
ついでに陽月の急所をまさぐると、ファスナーを下ろし中に隠れている性器を握り締める。そして唇から耳元に意識を移すと、息を吹きかける様に囁く。
「それは関係ない。だがここでお前がO.K.ならば、明日からは私の仕事の手伝いをして貰う…」
交換条件かい!
それこそ漫才の定番の突っ込みのように、ポンと胸でも叩いてやりたい気分を押さえて陽月はじとりと一ノ瀬を見つめる。
「それは辞退したいんですが…」
「何故?」
「躯がもたなさそう…」
確かに天才プランナー一ノ瀬の仕事は、関わってみたいと思う。けれどもそのたびにこんなセックスを繰り返していた体力は直ぐに尽きてしまう。
逃げ腰の態度に出た途端、一ノ瀬は陽月の分身をぎゅっと握り締めた。
「それは許さない。もたないと思うなら体力をつけろ!」
「っ…うっ」
男の一番弱い部分を掴まれ、陽月は思わず呻き声を上げる。
やられたままではいられない陽月も、一ノ瀬のすでに育ち始めた屹立を膝でポンと蹴る。もちろん痛みよりも、快感を煽るような微かな力で…。
「うっ…、お前…」
途端一ノ瀬の口からも、驚きの声が聞こえてくる。
「お前がその気なら、こちらは遠慮しない。とにかくこちらの言うことを聞いて貰う。交換条件にお前の家を通して月に二回くらいは、花を仕入れてもいい…」
「きったねー!」
「どちらがいいか…、それはお前次第だ…」
一ノ瀬は不適な笑みで見下ろすと、もう暴れない陽月の服を着ように脱がしていく。
「いやっ…、だめっ…」
ホテルのそれもドアのすぐ横、入り口で身ぐるみをひんむかれてあぁ~んというには、さすがに情けない。
陽月は躯を捩ると、一ノ瀬に縋り付いた。
「ここじゃ、いやだ…」
しかしそこは変態わがまま男一ノ瀬。一旦自分の躯に火がつけば、どこでなどお構いなしらしい。陽月の両足の間に自分の躯を割り込ませると、全身の味を確かめるかのように見える部分全部すべてをを愛撫していく。
昼に魔術師一ノ瀬に初めて快感を植え付けられた躯は、すぐに熱を帯びてくる。
「っ…、あぁ…ん…」
信じられないほどの甘える声。
自分から出るくぐもった声に驚くよりも、びっくりするほど一ノ瀬の唇だけで盛り上がっている自分の躯の方が信じられなかった。
先ほど乱暴に暴れていた両足は、その中心に熱が集中しもどかしさの行き場を求めて何度もばたつかせている。
自分でも知らないうちに、一ノ瀬の手に包まれた息子がりっぱな大人になり、びくびくと振動しながらでれでれと涎を流している。
やばいテンションの上がり方だった。しかしテクニシャン一ノ瀬の執拗な愛撫は止まることをしらない。
まじに気持ちいい…、やばいくらいに。
「いや…、まずっ…、だめ!」
叫ぶ前に大暴走してしまう息子は、一ノ瀬の手の中で大噴射する。
びっくりする陽月。
くすくすと一ノ瀬は笑みを浮かべている。優しい細めた目線は、ストレスという言葉とは無縁なエンジェルの表情だった。
「そんな、笑わないでください…」
真っ赤になりながら陽月は、一ノ瀬の胸に額を擦り付ける。
今まで躯の中を走り回っていた熱が、今は頭の中を駆けずり回っている、そんな感じだった。
一ノ瀬は陽月から少し離れると、柔和な表情のまま手を引っ張る。
「行こう…」
「へっ、何処へ?」
「ベッドに行こう。もっとお互い気持ちいいことをしよう…」
甘えるようなミルキーな口調で囁く一ノ瀬に、陽月はまるで奥ゆかしい乙女のような瞳をして頷く。
まるで明治か大正の学ラン着た男子学生と、三つ編みに着物袴姿の女学生が手を引かれて、柳の下を歩く図のような、そんな新鮮な構図。
もっとも一ノ瀬は着乱れたスーツ。陽月の格好は、すっぽんぽん。そして場所はホテルの部屋と純愛と一緒のカテゴリーに入れたら、純愛に呪い殺されそうな姿だけれども。
それでも心は、ピュアラブ。
これは恋なのだ。
ライムソーダの炭酸がプチプチと断続的に弾けるのと同じように、全体力を使って何度も弾けたおちんちんが、今日始めて逢ったこの人をもっと知りたいと言う気持ちには変わりがない。
躯の奥の奥まで、一ノ瀬に知って欲しい。全身を暴いて最高の官能を引き出して欲しいと、今まで陽月が感じたことのない、思いがどんどん溢れてくる。
ベッドに向かうと、思いは情けないくらいに強くなってくる。
一ノ瀬は陽月をベッドに横たわらせると、チュッと音を立てるキスを落とした。
「ちょっと待って…」
優しく唇と額にキスをした後、陽月から離れると洗面所に向かう。
少し寂しい気分がする。
それは陽月が、恋だと気付いてしまったからなのだろうか…。
ホテルの奇麗な天井を眺めながら、この後するであろう未来を予想する。
それだけで恥ずかしくなり、陽月は乱れた服を直そうか、それとも脱いで待っていた方がいいのか二者選択のババ抜きを始めた。
といってもどうしていいのか、自分では結論が出ずに、一ノ瀬が戻ってくるまでベッドに横たわったまま動かずにいただけだった。
一ノ瀬は何かを持ってくると陽月の上に重なる様に、ベッドの上に乗っかった。
「ぁ…」
熱を持っている様な視線で見つめる一ノ瀬に、恥ずかしくなった陽月は顔を逸らした。
「どうした?」
まるでおぼこの様に熱くて真っ赤になっていく陽月の顔。そんな姿を一ノ瀬に見せまいと、陽月は枕に自分の顔を押しつけた。
「照れているのか?」
「ま、まさか!!」
刺された図星に陽月は、びっくりしながら顔を勢いよく上げて反論する。一ノ瀬は目だけにこりと笑みを浮かべる。
「何、可愛らしい顔してんだよ、昼間の勢いはどうした?」
つっかかる言葉。それでも春の女神様にも似た笑顔、そして愛おしんでくれるのどだと勘違いしそうな優しい手つきで髪の毛を撫でられ、陽月は小娘の様に頬を赤らめて微笑んだ。
昼にどんな乱暴なセックスをしたかの忘れている様な、まるでベッドイン初心者の様な二人。
真っ直ぐに見つめあう陽月と一ノ瀬。
陽月はゆっくりと目を閉じると、一ノ瀬の唇が自分の上に降りてくる。
唇の先だけ触れる口づけを何度も何度もお互いを確認する様に繰り返し、少しずつ深いものに変えていく。
舌を絡め合い、歯列を舐めあうと、一ノ瀬の舌が陽月の口蓋を貪り始める。陽月も一ノ瀬の舌の感触を確かめながら、暴かれる口蓋を素直に受けとめていく。
自分の口腔の中をくまなく探る一ノ瀬の舌が、陽月の体温をどんどん高めていくのが感じられた。
もどかしい…。
口の中から与えられる曖昧な官能に耐えられなくなり、陽月はそっと手を伸ばすと一ノ瀬の隠れている部分を何度かズボン越しになぞる。
「っ…」
微かな一ノ瀬の呻き声。陽月の手には一ノ瀬自身が力を持ち、ズボンなど狭い世界では住んでいけないと雄弁に伝えてくる。
くすっ。
天才プランナーも所詮男。すぐにでも破裂しそうな恐いくらいに素直な一ノ瀬の屹立に、陽月は嬉しくなった。
陽月は自分の履いていたズボンとブリーフを一気に足から抜き去ると、次に一ノ瀬の物を脱がせていく。
下肢だけ何も纏わない格好。
見た目にあまり格好のいい姿ではないかかも知れない。
けれどもそんな細かいことなど関係ない。
早く繋がりたい。
陽月は足を開くと、一ノ瀬がその部分を弄りやすいように導いていく。
「そんなに急かなくても、夜は長いんだから…」
「でも…」
くすくすくす。
また家のこたつでくつろぐ時の様な安心感を与える笑い声が聞こえてくる。
陽月は照れを隠すように、一ノ瀬のシャツを脱がせていく。
がっしりした一ノ瀬の骨格。
少しだけいたずら心が沸き始め、一ノ瀬の胸に唇を寄せ様とした。
その瞬間、所々真っ赤になっている肌に驚き、目を見開いた。
「ごめん、さっき蹴った後だよね…」
手で何度か触れると、その部分は微かに熱を持っていた。
またやってしまった…。
昼に暴れた時もそうだったけれども、またパニックを起こして陽月は何度も一ノ瀬の腹に蹴りを入れた。
「大丈夫だ…、少し赤くなっているかも知れないが、あの程度で怪我をする程柔じゃないさ…」
確かにそうだった。
陽月が今触れている一ノ瀬の腹は、ぱっつりと筋肉でいくつにも割れていてはっきりと鍛えているのが判った。
「すごい筋肉…、細いのに逞しいんですね…」
「花を扱う仕事をしているんだ、このくらいの筋肉付けておかないと、仕事にならないよ…」
一ノ瀬は笑顔を同封した言葉の後、柔とどうどうと宣言をしている陽月の上半身に愛撫をしながら手触りを確認するように撫でていく。
「君は、もう少し鍛えないとダメだね…」
くすくすくす。
けしてバカにする訳ではなく、楽しそうに肌の感触を確かめながら一ノ瀬は笑っている。
顔をまた紅潮させながら陽月は、唇を尖らせ頬をぷっと膨らませる。
「すぐそうやって、人をバカにする…」
拗ねている陽月に愛おしさを伝える様に、互いの額を重ねた後、優しく触れる口付けをした。
「君もこれから鍛えていけばいい。やり方は教えてあげるよ。でも個人的にはマッチョな君よりも、今のままの君が好みだな」
「バカ…」
一ノ瀬の首に両手を回し、自分から進んでするキッス。
こうなるともう余分なおしゃべりの時間は終わりを告げることを陽月、一ノ瀬も感じていた。
お互いが目指す快感という頂は、キスなどは所詮麓にたどり着いただけに過ぎない。
もっと気持ちのいいところを求めて、陽月自身を丁寧に揉みし抱きながら、両胸の小さな実を弄りながら愛撫し、時折歯をたてたりする。
「ぁ…んっ…、気持ちいい…」
与えられる官能に良いながら陽月の口からは自然に喘ぎ声が漏れていく。
一ノ瀬は、陽月の右胸のツンと尖った部分をはんだ後、耳元にちゅっと音を立てたキスを落とす。
「どこがいい? 好きな所を弄ってやる…」
さすがに言葉には出来なかった陽月は、今まで自分の屹立を弄っていた一ノ瀬の手を取り後ろの受けれる部分に持っていく。
「早く…、欲しい…」
一ノ瀬に縋り付くように、必死に勇気を出した懇願だった。
「O.K.」
耳の中にちゅっという口付けた音と一緒に、一ノ瀬の声が聞こえる。
一ノ瀬は、陽月を抱きしめたまま、枕の下に潜ませていた乳液を取ると器用に自分の空いている手にたっぷり振りかけた。
何?
何をしているのか理解出来ずに、微かに陽月に不安がよぎる。
「大丈夫だよ…」
優しく子供を慰めるように、一ノ瀬は陽月の額にちゅっと唇を落とした。微笑みで返した陽月に、安心した一の瀬は乳液で濡れた手で、お互いが繋がる部分を緩めていく。
「ぁ…」
乳液を潤滑剤にしているとはいえ、入ってきた指に陽月は思わず声を上げ、戸惑いながら一ノ瀬を見つめた。
「大丈夫なの?」
「何が?」
「いや…、お腹壊さない? そんなの躯の中に入れて?」
「大丈夫だよ…、これで昼よりももっと楽に繋がれる」
うん…、陽月は小さく頷くと一ノ瀬が楽に弄れるように、両足を少し開いた。
「可愛いよ…、お前…」
「雫 陽月」
躯を擦り付けて、小さな声で陽月は呟いた。
「可愛いよ…、陽月…」
躯への愛撫。そして後ろを乳液でべったりと濡らした二本の指が襞を触れたり、入り口を行き来し一ノ瀬を受け入れられる様に拡げている。
昼間何故そこを触るのかも判らなかった部分が、今では性器と化している。
触れられるだけでもどかしさを感じる部分に、陽月は耐えられず目を固く閉ざすと自分から一ノ瀬の男根を育てていく。
触れるだけでは物足りない。
口でフェラもしたいし、それ以上に自分狭い器官でもっと締め付けて精液を叩き付けて欲しかった。
陽月はチュ、チュと音を立てて一ノ瀬の顔の周りにキスをすると、上半身を起こした。
「陽月?」
「今度は俺が…」
一ノ瀬と位置を交換すると、今まで丁寧に育てた屹立とひくひくとはしたなく収縮している部分に乳液をたっぷり付けた。そして一ノ瀬の肩を借りて、ゆっくりと大きくて太い物の上に腰をかけていく。
「んっ…、くっ…」
信じられないほどの圧迫感。
しかしその後に来る最高の快感を思えば、すべてが耐えられる。
苦痛に歪む顔を見て、一ノ瀬は陽月が萎えないようにたった今覚えさせた胸の部分からの快感を引き出していく。
小さな飾り。
けれども吸われたり、歯を立てれば立ちまち感覚は鋭くなる。
「ぁ…んっ…、ダメ…」
与えられた感覚に躯を捩らせながら陽月は、ゆっくりと呼吸をし腰を下ろしながら一ノ瀬のすべてを飲み込んでいく。
狭かった部分が強引に開かれ、本当は痛いはずだった。しかしすでに性器となっている小さかった蕾は、大きく拡げられただけで甘い感覚を脳に伝えている。
これが快感なのだ。
大きく拡げられた場所が落ち着くのを待って、陽月は少しずつ一ノ瀬の腹の上で動き始める。
最初は微かに痛み。けれどもすぐに全身が甘く切ない感覚に襲われていく。
陽月は一ノ瀬の精を絞り出すように腰を動かししていく。一ノ瀬ははそんなけなげな陽月のウェストを支えて、動き安くしてくれる。
「ぁ…ん、いい、いい…。もっと振って…」
一ノ瀬の腹の上でバウンドする感覚は、更なる高みを目指していく。
興奮に陽月が締め付ければ、ぎゅんと一ノ瀬の屹立が迫力ある大きさで気持ちいい部分を抉っていく。
興奮、快感、そして吐精。
明けない夜はない。
けれどもその晩の二人は、そんな単純なことに気付く余裕が無いほどの時間を過ごしていた。
4.From the next day
家に付いたのは、もう昼に近かった。
結局夕べ一ノ瀬と何度も犯って、アラームが鳴り目を覚ました時には朝を迎えていた。
それも最低な話で、一ノ瀬はホテルの代金を支払い、会社に向かうとメモと名刺を添えられ陽月を残してチェックアウトしていた。
本当に訳の判らない一日だった。
陽月は身支度を整えると、昨日のコンベンションホールに車を取りに行った。
瞼が張り付きそうなほどの眠気を我慢して…。
それでもとにかくを家に帰らねばと思ったのは、配達途中に昨日はばっくれてしまったからだ。
幸いなことをいったら花市場が今日は休みだということ。
朝一で、陽月の乗っているバンを使わなくていいことがまだ父親に怒られないですむかな~という微かな望みをかけた思いに繋がっていた。
しかし、世の中そんなに甘くない。
家に付いた途端、心配そうに待っていた母と、頭から湯気を出して怒っている父が登場。
思いっきり父親になぐられるは、母親には泣かれるは。
自分はいったいどこの御曹司だったんだろうかと、馬鹿げた現実逃避を思い浮かべていた。
ただ申し訳ないことに、寝不足、体力不足の陽月には、どんな言葉も寝耳に水。
頭で理解する前に、二十二年間一緒に生きてきた家族と言う勘で、ひたすら謝る。
そして父も母も落ち着き始めたのを見計らって、必殺の印籠を登場させる。
「でさ、実は昨日お世話になった株式会社三代ビジネスコンサルティングの一ノ瀬さんが、俺が毎日あっちを手伝いに行くのが条件で月に二回、家で注文していいって言うんだ!」
そう陽月が言い終わると同時に、父親の鉄拳が頭の上にごつん。
「何で殴るんだよ! 大口の顧客になるだろう!」
「バカか! お前は! 家みたいに細々とやっている花屋がそんなデカイ会社の花用意出来る訳ないだろう! 仕入れには金が必要なんだ! 薄らバカ!」
絶対に鬼の首を取ると思っていた言葉で思い切り殴られ、陽月も声を荒げる。
「そんな殴ること無いだろう! 俺だって店の為思ってしてんだよ!」
また更にごちん。
「お前、店の為を思うなら、ほっつき歩いてないでとっとと帰って来やがれ!」
「そんな言い方ねーだろう! 何でも殴ればいいと思ってやがるんだろう! くそおやじ!」
「何だと! お前みたいなひよっこに心配されるほど店は傾いてねーんだ! だいたいおめーは、この店ってのを判ってねー。この店はご近所さんあっての店なんだ!」
「そんなんだから、何年募集してもバイトも来ねーんだよ! くそじじい! そんなに言うなら、もう店なんざ手伝わねーよ! 勝手にしろ!」
「それはこっちの台詞だ! おめーなんざこわっぱに手伝って貰わなくても、店の手は足りてるんだ! 勝手にしやがれ!」
いつもの親子喧嘩。
叫び逢う親子。
オロオロしている母を横目に見ながら、陽月は自分の二階にある部屋にどすどす足音をたてながら向かった。
部屋に入ると、ベッドの上にばーんと音が立つほどの体重をかけて寝ころんだ。
ちくしょー。
どいつも、こいつも、巫山戯たこといいやがって!
