妹に婚約者を奪われたので譲りますが、後始末はお断りです~今さら家族ぶられても、こちらから願い下げです~

アトハ

文字の大きさ
8 / 15

第8話 【SIDE:セシル】破滅の序曲

 お姉様がいなくなってから、屋敷の者たちは少し大袈裟になった気がする──セシルは、その程度にしか思っていなかった。

 朝から廊下を行き来する足音が妙にせわしないのも、女中たちがいつもより深く頭を下げるくせに、どこか余裕のない顔をしているのも、きっと春の催しが近いからだろう、と。
 少し忙しくなったくらいで、皆ぴりぴりしすぎなのだ。

 セシルがそう思いながら食堂へ入ると、父と母の前には朝食よりも書類の方が広がっていた。

「あら、おはようございます」

 セシルが声をかけても、母は顔を上げただけだった。

「ええ、おはよう」

 それきり会話は続かない。
 父は苛立たしげに紙束をめくり、母は封を切った手紙を何度も読み返している。いつもなら整っている朝の食卓が、今日は妙に落ち着かなかった。

「何かございましたの?」

 母は疲れたようにこめかみを押さえた。

「春の催しに関する確認が滞っているの。返書もいくつか遅れているわ」
「それくらいなら、順番に片づければよろしいでしょう?」

 母は何とも言えない顔をした。
 父が低い声で言う。

「今までのようにはいかん」
「どうしてですの? 今までできていたのなら、今回だって同じようにすれば」

 その言葉に、父の手が止まった。
 母もゆっくりと顔を上げる。

 その反応の意味が分からず、セシルはむしろむっとした。

「まるで、お姉様がいなければ何もできなかったみたいですわ」

 否定は返ってこなかった。
 その沈黙だけで、食堂の空気が少し冷えた気がした。


 ちょうどそのとき、執事が食堂へ入ってきた。

「旦那様、ヴァレントン伯爵家より使いの方がお見えです」
「ヴァレントン伯爵家から?」

 フレデリックの家の名に、セシルはぱっと顔を明るくした。
 けれど、父の表情は険しいままだった。

「応接間へ通しております」
「分かった。すぐ向かう」

 父が立ち上がり、母も続く。
 セシルも当然のように椅子を引いた。

「わたくしも参りますわ」
「あなたはここにいなさい」
「どうしてですの? ヴァレントン伯爵家のお話なのでしょう? でしたら、わたくしにも関係があるではありませんか」

 母は眉を寄せたが、父は短く言った。

「好きにしろ。ただし余計なことは言うな」


 応接間には、ヴァレントン伯爵家の執事長が座っていた。

 地味だが仕立ての良い服を着て、姿勢に崩れがない。
 派手さはないのに、無駄のない所作のせいか、かえって隙が見えなかった。

「ヴァレントン伯爵家の執事長、ローレンスと申します」

 父母が挨拶を返すより先に、セシルは一歩前へ出た。

「セシル・エヴァンズですわ。フレデリック様とは婚約の運びとなっておりますの。ヴァレントン伯爵家のご懸念についてでしたら、わたくしも承ってよろしいでしょう?」

 一瞬、部屋の空気が止まった。

 ローレンスはすぐには答えなかった。
 ほんのわずかな間が空いてから、丁寧に頭を下げる。

「……恐れ入ります、お嬢様。本件は、エヴァンズ伯爵家様とヴァレントン伯爵家の間で進めております確認事項にございます」
「ですから、わたくしも」
「正式なお立場が定まってからのお話かと存じます」

