俺とあいつの、近くて遠い距離

ちとせ。

文字の大きさ
4 / 13
本編

第三話 その距離、およそ五十センチ

しおりを挟む
その日の夜はバイトが入っていた。

ライブハウス兼クラブの厨房の手伝いと雑用が俺のバイト。体力的にはきついが、その分自給はいい。聖夜のバイト先も同じところだ。ここは聖夜の兄貴の朔夜さくやさんと、朔夜さんの友人のきょうさん二人で共同経営している店なのだ。ちなみに俺がここでバイトをするようになった切欠は聖夜ではない。

「修二、もうすぐ出前くるから来いよ。ここは後でやりゃいいからさ」
「あー、うん。でももうちょっとで終わっから」
「手伝おっか?」
「や、大丈夫……ってちょ、どこ触ってんだよっ」
「どこって、修二のケツ?」
「ばっ……、んなこと聞いてんじゃねえよっ」
「やっぱいいなー、お前のケツ。ぷりっぷり。たまんねー、突っ込みてー」
「まっ、ちょ……、俺いま手ぇ塞がってっから。う、ぁっ……やめろって」
「いいじゃん。俺ちょー疲れてんの。癒して? な?」

皿洗いをしている俺の後ろから悪戯を仕掛けてくるエロ親父のようなこの人こそ、俺にここのバイトを紹介したオーナーの京さんだ。京さんは彫の深い顔立ちにちょっと垂れた目が甘さを醸し出しているイケメンで、女にも超モテるのだけれど、その実ゲイでしかもドS属性のタチなのだ。

京さんとの出会いは話せば長くなる。要約すれば、深夜の繁華街の路地裏に知らない男に連れ込まれてヤられそうになった俺を助けてくれたのが京さんで、実は下心ありありだった京さんにその夜のうちに俺はバックバージンを奪われて、そのお詫びだかお礼だかに後日ここのバイトを紹介されたってわけ。

「ちょっ、京さん、重いって!」

俺の背中に覆い被さるように圧し掛かってくる京さんに抗議して後ろを振り返ったとき、聖夜が厨房に入ってくるのが見えた。京さんにちょっかいを出されている俺を一瞥して眉を顰めた聖夜が、人差し指を唇に押し当てる。黙っていろという合図だろう。聖夜に背中を向けている京さんは、抜き足差し足で近づいてくる聖夜に全く気付いていないようだ。

「こるぁー!!!」

京さんの背後に立った聖夜が、容赦なく京さんの頭に空手チョップを落として怒鳴った。

「いってー。なぁにすんだよ、聖夜っ!」

聖夜の空手チョップを頭にまともに食らった京さんは、涙目で聖夜を睨みつけている。

「修二にちょっかい出すなっつーのっ! 何回言ったらわかんだよっ! バカ京!」
「聖夜おめえ、俺様に向かってバカとはいい度胸だな。やんのか、こらぁ」

京さんは聖夜の兄貴の朔夜さんと中学からの腐れ縁で、聖夜とも実の兄弟のように仲がいい。今目の前で繰り広げられているちょっと荒っぽい口喧嘩も、この二人にとっては恒例行事のようなものだ。

だけど俺が京さんに連れられて初めてここにやって来た日の二人の喧嘩は、今思い出してもまじでやばかった。あの日、店に入ったら聖夜がいて。聖夜のバイト先ってここだったのか、へえ偶然だな……なんて暢気なことを考えていた俺を尻目に、聖夜がいきなり京さんを殴りつけたのだ。当然のこと京さんも聖夜に反撃し、あわや警察沙汰になるくらいの乱闘騒ぎになった。

後で聖也に理由を尋ねたところ、『バージンなのにすげえ具合がよかったやつがいてさ。セフレにして調教したいからバイトとして連れてくる』と京さんに聞かされていて、連れて来られたのが俺だったから頭に血が上ったのだそうだ。京さんはかなりの遊び人で複数のセフレがいるのだとか。

聖夜の話を聞いた後、俺も京さんに一発お見舞いしたのは言うまでもない。セフレはまだしも調教ってなんだよ冗談じゃねえって話だよ。しかも俺の知らないところでバージンだの具合がいいだの好き勝手なことを言い触らされてたなんて恥ずかしすぎる。

けれど京さんは下半身事情を別にすればいい人なのだ。京さんと体の関係を持ったのはあの夜の一回だけ。その後も今みたいにちょっかいを出してくるけれど、京さんは決して本気なわけではなくて、京さんなりの俺への罪滅ぼしというか、気遣いなのだと思う。巧く説明できないけれど、京さんが臆面もなく皆の前で俺を口説くから、俺は必然的にゲイだとバレてしまうわけで。俺が悩む間もなく俺はゲイだと皆に知られ、俺が心配する間もなく皆は当たり前のように俺のことを受け入れてくれた。ここは俺がありのままの俺でいられる大切な居場所なのだ。それもこれも京さんのおかげだし、京さんには実は結構感謝していたりする。あくまでも心の中で、だけど。