腹が立つのは、父にたいしてなのか、自分にたいしてなのか、それとも一ノ瀬にたいしてなのか、陽月には判断しようがなった。
昨日あんな電話受けなければ…。
一ノ瀬とあんな関係にならなければ…。
あんな商品説明会を見なければ…。
何もかもリセット出来たなら…。
ふぅ~。
陽月は大きく溜息を付きながら、目を閉じた。
今日は店のことがあるから、明日から一ノ瀬の元で働くと約束した。
一ノ瀬の元に行って、自分が何をするのか陽月には判らない。
また感情にまかせてセックスする一ノ瀬の相手をするのか、それともきちんと仕事をさせて貰えるのか…。
何にしても、一ノ瀬のストレスを少しでも和らげるくらいのことが出来たらいいのだけれども…。
ぼんやりと考えていると、どんどん瞼が重くなって来た。
どれくらい経ったのだろうか、びーびーと鳴るバイブの音に、陽月は目を覚ました。
寝ぼけた声、ぼんやりした頭で電話に出る。
「はい…」
「寝ていたのか?」
誰?
まだ完全に目覚め切れていなかった陽月は、頭の中で声の主を必死に考えていく。
「躯は大丈夫か?」
「えーと…」
順番に自分の知人の名前を考えながら真剣衰弱をしていると、電話の先から大きな咳払いが聞こえてくる。
「朝方まで一緒にいた俺の声を忘れたのか、お前はそんなに鶏頭なのか?」
「ぁ…」
聞き覚えが無い訳のない、地を這うような大魔王の声に、まずったと言葉を吐くように顔を歪めながら、陽月は小さく舌打ちをした。
陽月の他意のないささやかな態度に、敏感なくらいに電話の相手が反応をする。
「お前、今、舌打ちしただろう?」
「してません…。それよりも、何ですか?」
「何ですかじゃないだろう? メモと名刺を見なかったのか?」
機嫌が悪いですと露骨に電話越しに判る一ノ瀬の言葉。
でもこの声なら、まだ花を食べるほどストレスも溜まっていないだろう…。
などとのんきなことを考えながら、一ノ瀬が残したメモを昨日来ていたジーンズの中から引っぱり出す。
メモには、明日から会社に来い、待っている、と書かれている。
「見ましたよ、明日行くんですよね。あの名刺の場所に…」
一瞬の無言の後、大きな溜息を付いた音が聞こえる。
「だが…、普通その前に電話をしてくるだろう?」
はっ?
何言っちゃてるの? この人と陽月は眉を思いっきり寄せた。
「でも…、そんなことメモに書いていませんでしたよね?」
思わず反論。しかしますます苛立った声色が聞こえてくる。
「名刺にはなんて書いてある?」
「はぁ? 名刺ですか? えーと連絡をしろ…と…」
「書いてあるだろう?」
鬼の首を取ったようなそんな一ノ瀬の声に、陽月は益々眉をひそめた。
「そんな、判り難い書き方しないで下さいよっ!」
苦情を言う陽月。
けれども一ノ瀬は謝る気などまったくないらしく、逆にまた偉そうな態度で言葉を続ける。
「まあ、いい、お前に用があったから連絡したんだ」
まあいい?
とつっこんみたい所を眉間の皺を深めただけで、陽月は聞き流す。
「あの…、何か?」
「ああ、今日、時間が出来た。今から会社に来い!」
「はぁ? 何いっちゃってるんですか? こっちにも都合が…」
今の陽月には、都合などまったくなかった。
妙に江戸っ子気質な父は、一度怒らせると執行猶予などの甘い言葉は絶対に許さない。
小学生の時も、ちょっと嘘を付いてアイドルの追っかけをしたのがばれて、家を追い出されたり、ご飯を食べさせて貰えなかったりと、色々な制裁を受けてきた。
大人になって、今朝みたいに怒られることはなかった。
しかし今日の怒り具合を考えたら、絶対に店の手伝いなどさせてくれないだろう。それどころか、今月はバイト代も貰えないこと必須といった所だ。
思い出しただけでも腹立たしい父の態度に、陽月は唇をへの字にした。もちろん電話の先の一ノ瀬には、知られないように。
「どんな都合だ? 断れ。一時間後に名刺の場所に来い。いいな、そこで仕事の説明をする…」
勝手なんだから…。
小さく毒づきながらも、反論の出来ない陽月は頷くしかなかった。
「判りました。でもこれから支度するので一時間半は待って下さい…」
「判った…」
一ノ瀬は自分の言いたいことだけいって、電話を切る。
耳にはツーツーという空しい音。
陽月は小さく溜息を付いた後、一ノ瀬の会社に向かう支度を始めた。
ジーンズにシャツ。
昨日のレセプションでは業者以外はスーツだった気がする。
でもスーツなんて持ってないんだよな。
一ノ瀬のことだから、気に入らなければ、目を三角にして鬼の形相をして怒るだろうな、…。
まあ、今日は初めてだから、これで勘弁して貰おう。などと自分に言い訳をしながらも、一ノ瀬のことを考えると、何となく、心がときめいて外でじとじと降っている雨すら、心の潤いになってくるから不思議だった。
あまり我がまま大魔人一ノ瀬を待たせても、手早く支度をして下に降りると、茶の間で伝票の整理をしている店番をしてる母親が声を掛けてくる。
「ちょっと、出かけるの?」
「うん…」
先ほどの大喧嘩。
気まずさに母とは目をあわさないように所を見ながら、ぶっきらぼうに応える。
「あのさ…」
「何?」
「いや…。当分、さっき言ってたところでバイトするから、店、手伝えないから…」
母にだけは素直に謝りたいと思う。しかし口から上手い言葉が出てこない。
ごめんなさいと一言いえば楽なのが、親にだけはそれを口にしたらいけないと思ってしまうのは、やはり親子の甘えなのだろうか。
「父さん、店、あんたに継いで貰いたいって本気で思ってたのよ…」
「そんなこと言われても…」
誰がこんな店! と思ったことは一度もない。
けれども、この花屋を継ぐ以外のことをしてみたいと思う。ただ、じゃあ他に何がやりたいかと言われると、答えがある訳ではない。
ただ昨日、あんなキラキラした世界に関われると思ったときめきを、上手く口にすることも、したくもなかった。
陽月は眉を思いっきり寄せて、苛立ちをぶつける声を出す。
「帰ってきたら、きちんと謝りなさいよ…」
計算していた伝票を机に置くと、母は小さな溜息を付く。
「俺は、間違ったこと言ってないから!!」
「今まで店は、お得意さんがあってやってきたのよ。父さんのそんな気持ち、なんでわからないの?」
「そんなの、いつまでもやっていけないだろう! もういいよ、店のこともう俺は関係ないから!」
最後には喧嘩腰。
何で親には腹が立つんだろう。
いつもきつい言い方をして、母さんの困った顔見て後悔をする。
それでもライムソーダの炭酸の様に、心のそこから湧き上がる思いを否定することが出来ない。
陽月は小さく息を吐くと、玄関の扉を勢いよく開けた。
きっとこれが何かのスタートになるという予感に心ときめきながら…。
* * *
株式会社三代ビジネスコンサルティング。
大学を卒業しても、就職するのが面倒で会社訪問をしたことがなかった陽月にとっては、初めての企業訪問。
近代的なオフィスビルがいくつも並んでいる一角。
すれ違う人はスーツ姿のサラリーマンか、かっこいいキャリアウーマンっぽいOL。
時折自分と似たような服を着た業者のバイトらしき人々を見かけると、なんとほっとする。
陽月は周りにあっとうされながら、一ノ瀬の待つオフィス目指して、歩き始めた。
会社はそれほど大きく建物ではないけれども、ビル一つまるまる使っていて、一階は来客用に、いくつか簡単な打ち合わせが出来る、ガラス張りのスペースになっていた。
なんかドラマみたい。
圧倒される雰囲気に、せめて変な人だと思われないように、陽月は右、左、右と掛け声をかけながら受付に向かう。
こう考えてないと、右手と右足がいっせいに出て、かなりはずかしい人になってしまいそうだったから。
実際緊張は絶好調に達していた。
だから、変な歩き方をしていたかも知れない。
受付で一ノ瀬から預かった名刺を出し、呼び出してもらう。受付の笑顔が眩しい女性の指示で、近くにあった席で一ノ瀬を待っていると、最高潮に達していた心臓は少しだけ平常心を取り戻す。
ガラスケースのような部屋は、雨粒がかかってキラキラと輝いている。
まるで俺の未来のよう?
などと雨粒さえ、心ときめくすべてに感じて。
これは、新たな仕事へのときめきなのか、それとも一ノ瀬という昨日あったばかりの男への思いなのか。
まあ、恋の一番初めの始めの、本当の始め。
受付に奇麗な受付のお姉さんに了解した事を伝えるように、爽やかな笑顔と軽く手を降り、俺の居場所を確認するとこちらに進んでくる。
今日の一ノ瀬は、花をムシャムシャ食べる程苛ついてもいなければ、ホテルで抱きしめてくれた艶っぽい表情でもない。
レセプションルームですべてを仕切っていた、超サラリーマンの一ノ瀬の姿だった。
どき、どき、どき。
心臓がどんどんと光速で鼓動を打っている。
一ノ瀬が陽月のすぐ横に立つと、今までちょっとまじ格好いいジャンなどと思っていた表情が歪がむ。
「遅い!」
「はっ?」
魔王の表情になっている一ノ瀬は、小さく舌打ちする。
「お前は、一時間半でくると言っただろう?」
「えっ?」
びっくりしながら、ポケットから携帯を取り出す。
十五時三二分。
約束の時間から二分。っていっても陽月がこの会社に付いたのは五分前。一ノ瀬を待っていてこの時間になった。
「ちゃんと時間までには会社に来ましたよ?」
頬をふぐの様に膨らませてついでに口まで尖らせて、シンデレラの姉の様な意地悪い一ノ瀬を上目づかいに見つめる。
「本当に自分勝手ですよね…」
「何?」
ギロリンという効果音が聞こえてきそうな、般若の様な一ノ瀬の視線。
「すぐ睨む…」
「何がだ…」
「いえ、そんな顔ばかりしているから、あんなストレス溜まるんですよ…」
呟きように言った陽月を思いっきり睨み付け、やくざが善良な一般市民を脅かす様にテーブルに体重をかけて手をつく。そして闇の化身の様な低い声で陽月の耳元に声を押し込む。
「ここでそれを言うな…」
まじに恐いんですけど…。
後ずされりしたい気分。しかし吸血鬼ドラキュラが新鮮な血液を見つけた時の様に、キラリンと不気味な目を光らせて、陽月の肩をがしっと鷲のように掴んだ。
「飯! 食いに行こう!」
「ちょっと…」
乱暴に陽月を立たせると、会社を出て近所の喫茶店に連れていく。
ついた場所は本当に小さな喫茶店だった。
ただ入った瞬間に出迎えてくれる、紫陽花を中心としたフラワーアレンジメントが印象的な喫茶店だった。
それほど大きな店ではない。
しかしオフィス街ということを忘れる様な、ほっとした気分にさせてくれるそんな店だった。
一ノ瀬は窓際の席を選ぶと、陽月を連行したまま席に付く。
「忙しくて昼飯まだなんだ…」
そう言うと、ナポリタンと珈琲を頼む。
「お前は?」
尋ねられて、陽月は慌ててメニューを見て、クリームソーダを注文する。
しばしの沈黙。
一ノ瀬は手持ちぶさたで、席の近くに置かれていた花かごを見ると、無言のまま痛んでいる花を外し、違和感がないように直していく。
すげえっ…。
出来上がった花は、最初に見たアレンジメントの印象よりもずっとしっくり来ていてかっこよくなっていた。
「花…」
「何だ」
睨み付けるきつい視線を向ける一ノ瀬は、手早く外した花を片づけていく。
何言っても睨まれそうだ…。
苛立っている一ノ瀬にかける声を考えているところに、頼んでいた物が到着する。
「あら、有り難う…、一ノ瀬さん」
食べ物を運んで来た女性は、にっこりと微笑んだ。
推定三十代、この喫茶店のママ風の柔らかい微笑みに、一ノ瀬は砕けた表情をする。
目の前のママにナチュラルに微笑む一ノ瀬。
ちりっ。
陽月の心の中に、小さな苛立ちが生まれてくるのを感じる。
ママは一ノ瀬と花のことで雑談しながら、テーブルの上にナポリタンと珈琲、それに陽月が頼んだクリームソーダを並べていく。
ママは話をしながら、不思議そうに陽月を見つめる。
「一ノ瀬さんの、会社の人? それとも生徒さん?」
「生徒さん、て?」
「あた、それって内緒なの?」
一ノ瀬は少しだけ動きを止めた後、にっこりと天使か女神のような微笑を浮かべる。「違う、今度バイトで雇おうって思っている子…」
「なんか可愛い子だから、絶対、一ノ瀬さんの教室の生徒さんかと思ったのに…」
「残念でした。俺は花は美しい女性にしか教えません!」
「そんな…」
あはは、うふふ。
楽しそうに笑いながら話をしている、一ノ瀬とママ。
ちりっ、ちりっ。
ふざけた口調でママと会話する一ノ瀬に、陽月の心の中でまた何かが焼け焦げるような複雑な感情が生まれる。
陽月は眉をきっつく寄せながら、二人の会話に割ってはいる。
「あの! 一ノ瀬さん、花、教えてるんですか?」
ちらりと陽月の方を見てまた睨む一ノ瀬。けれどもママの方は一ノ瀬の般若顔にまったく気が付かずに、ほほほっと笑う。
「そうよ。私が行ってる一ノ瀬フラワーアレンジメントスクールの息子さんなのよ」
「そうなんですか…」
「ようよ。淳史クンはファンが多いし、教え方も優しいから、若いお嬢さんが殺到して、いつも教室は満員御礼なのよ」
「満員御礼…」
「あれは絶対淳史クン、目当てよね…」
くすくすくすっ。
最後には笑いまでつけて、しっかりママは自慢気に話している。
陽月が知らないこと一杯していることも、一ノ瀬を淳史と呼ぶことも、すべてに苛立ちを覚える。
一ノ瀬と出逢ってまだ一日しか経っていないのだから、あせる必要がないのは判っている。
それでも心の中から墨のような黒い煙が、フツフツと湧いてくる。
「もう勘弁してくださいよ…」
まるで自分の世話を焼く母親との会話の様に、一ノ瀬は照れママは遠くに追い払おうとしてる。
目で〝しょうがないわね〟とでも告げると、ママは笑顔を残したまま立ち去った。
笑顔で送る一ノ瀬だったけれども、ママがいなくなると黙ってしまった陽月を見て小さく溜息を付いた。
「どうした? 何を拗ねてる?」
「べ、別に拗ねてなんていません。ただ…、俺の知らない事ばかりで…」
「当たり前だろう? お前と逢ったのは、昨日が初めてなんだから…」
「それは…、そうですけど…」
口を尖らせる陽月の顎を掴むと、一ノ瀬はまじまじと顔を眺める。
「どうした?」
「何が…、ですか?」
「頬が腫れてる…」
撫でる様にそっと頬に触れる一ノ瀬の手に、陽月の心臓が跳ね上がる。
微かに頭の中には、夕べ抱きしめてくれた一ノ瀬の姿が、陽月に蘇ってくる。
陽月は沸き上がりそうになる欲望から逃げるように、顔を一ノ瀬から背ける。
「お、親父に殴られて…」
「無断外泊したから?」
「そ、そんなんじゃない…。俺があんたを手伝いたいって、あんたの会社で使う花を用意したいって言ったら思いっきり殴られたんだ…」
「冷やしたのか?」
まだ頬に触れている部分が熱くなる。陽月は冷やしていないと、一ノ瀬に告げるように首を横に数度振った。
「冷やした方がいい…。それよりも、辞めてもいいんだぞ?」
「何が?」
「昨日約束したこと! 俺の手伝い…」
「何で?」
びっくりした。
陽月は戸惑いながら、目をむいた。
「お前だって、自分の家の手伝いがあるだろう?」
「それは…」
どう説明したらいいのか、陽月は悩んでいた。
父親に殴られて、母親を困らせても手伝いと思っていたのは事実だった。
反対に本当にあのキラキラした世界で、自分が出来るのか不安がないわけではない。
でも…、やはりこの人のことを知りたい…。
陽月はゆっくりと目を閉じ、そして決断をした。
「俺は、あんたの近くにいたい」
「えっ?」
「あんたをもっと知りたい。俺が知らないあんたが無くなるまで、すべてを知りたい…」
最初は声が震えていたかも知れない。けれども、改めて一ノ瀬に告げた言葉は、思ったことをはっきりと口に出来た。
「判った…」
「えっ?」
にやりと、何か悪巧みをしているような笑みを浮かべて、陽月を見ている一ノ瀬。
陽月は一ノ瀬の表情に決意が揺らいでしまうくらいに戸惑った。
この人は何を考えているのか…、と。
一ノ瀬は今にも口付けしかけてしそうな程の魅力的な視線を向けると、今まで頬に触れていた手を外し、逆に陽月の腕を掴んだ。
「じゃあ、これを食ったらオフィスに来い。すぐに面接だ…」
「面接?」
「簡単な物だ。お前は履歴書も無ければ、面接もせずに会社に入れると思っていたのか?」
あっ…。
一冊の本だけしか持って来ていない陽月は、びっくりした。
「あ、ごめんなさい…」
「いや…、俺が言わなかったからいい。それに履歴書はこれから準備すればいい。面接は、一応俺のアシスタントとして働くバイトの顔逢わせなだけだ…」
「えっ…、でも…」
「俺がいいと言ったらいい。ただしバイト代はそれほどやれないがな…」
「そんなのは…、いいんですけど…。でも…」
「何だ? 今更あれだけのことを言っておいて怖じ気づいたのか?」
テーブルに肘を突き、首を微かに横に曲げるとニヤリと笑う一ノ瀬に、陽月の表情にも笑顔が零れた。
この人と一緒に生きたいと、真剣に思ってしまった。
けれどもそれを言うのが、恥ずかしくて逆に視線を強くして一ノ瀬を見た。
「そんなことない! 逆にあんたが俺を必要だと思うから、俺も協力したいんだ、ほら…」
ポンと投げるように来る途中に買ってきた本を、テーブルの上に投げた。
「何だ?」
書店のカバーが付いた本に、一ノ瀬は怪訝な顔をする。陽月は少しだけ自慢げに書籍の名前を告げた。
