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三章 カーストに敬意と弾丸を

エピローグ

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「やぁ青年、また会ったな」

 あの後、私はもう店の中には入らず、一人帰り道を歩いていた。国道沿いのこの道は、田舎の夜といえども、それなりの交通量があり、車のライトが途切れ途切れに灯りをともす。

 そんな灯りが私と、声を掛けてきた人物を照らし出す。

 鷹閃大学の教授、空教授を。


「また会うと思ってました」
「そうか、それはそれは」

 教授はクツクツと嗤う。偶に照らす車のライトが、教授の瞳を黄色く染める。


「どうしてここに?」
「何、そういえば、ガイド料を渡していなかったと思ってな」

 彼はそう言って、おもむろに封筒を差し出す。偶に照らし出されるその封筒は、かなりの厚さであることが分かった。それを私に押し付ける。


「嘘、ですよね」
「ふむ、君の働きはこれほどの価値はあったと思うが」
「いえ、そうではなく」

 私は黄色に光る教授の瞳を、しっかりと見つめる。飲み込まれないように、飲まれてしまわないように。


「聞いたんですよね、居酒屋の件」
「素晴らしい」

 間髪入れず、教授は返す。その瞳は陶酔しているかのようだった。


「やっぱりそうですか。ちょっと、かまをかけてみたんですが」
「素晴らしいぞ、青年。いくら、かまをかけたと言っても、疑念がなければその行動は不可能だ。しかも、聞いたと言ったか、どこでそう思った?」

 教授は新しいおもちゃを見つけた子供のようにはしゃぐ。その顔はどこまでも無邪気で悪意が無かった。


「合コンに急遽参加してきた女性、個人経営の居酒屋で最初に出された御通しを写真で撮ったんです。理解できませんでした。あれ、別になんともない、ここら辺の郷土料理なんです。そう思うと、地元の人とは思えませんでした。恐らく」
「そうだ、私のゼミの生徒だよ」

 何が面白いのか、教授は嗤いに嗤った。


「彼女は、私の手伝いとして着いてきた。私は、碌に地図もスマホも見れなくてね。手伝いが必要だった。だが、彼女は自分の研究心を抑えられず、この地域で行われる合コンに」
「教授、とぼけるのはやめませんか。それだと、そもそも教授が何故、この地域に訪れたのかが説明出来ません」

 彼は益々笑みを深くした。まるで私が解答を言うのをただひたすらに待つように。それは、ひな鳥が親鳥から餌を貰うのを待っているかのように。


「初めから知っていたんですよね、私が鷹閃大学の生徒だってこと」
「そうだ! 私は知っていた! 青年が鷹閃大学の生徒だということは知っていた!! 何故か!? 何故知っていた!?」
「御剣さんですよね、教授にそう伝えたのは」
「素晴らしぃ・・・素晴らしい、素晴らしい、素晴らしいぞ青年!!」

 どうしてかは分からない。何故、御剣さんと教授が関わっているのかは。だが、向こうで、私が地元に帰る話をしたのは、ちっちゃい方の御剣さんだけだ。そこから、大学の関係者に伝わるとしたら、御剣さんしかいない。消去法だ、こんなもの。


「そうだ! 確かにその通りだ! 何故私はここに来た!? 何故私は彼からそれを聞いたと思う!?」
「そこまでは分かりません。ただ、鷹閃大学の外部委員会が御剣財閥ということと無関係とは思えません。そうでなければ、教授は恐らく、あんな話を私にしなかったはずです」
「十分だ!! そこまで推測出来るとは!!」

 そこまで言って、教授は息を整えだした。もう若いという年ではないだろうに。その顔には幾らかばかり、疲労がうかがえる。


「・・・失礼した。年甲斐もなく、嬉しくてな」
「いえ、お構いなく」

 正直、ちょっと引いていた。それは目上の人に対して失礼な言葉だと、私は思った為、口を噤む。


「青年、私のゼミへ来い」

 それは、もはやただの通達に聞こえた。


「出来るなら今度の学部連合議会で、君を准教授に推薦したいが今年は枠が埋まっていてな」
「いえ、その無茶苦茶ですよ。ただの学生が准教授なんて」
「私は青年に話した。学生かなど問題ではないと」

 そこまで言って、教授は一旦、言葉を区切る。次の言葉は、予想だにしないものだった。


「今度の学部連合議会で私が推薦するのは、だ」

 教授は軽快に、愉快に話した。


「上がどうしてもと言うのでな、仕方なくだ」

 それは奇妙なことのように思え、現実感がなかった。そんな事例があったのだろうか。海外には私と同じ年の教授が居ることは知っているが、本当に日本でそれを行うのか。


「なにはともあれ、青年、ゼミへこい」
「私はまだ、一年生です」
「なら早く、二年生になることだ」

 鷹閃大学は2年生より、ゼミがスタートする。その事実を伝えても、教授は一歩も引かず、既に話はついたとばかりに、後ろを振り向いた。


「待って下さい! 教授!」
「待っているぞ、青年」

 そう言い残すと、教授は国道沿いに止まっている一台の車に近づき乗り込んだ。私がしまったと思う頃には、その車はもう走りだし、国道の流れに乗って消えていった。


 返しそびれた重めの封筒が今更に自己主張してくる。それに言えていないことがまだあった。


「学部が違うんです・・・教授」

 その声はむなしく、夜の音に消えていく。


 既に、夜の音には虫の鳴く声が入り交じり、秋の到来を告げ始めている。


 私は空を見上げる。満天の星空だ。あの小さなアパートからでは決して見れない、満天の星空だ。


 本当に私は、帰ってきてよかったのだろうか。あの大学から離れて、何か見えた物はあっただろうか。


 たかが数か月離れていた地元の夜空は、それでも暖かく迎えてくれる。


 きっとよかった。一つ、分かったことがあったんだ。解答ではないが、それは解答を模索する道。


「先生、宿題、まだ提出できそうにありません」

 先生に会いたくなった。恐らく、この地元の高校にまだいる先生。あの不快感が押し寄せる、奔放で、どうしようもなくて、どうしようもなく暖かい先生に。


 でもまだ会えない。私はまだ宿題を終えてはいない。立派に胸を張って、先生に会うためには。この解答を見つけるまでは。



 もう少し、悩んでいこう。

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