「うっせー、修二に手ぇ出すなつってんだろっ! このヤリチンがっ」
「あーやだやだ。これだからモテねえ男はよー。俺が羨ましいなら素直にそう言やいいだろ?」
「羨ましかねーよ、バカ京、調子に乗んなっ!」

俺の片づけが終わってもまだ終わる様子のない聖夜と京さんの口喧嘩を治めたのは、「ラーメン来たぞー」という朔夜さんのひと声だった。





「いやー、さすがの俺もびびったっつーの。修二ってばそいつにベロチューかましてんだもん。学食でだぜ? みんな見てんだぜ? 修二の迫力に圧おされてみんなしーんとしてんの。修二まじでかっけかった」

聖夜が今日の大学での顛末を話し始めたのは、開店前の腹ごしらえをしているときだった。俺と聖夜の他には朔夜さんと京さんしかいないとはいえ恥ずかしすぎる。どんな罰ゲームだ。

「すげえじゃん、修二。みんなの前でカムアウトするとか」

そう言ったのは、朔夜さんだ。朔夜さんは聖夜によく似た顔立ちをしているが、強面でやんちゃな印象の聖夜とは異なり、落ち着いた大人の男の色気に溢れた、甘い雰囲気のイケメンで、尋常じゃないくらい女にモテる。店にくる女性客の半分は朔夜さん目当てじゃないだろうか。

「全然すごくなんかないっすよ。なんか、不可抗力っつーか、偶々流れでそうなっただけだし」
「だとしてもすげえよ。やるじゃん、修二」

偉い、偉い。と言いながら、京さんが俺の頭を撫でる。

「やめろって。ガキじゃねえっつーの」
「照れんなよ」
「照れてねえし」
「で? どうだった?」
「は? なにが?」
「そいつのベロチュー、俺より巧かった?」
「はあ?」
「そいつ、俺よりいい男?」

「京さん、まじうぜーよ」
「京ちゃん、まじうぜー」

俺と聖夜の声が重なる。

「けど、さすが『ノンケキラーの修二』だな」

『ノンケキラーの修二』とは、朔夜さんが俺につけた二つ名だ。ここは元々ゲイやバイのお客さんも多くて誘われることがよくあるのだけれど、ノンケのお客さんにも『修二なら一度試してみたい』と誘われることがあるのだ。酒の席での話しだし、冗談か、もしくはゲイに偏見がないという意思表示みたいなものだろうと俺は思っているのだけれど、朔夜さん曰く『あいつらマジだから気をつけろ』だそうで。わざわざ忠告してもらわなくても俺はノンケなんてご免だし、どうのこうのなったこともなるつもりのないのだけれど。

しかも今ここで朔夜さんに揶揄される意味がわからない。首を捻る俺に、朔夜さんがにやにや笑って続けた。

「最初に仕掛けてきたのはそいつだったんだろ?」
「まあ……」
「そいつさ、修二に惚れてんじゃねえの?」
「は? んなわけないっすよ。そいつ、すげえ女にモテるし、俺なんかに興味あるわけ……」
「いやいや、興味なきゃ男が男にキスしねえだろ? 普通はさ」
「まあ確かに普通じゃないかも。そんくらい俺のことが嫌いなんじゃないっすかね」

普通では考えられないくらい俺のことが嫌いで、普通では考えなられないくらい負けず嫌いなのだ、亨は。うんうんとひとり頷く俺を横目に、京さんと聖夜がこそこそと囁き合っている。

「でたよ、天然ちゃん」
「修二は全く自覚ねえからなー」

俺がむっとして黙り込んだのをいいことに、二人の勝手な言い分が続く。

「そいつもそうだけどさ、そのあと修二が迫ったやつ? そいつも修二に惚れちゃったんじゃねえの?」
「あ、やっぱ京ちゃんもそう思う? そいつさ、佐伯っつーんだけど、修二に見惚れて顔真っ赤にしちゃってさー。あれは完全に堕ちたね。てか他にも修二に堕ちたやつ結構いんじゃねえかなー。修二が学食出てった後『あれはヤバい』つって騒いでたやつら大勢いたもん」

佐伯? あー、あいつ、佐々木じゃなくて佐伯だったっけ。
てか確かに顔は真っ赤だったけど俺に見惚れてたわけじゃねえだろ?
それに『ヤバい』の意味が違うんじゃねえの?

「聖夜お前、そりゃ……」

勘違いもいいとこだっつーの。と続けられなかったのは、朔夜さんが急に真剣な声で俺の名前を呼んだからだ。

「修二」
「え。は、はい」
「大丈夫か? お前」
「俺は……」

大丈夫です。とは言えずに口籠る。

大学でカムアウトしたことは後悔なんてしてない。
けど慶への想いはそんなに簡単に断ち切れるもんじゃない。
あれからずっと慶のことで頭がいっぱいで、全然大丈夫なんかじゃない。