 やわらかな口調だった。 
 それなのに、ぴしゃりと扉を閉められたような冷たさがあった。

 セシルは息を呑んだ。
 まるで、何も分からない子供のように扱われた気がした。
 これからヴァレントン伯爵家へ入るのは自分なのに。

「セシル、下がっていなさい」

 おまけに母まで、それに同意する。
 胸の奥がむっと熱くなる。こんなふうに人前でたしなめられたことなど、ほとんどないのに。

 しぶしぶ一歩下がると、ローレンスは最初からセシルなどいなかったかのように父へ向き直った。
 それから重々しく口を開く。

「春の催しに関する段取りと、共同事業の清算について確認に参りました。昨年までであれば、このような行き違いはございませんでしたので」
「確認中だ」

 父の声は低い。

「その確認が遅れていること自体が、すでに懸念されております」
「……こちらを疑っているということか」
「疑う疑わないではございません」

 ローレンスは淡々としていた。

「確認が必要、ということです」

 静かな言い方だったが、応接間の空気はぴんと張った。
 さらにローレンスは、わずかに目を伏せて続けた。

「こちらでも何とか繕ってまいりましたが、あの方がおられた頃のようには参りません。去年まではだましだまし回しておりましたが、もはや限界でございます」
「何が言いたい」
「申し上げている通りでございます」

 そこで一拍置いてから、ローレンスは抑えた声で続けた。

「昨年まで滞りなく回っていたものの多くが、リディアお嬢様の気配りと段取りの上に成り立っていました」
「それくらい、わたくしが代わりに……!」

 セシルが、一歩前に出た。

「はあ、あなたが?」

 ローレンスの視線はどこまでも冷たい。

 ──また、お姉様のことばかり。
 そんなに持ち上げるほどのことかしら、とセシルは腹が立った。

 少し細かいことが得意だっただけでしょうに。
 そういう面倒なことを先回りしていたから何だというのだ。
 そんなことより、フレデリック様の隣に立つために愛らしさを磨くことの方が大事なのに。

 そう言って父母がローレンスをたしなめてくれるものと思った。
 けれど二人は、何も言い返せなかった。


 ──面倒くさいなあ、誰かやってくれればいいのに
 というより、解決策は簡単なのだ。
 そこまで困っているのなら、無理にでもお姉様を呼び戻せばいい。

 アシュレイ様との縁だって、所詮はお姉様が意地を張ってしがみついているだけではないか。
 あんなもの、家が本気になればどうとでもなるはずだ。前回はお姉様のワガママで失敗したが、次に会うときは自分の役割を自覚してほしいものだ。
 そう思うと、先ほどローレンスに冷たく線を引かれたことまで、お姉様のせいのように思えてきて、余計に腹が立った。


 ──あれだけはっきり追い払われたことは、セシルの中ではもう都合よく薄れていた。
 エヴァンズ家のためなのだから、手伝うのは当然。
 セシルはまだ、本気でそう思っていたのだ。
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約者が妹に心変わり?では一刺しして家を捨てましょう。皆様、あとはご自由に。

さんけい
恋愛
婚約者が妹に心変わりした。 しかも家族は、傷ついた私を慰めるどころか、「長女なら分別を」と静かに飲み込ませようとする。 ――でしたら、私ももう都合のいい娘ではいません。 商家の長女セリーヌは、置き手紙ひとつを残して家を出た。 今まで自分が黙って支えていたものごとに、最後の一刺しだけを残して。 教会町で偽名を名乗り、小さな仕事を得て、自分の居場所を作り始めるセリーヌ。 一方、彼女を失った実家では、婚約者と妹の熱に振り回されるうち、家の綻びが少しずつ表に出始める。 これは、婚約者を妹に奪われた令嬢が、家族への復讐のために生きるのではなく、自分の人生を取り戻していく物語。 静かに家を捨てた長女の不在は、やがて残された者たちにじわじわと効いていく…… ※初日以外は12時と22時に更新予定です。

誰からも必要とされていないから出て行ったのに、どうして皆追いかけてくるんですか?

木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢ミリーシャは、自身が誰からも必要とされていないことを悟った。 故に彼女は、家から出て行くことを決めた。新天地にて、ミリーシャは改めて人生をやり直そうと考えたのである。 しかし彼女の周囲の人々が、それを許さなかった。ミリーシャは気付いていなかったのだ。自身の存在の大きさを。

