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四章 裁かれ、嘘は砂に、優しさは霧に

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「お兄さん、正座」

 夏季休暇が終了し、いくらかたった日。秋がこれでもかというほど押し寄せてくるのを感じる季節、私は小学生に正座を要求されていた。季節感が全くないイベントだが、むしろ秋に正座をするというイベントがあったのではないかと衝動的に感じた。そうでなければ、その言葉の真意が分からなかったからだ。


 朝、目覚ましで起きてからすぐ、エプロン姿の御剣さんに言われ、頭がよく回っていなかったからかもしれない。私が普段使っている勉強机、もとい、炬燵のテーブル、更に言うと食卓には、みそ汁と、焼いた魚と、ご飯が二人分置かれている。可笑しいな、私は一人暮らしのはずだったのに。その疑問は頭が目覚めるにつれ、次第に紐解かれていく。そうだった、朝も来るようになったんだった、御剣さん。最近はご飯も作ってる。それに対して私は、それとなく拒絶の意を示したのだが、受け入れては貰えず、このままでは、また警察にご厄介になってしまうと思ったため、、そろそろお礼とか考えなくていいですよ、もうこんなとこに来ないでいいですよ、と言ったら「将来的にはこうなるから問題ないよ! お兄さん!」と言われ封殺された。むしろ、併殺だった。ダブルプレーである。


「いや、その、どうしてでしょうか?」
「いいから、正座」
「その、御剣さん?」
「正座」
「ハイ」

 何故だろう。いつも明るくて天真爛漫な彼女だが、たまに瞳がえらく濁っている時がある。今みたいに。その時は逆らわない方がいいと、私の本能が訴えかけてくる。怖い。寝起きからホラーだ。


「お兄さん、私いったよね? 地元に帰るって言った時に」
「? 連絡に関してですか?」

 そう思いながら、私は疑問に思った。連絡を忘れていた件については、この前一緒にプールに行って無しということにしてもらっていたのだが。


「そうじゃないよ、私が言っているのは、女と会っちゃダメだよってこと」
「あ、覚えてます。それは大丈夫ですよ。こんな男と会ってくれるようなもの好きな女性は地元にも、大学にもいませんから」

 言ってて悲しくなってきた。何が悲しいって全部本当のことだから悲しい。高校では部活に入っておらず、大学ではサークルに入っていない私は、驚くほど女性関係は薄い。いや、部活やサークルに入っていたからと言って、女性と関われた可能性はあまりにも低い。私はコミュニケーション能力が低いため、どうも女性と会話を長引かせるのも、そもそも会話をすることさえままならない。そういう事を考えれば、御剣さんとの約束は、達成出来て当然だ。


「合コン」

 短く呟かれたその言葉は、死刑宣告だった。


 いや、そんな。小学生がいった言葉に何をそこまで動揺しているのだろうか私は。そもそも、私は御剣さんに女性関係をとやかく言われる謂れは。


「指の爪で許してあげる」
「・・・ちなみに、何枚ですか?」
「20枚」

 足の指まで入っていた。爪という存在そのものを私から消すつもりだ。


 確かに合コンに行ったのは事実だ。しかし、あれはむしろ強制参加に等しい、そして私が女性とした会話もほんのわずかなもので、あれは合コンと呼べる代物ではなかった。だが、その事実を認めてしまうと、問答無用で爪が消失してしまう。


 よし、嘘を吐こう。

 嘘も方便という言葉があるように、この場合は私の人権が関わっている。これは許されていい嘘のはずだ。


「ご、合コンなんて行ってませんよ。そんな煌びやかなイベント、私に縁があるわけないじゃないですか」
「そう、そういうこと言うんだ」
「ほ、他に言い方がありません。証拠もないですよね」
「これ」

 そう言って、御剣さんは私にスマートホンを見せてくる。その画面に映し出されていたのは、合コンの時の写真だった。


 詰んだ。これは詰んだ。そう自覚するのは容易かった。

 他にも色んな感情は沸き起こったのは確かだ。何故その写真を持っているのかという疑問も浮かんだが、その疑問も御剣さんなら入手しかねないという私の内なる声にかき消される。残ったのは、詰みの二文字。


「お兄さん、他に言うことある?」

 彼女の目が、完全に光を消した。


「違うんです!! 確かに合コンには行きました! ですが、それは行くしかない状況を作られて!! 女性とだって数回話した程度です!!」
「ダメだよ、お兄さん。そんなことするとモテちゃうよ?」
「それは絶対にないです!! むしろモテたいくらいです!!」
「モテなくていいから」
「ハイ」

 虚しくなった、嘘なんてつかなければよかった。私の弁明ももしかしたら嘘を吐く前なら聞いてくれたかもしれないのに。

 私は諦めにも似た気持ちで、そっと指を差し出す。

「一枚で勘弁していただけませんか?」
「お兄さん、これは前世の誓いを守るため、仕方のないことなの」

 そういって彼女は、やたら長い針金のようなものを取り出す。その際、彼女の首に掛かっていた私のアパートの鍵と接し、小さな金属音を鳴らす。


「あ」
「お兄さん? 諦めが悪いよ」
「いえ、そうではなく」

 私は近くにあった鞄から小さな袋を取り出す。渡すタイミングが掴めず、渡しそびれていたもの。何故か本能が今だと叫んだ気がした。


「御剣さん、どうぞ」
「?」
「地元に行った時に買いました。御剣さん、いつも首に鍵をぶら下げているので、どこかに引っかかたら危ないと思いまして」
「これ・・・」
「キーケースです。プリントされてるマスコットは地元の冴えないゆるキャラなのですが」

 地元に帰った時、真っ先に思ったのが彼女に何か買って帰ろうということだった。こんな情けない私を励ましてくれた小学生に何かお礼をと、私は考えた。その結果がこのキーケースだ。


「初めて人に何かを送るので、センスがないのは許して下さい」
「初めて・・・」

 優しい彼女に対して私は何が出来るだろうか。悩むと決めたあの時から、それも一つの悩みだ。だが不思議とその悩みは悪くないように思えた。


 彼女は、そのキーケースをしばらく眺めていた。もしかしたら、プリントされているゆるキャラが気に入らなかったのかもしれない。


「あの、気に入らないのでしたら捨ててもらって構いませんので」
「やだ!!」

 それは、恐らく初めて私が彼女から聞いた、小学生らしい言葉だった。


「一生大切にするもん!!」

 キーケースを抱え込むように握りしめた彼女は、少し涙声だった。


「あの御剣さん?」

 手にしたそれを御剣さんは何度も確かめ、そして私から顔を背けうつむく。


「凛て呼んで、お兄さん。もう爪なんて言わないからお願い」

 突然の言葉だったが、それはごもっともだと思った。いつまでも御剣さん呼ばわりでは、どうしてもロリコンと呼び方がかぶってしまう。それは私も何となく嫌だった。


「わかりました、凛さん。せっかく作ってくれたご飯、冷めないうちに食べましょうか」
「・・・うん! お兄さん!」

 これも人と人との関わり合いだろうか。それは分からない。ただ、優しい彼女には、仏頂面の私とは違って、笑顔でいるほうが似合っていると思った。


 弾けるような笑顔で笑う小学生は、なぜだろうか、私よりずっと大人に見えた。

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