「履歴書はもって来なかったけどさ、これなら役に立つだろう、毒草辞典だよ。あんたがまた花を口に入れようとした時に、止められるように…」
一瞬の無言。それから一ノ瀬がポンと陽月の頭を、本の角で痛くないように殴る。
「持ってるよ…」
「えっ…」
「こんな本、ずっと前から持っているし、全部記憶している…」
「はっ?」
ああ、そうですか…。
心の中でそう呟いた。
確かに知らない訳ないか…。
陽月は、自分の所行と一ノ瀬の姿に思わず声を立てて笑ってしまった。
何か可笑しいのかと言われたら、困るけれども…。それに気分を良くして、今まで誰にも言ったことがない、自分のささやか夢を思い出した。
「なあ、俺の昔からの夢、聞いてくれる?」
「何だ?」
「いや…、昔見た映画のプロローグか何かだったんだけど、貧乏臭い花売り娘が一生懸命花を売っているんだ…」
「なんだ、そのメルヘンは?」
茶化す一ノ瀬の口を陽月は人差し指で塞ぐ。
一ノ瀬は両肩を上下させて、ポーズを作った。そして冷めてしまったナポリタンに手を付ける。
一ノ瀬が何も言ってこないのを確認して、間を取るようにアイスクリームが溶けかけたクリームソーダをかき混ぜた。
「で、その女の子が雪の夜に出逢うんですよ。格好いい紳士に。紳士は誰だか、少女には判らない。しかし少女は知っていた。紳士が心の光で合ったことを…」
グラスの中でアイスは溶けきり、透明なグリーンの液体は、乳化色に変化する。
陽月は、グラスの中の飲み物を一口吸った。
「その花売り娘がお前か?」
「そう、で俺は紳士が現れるのを待っていた…」
「ずっと待っていただけだった…、か…」
嫌が切り口で話が流れていく。
しかし、一ノ瀬はその話の方向を自分の都合のいい場所に持っていく。
「俺が、紳士になってやるよ…」
「えっ…」
「だから! 俺がお前の紳士になってやるって言ってるんだ! 何か文句あるのか?」
「いえ…」
一ノ瀬は少し恥ずかしそうに、視線を逸らした。
陽月は、そんな一ノ瀬に付いていこうと、心から誓った。
5.Ending…
一ノ瀬と出逢って半年。
親父とはまだぎくしゃくしている。
慣れない会社に行って、最初は戸惑う事と覚える事ばかりの連続だった。しかし時間が経てば、一ノ瀬の立場と周りの距離が判ってくる。
周りは傲慢で我が儘な大魔人一ノ瀬を信用しているけれども、すべて頼っているということ。
一ノ瀬がどんなに不器用で自分の感情を伝えるのが下手なのだと、嫌な程に陽月に感じさせた。
一ノ瀬が暴走すれば、陽月が止める。
陽月が戸惑えば、一ノ瀬が支えてくれる。
そんな単純な関係。
一ノ瀬との逢瀬は、もう数えないくらいに重ねている。
恋愛だとか、そんな気取った言葉は陽月には判らないけれども、それでも一ノ瀬と一緒にいたいと思えた。
そう言えば、映画の話をしたときに一ノ瀬が小さく溜息を付いて言った言葉があった。
『少女は、確かに雪の夜に出逢った紳士に助けられたけれども、紳士もまた少女に助けられたんだろう…』
一ノ瀬は光の中で、今日も仕事をしている。
その横には、陽月の姿があった。
Fine…。
カタンとレコードに針が下りる音。
レコードが回転し始めると針が揺れるカタンカタンという音に混ざって、甘いミュートを着けたトランペットがクリアには響かないスピーカーから響いてくる。モノラルの楽曲。
曲の名前は、『ラ・ヴィ・アン・ローズ』。
かつてオードリー・ヘプバーンが出演した、世界中で様々な世代に愛されているそんな映画の主題曲。今では甘く切ない恋人同士を表現するBGMとしては、街角でよく聞かれるそんな曲だった。
甘くしっとりとした音楽に乗って、ゆっくりと映像が広がってくる。
音楽がモノラルならば、映像もどこか懐かしさを感じるモノクロームの世界。
クリアではない画像には、縦に横にと何本も線が入ってしまっている。
ぼやけた画像から曲に乗って見えてきたのは、ヨーロッパのどこかにある噴水広場。
闇に街灯が点され、光を浴びて小雪がちらちらと舞っている。
人々は足早に立ち去ろうとしているところで、一人のバスケットに花を一杯入れた花売りの少女が現れる。ぼろぼろの服、寒さで頬や手を真っ赤にさせ必死に花を売っている少女。言葉は聞こえてこないけれど、口の動きから少女が一生懸命になって、花を売っているのが判った。
寒い夜。誰も立ち止まろうとはしない街。それでも少女は花を売っている。
けれど最後には急ぎ足の馬車を避けようとして、転んでしまう。
冷たい石畳。転んだ拍子に散ってしまった売り物の花。肘と膝からは泥と血で汚れていた。
途方にくれる少女。少女は、涙を流しながら噴水に向かった。
噴水の水は、薄氷が張っている。氷を割って、汚れた手足を噴水の水で洗い、頭にしていた三角巾で汚れを拭いていく少女。
噴水にはみすぼらしい少女の姿が写る。本当は可愛い少女のはずなのに、やせて骨張り、泥が付いてしまった表情がますます少女を惨めに写す。
少女はどんどん悲しくなり、涙をはらはらと流していく。
すると少女だけが写っていた噴水の水鏡に、黒い影が重なってくる。少女は驚きに顔を上げた。
目の前には優しい笑みを浮かべた、紳士が一人立っている。
暖かみのある紳士の表情。紳士は何かをしゃべり、コートの内ポケットから財布取り出すと、紙幣を数枚、少女に渡した。
『花をいただけますか?』
紳士の唇の動きから、その言葉が読みとれる。
びっくりしながら少女は、首を横に何度か振ると、紳士は少女を慈しむように頭を撫でると胸のポケットに入っている真っ赤なチーフを取り出す。
不思議そうに見つめる少女。紳士はにっこりと笑いながら、チーフを一回パッと拡げ、まるでマジシャンが手品前に仕掛け確認させるように少女に見せる。首を傾げる少女。紳士はチーフを筒のように握った手の中に入れる。そして逆の手でトン、トン、トンと三カウント数えた後、丸めていた手を開く。
手の上には可愛いチューリップの形を作ったチーフが出来上がっていた。
今まで泣いていた少女の顔が笑顔になる。笑みを浮かべる少女。紳士は真っ赤なチューリップの形に見えるチーフを、少女の胸に飾る。
驚いたまま動けない少女を紳士は冷たくなっている手を取り立ち上がらせる。戸惑う少女に大丈夫と告げるように笑う。紳士は少女をホールドし、甘く暖かい『ラ・ヴィ・アン・ローズ』に乗って踊り始める。
二人は雪が舞い散る街で、誰よりも幸せな笑みを少女は浮かべていた。
1.Blow in The Wind…
「いってらっしゃい~」
明るく元気な母親の声に送られて、雫陽月はいつもよりも少しだけ緊張した表情でバンを走りだした。
ワゴン型の扉には〝雫生花店〟とはっきりと書かれている、薄汚れた白い車。
ダサいなんて言葉が今使われているか知らないけれど、陽月にとっては〝雫生花店〟すべてがダサダサな存在だった。
今陽月が運転している配達用の白いバンもそうだけれども、それ以外にも薄汚れた木造住宅を改造しているような、古めかしい店の作りにしてもそうだ。
扱っている花だって、店のほとんどを占有しているのは、仏壇用の地味な白とか黄色の菊を中心のラインナップになっている。
時節柄で桃だとかカーネーションだの必要な植物を並べるには並べる時もあるけれども、普通の花屋が力を入れているような華やかでお洒落な花はまったくない。いつも無難そのものの色を並べたバラやチューリップにカスミ草が置かれている程度だった。
花の扱いにしても、フラワーギフトなんて言葉を使ったら他の花屋から苦情が来そうな白い薄紙で包んでリボンは安っちい赤か緑。常連客へのラッピングは、古新聞に包まれている。
雑誌などでよく載っているフラワーショップとはまったく縁遠く、屋号はその名も〝雫生花店〟。
都心の外れにある東野銀座にある店は、絵に描いたような下町そのものの花屋だった。
配達先もそうだ。
ほとんどがご近所さん。元華道のお師匠さんが教えているフラワースクールに、街はずれに数件あるスナック程度。後は葬式に店のなんちゃら祝い。
いくつ上げても地味以外の何ものでも無い店。
陽月の子供の頃からの夢は、花屋以外の職業だった。けれども気が付くと店を手伝わされ、大学を卒業した年には本格的な仕事になってしまっていた。
もっとも大学に行っても、特にやりたいものも無かった所為もある。しかし一番悪いのは、何年募集しても来てのない店のアルバイトに抗うことが出来なかった。
これが女の子にでも生まれていたなら、家を出て嫁に行くという手もあったんだけどな…。
道の狭い商店街をすりぬけながら、陽月は大きく溜息を付いた。
子供の頃から言われ続けていた跡取り息子という言葉に、陽月はうんざりしていた。
本音では別に花屋が嫌なわけではない。
ただ、このまま家を継いで花屋になるのが嫌なだけだった。出切ればもう少し派手な仕事でもあれば…。
葬式の花に仏壇の花。客はすべて町内。どう考えても地味すぎる。
仕事に対して溜息と愚痴が出ない日は無かった。せめて今日配達しに行く会社に勤められれば、もう少し派手な人生送れるのだろうけどな…。
上を見たらキリがないかもしれない。けれども、心がときめかない訳なった。
いつもは面倒で嫌々行っている配達。
けれども今日は少しだけ違っていた。
これから行く先は、花に全然興味がない陽月でも知っているほど有名なフラワープランナーのいる会社だったからだ。
有名な雑誌で掲載されるような大きな会社に配達に行くだけで、心がときめくから本当に現金なものだ。
もっとも担当者の傲慢さ加減は、最低だったけれど。それでもおつりが繰るくらいに、心が躍っていた。
話は数時間前の電話に遡る。
* * *
春が終わり、まもなく梅雨といううっとうしい時期に突入したそんな時期。雨が降るのか振らないのか判らない湿気が、暑苦しさとだるさを感じさせる。
ただぼーっとしている暇な時間の店番は、知らず知らずに船をこいでしまう、一人で店番をしていた昼過ぎだった。
滅多に来ない客。決まった客だけで成り立っている店には、注文の電話すらかかって来ないそんな時刻。
ぼんやりと座っていることだけ許される時間に、突然、眠気を覚ます目覚まし時計のベルのように、店の電話はけたたましい音を上げた。
『はい、雫生花店です』
ぼんやりとしていた時の電話で、多分愛想のいい言葉ではなかったのは後から考えて認めよう。陽月の態度に苛立っているのか、電話の先で小さく舌打ちしている音がした後、低い男の声が耳の中に響いてくる。
『イルデフランスはあるか?』
いささか威圧的ではあるけれど、印象に残る低い声だった。
陽月は眠い目を擦りながら、電話を受ける。
『は? あの…』
何を言っているのかまったく理解出来なかった陽月は、今かかっている電話がキャッチセールスか何かに思え眉を思いっきり寄せた。
途端受話器越しに〝チッ〟というリップノイズが聞こえてくる。
『花の判る店員はいるか?』
「俺が店員ですが…、何か?」
偉そうな男の声だった。腹が立つ男の声にムッとしながら応える陽月。男は陽月の態度に苛ついているのか、また舌打ちを下後、次に諦めたように今度は深い溜息を付く音がする。
『判った…、それならばしょうがない。じゃあ聞くが、定番で赤い一重咲きのチューリップを探しているのだがあるだろう? 品種名は〝イルデフランス〟だ』
「あ? ああ…」
男の説明を聞いて始めて、自分の無知さ加減に気付いた陽月は、頬を赤らめながら思わず息を吸った。それから順に、頭の中にあるチューリップを一つずつ思い浮かべていく。
赤、白、黄色と…まるで歌の歌詞にあわせたように。
薄いピンクの一重はピンクダイヤモンド。オレンジ色の百合咲きはバレリーナだけどこれはうちには入れていないし…。赤の一重がイルデスランス…。
いつも扱っている赤い一重チューリップの名前で、〝イルデフランス〟と聞いたことがある…、そんな気がした。
チューリップの定番中の定番で、一年中入荷出来るほど流通されている花だった。
確か今朝の市で〝いつもお任せとするわ〟と言ってくれる親切なフラワー教室用にと、競り上げたチューリップがそんな種類だった。
一人で無言のまま頭の中を整理していると、電話の先から大きな咳払いが聞こえてくる。
『で、今そこに有るのか、無いのか? どうなんだ! 能なし! こっちは急いでるんだ! どちらかはっきり応えろ!』
なかなか返事をしない陽月に男は痺れを切らしたのか、電話先の声が荒立った。
信じられないくらいにきつい言い方。まったく、気の短客だな…。
心の中で呟きながら、電話の先で顔が見えないのをいいことに、悪態を顔で表現するように唇をひっくり返してタコの様な表情をする。
それから自分を落ち着かせるように息を吐くと、出来るだけ今の気持ちがばれないようにこぼれんばかりの笑顔を作る。
「申し訳ありません~、お客様。赤い一重のチューリップでしたら、ちょうど今朝入荷しましたが…」
陽月が謙ったように詫びると、微かに電話先の男から笑みが浮かべているであろう息づかいが、耳元に聞こえてくる。
やったね。電話先の男を見返した気がした陽月は、電話の前で少しだけ自分を誉めるように胸を張った。
しかし陽月の態度がまるで向こうに見えているかの様に、男の横柄な声が聞こえる。
『それは知っている。で、今、そこに何本ある? まだ箱ごと手付かずのまま残っているか?』
何でお前が知っているんだよ? という疑問が脳裏をよぎった瞬間、陽月の表情が作り笑顔から訝しいものに変わっていく。
「まあ…、ここにありますが…、でもあれは別のお客様から依頼を受けまして…」
わざとニュアンス的に口ごもる陽月の言葉を、男は腹を立てたようにな叫び声を上げ遮る。
『そっちは別の花で手配しろ!! それよりも、今そこに仕入れた百本が手つかずでまだあるんだな?』
「でも…、困るんですが…」
『なんだと! とにかく百本まるまる買ってやるから、とにかく他には回すな!』
「そ、そんな勝手な…」
『勝手なのはそっちだ!』
「なっ、なにいっちゃってんだよ…。つうかあんたいったい誰なんだよ? それにこっちのこともずいぶん詳しいじゃないか!」
俺は客だぞ! と言われれば身も蓋も無い話だった。けれど、相手の男のでかい苛立つ声に、陽月も怒鳴り声になっていた。そして叫んでいるとますますこいつはなんなんだ、という苛立ちが強くなり男への反感が増してくる。
しかし相手は陽月よりも上手な様だった。陽月が叫んだ途端、電話の先から舌打ちがし、次に馬鹿にするような大きな溜息がする。
『お前こそ、今の叫び方が客に対しての態度ではないだろう? まあ自分の店で扱っている商品も判らないような奴に接客態度なんて求めても時間の無駄だがな…』
何なんだよこいつ! と苛々しながらも陽月は言葉を飲み込んだ。
確かに男の言う通りなのだ。
実際に嫌々やっている店番なんだから、客に嫌われようがどうだった陽月にはよかった。しかしまるで心の中を見透かすように真実をはっきりと言われ、陽月は思わず顔を赤らめてしまった。
自分に言い訳をするならば、確かにいやいややっている仕事ではあった。けれど電話の男の様に、ここまではっきりと言われるほどひどい働き方をしたことがなかったからだ。
『まあ、いい…。とにかくそこにあるイルデフランスは全部を買わせて貰う、いいな?』
「はぁ…」
ここまで言われてしまうとこれ以上断ることも出来ずに、陽月は頷いた。
もっともフラワースクールの花の方は、別のもので代わりがきいたのもあったけれど…。
『じゃあ、二箱きちんと届けて貰うぞいいな?』
「はぁ、まあ…。あので、いつ、どこに?」
男は小さく溜息とは違う息を吐く。
『届けてほしい場所は、有楽町にあるコンベンションセンター六階会議室、クリスタルルームだ。行けばすぐに判る』
「六階のクリスタルルームですね」
『ああ、時間は今日15時必着、遅刻は許さない。宛先は、株式会社三代ビジネスコンサルティングの一ノ瀬宛だ』
そこまで聞いて、陽月の心臓は鼓動を早める。
三代ビジネスサービスの一ノ瀬といったら、やる気のない花屋の陽月ですら聞いたことがある。
業界の内外問わずメディアで騒がれている。
若干三十歳で、フラワーコンサルティング部門、チーフ。
一之瀬が作るアレンジメントは、業界では有名華道家にも負けず劣らない評価されている。けれどそれ以上に、今まで花を使ったビジネスを行ってこなかった会社に、ビジネスプロデュースを行う部門を設けさせた。
それだけではなく、実際にチーフとして部門を指揮し、普段では花など考えられないミーティングや職場へのプロデュースは何誌もの雑誌で取り上げられていた。
いきなりびっくりした心臓に軽い目眩を起こす。
『おい、大丈夫だろうな?』
名前を聞き言葉を失っていた陽月に、男は声を荒立てる。
「あ、はい。あの、一ノ瀬様ですね。だ、だ、だ、大丈夫です。で…、一本三百円なんですけど……、いいですか?」
無言の後、軽く咳払いが聞こえる。
『しょうがない…、来月月末払いの請求書は出せるか?』
「はい…、あ、多分…」
『多分?』
「いえ、大丈夫です…、大丈夫、大丈夫…」
『じゃあ、遅れるなよ! それとお前の緊急連絡先を教えておいてくれ』
威圧的な男の声に、陽月は背筋をただして、自分の携帯の電話番号を伝えると冷たい口調で〝判った〟と声がして一方的に電話は切れる。