「今日から妹も一緒に住む」幼馴染と結婚したら彼の妹もついてきた。妹を溺愛して二人の生活はすれ違い離婚へ。

佐藤 美奈
恋愛
「今日から妹のローラも一緒に住むからな」 ミカエルから突然言われてクロエは寝耳に水の話だった。伯爵家令嬢一人娘のクロエは、幼馴染のミカエル男爵家の次男と結婚した。 クロエは二人でいつまでも愛し合って幸福に暮らせると思っていた。だがミカエルの妹ローラの登場で生活が変わっていく。クロエとローラは学園に通っていた時から仲が悪く何かと衝突していた。 住んでいる邸宅はクロエの亡き両親が残してくれたクロエの家で財産。クロエがこの家の主人なのに、入り婿で立場の弱かったミカエルが本性をあらわして、我儘言って好き放題に振舞い始めた。

そんなに優しいメイドが恋しいなら、どうぞ彼女の元に行ってください。私は、弟達と幸せに暮らしますので。

木山楽斗
恋愛
アルムナ・メルスードは、レバデイン王国に暮らす公爵令嬢である。 彼女は、王国の第三王子であるスルーガと婚約していた。しかし、彼は自身に仕えているメイドに思いを寄せていた。 スルーガは、ことあるごとにメイドと比較して、アルムナを罵倒してくる。そんな日々に耐えられなくなったアルムナは、彼と婚約破棄することにした。 婚約破棄したアルムナは、義弟達の誰かと婚約することになった。新しい婚約者が見つからなかったため、身内と結ばれることになったのである。 父親の計らいで、選択権はアルムナに与えられた。こうして、アルムナは弟の内誰と婚約するか、悩むことになるのだった。 ※下記の関連作品を読むと、より楽しめると思います。

王妃さまは断罪劇に異議を唱える

土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。 そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。 彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。 王族の結婚とは。 王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。 王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。 ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。

そちらから縁を切ったのですから、今更頼らないでください。

木山楽斗
恋愛
伯爵家の令嬢であるアルシエラは、高慢な妹とそんな妹ばかり溺愛する両親に嫌気が差していた。 ある時、彼女は父親から縁を切ることを言い渡される。アルシエラのとある行動が気に食わなかった妹が、父親にそう進言したのだ。 不安はあったが、アルシエラはそれを受け入れた。 ある程度の年齢に達した時から、彼女は実家に見切りをつけるべきだと思っていた。丁度いい機会だったので、それを実行することにしたのだ。 伯爵家を追い出された彼女は、商人としての生活を送っていた。 偶然にも人脈に恵まれた彼女は、着々と力を付けていき、見事成功を収めたのである。 そんな彼女の元に、実家から申し出があった。 事情があって窮地に立たされた伯爵家が、支援を求めてきたのだ。 しかしながら、そんな義理がある訳がなかった。 アルシエラは、両親や妹からの申し出をきっぱりと断ったのである。 ※8話からの登場人物の名前を変更しました。1話の登場人物とは別人です。(バーキントン→ラナキンス)

〈完結〉ここは私のお家です。出て行くのはそちらでしょう。

江戸川ばた散歩
恋愛
「私」マニュレット・マゴベイド男爵令嬢は、男爵家の婿である父から追い出される。 そもそも男爵の娘であった母の婿であった父は結婚後ほとんど寄りつかず、愛人のもとに行っており、マニュレットと同じ歳のアリシアという娘を儲けていた。 母の死後、屋根裏部屋に住まわされ、使用人の暮らしを余儀なくされていたマニュレット。 アリシアの社交界デビューのためのドレスの仕上げで起こった事故をきっかけに、責任を押しつけられ、ついに父親から家を追い出される。 だがそれが、この「館」を母親から受け継いだマニュレットの反逆のはじまりだった。

「仲睦まじい夫婦」であるはずのわたしの夫は、わたしの葬儀で本性をあらわした

ぽんた
恋愛
サヤ・ラドフォード侯爵夫人が死んだ。その葬儀で、マッケイン王国でも「仲睦まじい夫婦」であるはずの彼女の夫が、妻を冒涜した。その聞くに堪えない本音。そんな夫の横には、夫が従妹だというレディが寄り添っている。サヤ・ラドフォードの棺の前で、夫とその従妹はサヤを断罪する。サヤは、ほんとうに彼らがいうような悪女だったのか?  ※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。