「俺……」

息苦しいほどのこの想いを、誰かに吐き出せたら楽になるんだろうか。
もう諦めろと誰かに言われたら、慶のことを忘れられるんだろうか。

「いいよ、修二。無理すんな」

ことばが喉の奥につっかえたまま黙り込んだ俺の頭に、朔夜さんの大きな手が触れた。

「けど、これだけは覚えとけ。なにがあっても俺は修二の味方だから。ひとりで溜め込んでねえで、話したくなったらいつでも俺んとこ来い。いいな?」
「ちょ、朔兄さくにいばっかいいカッコすんなよ。修二、お前なんでもかんでもひとりで溜め込みすぎんだよ。もっと俺を頼れ、な?」

朔夜さんと聖夜の想いが嬉しくて有難くて、思わず涙が込みあげてきて咄嗟に俯いた。寸でのところで涙が止まったのは、京さんがエロ親父みたいなことを言ったからだ。

「修二、溜まったもんは俺が処理してやっからいつでも言えよ? 手でも口でも何なら俺の……」

放送禁止用語を口にする前に、京さんは朔夜さんと聖夜の空手チョップを同時に頭に食らってテーブルに突っ伏した。

「なんでこの兄弟はこういうときだけ息が合うんだよ」

愚痴りながら頭を抱えた京さんの情けない顔が可笑しくて、皆で笑い合う。

いつも変わらずに俺を受け入れてくれる人がここにいる。
迷っても、間違えても、帰ってこれる居場所がある。
それは何て心強くて、何て幸せなことなんだろう。





その夜は人気バンドが出演するとあって、客が半端なく多かった。必然的に仕事も多くて、閉店までまだ一時間近くあるというのに俺はすでにへとへとに疲れ果てていた。

「はぁー、きっつ」

空ビンが詰まったケースを裏口に積み上げ終わり、大きく息を吐き出す。と同時に、背後から誰かの足音が聞こえた。

「修二」

聞き覚えのあるその声に、まさかと思いつつも振り返る。

その距離およそ五十センチ。

慶が、いた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる

cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。 「付き合おうって言ったのは凪だよね」 あの流れで本気だとは思わないだろおおお。 凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?

【完】君に届かない声

未希かずは(Miki)
BL
 内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。  ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。 すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。 執着囲い込み☓健気。ハピエンです。

【完結済】俺のモノだと言わない彼氏

竹柏凪紗
BL
「俺と付き合ってみねぇ?…まぁ、俺、彼氏いるけど」彼女に罵倒されフラれるのを寮部屋が隣のイケメン&遊び人・水島大和に目撃されてしまう。それだけでもショックなのに壁ドン状態で付き合ってみないかと迫られてしまった東山和馬。「ははは。いいねぇ。お前と付き合ったら、教室中の女子に刺されそう」と軽く受け流した。…つもりだったのに、翌日からグイグイと迫られるうえ束縛まではじまってしまい──?! ■青春BLに限定した「第1回青春×BL小説カップ」最終21位まで残ることができ感謝しかありません。応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。

俺の彼氏は俺の親友の事が好きらしい

15
BL
「だから、もういいよ」 俺とお前の約束。

誰よりも愛してるあなたのために

R(アール)
BL
公爵家の3男であるフィルは体にある痣のせいで生まれたときから家族に疎まれていた…。  ある日突然そんなフィルに騎士副団長ギルとの結婚話が舞い込む。 前に一度だけ会ったことがあり、彼だけが自分に優しくしてくれた。そのためフィルは嬉しく思っていた。 だが、彼との結婚生活初日に言われてしまったのだ。 「君と結婚したのは断れなかったからだ。好きにしていろ。俺には構うな」   それでも彼から愛される日を夢見ていたが、最後には殺害されてしまう。しかし、起きたら時間が巻き戻っていた!  すれ違いBLです。 初めて話を書くので、至らない点もあるとは思いますがよろしくお願いします。 (誤字脱字や話にズレがあってもまあ初心者だからなと温かい目で見ていただけると助かります)

言い逃げしたら5年後捕まった件について。

なるせ
BL
 「ずっと、好きだよ。」 …長年ずっと一緒にいた幼馴染に告白をした。 もちろん、アイツがオレをそういう目で見てないのは百も承知だし、返事なんて求めてない。 ただ、これからはもう一緒にいないから…想いを伝えるぐらい、許してくれ。  そう思って告白したのが高校三年生の最後の登校日。……あれから5年経ったんだけど…  なんでアイツに馬乗りにされてるわけ!? ーーーーー 美形×平凡っていいですよね、、、、

《完結》僕が天使になるまで

MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。 それは翔太の未来を守るため――。 料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。 遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。 涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。

学校一のイケメンとひとつ屋根の下

おもちDX
BL
高校二年生の瑞は、母親の再婚で連れ子の同級生と家族になるらしい。顔合わせの時、そこにいたのはボソボソと喋る陰気な男の子。しかしよくよく名前を聞いてみれば、学校一のイケメンと名高い逢坂だった! 学校との激しいギャップに驚きつつも距離を縮めようとする瑞だが、逢坂からの印象は最悪なようで……? キラキライケメンなのに家ではジメジメ!?なギャップ男子 × 地味グループ所属の能天気な男の子 立場の全く違う二人が家族となり、やがて特別な感情が芽生えるラブストーリー。 全年齢

処理中です...