電話の雰囲気からいって、多分一ノ瀬本人の様な気がした。
急にチューリップが必要になったんだろうか? 今までにない注文に、陽月は心を躍らせながら、間もない配達時間までの準備を開始した。
2.Inside of light
出来た時はこんなにすごい建造物があるかと、世の中の話題をさらった。
しかし十年以上経った今では、清掃だけでも税金の無駄遣いと言われているそんなコンベンションセンター。
見上げればノアの箱舟の絵を思い出され、晴れていると光に満ち溢れて驚くくらいに奇麗だった。
貸し出している部分では、コンサートやコンベンションなど色々な使われ方をされているらしいけれども、陽月がここに来たのは初めて。
右も左も判らず思い切り緊張しながら陽月はガードマンの指示で、業者用の駐車場に車を止めた。それから花が入ったダンボールを抱えて、一ノ瀬が言っていた六階まで業務用の荷物エレベーターで上がった。
フロアは大型の結婚式場の様に、何かで使われていて静まり返っている部屋と、会議が終わったのかドアが開かれて名刺交換をしている人が何人もいるそんな部屋。似たような用途で使っている部屋が、いくつも並んでいた。
目指す会場を少し遠目に見ると、会場はこれから行う何かの為に、何人もの業者やスーツを着た社員らしき人間で賑わいでいた。
ここに一ノ瀬さんがいるんだ…。
そう考えると自然に力が入ってくる。ただ依頼された花を運ぶだけだと判っていても、背筋に感じる緊張、手が震えている。
自分を必死に奮いたたせて慌しい様子を近くから覗くと、中は入り口より職人らしきすれ違う人々の迫力。皆がきびきび動いているように見え、見慣れない光景に陽月は戸惑い段ボール箱を抱えておろおろするしかなかった。
誰に声をかけようか困っていると、ドアの先から先ほどの男のものと思われる怒鳴り声が聞こえてくる。
「そんなことも出来ないのか! ぼんくら!」
電話で受けた印象そのものの罵声。声の主を除き見るとどこかの雑誌で見たことがある男の姿だった。
あ、本物の一ノ瀬淳史だ…。
商店街のヒーローショーですら連れて行ってもらった経験の無い陽月は、初めて有名人と出逢った驚きに思わず心をときめかせていた。
陽月の笑みとは反対に、光が溢れている会議室の中は凍える様な空気が流れている。
声がかけにくい空気。
周りが一ノ瀬を見る視線と、苛立っている当事者は荒らしを思わせるきつい沈黙だった。
一ノ瀬は大きく舌打ちをすると担当者らしき人々に踵を返す。
「出来たら呼べ、出来るまで呼ぶな。たくっ…、いい加減注意させるなよ!」
自分の言いたいことだけいうと、苛立ったまま一ノ瀬は部屋を出て行ってしまう。
後に残ったのは、陽月の様な新参者が声をかけられる様な空気ではない無言のみ。
陽月は小さく溜息を付くと段ボール箱を抱えて、一ノ瀬を追いかけた。
* * *
たどり着いたのは、控え室に使っているらしい小さめな会議室だった。
扉には入室の際には、ノックして下さい。一ノ瀬とA4の張り紙がされているから間違えはないだろう。
生一ノ瀬を見て舞い上がってここまで付いて来たのはいい。けれども控え室まで来て本当に良かったのかと考えると、不安が心によぎってくる。
部下に怒鳴っていた時や電話での口調。思い出すとやはりここは無難に会場に戻って納品した方がいい気に陽月はなってきた。
Uターンしようと思ったその時、控え室から何かをひっくり返すようなすごい音が聞こえてくる。
何事? と近寄る陽月。一度すごい音がした部屋はすぐに不気味なほどに沈黙してしまった。
中が気になる…。
一ノ瀬さんが怒りのあまり、脳の血管でも切って倒れていたら大変だし…。
不謹慎な好奇心と微かな心配とが重なり合う。
陽月はドアを軽くノックしてドアノブに手をかける。
ドアはありがちなミステリードラマの設定の用に、手をかけた瞬間開いてしまう。
どうやらドアがきちんと閉まる前に施錠したらしく、その所為で上手くかみ合っていなかったらしかった。
「あの…、大丈夫ですか?」
最初は泥棒の用に小さな声。こそこそと、身体を小さくして…。こそこそ隠れているせいか、一ノ瀬の後ろ姿以外見えない。
何をしているんだろう? 気になって乗り出した次の瞬間、物音に振り向いた一ノ瀬と目が合う。
!!
…。
こっそり入ってきたことに対する罪悪感よりも、自分の目に映っている一ノ瀬の姿に驚き言葉を失った。
あまりに考えられない一ノ瀬の奇行だった。
何も話せずに言葉を失っているのは、陽月だけではない。
当事者の一ノ瀬も見られては行けない自分の姿に陽月と同じように話すことが出来ずに、ただポカンと口を開けている。
当然だった。
多分本人も誰かに知られたくない行動だったのだろう。
一ノ瀬はおそらく装飾に使うであろうバラやかすみ草をばくばくと、まるで何かに取り憑かれたように食べていたのだから…。
動けずに固まるしかない二人。
陽月ははっと我に返るとさりげなく、何も見てないという様子を装って笑う。
「あ、あの…、失礼いたします~。雫生花店ですがご注文のお花をお届けに上がりましたが…」
きわめて不自然な笑顔。今の陽月にとっては、引きつっていようが、取り繕うっていようが、混乱してようが笑顔は笑顔だった。当然かなりやけも混ざっている。
「あ…、ああ…」
顔の筋肉を引きつらせながら、応える一ノ瀬。
一ノ瀬の方も陽月と変わらずどう反応して良いのか、態度を決めかねているらしい。その証拠に先ほどまでムシャムシャと食べて花が無くなった、バラやかすみ草の茎が微かに戸惑うように揺れているのが見えた。
「あ、あの…、ご依頼の花、ここに置いて良いでしょうか?」
「ああ。いや…、すまんがレセプションルームに届けて貰えるか?」
「あ、あは。そうですね、ハハハハ…」
後ずさりしながら、陽月は部屋を出ようとする。
一ノ瀬の奇行に対して関わってはいけないという思いよりも、記憶から今見たモノを抹消しなくてはいけないと言う意志の方が強いだろう。
この耐え難い空間からもう少しで抜け出せるとドアノブに手をかけた瞬間、一ノ瀬が叫ぶ。
「いや! 待ってくれ!」
え? と驚くように動きを止める陽月に、一ノ瀬は手にしていた茎を投げ捨てて駆け寄ってくる。
「待ってくれ、花はこちらで頂こう…」
頂く? もしかしてまた食べるってこと?
微かな不安と疑問。思っている事を表情にすぐ表してしまう陽月は、眉を寄せながら一ノ瀬を見つめてしまった。
「あの…、これチューリップなので…、食べると毒になりますよ…」
「え? あ…、いや…、そのくらいの事は知っているから…、大丈夫だ。そのチューリップは食う為じゃない…、いや今回のコンセプトに重要だから…」
一ノ瀬に向ける陽月の視線は、信じていないとはっきり言っているものだった。陽月の視線と言葉に狼狽えている一ノ瀬は、控え室に入る前の偉そうぶりが想像出来ないほど、顔を引きつらせている。
「あ、それなら良かった…、家の花で中毒死ってものあまり縁起のいいはなしじゃないんで…。じゃあ、納品書と請求書…、置いていきますね…」
もう一度後ずさりにチャレンジする陽月。
一ノ瀬は一度深く息を吸うと、陽月の腕を思いっきり掴んだ。
「ま、待ってくれ…」
「あの…、俺…、誰にも言いませんから…、ほら、ただの納品の業者だし…」
「それは…、いや…。確かに見たことは誰にも言わないで欲しいんだが…」
「大丈夫ですよ。それにきっと一ノ瀬さんが花食っていたって皆言っても信じないか、でなければやっぱりって言うかどちらかですから…」
「やっぱり言うのか…」
つい口を滑らせた言葉に、一ノ瀬は過敏に反応し陽月を世にも恐ろしい目で睨み付ける。
「あ、すみません…。それはただの言葉のあやで…。これは秘密にしまし。絶対します!」
「本当だな…」
「はい…、つーか今回の納品以外…、もう、逢わないし…」
「…」
何か訴えるような視線で、思案している一ノ瀬。
厳しくてきつい一ノ瀬の視線が、まるでビクターの犬のように空ろで縋ってくるように陽月には見えてくる。
やばいよ…、この人。
花を食べる行為よりも、この人の今のどこかドンと腰掛けたような視線の方が、危険度を訴えている。
そこまで言って陽月の心の少しずうずうしいかなぁ~、とも思えるアイデアが浮かんだ。
「あの…、よかったら事情聞いてもいいですか? 俺、秘密守れるし…」
「…」
無言で固まる一ノ瀬の厳しい瞳。陽月も不安げに一ノ瀬を見つめる。
いつもの陽月であったら長いなどせずに、逃げ出していただろう。しかし心の中ではさっきまで威張り腐っていた一ノ瀬の弱みを見てしまったという特権意識が浮かんでいた。陽月は、少しだけ感覚が違っていたのだと思えた。
「じゃあ、理由は聞きません…。でもばれるとまずいから焦ってるんですよね? だったら俺をバイトで雇って下さい」
「バイトで?」
「ええ、一ノ瀬さんと周りの人の連絡役引き受けますよ。そうしたら一ノ瀬さんがお腹、空いて花をがっついていてもばれないし…」
「……」
「判った…、まず花を見せてくれ…」
気持ちの行き違いに一ノ瀬は大きく溜息を吐いた後、眉を歪めたまま陽月を見つめる。
「え? えぇ…」
戸惑いながら陽月は段ボール箱を机の上に置くと、中の花を傷つけないように力加減を気にしながら開けた。
一ノ瀬は、陽月が取り出すのを待たず段ボールから真っ赤なチューリップを一本取り出す。
まるで宝石の鑑定でもしているように、じっくりとチューリップを見る一ノ瀬は、まじめにエリートサラリーマン、格好いい。
ちょっとだけ一ノ瀬を感心しながらも、持ってきた花に値踏みをされているのは事実。電話の時のように嫌み言われて怒鳴られたらと思うと、陽月の背筋に冷たい汗が流れてくる。
「これなら良いだろう…。判った、次回も君の所から購入するから…」
「え?」
「今回の事は黙っていてもらう。もし君が望むなら、俺の仕事も手伝ってもらう。その交換条件だ、君の話を受けよう…」
一ノ瀬は何かを吹っ切ったように、チューリップを一輪持つ手でニヤリと微笑んだ。
辺りに漂うチューリップの歌のような安心感。
けれどもほっこりしていた空気に、すぐに冷たいブリザードの風を一ノ瀬は流す。
「とにかく、今日は俺の仕事を見ていてくれ…、まあお前の都合はあそこまで豪語したんだ、当然大丈夫だな?」
厳しい一ノ瀬の表情に、陽月はその時、自分が軽はずみなことを言った気が初めてした。
と言っても後の祭り。
陽月は顔を引きつらせながら、笑みを浮かべた。
脳天気そうに見える陽月の表情に、一ノ瀬は無言のまま表情を引くりとさせていた。しかし笑顔を向けたまま固まっている陽月に、眉を寄せたままジトリと厳しい視線で見つめる。
「別に腹が減ってたから食ったんじゃない…」
「えっ…、違うんですか…」
びっくりした陽月に、一ノ瀬は表情を硬くしてきつい目を向けた。
一瞬の沈黙。一ノ瀬は陽月には通じないと諦めたのか、大きく溜息を付く。
「最近…、無意識にストレスが溜まるんだ…」
「はぁ、大変ですね…」
「君にはストレスがなさそうだね…」
「そんなことないですよ、毎日ストレスばっかりで…。でもそんなにすごいんですか? 一ノ瀬さんのストレスって…」
一ノ瀬から見れば、全然ストレスのなさそうな陽月の態度に、眉を目を思いっきり眉間に寄せる。
「会社は君みたいに使えない人間ばかりだからな…。新規事業はまず実績を上げないとだめなんだよ…」
何を判りきっていることをいわせるんだと言う一ノ瀬の態度。
陽月からしてみれば、自分を中心に考えている行動がすべてストレスを生んでいる気がする。
だいたい他人が思っていることをどこまで理解出来るかなんて、すべて自分の努力次第じゃないか…。もちろん俺は面倒だから努力もしない代わりに、相手にも求めないけどね…。
いつもなら話半分にして内容を聞き流す所だけれども、先ほどバイトで雇え、などと乱暴な発言をした自己責任もある。
すでにここで、陽月は一ノ瀬に偉そうに、発言してしまったことを後悔し始めていた。
「っていっても~。やっぱり一ノ瀬さんみたいに出来る人って、そういないんじゃないんですかね? それ考えたらしょうがないと思いますけど…」
「…」
ちょっと言い過ぎたかな…と、少しだけ反省しつつ一ノ瀬を見た。一ノ瀬は眉を寄せたまま別の所をみて、何かをぶつぶつ言っている。
そして一ノ瀬の手が無意識に近くにあったバラの花に伸びると、先っぽからムシャムシャと食べ始める。
別に美味そうに食べている訳ではない。
どちらかというと、自分の上手く口から出ない思いを、何かにぶつけないといけないという思いが伝わってくるほど、苦しそうにバラの花を食べていた。
驚いた陽月は慌てて一ノ瀬から、バラの花を取り上げた。
「何やってるんですか、一ノ瀬さん!」
陽月に花を取り上げられて、一ノ瀬は初めて我に返った。そして無言のまま、自分が食べた花を見て、大きく溜息を付いた。
「別に…、花の所為じゃないんだ…」
「一ノ瀬さん…」
「ただ気が付くと八つ当たりでもするようにかみ砕いていて、最後には腹の中に納めてしまってるんだ…」
「それって…、なんかまずくないですか? 医者に行った方が…」
一ノ瀬は躯をびくっとさせたて陽月を見た後、また視線を下に落とした。
「ああ…、確かにな…、でもその勇気がない。医者に行くのは、自分が負けを認めている気がして…」
苦しい物でも吐き出すように一ノ瀬が息を吐く。
「一ノ瀬さん…」
陽月は一ノ瀬の横に立つと、頭を数度ぽんぽんと子供をあやすように叩いた。
その瞬間一ノ瀬の今まで青ざめていた顔色が一気に赤くなる。
「お前は、それで俺を慰めているつもりか…」
「えっ…」
「お前は俺に同情して、それで満足か!」
いきなりの展開。
今まで真っ青になって苦痛を訴えていた男が、いきなり立ち上がると物凄い形相で陽月を睨む。
「一ノ瀬さ…ん…」
ぶ、分裂症?
「あんたさー、落ちてたと思ったらいきなり、復活してやばいんじゃない?」
「…」
一ノ瀬は厳しい目をして、陽月の元にずんずん近づいてくる。
まじにやばいよ…、恐怖に後づさる陽月。
逃げようとする陽月をどんどん追いつめる一ノ瀬。
陽月は一ノ瀬の顔を思いっきり引っ叩いた後、何を考えているのか自分でも理解出来ない行動をとってしまった。
それは、キス。
混乱しているときの人間とは、可笑しな行動をするもので、などと冷静に判断している余裕などない。
よく少女漫画で混乱している女に、男が軽く叩いた後、むちゅーっとチューをするあれが脳裏を横切り、陽月は何を思ったのか実行してしまった。
一ノ瀬相手に…。
もちろんべろチューなんて豪快なものではない。しかし唇を越えて、お互いの前歯がぶつかるほど物凄い近距離のチューだった。
キスに今までショートしていた一ノ瀬の頭の回線が繋がったのは、表情が元に戻り、動きが鈍きなる。
陽月は安心して、唇を離すと逃げる算段を頭の中に立てていく。
とにかくこの部屋を出れば、後は自分で言ったことも何とか誤魔化すことが出来る。
必死な思いで陽月が走ろうとすると、一ノ瀬はすかさず腕を掴んだ。
「何処に行こうとしているんだ…」
まずい…、目が座ってるよ…。
かなり自爆行為とはいえ、突然のキスで少しは冷静になったと思えた一ノ瀬だった。しかし、陽月がした行為は、逆効果だと、すぐに体感させられる。
「判った…」
「何が~?」
低く地を這うような一ノ瀬の声。対照的に上ずって頭のてっぺんから出している陽月の声。
こうなるとマングースに睨まれたハブの気分。
マングース一ノ瀬が、不適な笑みを浮かべ、近くにあった荷物を梱包するビニールロープを手にする。
「キスを仕掛けてきたのは、君だからね…」
「何を言っちゃってんですか、い、一ノ瀬さん! もし悪いことしたんなら謝ります。すみませんでした。だから、れ、冷静になりましょう、冷静に…」
もしかしたら、混乱で半べそくらいかいていたかも知れない。
そのくらいパニックを起こしている陽月の両腕を掴む。そして両腕を陽月の背中に回すと、見事な手つきで花をまとめるようにビニールロープで身動きが出来ない様に括る。
「げっ、何ですか…。ちょっと冗談は止めて下さいよ…」
「冗談なんかじゃない…。君がその気なら、もっといいことを君にして上げよう…」
一ノ瀬の表情はすでに危ない人を通り越して、まるで餌に食らいつく妖怪かゾンビ。
のたうち回ろうが、ばたばた暴れようが、そんな事はお構いなし。
足をすくって陽月を床に転がすと、乱暴に服を解いていく。
当然陽月も逃げようとする。
しかし、パワーは妖怪一ノ瀬の方が上。
どう足掻いてもただ子供が大人に喧嘩を挑んでいる様なものだった。
「おっさん! ふざけろ! これじゃただの変態だろう!」
「うるさい…。静かにしろ…、ガキ」
物凄い低い声で睨んだ後、騒いでいる陽月の唇を自分のもので覆う。
先ほど陽月が仕掛けたものなど、生やさしいほどの口付け。
思い切り陽月の口蓋を暴れ回る一ノ瀬の舌。
何が何だか判らないままに絡められる舌に体温が加わり、初めて陽月は一ノ瀬が自分の上に乗っかっているのだと気付いた。
重くのしかかってくる、一ノ瀬の体重。躯を少し上げた部分からは、手が人間が性的な欲望を感じる部分を弄ってくる。
もっとリアルなのは、一ノ瀬の屹立だった。
このおやじ興奮して、勃起しているよ!
やばいよ…。
そうは思えども、口は塞がれたまま、腕は自分の躯の下で潰れている。
足はばたばたさせればさせるほど、一ノ瀬の力を持った息子の姿を実感させれられる。
そうなってくると、元々努力も根性も忍耐も好きではない陽月は、後は一ノ瀬のさせる様にされ、流される様に流されるしかなかった。
逆に抵抗するのも、バカらしく思えてくる。
あがなうのを止めると陽月は従順に一ノ瀬に躯を任せる。
一ノ瀬もあまりに早いホールドアウトに、少しだけ調子が狂ったのか様子を伺ってくる。
「どうした? もう抵抗しないのか?」
「抵抗したって、無駄でしょう? それとも抵抗したら止めてくれますか?」
「いや…」
「だったら、しょうがないでしょう? こっちは体力がないんだから…」
拗ねた口調で唇を尖らす陽月に、一ノ瀬は一度目を丸くするように大きく見開いた後、目を細めて笑みを浮かべる。
「そんな体力なくて、よく花屋が出来るな…。まあいい、お前がいいなら…自由にさせて貰う…」
ちょっと真剣に恐い笑い。
まるでお化け屋敷の魔物か魑魅魍魎の様な笑みを浮かべている一ノ瀬に、陽月は慌てて叫ぶ。
「ちょっとまった!」
「何だ!」
苛立つ妖魔一ノ瀬。しかしどんなに陽月にも引けない部分がある。
「痛いのだけは…、止めて下さいね…」
じとりと目が細くなり、眉が寄る魔王一ノ瀬。
本の少しの沈黙の後、くくくっとそれこそリアルバケモノそのもの笑いをする。
「なら、痛かったら言え…」
「まじで? それで勘弁してくれる?」
「それはその時、考える…」
「げー、きったねー!」
叫んだ陽月に、一ノ瀬は大きく舌打ちをする。
「ぐちゃぐちゃ言っているから萎えたじゃないか…。銜えろ…」
「げー、まじで?」
言い終わる前に、一ノ瀬は自分の前を開けて小さくなった自身を陽月の口の中に突っ込んだ。
もごもごもごもご…。
もう反論を口から吐き出すことの出来ない陽月。
「いいか、丁寧に舐めろよ…、俺を気持ち良く出来たら、お前も気持ち良くしてやる…」
嘘なのか本当なのか判らない言葉。
しかし変な所に見栄を張りたがる陽月は、変態一ノ瀬のおちんちんを噛んで脅かすことも出来る状況で、素直になる。
それも何もそんなに丁寧にしなくても、と言われそうな程、亀頭の裏をくすぐるように舐めたかと思うと、思いっきり喉の奥に吸ってみたりと…。
それでもつたないテク。しかし一ノ瀬はすぐに興奮し始め、熱い息を吐きながら自分から腰を揺らし陽月の喉に先の辺りをぶつけてくる。
喉には青臭い先走りの液の味。
そうなるとやばいのは、陽月の方だった。
ジーンズの下では自分では制御不能の棒がむっくりと力を持ち、頭では性欲男一ノ瀬だけと恨めしくなってくる。
自分で弄りたい。
しかし両腕は縛られ、挙げ句に自分が敷いていて痛くなり始めている。
突き上げる興奮と苦しさに、陽月は躯を必死に一ノ瀬に擦り付け何とかもっと激しい快感を求めて様と、うなり声を上げる。
ばたばたと暴れる陽月に、与えられる行為に酔っていた一ノ瀬は眉を寄せながら唾液でべろべろになっているデカイ息子を外す。
「どうした…」
この一言が何よりも救い。
「俺も…、気持ちよくして…」
羞恥心など母のお腹の中に追いてきた。
すでに理性など消し去るほど、気持ちよくなることだけが頭の中に浮かんでいる陽月は、涙を流しながら懇願する。
時の勝利者一ノ瀬は、下品な笑みを浮かべて陽月を見下ろす。
「そんなに気持ち良くなりたいか…」
水源地の水のように次から次へと沸いてくるやり場のない性欲を持て余しながら、陽月は固く目を閉じて頷いた。
悪代官の様に満足げな笑みを浮かべている一ノ瀬は微かに〝それでは…〟と呟くと、陽月のシャツとズボンを乱暴に脱がせた。
びっくりした陽月。
しかし一ノ瀬は暴力を振るう為ではないのだと、次の瞬間の全身への愛撫で気付かされた。
キスマークなど付くのはお構いなし。
寒さでツンと立った乳首は当然、乳頭の周りの褐色を帯びた乳暈、脇、へそ、そして陽月自身とすべてを自分の物だと主張しているように唇を落としていく。
それは今まで陽月が知っていた、こんにゃくやエロ本、DVDなどに頼る快感とは比べ物にならないほど、くせになりそうな程やばい感覚だった。
「ぁ…んっ…、ぃやっ…」
息がどんどん上がり、自分でもびっくりするくらい甘えた声が、止めどもなく出てくる。
気持ちいい、そして早く達きたい…。
陽月の頭の中は真っ白になり、官能を求めること以外の言葉が浮かばなくなる。
「ずいぶん感じているじゃないか…」
悪魔一ノ瀬冷たい呟きが聞こえた瞬間、今まで快感を引き出してくれていたや唇すべてが躯から離れていく。
「だめ…、もっと気持ちよくして…」
他人から見たら情けないほどに一ノ瀬に縋り付いているのが自分でも判る。
けれども腕の自由が利かない陽月は、一ノ瀬に達かせて貰うしか方法が無いのだ。
先ほどよりももっと情けないくらいに涙して、一ノ瀬の懇願する。
「お願い…、達かせてくれ…。自由にしてくれ…。何でもするから…、お願い…」
もう達せられるならなんでも出来る、そこまで陽月は追いつめられていた。
「何でもか…、その言葉忘れるなよ…」
一ノ瀬がくくくっと笑ったのを理解する余裕も無く、陽月はうんうんと頷いた。
達けるならば、例え悪魔にも心を売ってもいい。
神様だって許してくれる。
そんなとんちんかんな言葉が頭に浮かぼうとも、それでもいいのだと陽月には思えた。
「なら…」
呟きが聞こえた後、飛んでもない部分ににゅるんとした気持ちの悪さと圧迫感が襲ってくる。
一ノ瀬は縋り付く陽月の両足を、自分の肩の上に乱暴に乗せた。そして近くにあったハンドクリームの中を、思い切り陽月の後ろの蕾に押しつけ付けてくる。
ねっとりとしたクリームを押しつけるまでならば、百歩譲っても許せるかもしれない。けれども事もあろうに一ノ瀬は、自分の指にもクリームをたっぷり付けた指で、陽月の腸内を暴いていく。
それも指二本も使って。
「げげっ…、うげっ…」
痛みなのか、かゆみなのか、それとも別の何なのかまったく判らない感覚が躯を襲ってくる。
けれども気が付くと、驚きと最初の痛みで萎えてしまった陽月の竿が、またぐぐぐっと力を付けて戻ってきていた。
自分の躯に何が起こっているのか、陽月にはまったく理解出来ない。
気持ちがいいのだ。
先ほどの興奮とは少し違う。それでも確実に最高の気持ちよさを与えてくれる確信が、その狭い器官にはあった。
一ノ瀬は二本の指を縦横無尽躯の中で動き回る。
まるで生きている動物のように。そして自分では狭いと思っていた入口をどんどん拡げていく。
何の為に?
波の様に襲ってくる快感とは別の所で、小さな不安が浮かび上がってくる。
この男は何をしたいのか…と。
そして指は三本に増えると、もうこれ以上限界と思える程、大きく拡げていく。
きつい圧迫感に、目を思い切り瞑った瞬間、ふーっと息を抜ける様に、指も狭い入り口から消え去る。
陽月の口からも、安堵の息が吐かれた。
しかしそれは終わりでは無く、始まりだった。
息を吐いた陽月の口が、再び一ノ瀬の唇に寄って塞がれ、また舌が中で暴れ回る。
そして陽月にはまったく予想出来ないことが本当に起こった。
一ノ瀬は自分の屹立にハンドクリームを思い切り塗ると、自分で緩めた小さかった陽月の後蕾を一気に貫いた。
「くっ…」
眉が歪むほどの苦痛に、陽月は思わず歯を食いしばった。
それは勢いに任せた方も同じだったらしく、一ノ瀬のそれなりに調った偉そうな顔が苦痛に歪んでいる。
そりゃ狭い所に挿れられた方も、挿れた方も痛いだろうさ、はははっ。
などと笑う余裕など、陽月にはないのだ。
指と比べたたら、指に怒られてしまいそうな程の苦痛。
先ほどの快感とはまったく違う涙がちょちょ切れる。
痛くしないっていったじゃないか! そんな泣き言を言ってもいい場面だと思うのだけれども、お互いそんな余裕などありはしない。
双方大きく呼吸を何度か繰り返し、繰り返し。
そうすると人間の躯は不思議なもので、だんだんに慣れてくる。
それは一ノ瀬でも同じらしく、何度かゆっくりと息を吸って、吐いてとしている内に〝あ、大丈夫かも?〟と思ったらしい。
今度はゆっくりと陽月のお尻を左右に揺らしていく。
「いや…、だめ…、あっん、うぇ…、げげっ…」
一回痛みの波が去った後に来るものは、驚くことに先ほどと同じ気持ち。
快感だった。
揺らされるだけで、入り口の部分がくすぐったくなり、一ノ瀬の分身が与える圧迫感が気持ちいいところを擦っているそんな気がしてくる。
男でもこんなに感じられる部分があるとは…。
「ぁ…んっ、あっ…、んっうっ…、気持ちいい、気持ちいい、もっとして…」
初めて知った感覚に、酔っぱらいながら、陽月は自分から一ノ瀬の動きに合わせて腰を動かしていた。
一ノ瀬も慣れていない狭い器官は、陽月が感じれば感じるほどに最高な締め付けをもたらしていく。
そして気が付くとお互いが繋がっている部分だけしか考えられなくなり、気が付くとどちらともなく興奮の先の甘い蜜をぶつけ合っていた。
3.Smile of an evil spirit
目覚めるとしどけた格好をしている、全身を夕日が照らしている。
ぼんやりした頭、動かそうとしてもなかなか動かない躯。
陽月は自由の利かないすべてに苛立ちながら、何とか寝転んでいた床から上半身をもたげた。
両腕の痛み。ゆっくりと動かしてみると、手首には紐の後がくっきり残りあざになっている。
いったい自分はここに何をしに来て、で何をしていたのだろう…。
ああ、きっと配達に来てここで幽霊に逢って、閉じこめられて、襲われて…。
など現実逃避しようとする頭を許さない、部屋にこもった青臭い匂い。
それでも全身がべたべたしない所を見ると、あれば夢か幻か…。
はははっ…。いやきっと悪夢。悪い夢でも見たに違いない。
いくら現実から離れようとしても、動かない躯は何を今まで誰としていましたと〝これは本当に起こった出来事ですよ~〟雄弁に伝えてくる。
あほらし…、帰ろう…。
陽月は大きくてバミューダトライアングルくらいに深い溜息を付くと、あまりにありえない現実から逃れる為に家に帰ろう決意する。そして近くにあった机の助けを借りて、まるで生まれたての仔鹿の様な情けない格好で立ち上がる。
何も身につけていない躯。
それでもあのおやじの親切は、躯を拭いてくれたことと、風邪を引かないように着ていた服を布団替わりに掛けてくれたことだろう。
まったく、腹が立つと言うよりも、情けない。
情けないのは当然なのだ。
微かな記憶を辿ると、配達にここ来てから、二回も犯って。あの変態おやじは三十分も経たず即効解決でストレスを解消して会場に向かったのだ。
くそじじいなりの微かな優しさを残して、意識が遠くなる陽月を放置して…。
ブツブツと文句を言いながら、陽月は緩慢な動きで服装を整える。
それから、まあ、一応帰るぞと言っておいた方がいいかな~という良心からテーブルに置いてあるメモ用紙を取る。
しかしメモ用紙には、すでに先客がいる。
先客のメモは、書道でもやっていたんかい! と突っ込みたくなるような奇麗な文字で〝クリスタルルームにいる、目が覚めたら来い。でないと花代は払わない 一ノ瀬〟とふてぶてしい内容の伝言が書かれている。
どこまでふてぶてしい奴なんだ!
少しイライラしながら、元来のんきな性格なのか、真剣に考えるのは、代金の事。
チューリップ二百本の代金が入らなかったら、婆ちゃん、母ちゃん、父ちゃんに怒られるだけではすまされない。
その前に車がなかったら父ちゃんに怒られるかな、配達も手伝えないし…。
これは悪魔の化身一ノ瀬のろいなのだ。
きっとあのくそじじいは、陽月の知らないところでエロエムエッサムと謎な呪文を唱えているに違いない。
ほとんど現実逃避…。
陽月は大きく溜息を付くと、戻れなさそうな旨を家に電話した後、親の小言を聞く前に電話を切り、一ノ瀬の待つクリスタルルームに向かった。
* * *
クリスタルルームは名前の通り、一面のガラス張りの部屋。
外からの光をふんだんに取り入れ、部屋の中がきらきらと輝いている。
夕日と用意されたスポットライトの先には、陽月が持ってきた真っ赤なチューリップに囲まれた新製品と思える清涼飲料水。
品のある薄緑の缶緑と、光を屈折するフルートグラスに入った限りなく透明に近い緑の液体。その中で炭酸の泡が弾けては消え、また生まれている。
今日発表される新商品は、微炭酸のライムソーダ。
ライムソーダと真っ赤なチューリップの関係に付いては、陽月には判らない。けれども見てドキッとするほど奇麗だと感じるから、すべてが良しなのだろう。
「あ、すみません、吉田さん。そこのカスミ草を、もう少し高めにしてください」
聞き覚えのある声。しかし陽月の知っているこの声の持ち主の話し方とはまったく違う、まるで春の女神が微笑んでいる様なそんな甘ったるい話し方。
眉を寄せたまま、陽月が声の方向を見つめると、部屋の飾りで使うらしきフラワーアレンジメントの指導をまるで天使が浮かべるような笑みを浮かべてしている。
何重人格ですか? あの人…。
今日だけでも三変化する一ノ瀬に、戸惑いながら見つめている向こうも陽月の視線に気がついたらしく周りに声を掛けてこちらに近寄ってくる。
「ああ、君か…、すまないが時間がなかったので、花を先にこちらに運ばせてもらった…」
「はぁ…」
満面の笑みで応える一ノ瀬の態度に複雑な表情をしながら、陽月は頷く。しかし自覚症状がまったくないのか、後光で後ずさりしそうなほど輝ける笑みを浮かべたまま、一ノ瀬は軽く首を横に曲げる。
「何本か潰れた花があったが…、まあ今回は初の取引だからどうこう言うのは止めよう…」
一ノ瀬が優しい笑みを浮かべれば、浮かべるほど胡散臭く感じるのは、陽月だけだろうか。
いや…、身を呈した感覚は、疑い様もない。
「どうしたんですか?」
「何がだ?」
「さっきと全然違うから…」
「全然違うって…、何がだい? 言ってみてもいいよ?」
ぎろりん! と効果音でも聞こえてきそうな大魔王一ノ瀬の瞳。
陽月は返事も出来ずにただ、固まるしかなかった。しかし相手は何十枚も上手。
目は座ったまま、にっこりとやさしい表情で微笑んでいる。
「何をやっている、今日は見学だけしていたらいい。これからのことは、これが終わったら相談しよう…」
「これからって…」
「何を言ってるんだ。お前は俺の連絡係としてバイトするんだろう?」
目が笑っていないんですけど…。
雪の女王ならぬ、雪山の大魔王一ノ瀬に出逢ってから、目眩と寒気を感じる瞬間が多々ある。
背筋にぞくぞく来る寒いものを感じながら、陽月は後ずさりながら一ノ瀬を見つめた。
「あの、どうぞお気を使わないでください。辞退します、もう帰らせて頂きます」
「遠慮しなくていい!」
〝でも…〟と言葉を続けて丁重に辞退し様と思った瞬間、別のところから一ノ瀬を呼ぶ声がする。
一ノ瀬は軽く手を上げると、すっきり爽やかな笑顔をそちらに向ける。
「とにかく、君は邪魔にならないところで見ていて、次からは手伝ってもらうから…」
「でもちょっと!」
などと呼び止めようとする陽月をまた放置して、まったくストレスの感じていないような笑顔で一ノ瀬は行ってしまった。
おいおい…。
当然困ったのは陽月の方。
周りは陽月を置き去りにして、発表会に向けて立ち止まる様子はない。
発表会の開始時刻は、ちょうど日暮れ時。
夕日の一番奇麗に差し込む時刻に記者発表し、そのままレセプションに突入する。
一ノ瀬の所業は許せないものがあったけれども、それでも始めてみるテレビで見るビジネスの現場に常にぐーたらな陽月の心もどきどきしてくる。
初めて見る世界に、初めての感覚だった。
皆ばたばたと一つのことを作り上げている。
魔物一ノ瀬の指示を受けて、女性たち数人のチームになってチューリップとカスミ草を奇麗に部屋を飾り、男たちは製品をクローズアップするレセプションの支度をしている。
これが雑誌に載っていた一ノ瀬マジックなのだ。
一時間も経たないうちに、部屋は可愛らしい花畑となり、橙色の光が外から入るといっそう華麗さをます。
取材にきた記者もレセプションの参加者も皆この瞬間の商品発表に、感嘆を上げている。
陽月自身も人間としては最低な一ノ瀬の才能に、思わず感動してしまった。
そしてほんのちょっとだけ、手伝えるなら手伝ってみたいと思ってしまうくらいにかっこいいと思ってしまった。
もちろんほんのちょっとだけだったけれども…。
梅雨の晴れ間と言っても、空が茜色の時間はそれほど長い時間ではない。
蒲色の空がどんどん群青色に染まり、周りのビルに灯りがともる。
商品発表会場から、室内はレセプション会場に変化を遂げると、花の周りの風景もまた別の色に変わっていく。
普段は真っ赤なチューリップが、こんなにも色々な変化するんだと、その時初めて陽月は知った。
不思議な世界だった。
こんな花畑でライムソーダを飲んだら、最高だろうな…などと思わせるそんな風景をレセプション中でも客に思わせる。
何もすることもなく、ただぼんやりとすべてを見学していた陽月にとっても、ものすごい貴重な瞬間だった。
時間が経ち、客は消え去り、レセプションルームの電気が落ちる。
陽月が持ってきたチューリップは赤い可愛らしいリボンをかけられて、今日発表されたライムソーダと一緒に客たちが持ち帰っていった。
満足そうな表情で帰途につく客たち。
客たちは口々に天才マジシャン一ノ瀬の企画を誉めている。
それが彼の評価。
きらめく商品発表会、夢から覚める瞬間を始めて陽月は知った。
シンデレラの魔法が醒めると、こんな気分になるのだろうか、とまじめに感じるほどに。
ここに来て、どのくらいの時間が経ったのだろうか。
客既に皆消え、スタッフも最後の点検をしている数人だけがしか残っていない。
会社の関係者でない陽月は、邪魔にならないようにしょうがなく一ノ瀬の控え室で時間を潰していた。
時計をちらりと見ると、まもなく九時になろうしていた。
電話を受けてからほぼ半日。一ノ瀬という男に引っかき回されて、過ぎてしまった。
疲れた…。
陽月が深い溜息を付いた時、音を立ててドアが開き、一の瀬が入ってくる。
「待たせた…」
「いえ…」
小さく陽月が呟くと、鼻から息を吐きながら一ノ瀬が微かに笑みを浮かべた。
「疲れたか?」
「そりゃあ、まあ、慣れない場所にいましたから…」
「こういう場所に納品したことがないのか?」
「無いですよ…、家なんて小さな街の花屋ですから…。配達する場所なんて、近所の華道教室とか、スナックくらいですよ。後は、彼岸、盆、正月、仏壇用の花ばっかで…」
疲れもあって、陽月は溜息を吐くように呟いた。
「で、お前はそれで満足していないって訳か?」
図星だった。
家で扱っている花すべてが、陽月にとって配達も店番も仕入れもすべてが煩わしいものだった。
今日、一ノ瀬の仕事を見ていて、きらきらしたことをやってみたいと本気で思った。
今までやっていたことから脱して、何か目指す物が欲しいと本気で感じた
だからと言って、本当に出来るかというと、また別の話なのだと言うことも思い知った。
今の陽月では、きっと何も出来ない。
見学しか自分には向いていないのだと…。
「そうですね、でも適材適所って言うんですか? 俺にはあの花屋があっている気がするんですよ…」
陽月は唇だけで笑みを作って、一ノ瀬を見た。一ノ瀬は眉をきゅっと寄せると陽月の腕を力任せに掴んだ。
「本当に、お前はそれでいいのか? 俺の手伝いをしたいと言ったのは口から出任せだったのか?」
びっくりした。
腕を握る腕の強さに驚きながら、陽月は一ノ瀬の手を一本ずつ指を外しながらゆっくりと解いていく。
「でも、今日見て、何も出来ないな~って思いました…。商品発表からレセプションまでずっと見学していて、外の光と照明と花がすごく奇麗だった」
「…」
「俺は自分が持ってきたチューリップがあんな風に使って貰えるんだって、感動出来ただけで、あそこまでして貰えて、立ち会えて良かったな~ってまじに思いました…」
一ノ瀬の手をすべて解し終えると、陽月は真っ直ぐに一ノ瀬の方を見て小さく頭を上げる。
「強姦は最低だと思いましたけど、でも今日はあなたに逢えて良かったと思います。もう逢うこともないかもしれないですが、有り難うございました…」
立ち去ろうとした瞬間、一ノ瀬が陽月の肩を骨を本気で折るんじゃないかと思えるほど、力任せに掴む。
「ま、待てよ…」
地を這う地獄からの使者の様な不気味な強さを含んだ一ノ瀬の声。
この声のトーンに聞き覚えがある。
いきなり押し倒された時、一ノ瀬が出したのが今の様なごごごぉ~とゴーレムが躯を引きずって進むそんな音だった。
陽月は身構えながら、すかさず離れようとする。しかしそんなささやかな抵抗が、大魔王一ノ瀬に通じる訳がなかった。
「待てよ、今日のお礼だ、いい所に連れていってやるよ…」
「いや…、えっ、遠慮します…」
頭を下げて空いている右手を一ノ瀬の顔の前に突き出すと、陽月は逃げようと算段していく。
「遠慮するなよ…、とにかく、ついてこい」
一ノ瀬はそう言うと、陽月の腕を掴んで歩き始める。
無理に引き離すことが出来ず、陽月は諦めて一ノ瀬に付いていくことに決めた。
* * *
一ノ瀬はまるで犯人でも連行するように、陽月をタクシーに押し込み近くのシティホテルに連れて来た。
どうやらこのホテルは一ノ瀬が定宿にしているらしく、簡単にチェックインをすると、手慣れた様子で鍵を受取り部屋に向かう。
何も話さないまま部屋に入ると、一ノ瀬の手が陽月から外れた。
驚く程に鼓動を早める、陽月の心臓。
何がとか、どうしてとか、質問したいことが山ほどある。
しかし訊くことも、逃げることも、拒絶することすら出来ずに、陽月は付いてきてしまった。
入り口で動けないまま立ちつくしている陽月。一ノ瀬は部屋にある応接セットの椅子の上に着ていたジャケットを置くと、小さく溜息を付きまた近くまで来る。
そしてまるで恋人を部屋に連れてきた様な慣れた手つきで、陽月の唇に自分のそれを重ねる。
最初はなすがまま一ノ瀬の口付けを受けていた陽月だった。
けれどもすぐに我に返ると、陽月は一ノ瀬の一物に膝蹴りをした。
小さく〝っう…〟という呻き声の後、陽月から離れる一ノ瀬。
「おっさん、こうやって素人部屋に連れてきちゃ、犯ってんのかよ! 昼はそのまま流されたけど、もうその手には乗らないからな…」
吐き捨てる陽月。一ノ瀬は鬼の様な形相で睨むと、今まで腕を抱きしめていた両手で陽月の頬を挟むように叩いた。
「おっさん! 何すんだよ!」
「目が覚めたか! 君は今日、俺の何を見ていた!」
「何言ってるんだか判かんねーよ! この強姦おやじ、きちんと説明しろよ」
悪態を付きながらばたばたと暴れる陽月は、一ノ瀬の腹に何度も蹴りを入れる。
「お前! いてーだろう!」
足の裏や膝が何度も腹にヒットするたびに、苦痛の息を漏らしながら、今度は一ノ瀬の頭の中で堪忍袋を閉じていた紐が、プツッと音を立てて切れる。
鬼の形相をした一ノ瀬は、両手で挟むように陽月の顔を叩くと、物凄い力で両肩を押さえつけた。
「君におやじやおっさん呼ばわりする年齢じゃない! それよりも俺は同意の上だと思ってここに連れて来たんだがな! 君は自分の行動を自覚がないのか!」
「何がだよ!」
両足をばたばたさせ、両手ではとにかく届く限りの物を打ちながら陽月は、一ノ瀬から逃げようとする。
昼、逃げられずに二度も犯ってしまったことを後悔するように、全身全霊の力を入れて暴れた。
「あ~! 落ち着け! 暴れるな、とにかくまず話し合おう、それからだ!」
必死に止める一ノ瀬の姿は、暴れる子猫を押さえつける三味線屋の様な格好なのだろう。
しかし陽月に取っては、そんなことは関係ない。
このまま流されれば、自分の何かが一八〇度変わりそうで、陽月は恐かったのだ。
「と、に、か、く! 俺の話を聞け!!」
陽月の両肩を地面に力一杯押さえつけ、一ノ瀬の叫び声が部屋に響き渡る。
あまりの一ノ瀬の強い力に、陽月は思いっきり目を見開き動きを止めた。
「俺はホモでもなければ、若い男を部屋に連れ込む趣味はない!! 今まで一度だってあんな乱暴なセックスはしたことがない!」
「じゃあ!」
「お前は、お前が特別なんだ!!」
今まで陽月が訊いたことがない、苦しそうな一ノ瀬の四つ目の顔だった。
きつくもなければ、傲慢でも、愛想笑いをしてる顔でもない。
どこかやり場の無い思いに戸惑う、そんな一ノ瀬の苦しそうな表情だった。
「すまん、声を荒げて…」
また知らない一ノ瀬の姿に、すっかり毒気を抜かれてしまった陽月は、暴れも悪態も忘れてパニックになっていた自分を小さく反省した。
「…、いや…、こちらこそ…、暴れしまって…」
抵抗しない陽月の姿に安心したのか、一ノ瀬は床に押さえつけていた手を外し、その場にしゃがみ込んだ。陽月も穏やかな呼吸をしながら、一ノ瀬の前に座った。
一ノ瀬は小さく息を吐いた後、どうしていいのか判らない思いをぶつけるようにきちんとセットされていた髪の毛を掻きむしる。
「自分でも判らないだ…。何故花を食べてしまうのか、君にあんなことをしたのかも…」
すべて一ノ瀬が言っていた、ストレスなのだろうか…。
「おっさん、ホモじゃないの?」
陽月の素朴が疑問に、ぎろっと視線をきつくしながら睨み眉根を深く潜める。
「さっきから違うと言っているだろう? 何度も言わせるな…」
微かに〝そんなこと〟と言葉を足す。
もしかして、この人照れてる? と突っ込みたくなるプリティな態度。
可愛いと思っても、だからと言って昼間のとんちきな態度は理解出来るものではなかった。
「でもさ、あんた、俺にあんなことしたじゃんか!」
「それは!」
「それは、何?」
意地悪げに首を傾げる陽月に、一ノ瀬は勘弁した様に深々と溜息を付く。
「判らない、本当に判らないんだ…。だからお前をここに連れて来た。いや…、もっと別の理由があるのだと思う…。しかしそれが何なのかは自分でも応えられない…」
「何でさ?」
「何で? そんなの決まっているだろう! 自分でも理解出来ていないからだ」
どうどうと、訳の判らないことで胸を張られ、陽月は脱力した。
この男、頭が切れすぎてどっか別の回線まで切れてしまったんだろうか…。
そんな弱い面見せられると、拒むこと出来なくなるじゃんか。自分の頭の中を掠める結論に、陽月は大きく溜息を漏らす。
「でさぁ、あんた、俺とまたHなこと出来るっていうの?」
「ああ、そのつもりで先ほどキスをした。どうする逃げるか? それともここで抱かれるか? 好きな方を選んでいい」
お前は神かと突っ込みたくなる程の偉そうな発言に、陽月は眉を寄せながら小さくなおかつ聞こえるように呟く。
「請求書とかは…?」
当然一ノ瀬の耳には届いてる。
一ノ瀬はにやりと表情に笑みを浮かべると、陽月の上に覆い被さり、唇を奪う。
何度も何度も啄むような、フレンチキッス。
ついでに陽月の急所をまさぐると、ファスナーを下ろし中に隠れている性器を握り締める。そして唇から耳元に意識を移すと、息を吹きかける様に囁く。
「それは関係ない。だがここでお前がO.K.ならば、明日からは私の仕事の手伝いをして貰う…」
交換条件かい!
それこそ漫才の定番の突っ込みのように、ポンと胸でも叩いてやりたい気分を押さえて陽月はじとりと一ノ瀬を見つめる。
「それは辞退したいんですが…」
「何故?」
「躯がもたなさそう…」
確かに天才プランナー一ノ瀬の仕事は、関わってみたいと思う。けれどもそのたびにこんなセックスを繰り返していた体力は直ぐに尽きてしまう。
逃げ腰の態度に出た途端、一ノ瀬は陽月の分身をぎゅっと握り締めた。
「それは許さない。もたないと思うなら体力をつけろ!」
「っ…うっ」
男の一番弱い部分を掴まれ、陽月は思わず呻き声を上げる。
やられたままではいられない陽月も、一ノ瀬のすでに育ち始めた屹立を膝でポンと蹴る。もちろん痛みよりも、快感を煽るような微かな力で…。
「うっ…、お前…」
途端一ノ瀬の口からも、驚きの声が聞こえてくる。
「お前がその気なら、こちらは遠慮しない。とにかくこちらの言うことを聞いて貰う。交換条件にお前の家を通して月に二回くらいは、花を仕入れてもいい…」
「きったねー!」
「どちらがいいか…、それはお前次第だ…」
一ノ瀬は不適な笑みで見下ろすと、もう暴れない陽月の服を着ように脱がしていく。
「いやっ…、だめっ…」
ホテルのそれもドアのすぐ横、入り口で身ぐるみをひんむかれてあぁ~んというには、さすがに情けない。
陽月は躯を捩ると、一ノ瀬に縋り付いた。
「ここじゃ、いやだ…」
しかしそこは変態わがまま男一ノ瀬。一旦自分の躯に火がつけば、どこでなどお構いなしらしい。陽月の両足の間に自分の躯を割り込ませると、全身の味を確かめるかのように見える部分全部すべてをを愛撫していく。
昼に魔術師一ノ瀬に初めて快感を植え付けられた躯は、すぐに熱を帯びてくる。
「っ…、あぁ…ん…」
信じられないほどの甘える声。
自分から出るくぐもった声に驚くよりも、びっくりするほど一ノ瀬の唇だけで盛り上がっている自分の躯の方が信じられなかった。
先ほど乱暴に暴れていた両足は、その中心に熱が集中しもどかしさの行き場を求めて何度もばたつかせている。
自分でも知らないうちに、一ノ瀬の手に包まれた息子がりっぱな大人になり、びくびくと振動しながらでれでれと涎を流している。
やばいテンションの上がり方だった。しかしテクニシャン一ノ瀬の執拗な愛撫は止まることをしらない。
まじに気持ちいい…、やばいくらいに。
「いや…、まずっ…、だめ!」
叫ぶ前に大暴走してしまう息子は、一ノ瀬の手の中で大噴射する。
びっくりする陽月。
くすくすと一ノ瀬は笑みを浮かべている。優しい細めた目線は、ストレスという言葉とは無縁なエンジェルの表情だった。
「そんな、笑わないでください…」
真っ赤になりながら陽月は、一ノ瀬の胸に額を擦り付ける。
今まで躯の中を走り回っていた熱が、今は頭の中を駆けずり回っている、そんな感じだった。
一ノ瀬は陽月から少し離れると、柔和な表情のまま手を引っ張る。
「行こう…」
「へっ、何処へ?」
「ベッドに行こう。もっとお互い気持ちいいことをしよう…」
甘えるようなミルキーな口調で囁く一ノ瀬に、陽月はまるで奥ゆかしい乙女のような瞳をして頷く。
まるで明治か大正の学ラン着た男子学生と、三つ編みに着物袴姿の女学生が手を引かれて、柳の下を歩く図のような、そんな新鮮な構図。
もっとも一ノ瀬は着乱れたスーツ。陽月の格好は、すっぽんぽん。そして場所はホテルの部屋と純愛と一緒のカテゴリーに入れたら、純愛に呪い殺されそうな姿だけれども。
それでも心は、ピュアラブ。
これは恋なのだ。
ライムソーダの炭酸がプチプチと断続的に弾けるのと同じように、全体力を使って何度も弾けたおちんちんが、今日始めて逢ったこの人をもっと知りたいと言う気持ちには変わりがない。
躯の奥の奥まで、一ノ瀬に知って欲しい。全身を暴いて最高の官能を引き出して欲しいと、今まで陽月が感じたことのない、思いがどんどん溢れてくる。
ベッドに向かうと、思いは情けないくらいに強くなってくる。
一ノ瀬は陽月をベッドに横たわらせると、チュッと音を立てるキスを落とした。
「ちょっと待って…」
優しく唇と額にキスをした後、陽月から離れると洗面所に向かう。
少し寂しい気分がする。
それは陽月が、恋だと気付いてしまったからなのだろうか…。
ホテルの奇麗な天井を眺めながら、この後するであろう未来を予想する。
それだけで恥ずかしくなり、陽月は乱れた服を直そうか、それとも脱いで待っていた方がいいのか二者選択のババ抜きを始めた。
といってもどうしていいのか、自分では結論が出ずに、一ノ瀬が戻ってくるまでベッドに横たわったまま動かずにいただけだった。
一ノ瀬は何かを持ってくると陽月の上に重なる様に、ベッドの上に乗っかった。
「ぁ…」
熱を持っている様な視線で見つめる一ノ瀬に、恥ずかしくなった陽月は顔を逸らした。
「どうした?」
まるでおぼこの様に熱くて真っ赤になっていく陽月の顔。そんな姿を一ノ瀬に見せまいと、陽月は枕に自分の顔を押しつけた。
「照れているのか?」
「ま、まさか!!」
刺された図星に陽月は、びっくりしながら顔を勢いよく上げて反論する。一ノ瀬は目だけにこりと笑みを浮かべる。
「何、可愛らしい顔してんだよ、昼間の勢いはどうした?」
つっかかる言葉。それでも春の女神様にも似た笑顔、そして愛おしんでくれるのどだと勘違いしそうな優しい手つきで髪の毛を撫でられ、陽月は小娘の様に頬を赤らめて微笑んだ。
昼にどんな乱暴なセックスをしたかの忘れている様な、まるでベッドイン初心者の様な二人。
真っ直ぐに見つめあう陽月と一ノ瀬。
陽月はゆっくりと目を閉じると、一ノ瀬の唇が自分の上に降りてくる。
唇の先だけ触れる口づけを何度も何度もお互いを確認する様に繰り返し、少しずつ深いものに変えていく。
舌を絡め合い、歯列を舐めあうと、一ノ瀬の舌が陽月の口蓋を貪り始める。陽月も一ノ瀬の舌の感触を確かめながら、暴かれる口蓋を素直に受けとめていく。
自分の口腔の中をくまなく探る一ノ瀬の舌が、陽月の体温をどんどん高めていくのが感じられた。
もどかしい…。
口の中から与えられる曖昧な官能に耐えられなくなり、陽月はそっと手を伸ばすと一ノ瀬の隠れている部分を何度かズボン越しになぞる。
「っ…」
微かな一ノ瀬の呻き声。陽月の手には一ノ瀬自身が力を持ち、ズボンなど狭い世界では住んでいけないと雄弁に伝えてくる。
くすっ。
天才プランナーも所詮男。すぐにでも破裂しそうな恐いくらいに素直な一ノ瀬の屹立に、陽月は嬉しくなった。
陽月は自分の履いていたズボンとブリーフを一気に足から抜き去ると、次に一ノ瀬の物を脱がせていく。
下肢だけ何も纏わない格好。
見た目にあまり格好のいい姿ではないかかも知れない。
けれどもそんな細かいことなど関係ない。
早く繋がりたい。
陽月は足を開くと、一ノ瀬がその部分を弄りやすいように導いていく。
「そんなに急かなくても、夜は長いんだから…」
「でも…」
くすくすくす。
また家のこたつでくつろぐ時の様な安心感を与える笑い声が聞こえてくる。
陽月は照れを隠すように、一ノ瀬のシャツを脱がせていく。
がっしりした一ノ瀬の骨格。
少しだけいたずら心が沸き始め、一ノ瀬の胸に唇を寄せ様とした。
その瞬間、所々真っ赤になっている肌に驚き、目を見開いた。
「ごめん、さっき蹴った後だよね…」
手で何度か触れると、その部分は微かに熱を持っていた。
またやってしまった…。
昼に暴れた時もそうだったけれども、またパニックを起こして陽月は何度も一ノ瀬の腹に蹴りを入れた。
「大丈夫だ…、少し赤くなっているかも知れないが、あの程度で怪我をする程柔じゃないさ…」
確かにそうだった。
陽月が今触れている一ノ瀬の腹は、ぱっつりと筋肉でいくつにも割れていてはっきりと鍛えているのが判った。
「すごい筋肉…、細いのに逞しいんですね…」
「花を扱う仕事をしているんだ、このくらいの筋肉付けておかないと、仕事にならないよ…」
一ノ瀬は笑顔を同封した言葉の後、柔とどうどうと宣言をしている陽月の上半身に愛撫をしながら手触りを確認するように撫でていく。
「君は、もう少し鍛えないとダメだね…」
くすくすくす。
けしてバカにする訳ではなく、楽しそうに肌の感触を確かめながら一ノ瀬は笑っている。
顔をまた紅潮させながら陽月は、唇を尖らせ頬をぷっと膨らませる。
「すぐそうやって、人をバカにする…」
拗ねている陽月に愛おしさを伝える様に、互いの額を重ねた後、優しく触れる口付けをした。
「君もこれから鍛えていけばいい。やり方は教えてあげるよ。でも個人的にはマッチョな君よりも、今のままの君が好みだな」
「バカ…」
一ノ瀬の首に両手を回し、自分から進んでするキッス。
こうなるともう余分なおしゃべりの時間は終わりを告げることを陽月、一ノ瀬も感じていた。
お互いが目指す快感という頂は、キスなどは所詮麓にたどり着いただけに過ぎない。
もっと気持ちのいいところを求めて、陽月自身を丁寧に揉みし抱きながら、両胸の小さな実を弄りながら愛撫し、時折歯をたてたりする。
「ぁ…んっ…、気持ちいい…」
与えられる官能に良いながら陽月の口からは自然に喘ぎ声が漏れていく。
一ノ瀬は、陽月の右胸のツンと尖った部分をはんだ後、耳元にちゅっと音を立てたキスを落とす。
「どこがいい? 好きな所を弄ってやる…」
さすがに言葉には出来なかった陽月は、今まで自分の屹立を弄っていた一ノ瀬の手を取り後ろの受けれる部分に持っていく。
「早く…、欲しい…」
一ノ瀬に縋り付くように、必死に勇気を出した懇願だった。
「O.K.」
耳の中にちゅっという口付けた音と一緒に、一ノ瀬の声が聞こえる。
一ノ瀬は、陽月を抱きしめたまま、枕の下に潜ませていた乳液を取ると器用に自分の空いている手にたっぷり振りかけた。
何?
何をしているのか理解出来ずに、微かに陽月に不安がよぎる。
「大丈夫だよ…」
優しく子供を慰めるように、一ノ瀬は陽月の額にちゅっと唇を落とした。微笑みで返した陽月に、安心した一の瀬は乳液で濡れた手で、お互いが繋がる部分を緩めていく。
「ぁ…」
乳液を潤滑剤にしているとはいえ、入ってきた指に陽月は思わず声を上げ、戸惑いながら一ノ瀬を見つめた。
「大丈夫なの?」
「何が?」
「いや…、お腹壊さない? そんなの躯の中に入れて?」
「大丈夫だよ…、これで昼よりももっと楽に繋がれる」
うん…、陽月は小さく頷くと一ノ瀬が楽に弄れるように、両足を少し開いた。
「可愛いよ…、お前…」
「雫 陽月」
躯を擦り付けて、小さな声で陽月は呟いた。
「可愛いよ…、陽月…」
躯への愛撫。そして後ろを乳液でべったりと濡らした二本の指が襞を触れたり、入り口を行き来し一ノ瀬を受け入れられる様に拡げている。
昼間何故そこを触るのかも判らなかった部分が、今では性器と化している。
触れられるだけでもどかしさを感じる部分に、陽月は耐えられず目を固く閉ざすと自分から一ノ瀬の男根を育てていく。
触れるだけでは物足りない。
口でフェラもしたいし、それ以上に自分狭い器官でもっと締め付けて精液を叩き付けて欲しかった。
陽月はチュ、チュと音を立てて一ノ瀬の顔の周りにキスをすると、上半身を起こした。
「陽月?」
「今度は俺が…」
一ノ瀬と位置を交換すると、今まで丁寧に育てた屹立とひくひくとはしたなく収縮している部分に乳液をたっぷり付けた。そして一ノ瀬の肩を借りて、ゆっくりと大きくて太い物の上に腰をかけていく。
「んっ…、くっ…」
信じられないほどの圧迫感。
しかしその後に来る最高の快感を思えば、すべてが耐えられる。
苦痛に歪む顔を見て、一ノ瀬は陽月が萎えないようにたった今覚えさせた胸の部分からの快感を引き出していく。
小さな飾り。
けれども吸われたり、歯を立てれば立ちまち感覚は鋭くなる。
「ぁ…んっ…、ダメ…」
与えられた感覚に躯を捩らせながら陽月は、ゆっくりと呼吸をし腰を下ろしながら一ノ瀬のすべてを飲み込んでいく。
狭かった部分が強引に開かれ、本当は痛いはずだった。しかしすでに性器となっている小さかった蕾は、大きく拡げられただけで甘い感覚を脳に伝えている。
これが快感なのだ。
大きく拡げられた場所が落ち着くのを待って、陽月は少しずつ一ノ瀬の腹の上で動き始める。
最初は微かに痛み。けれどもすぐに全身が甘く切ない感覚に襲われていく。
陽月は一ノ瀬の精を絞り出すように腰を動かししていく。一ノ瀬ははそんなけなげな陽月のウェストを支えて、動き安くしてくれる。
「ぁ…ん、いい、いい…。もっと振って…」
一ノ瀬の腹の上でバウンドする感覚は、更なる高みを目指していく。
興奮に陽月が締め付ければ、ぎゅんと一ノ瀬の屹立が迫力ある大きさで気持ちいい部分を抉っていく。
興奮、快感、そして吐精。
明けない夜はない。
けれどもその晩の二人は、そんな単純なことに気付く余裕が無いほどの時間を過ごしていた。
4.From the next day
家に付いたのは、もう昼に近かった。
結局夕べ一ノ瀬と何度も犯って、アラームが鳴り目を覚ました時には朝を迎えていた。
それも最低な話で、一ノ瀬はホテルの代金を支払い、会社に向かうとメモと名刺を添えられ陽月を残してチェックアウトしていた。
本当に訳の判らない一日だった。
陽月は身支度を整えると、昨日のコンベンションホールに車を取りに行った。
瞼が張り付きそうなほどの眠気を我慢して…。
それでもとにかくを家に帰らねばと思ったのは、配達途中に昨日はばっくれてしまったからだ。
幸いなことをいったら花市場が今日は休みだということ。
朝一で、陽月の乗っているバンを使わなくていいことがまだ父親に怒られないですむかな~という微かな望みをかけた思いに繋がっていた。
しかし、世の中そんなに甘くない。
家に付いた途端、心配そうに待っていた母と、頭から湯気を出して怒っている父が登場。
思いっきり父親になぐられるは、母親には泣かれるは。
自分はいったいどこの御曹司だったんだろうかと、馬鹿げた現実逃避を思い浮かべていた。
ただ申し訳ないことに、寝不足、体力不足の陽月には、どんな言葉も寝耳に水。
頭で理解する前に、二十二年間一緒に生きてきた家族と言う勘で、ひたすら謝る。
そして父も母も落ち着き始めたのを見計らって、必殺の印籠を登場させる。
「でさ、実は昨日お世話になった株式会社三代ビジネスコンサルティングの一ノ瀬さんが、俺が毎日あっちを手伝いに行くのが条件で月に二回、家で注文していいって言うんだ!」
そう陽月が言い終わると同時に、父親の鉄拳が頭の上にごつん。
「何で殴るんだよ! 大口の顧客になるだろう!」
「バカか! お前は! 家みたいに細々とやっている花屋がそんなデカイ会社の花用意出来る訳ないだろう! 仕入れには金が必要なんだ! 薄らバカ!」
絶対に鬼の首を取ると思っていた言葉で思い切り殴られ、陽月も声を荒げる。
「そんな殴ること無いだろう! 俺だって店の為思ってしてんだよ!」
また更にごちん。
「お前、店の為を思うなら、ほっつき歩いてないでとっとと帰って来やがれ!」
「そんな言い方ねーだろう! 何でも殴ればいいと思ってやがるんだろう! くそおやじ!」
「何だと! お前みたいなひよっこに心配されるほど店は傾いてねーんだ! だいたいおめーは、この店ってのを判ってねー。この店はご近所さんあっての店なんだ!」
「そんなんだから、何年募集してもバイトも来ねーんだよ! くそじじい! そんなに言うなら、もう店なんざ手伝わねーよ! 勝手にしろ!」
「それはこっちの台詞だ! おめーなんざこわっぱに手伝って貰わなくても、店の手は足りてるんだ! 勝手にしやがれ!」
いつもの親子喧嘩。
叫び逢う親子。
オロオロしている母を横目に見ながら、陽月は自分の二階にある部屋にどすどす足音をたてながら向かった。
部屋に入ると、ベッドの上にばーんと音が立つほどの体重をかけて寝ころんだ。
ちくしょー。
どいつも、こいつも、巫山戯たこといいやがって!
腹が立つのは、父にたいしてなのか、自分にたいしてなのか、それとも一ノ瀬にたいしてなのか、陽月には判断しようがなった。
昨日あんな電話受けなければ…。
一ノ瀬とあんな関係にならなければ…。
あんな商品説明会を見なければ…。
何もかもリセット出来たなら…。
ふぅ~。
陽月は大きく溜息を付きながら、目を閉じた。
今日は店のことがあるから、明日から一ノ瀬の元で働くと約束した。
一ノ瀬の元に行って、自分が何をするのか陽月には判らない。
また感情にまかせてセックスする一ノ瀬の相手をするのか、それともきちんと仕事をさせて貰えるのか…。
何にしても、一ノ瀬のストレスを少しでも和らげるくらいのことが出来たらいいのだけれども…。
ぼんやりと考えていると、どんどん瞼が重くなって来た。
どれくらい経ったのだろうか、びーびーと鳴るバイブの音に、陽月は目を覚ました。
寝ぼけた声、ぼんやりした頭で電話に出る。
「はい…」
「寝ていたのか?」
誰?
まだ完全に目覚め切れていなかった陽月は、頭の中で声の主を必死に考えていく。
「躯は大丈夫か?」
「えーと…」
順番に自分の知人の名前を考えながら真剣衰弱をしていると、電話の先から大きな咳払いが聞こえてくる。
「朝方まで一緒にいた俺の声を忘れたのか、お前はそんなに鶏頭なのか?」
「ぁ…」
聞き覚えが無い訳のない、地を這うような大魔王の声に、まずったと言葉を吐くように顔を歪めながら、陽月は小さく舌打ちをした。
陽月の他意のないささやかな態度に、敏感なくらいに電話の相手が反応をする。
「お前、今、舌打ちしただろう?」
「してません…。それよりも、何ですか?」
「何ですかじゃないだろう? メモと名刺を見なかったのか?」
機嫌が悪いですと露骨に電話越しに判る一ノ瀬の言葉。
でもこの声なら、まだ花を食べるほどストレスも溜まっていないだろう…。
などとのんきなことを考えながら、一ノ瀬が残したメモを昨日来ていたジーンズの中から引っぱり出す。
メモには、明日から会社に来い、待っている、と書かれている。
「見ましたよ、明日行くんですよね。あの名刺の場所に…」
一瞬の無言の後、大きな溜息を付いた音が聞こえる。
「だが…、普通その前に電話をしてくるだろう?」
はっ?
何言っちゃてるの? この人と陽月は眉を思いっきり寄せた。
「でも…、そんなことメモに書いていませんでしたよね?」
思わず反論。しかしますます苛立った声色が聞こえてくる。
「名刺にはなんて書いてある?」
「はぁ? 名刺ですか? えーと連絡をしろ…と…」
「書いてあるだろう?」
鬼の首を取ったようなそんな一ノ瀬の声に、陽月は益々眉をひそめた。
「そんな、判り難い書き方しないで下さいよっ!」
苦情を言う陽月。
けれども一ノ瀬は謝る気などまったくないらしく、逆にまた偉そうな態度で言葉を続ける。
「まあ、いい、お前に用があったから連絡したんだ」
まあいい?
とつっこんみたい所を眉間の皺を深めただけで、陽月は聞き流す。
「あの…、何か?」
「ああ、今日、時間が出来た。今から会社に来い!」
「はぁ? 何いっちゃってるんですか? こっちにも都合が…」
今の陽月には、都合などまったくなかった。
妙に江戸っ子気質な父は、一度怒らせると執行猶予などの甘い言葉は絶対に許さない。
小学生の時も、ちょっと嘘を付いてアイドルの追っかけをしたのがばれて、家を追い出されたり、ご飯を食べさせて貰えなかったりと、色々な制裁を受けてきた。
大人になって、今朝みたいに怒られることはなかった。
しかし今日の怒り具合を考えたら、絶対に店の手伝いなどさせてくれないだろう。それどころか、今月はバイト代も貰えないこと必須といった所だ。
思い出しただけでも腹立たしい父の態度に、陽月は唇をへの字にした。もちろん電話の先の一ノ瀬には、知られないように。
「どんな都合だ? 断れ。一時間後に名刺の場所に来い。いいな、そこで仕事の説明をする…」
勝手なんだから…。
小さく毒づきながらも、反論の出来ない陽月は頷くしかなかった。
「判りました。でもこれから支度するので一時間半は待って下さい…」
「判った…」
一ノ瀬は自分の言いたいことだけいって、電話を切る。
耳にはツーツーという空しい音。
陽月は小さく溜息を付いた後、一ノ瀬の会社に向かう支度を始めた。
ジーンズにシャツ。
昨日のレセプションでは業者以外はスーツだった気がする。
でもスーツなんて持ってないんだよな。
一ノ瀬のことだから、気に入らなければ、目を三角にして鬼の形相をして怒るだろうな、…。
まあ、今日は初めてだから、これで勘弁して貰おう。などと自分に言い訳をしながらも、一ノ瀬のことを考えると、何となく、心がときめいて外でじとじと降っている雨すら、心の潤いになってくるから不思議だった。
あまり我がまま大魔人一ノ瀬を待たせても、手早く支度をして下に降りると、茶の間で伝票の整理をしている店番をしてる母親が声を掛けてくる。
「ちょっと、出かけるの?」
「うん…」
先ほどの大喧嘩。
気まずさに母とは目をあわさないように所を見ながら、ぶっきらぼうに応える。
「あのさ…」
「何?」
「いや…。当分、さっき言ってたところでバイトするから、店、手伝えないから…」
母にだけは素直に謝りたいと思う。しかし口から上手い言葉が出てこない。
ごめんなさいと一言いえば楽なのが、親にだけはそれを口にしたらいけないと思ってしまうのは、やはり親子の甘えなのだろうか。
「父さん、店、あんたに継いで貰いたいって本気で思ってたのよ…」
「そんなこと言われても…」
誰がこんな店! と思ったことは一度もない。
けれども、この花屋を継ぐ以外のことをしてみたいと思う。ただ、じゃあ他に何がやりたいかと言われると、答えがある訳ではない。
ただ昨日、あんなキラキラした世界に関われると思ったときめきを、上手く口にすることも、したくもなかった。
陽月は眉を思いっきり寄せて、苛立ちをぶつける声を出す。
「帰ってきたら、きちんと謝りなさいよ…」
計算していた伝票を机に置くと、母は小さな溜息を付く。
「俺は、間違ったこと言ってないから!!」
「今まで店は、お得意さんがあってやってきたのよ。父さんのそんな気持ち、なんでわからないの?」
「そんなの、いつまでもやっていけないだろう! もういいよ、店のこともう俺は関係ないから!」
最後には喧嘩腰。
何で親には腹が立つんだろう。
いつもきつい言い方をして、母さんの困った顔見て後悔をする。
それでもライムソーダの炭酸の様に、心のそこから湧き上がる思いを否定することが出来ない。
陽月は小さく息を吐くと、玄関の扉を勢いよく開けた。
きっとこれが何かのスタートになるという予感に心ときめきながら…。
* * *
株式会社三代ビジネスコンサルティング。
大学を卒業しても、就職するのが面倒で会社訪問をしたことがなかった陽月にとっては、初めての企業訪問。
近代的なオフィスビルがいくつも並んでいる一角。
すれ違う人はスーツ姿のサラリーマンか、かっこいいキャリアウーマンっぽいOL。
時折自分と似たような服を着た業者のバイトらしき人々を見かけると、なんとほっとする。
陽月は周りにあっとうされながら、一ノ瀬の待つオフィス目指して、歩き始めた。
会社はそれほど大きく建物ではないけれども、ビル一つまるまる使っていて、一階は来客用に、いくつか簡単な打ち合わせが出来る、ガラス張りのスペースになっていた。
なんかドラマみたい。
圧倒される雰囲気に、せめて変な人だと思われないように、陽月は右、左、右と掛け声をかけながら受付に向かう。
こう考えてないと、右手と右足がいっせいに出て、かなりはずかしい人になってしまいそうだったから。
実際緊張は絶好調に達していた。
だから、変な歩き方をしていたかも知れない。
受付で一ノ瀬から預かった名刺を出し、呼び出してもらう。受付の笑顔が眩しい女性の指示で、近くにあった席で一ノ瀬を待っていると、最高潮に達していた心臓は少しだけ平常心を取り戻す。
ガラスケースのような部屋は、雨粒がかかってキラキラと輝いている。
まるで俺の未来のよう?
などと雨粒さえ、心ときめくすべてに感じて。
これは、新たな仕事へのときめきなのか、それとも一ノ瀬という昨日あったばかりの男への思いなのか。
まあ、恋の一番初めの始めの、本当の始め。
受付に奇麗な受付のお姉さんに了解した事を伝えるように、爽やかな笑顔と軽く手を降り、俺の居場所を確認するとこちらに進んでくる。
今日の一ノ瀬は、花をムシャムシャ食べる程苛ついてもいなければ、ホテルで抱きしめてくれた艶っぽい表情でもない。
レセプションルームですべてを仕切っていた、超サラリーマンの一ノ瀬の姿だった。
どき、どき、どき。
心臓がどんどんと光速で鼓動を打っている。
一ノ瀬が陽月のすぐ横に立つと、今までちょっとまじ格好いいジャンなどと思っていた表情が歪がむ。
「遅い!」
「はっ?」
魔王の表情になっている一ノ瀬は、小さく舌打ちする。
「お前は、一時間半でくると言っただろう?」
「えっ?」
びっくりしながら、ポケットから携帯を取り出す。
十五時三二分。
約束の時間から二分。っていっても陽月がこの会社に付いたのは五分前。一ノ瀬を待っていてこの時間になった。
「ちゃんと時間までには会社に来ましたよ?」
頬をふぐの様に膨らませてついでに口まで尖らせて、シンデレラの姉の様な意地悪い一ノ瀬を上目づかいに見つめる。
「本当に自分勝手ですよね…」
「何?」
ギロリンという効果音が聞こえてきそうな、般若の様な一ノ瀬の視線。
「すぐ睨む…」
「何がだ…」
「いえ、そんな顔ばかりしているから、あんなストレス溜まるんですよ…」
呟きように言った陽月を思いっきり睨み付け、やくざが善良な一般市民を脅かす様にテーブルに体重をかけて手をつく。そして闇の化身の様な低い声で陽月の耳元に声を押し込む。
「ここでそれを言うな…」
まじに恐いんですけど…。
後ずされりしたい気分。しかし吸血鬼ドラキュラが新鮮な血液を見つけた時の様に、キラリンと不気味な目を光らせて、陽月の肩をがしっと鷲のように掴んだ。
「飯! 食いに行こう!」
「ちょっと…」
乱暴に陽月を立たせると、会社を出て近所の喫茶店に連れていく。
ついた場所は本当に小さな喫茶店だった。
ただ入った瞬間に出迎えてくれる、紫陽花を中心としたフラワーアレンジメントが印象的な喫茶店だった。
それほど大きな店ではない。
しかしオフィス街ということを忘れる様な、ほっとした気分にさせてくれるそんな店だった。
一ノ瀬は窓際の席を選ぶと、陽月を連行したまま席に付く。
「忙しくて昼飯まだなんだ…」
そう言うと、ナポリタンと珈琲を頼む。
「お前は?」
尋ねられて、陽月は慌ててメニューを見て、クリームソーダを注文する。
しばしの沈黙。
一ノ瀬は手持ちぶさたで、席の近くに置かれていた花かごを見ると、無言のまま痛んでいる花を外し、違和感がないように直していく。
すげえっ…。
出来上がった花は、最初に見たアレンジメントの印象よりもずっとしっくり来ていてかっこよくなっていた。
「花…」
「何だ」
睨み付けるきつい視線を向ける一ノ瀬は、手早く外した花を片づけていく。
何言っても睨まれそうだ…。
苛立っている一ノ瀬にかける声を考えているところに、頼んでいた物が到着する。
「あら、有り難う…、一ノ瀬さん」
食べ物を運んで来た女性は、にっこりと微笑んだ。
推定三十代、この喫茶店のママ風の柔らかい微笑みに、一ノ瀬は砕けた表情をする。
目の前のママにナチュラルに微笑む一ノ瀬。
ちりっ。
陽月の心の中に、小さな苛立ちが生まれてくるのを感じる。
ママは一ノ瀬と花のことで雑談しながら、テーブルの上にナポリタンと珈琲、それに陽月が頼んだクリームソーダを並べていく。
ママは話をしながら、不思議そうに陽月を見つめる。
「一ノ瀬さんの、会社の人? それとも生徒さん?」
「生徒さん、て?」
「あた、それって内緒なの?」
一ノ瀬は少しだけ動きを止めた後、にっこりと天使か女神のような微笑を浮かべる。「違う、今度バイトで雇おうって思っている子…」
「なんか可愛い子だから、絶対、一ノ瀬さんの教室の生徒さんかと思ったのに…」
「残念でした。俺は花は美しい女性にしか教えません!」
「そんな…」
あはは、うふふ。
楽しそうに笑いながら話をしている、一ノ瀬とママ。
ちりっ、ちりっ。
ふざけた口調でママと会話する一ノ瀬に、陽月の心の中でまた何かが焼け焦げるような複雑な感情が生まれる。
陽月は眉をきっつく寄せながら、二人の会話に割ってはいる。
「あの! 一ノ瀬さん、花、教えてるんですか?」
ちらりと陽月の方を見てまた睨む一ノ瀬。けれどもママの方は一ノ瀬の般若顔にまったく気が付かずに、ほほほっと笑う。
「そうよ。私が行ってる一ノ瀬フラワーアレンジメントスクールの息子さんなのよ」
「そうなんですか…」
「ようよ。淳史クンはファンが多いし、教え方も優しいから、若いお嬢さんが殺到して、いつも教室は満員御礼なのよ」
「満員御礼…」
「あれは絶対淳史クン、目当てよね…」
くすくすくすっ。
最後には笑いまでつけて、しっかりママは自慢気に話している。
陽月が知らないこと一杯していることも、一ノ瀬を淳史と呼ぶことも、すべてに苛立ちを覚える。
一ノ瀬と出逢ってまだ一日しか経っていないのだから、あせる必要がないのは判っている。
それでも心の中から墨のような黒い煙が、フツフツと湧いてくる。
「もう勘弁してくださいよ…」
まるで自分の世話を焼く母親との会話の様に、一ノ瀬は照れママは遠くに追い払おうとしてる。
目で〝しょうがないわね〟とでも告げると、ママは笑顔を残したまま立ち去った。
笑顔で送る一ノ瀬だったけれども、ママがいなくなると黙ってしまった陽月を見て小さく溜息を付いた。
「どうした? 何を拗ねてる?」
「べ、別に拗ねてなんていません。ただ…、俺の知らない事ばかりで…」
「当たり前だろう? お前と逢ったのは、昨日が初めてなんだから…」
「それは…、そうですけど…」
口を尖らせる陽月の顎を掴むと、一ノ瀬はまじまじと顔を眺める。
「どうした?」
「何が…、ですか?」
「頬が腫れてる…」
撫でる様にそっと頬に触れる一ノ瀬の手に、陽月の心臓が跳ね上がる。
微かに頭の中には、夕べ抱きしめてくれた一ノ瀬の姿が、陽月に蘇ってくる。
陽月は沸き上がりそうになる欲望から逃げるように、顔を一ノ瀬から背ける。
「お、親父に殴られて…」
「無断外泊したから?」
「そ、そんなんじゃない…。俺があんたを手伝いたいって、あんたの会社で使う花を用意したいって言ったら思いっきり殴られたんだ…」
「冷やしたのか?」
まだ頬に触れている部分が熱くなる。陽月は冷やしていないと、一ノ瀬に告げるように首を横に数度振った。
「冷やした方がいい…。それよりも、辞めてもいいんだぞ?」
「何が?」
「昨日約束したこと! 俺の手伝い…」
「何で?」
びっくりした。
陽月は戸惑いながら、目をむいた。
「お前だって、自分の家の手伝いがあるだろう?」
「それは…」
どう説明したらいいのか、陽月は悩んでいた。
父親に殴られて、母親を困らせても手伝いと思っていたのは事実だった。
反対に本当にあのキラキラした世界で、自分が出来るのか不安がないわけではない。
でも…、やはりこの人のことを知りたい…。
陽月はゆっくりと目を閉じ、そして決断をした。
「俺は、あんたの近くにいたい」
「えっ?」
「あんたをもっと知りたい。俺が知らないあんたが無くなるまで、すべてを知りたい…」
最初は声が震えていたかも知れない。けれども、改めて一ノ瀬に告げた言葉は、思ったことをはっきりと口に出来た。
「判った…」
「えっ?」
にやりと、何か悪巧みをしているような笑みを浮かべて、陽月を見ている一ノ瀬。
陽月は一ノ瀬の表情に決意が揺らいでしまうくらいに戸惑った。
この人は何を考えているのか…、と。
一ノ瀬は今にも口付けしかけてしそうな程の魅力的な視線を向けると、今まで頬に触れていた手を外し、逆に陽月の腕を掴んだ。
「じゃあ、これを食ったらオフィスに来い。すぐに面接だ…」
「面接?」
「簡単な物だ。お前は履歴書も無ければ、面接もせずに会社に入れると思っていたのか?」
あっ…。
一冊の本だけしか持って来ていない陽月は、びっくりした。
「あ、ごめんなさい…」
「いや…、俺が言わなかったからいい。それに履歴書はこれから準備すればいい。面接は、一応俺のアシスタントとして働くバイトの顔逢わせなだけだ…」
「えっ…、でも…」
「俺がいいと言ったらいい。ただしバイト代はそれほどやれないがな…」
「そんなのは…、いいんですけど…。でも…」
「何だ? 今更あれだけのことを言っておいて怖じ気づいたのか?」
テーブルに肘を突き、首を微かに横に曲げるとニヤリと笑う一ノ瀬に、陽月の表情にも笑顔が零れた。
この人と一緒に生きたいと、真剣に思ってしまった。
けれどもそれを言うのが、恥ずかしくて逆に視線を強くして一ノ瀬を見た。
「そんなことない! 逆にあんたが俺を必要だと思うから、俺も協力したいんだ、ほら…」
ポンと投げるように来る途中に買ってきた本を、テーブルの上に投げた。
「何だ?」
書店のカバーが付いた本に、一ノ瀬は怪訝な顔をする。陽月は少しだけ自慢げに書籍の名前を告げた。
「履歴書はもって来なかったけどさ、これなら役に立つだろう、毒草辞典だよ。あんたがまた花を口に入れようとした時に、止められるように…」
一瞬の無言。それから一ノ瀬がポンと陽月の頭を、本の角で痛くないように殴る。
「持ってるよ…」
「えっ…」
「こんな本、ずっと前から持っているし、全部記憶している…」
「はっ?」
ああ、そうですか…。
心の中でそう呟いた。
確かに知らない訳ないか…。
陽月は、自分の所行と一ノ瀬の姿に思わず声を立てて笑ってしまった。
何か可笑しいのかと言われたら、困るけれども…。それに気分を良くして、今まで誰にも言ったことがない、自分のささやか夢を思い出した。
「なあ、俺の昔からの夢、聞いてくれる?」
「何だ?」
「いや…、昔見た映画のプロローグか何かだったんだけど、貧乏臭い花売り娘が一生懸命花を売っているんだ…」
「なんだ、そのメルヘンは?」
茶化す一ノ瀬の口を陽月は人差し指で塞ぐ。
一ノ瀬は両肩を上下させて、ポーズを作った。そして冷めてしまったナポリタンに手を付ける。
一ノ瀬が何も言ってこないのを確認して、間を取るようにアイスクリームが溶けかけたクリームソーダをかき混ぜた。
「で、その女の子が雪の夜に出逢うんですよ。格好いい紳士に。紳士は誰だか、少女には判らない。しかし少女は知っていた。紳士が心の光で合ったことを…」
グラスの中でアイスは溶けきり、透明なグリーンの液体は、乳化色に変化する。
陽月は、グラスの中の飲み物を一口吸った。
「その花売り娘がお前か?」
「そう、で俺は紳士が現れるのを待っていた…」
「ずっと待っていただけだった…、か…」
嫌が切り口で話が流れていく。
しかし、一ノ瀬はその話の方向を自分の都合のいい場所に持っていく。
「俺が、紳士になってやるよ…」
「えっ…」
「だから! 俺がお前の紳士になってやるって言ってるんだ! 何か文句あるのか?」
「いえ…」
一ノ瀬は少し恥ずかしそうに、視線を逸らした。
陽月は、そんな一ノ瀬に付いていこうと、心から誓った。
5.Ending…
一ノ瀬と出逢って半年。
親父とはまだぎくしゃくしている。
慣れない会社に行って、最初は戸惑う事と覚える事ばかりの連続だった。しかし時間が経てば、一ノ瀬の立場と周りの距離が判ってくる。
周りは傲慢で我が儘な大魔人一ノ瀬を信用しているけれども、すべて頼っているということ。
一ノ瀬がどんなに不器用で自分の感情を伝えるのが下手なのだと、嫌な程に陽月に感じさせた。
一ノ瀬が暴走すれば、陽月が止める。
陽月が戸惑えば、一ノ瀬が支えてくれる。
そんな単純な関係。
一ノ瀬との逢瀬は、もう数えないくらいに重ねている。
恋愛だとか、そんな気取った言葉は陽月には判らないけれども、それでも一ノ瀬と一緒にいたいと思えた。
そう言えば、映画の話をしたときに一ノ瀬が小さく溜息を付いて言った言葉があった。
『少女は、確かに雪の夜に出逢った紳士に助けられたけれども、紳士もまた少女に助けられたんだろう…』
一ノ瀬は光の中で、今日も仕事をしている。
その横には、陽月の姿があった。
Fine…。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ハンターがマッサージ?で堕とされちゃう話
あずき
BL
【登場人物】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ハンター ライト(17)
???? アル(20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
後半のキャラ崩壊は許してください;;
【完結】 男達の性宴
蔵屋
BL
僕が通う高校の学校医望月先生に
今夜8時に来るよう、青山のホテルに
誘われた。
ホテルに来れば会場に案内すると
言われ、会場案内図を渡された。
高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を
早くも社会人扱いする両親。
僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、
東京へ飛ばして行った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる