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プロローグ2
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全国大会が終わり、二学期が始まるまでの残りの夏休み数日は部活が休みとなった。
私はあの日以降、体の内に灯った熱にうかされていた。全国大会の残りの日程は試合を観戦していたが、上の空でいまいち印象に残っていない。ただ、東京の某(それがし)中学が三連覇を達成したのだけは覚えている。真希が勝っていたら、そのまま全国制覇もありえたのだろうか。
それを見て私も真希も莉菜も、来年こそはと誓い合った。
午前中といえども、夏の体育館はやはり暑い。
私は情熱を持て余し、休みにもかかわらず体育館にいる。そしてなぜか、示し合わせたかのように真希と莉菜もいた。
「奈緒も来たんだ」
準備運動がてらのパスをしていた真希が動きを止めた。二人ともすでに汗が噴き出ている。
「今日は休みだぞ」
莉菜がニヤニヤした表情を浮かべながら私にそう言うと、真希がすかさず口を挟んだ。
「莉菜じゃないんだから、間違えて来たわけじゃないでしょ」
「莉菜、間違えたの?」
私が少し冷たい視線を送ると、莉菜が照れくさそうに肩を丸めた。
「まあ、そうとも言うかな。……でも!」
莉菜の突然の大声がだれもいない体育館に響き、声が反響する。
「真希のあの試合を見させられて、大人しく休むなんてできるか? なあ、奈緒」
急に私に振られ、一瞬固まってしまったが、私は何度も頷いた。
「莉菜の気持ちがよく分かる」
当の真希は「えーと」「ううん」と返事にもならない返事を繰り返すばかりだ。
「なんだよ、真希、不満か」
「……まあ、満足はしてないよね。負けたんだし」
真希の目に強い光が宿った気がした。だが、それはすぐに引っ込み、よく知る真希の顔に戻った。
「それで、悔しくて今日も練習か」
莉菜の言葉ではっとした。真希は練習日と勘違いしたわけでも、ましてや何となく来たわけでもない。真希のバレーに対する意識と、それに気がつく莉菜。
きっと二人は私が思っている以上に、私の先を行っている。最初に日の目を浴びたのは真希だが、来年は莉菜も脚光を浴びるのだろう。そんな妙な確信が湧き上がってきた。
「ま、それはそれとして、練習しようか」
「そうだな。来年こそ日本一になるんだもんな」
負けてられない。必死に練習して二人に食らいついていかないと、私はきっと一瞬でおいていかれる。
私は準備運動に取りかかった。
二学期になり、学校が再開した。私たち三人は同じクラスだ。授業の合間の休憩時間はいつも一緒にいるし、放課後は一緒に体育館へ向かう。
三年生が引退して部の選手層は大分薄くなった。今のメンバーでベンチ入りしていたのは真希だけだ。
全員そのことは分かっているのか、普段の練習に熱が入っているように感じる。全国大会での真希の活躍により、私たちは一気に注目を集めるチームに変貌を遂げた。今度の秋の大会でも優勝候補の一つのはずだ。県内のみの大会で全国などの大舞台がかかった試合ではないが、負ける気はない。
スタメンがだれになるか、みんなが気にしだし、どこかそわそわした空気が部内に漂い始めていた。
スタメンやベンチ入りする選手を決めるのは顧問の大河内先生だ。大河内先生は四十代の女性教師で、バレーの指導者としてそれなりに有名らしい。熱血指導とは程遠いが、技術的なことはちゃんと教えてくれるからか、生徒からの信頼は厚い。
ただ、それより先に乗り越えないといけないものがある。テストだ。
「もう嫌だ」
莉菜がシャーペンを机の上に放り投げ、勢いのままシャーペンが机から落ちた。莉菜は面倒臭そうに拾い上げる。
テスト前ということで強制的に部活は休みになる。私と真希は前回のテストが散々だった莉菜に勉強を教えるために、放課後の教室に残っていた。
「だれのためだと思ってるの」
真希がじとっと莉菜を見つめる。
「莉菜が平均点くらい取れれば、今ごろ練習できていたのに」
私もわざと攻めるような口調で莉菜を睨んだ。
「はいはい、悪かったよ」
莉菜が渋々シャーペンを握り、英語の教科書と向かい合った。莉菜の成績は酷く、特に英語が壊滅的だ。前回のテストでは小文字のbとdを間違えていた。
「そうだ、これ見た?」
二〇分ほど黙々と勉強していたが、莉菜が突然鞄から一冊の雑誌を取り出した。二〇分も勉強したのであれば、莉菜としては集中力が続いたほうだ。
私も真希も特に咎めることなく、莉菜が取り出した雑誌に目をやった。バレーボールの専門雑誌だ。
「これこれ」
莉菜が表紙の右下を指さした。新たなスター誕生の予感という文字と一緒に真顔の真希が写っている。
「うげ」
真希が露骨に嫌そうな表情をし、それを見て莉菜が笑う。
「そんな顔するなよ。実際あの大会で一番だっただろ、真希が」
莉菜が雑誌をぱらぱらとめくり、あるページを広げて机の上に置いた。そこには試合中の真希の写真が二ページに渡って多数掲載されていた。さらに試合の流れが事細かに書かれている。
「こんなに載るんだ」
事前に真希に掲載の許可は取っていたのであろうが、こんなに載るとは思っていなかったのか、真希が顔をしかめている。
「次のページなんか、一ページ丸々使って試合後のインタビューが載ってるぞ」
莉菜の言葉通り、試合後に撮影された真希の写真が一枚と文字がぎっしり詰まっていた。写真の中の真希は少し機嫌が悪そうだ。
「まだ中学一年生、将来が楽しみだ。ゆくゆくは日本バレー界を牽引する選手になるだろう、だって」
莉菜が我がことのように嬉しそうに内容を読み上げている。そんなに言われると、なんだか私まで嬉しくなってきてしまう。
「大げさすぎ。ただの中学生だよ」
真希がもうやめてくれと言わんばかりの口調でそっぽを向いてしまった。
「大げさじゃないよ。私も莉菜もそう思ってる。なんならこの記者以上にね」
「もしかして、負けたことまだ気に病んでんのか?」
「……悪い?」
真希が少し顔を赤らめた。
「勉強なんて必要か?」
勉強再開後、ものの五分もしないうちに莉菜の手が止まり喋り始めた。集中力は完全に切れているようだ。
「できたほうがいいでしょ」
私の言葉に真希が頷いた。
「中学は義務教育なんだから、勉強できなくても問題ないよな?」
「高校いくのに必要でしょ」
「バレー強い学校なら推薦でいけるんだろ、よく知らないけど」
「そうかもしれないけど……」
「高校でもテストはあるんだろうし、今の段階でつまずいていたら高校で留年するでしょ」
それまで黙って勉強していた真希が口を挟んだ。
「それに将来働くときに簡単な英語とか計算ができないと困るんじゃない、働いたことないからよく分からないけど」
莉菜が目をぱちくりさせた。
「私はプロを目指してるから勉強とかいいよ。真希は目指してないのか」
プロ。莉菜はどこまで本気なんだろうか。純粋な子供の夢、大人はそう思うだろうが、莉菜は真剣そのものだ。ただ……。
「なれたらいいなと思ってるよ。プロじゃなくて実業団だけど」
日本にプロ制度はない。働きながらバレーを続けていくことになるだろう。
「バレーだけで食べていくことができない以上、勉強くらいしておかないとなんにもできなくなっちゃう。怪我で現役引退とかもありえるし」
「いろいろ考えてるんだなあ」
莉菜があまり考えていないだけだと思う。かくいう私もぼんやりと医者になれたらなあとしか考えていない。最近の真希には感心させられてばかりだ。
「英語は勉強しておいたほうがいいよ」
真希の突然のアドバイスに私と莉菜は顔を見合わせた。
「将来海外に渡るとき、役に立つ」
莉菜がなるほど、と言って勢いよくシャーペンを握り教科書と向かい合った。
それを見て私と真希は小さく笑った。
その後のテストで莉菜は英語だけ平均点を取った。
今度の大会のスタメンが決まった。二年生からは部長と副部長。一年生からは真希と莉菜と私。もう一人、セッターとして犬飼さん。たしか下の名前は良子。犬飼さんとは中学生になってから知り合った人で、まだあまり話したことがない。
一年生から四人も選ばれたことで、二年生から冷ややかな目で見られることが多くなった気もするが、そんなことはどうでもよかった。ようやく、真希と莉菜と試合に出られる。真希のあの試合を見た日からずっと願っていたことだ。真希と莉菜とで勝って勝って、勝ち続ける。そして夏には全国を制する。その第一歩だ。
私はあの日以降、体の内に灯った熱にうかされていた。全国大会の残りの日程は試合を観戦していたが、上の空でいまいち印象に残っていない。ただ、東京の某(それがし)中学が三連覇を達成したのだけは覚えている。真希が勝っていたら、そのまま全国制覇もありえたのだろうか。
それを見て私も真希も莉菜も、来年こそはと誓い合った。
午前中といえども、夏の体育館はやはり暑い。
私は情熱を持て余し、休みにもかかわらず体育館にいる。そしてなぜか、示し合わせたかのように真希と莉菜もいた。
「奈緒も来たんだ」
準備運動がてらのパスをしていた真希が動きを止めた。二人ともすでに汗が噴き出ている。
「今日は休みだぞ」
莉菜がニヤニヤした表情を浮かべながら私にそう言うと、真希がすかさず口を挟んだ。
「莉菜じゃないんだから、間違えて来たわけじゃないでしょ」
「莉菜、間違えたの?」
私が少し冷たい視線を送ると、莉菜が照れくさそうに肩を丸めた。
「まあ、そうとも言うかな。……でも!」
莉菜の突然の大声がだれもいない体育館に響き、声が反響する。
「真希のあの試合を見させられて、大人しく休むなんてできるか? なあ、奈緒」
急に私に振られ、一瞬固まってしまったが、私は何度も頷いた。
「莉菜の気持ちがよく分かる」
当の真希は「えーと」「ううん」と返事にもならない返事を繰り返すばかりだ。
「なんだよ、真希、不満か」
「……まあ、満足はしてないよね。負けたんだし」
真希の目に強い光が宿った気がした。だが、それはすぐに引っ込み、よく知る真希の顔に戻った。
「それで、悔しくて今日も練習か」
莉菜の言葉ではっとした。真希は練習日と勘違いしたわけでも、ましてや何となく来たわけでもない。真希のバレーに対する意識と、それに気がつく莉菜。
きっと二人は私が思っている以上に、私の先を行っている。最初に日の目を浴びたのは真希だが、来年は莉菜も脚光を浴びるのだろう。そんな妙な確信が湧き上がってきた。
「ま、それはそれとして、練習しようか」
「そうだな。来年こそ日本一になるんだもんな」
負けてられない。必死に練習して二人に食らいついていかないと、私はきっと一瞬でおいていかれる。
私は準備運動に取りかかった。
二学期になり、学校が再開した。私たち三人は同じクラスだ。授業の合間の休憩時間はいつも一緒にいるし、放課後は一緒に体育館へ向かう。
三年生が引退して部の選手層は大分薄くなった。今のメンバーでベンチ入りしていたのは真希だけだ。
全員そのことは分かっているのか、普段の練習に熱が入っているように感じる。全国大会での真希の活躍により、私たちは一気に注目を集めるチームに変貌を遂げた。今度の秋の大会でも優勝候補の一つのはずだ。県内のみの大会で全国などの大舞台がかかった試合ではないが、負ける気はない。
スタメンがだれになるか、みんなが気にしだし、どこかそわそわした空気が部内に漂い始めていた。
スタメンやベンチ入りする選手を決めるのは顧問の大河内先生だ。大河内先生は四十代の女性教師で、バレーの指導者としてそれなりに有名らしい。熱血指導とは程遠いが、技術的なことはちゃんと教えてくれるからか、生徒からの信頼は厚い。
ただ、それより先に乗り越えないといけないものがある。テストだ。
「もう嫌だ」
莉菜がシャーペンを机の上に放り投げ、勢いのままシャーペンが机から落ちた。莉菜は面倒臭そうに拾い上げる。
テスト前ということで強制的に部活は休みになる。私と真希は前回のテストが散々だった莉菜に勉強を教えるために、放課後の教室に残っていた。
「だれのためだと思ってるの」
真希がじとっと莉菜を見つめる。
「莉菜が平均点くらい取れれば、今ごろ練習できていたのに」
私もわざと攻めるような口調で莉菜を睨んだ。
「はいはい、悪かったよ」
莉菜が渋々シャーペンを握り、英語の教科書と向かい合った。莉菜の成績は酷く、特に英語が壊滅的だ。前回のテストでは小文字のbとdを間違えていた。
「そうだ、これ見た?」
二〇分ほど黙々と勉強していたが、莉菜が突然鞄から一冊の雑誌を取り出した。二〇分も勉強したのであれば、莉菜としては集中力が続いたほうだ。
私も真希も特に咎めることなく、莉菜が取り出した雑誌に目をやった。バレーボールの専門雑誌だ。
「これこれ」
莉菜が表紙の右下を指さした。新たなスター誕生の予感という文字と一緒に真顔の真希が写っている。
「うげ」
真希が露骨に嫌そうな表情をし、それを見て莉菜が笑う。
「そんな顔するなよ。実際あの大会で一番だっただろ、真希が」
莉菜が雑誌をぱらぱらとめくり、あるページを広げて机の上に置いた。そこには試合中の真希の写真が二ページに渡って多数掲載されていた。さらに試合の流れが事細かに書かれている。
「こんなに載るんだ」
事前に真希に掲載の許可は取っていたのであろうが、こんなに載るとは思っていなかったのか、真希が顔をしかめている。
「次のページなんか、一ページ丸々使って試合後のインタビューが載ってるぞ」
莉菜の言葉通り、試合後に撮影された真希の写真が一枚と文字がぎっしり詰まっていた。写真の中の真希は少し機嫌が悪そうだ。
「まだ中学一年生、将来が楽しみだ。ゆくゆくは日本バレー界を牽引する選手になるだろう、だって」
莉菜が我がことのように嬉しそうに内容を読み上げている。そんなに言われると、なんだか私まで嬉しくなってきてしまう。
「大げさすぎ。ただの中学生だよ」
真希がもうやめてくれと言わんばかりの口調でそっぽを向いてしまった。
「大げさじゃないよ。私も莉菜もそう思ってる。なんならこの記者以上にね」
「もしかして、負けたことまだ気に病んでんのか?」
「……悪い?」
真希が少し顔を赤らめた。
「勉強なんて必要か?」
勉強再開後、ものの五分もしないうちに莉菜の手が止まり喋り始めた。集中力は完全に切れているようだ。
「できたほうがいいでしょ」
私の言葉に真希が頷いた。
「中学は義務教育なんだから、勉強できなくても問題ないよな?」
「高校いくのに必要でしょ」
「バレー強い学校なら推薦でいけるんだろ、よく知らないけど」
「そうかもしれないけど……」
「高校でもテストはあるんだろうし、今の段階でつまずいていたら高校で留年するでしょ」
それまで黙って勉強していた真希が口を挟んだ。
「それに将来働くときに簡単な英語とか計算ができないと困るんじゃない、働いたことないからよく分からないけど」
莉菜が目をぱちくりさせた。
「私はプロを目指してるから勉強とかいいよ。真希は目指してないのか」
プロ。莉菜はどこまで本気なんだろうか。純粋な子供の夢、大人はそう思うだろうが、莉菜は真剣そのものだ。ただ……。
「なれたらいいなと思ってるよ。プロじゃなくて実業団だけど」
日本にプロ制度はない。働きながらバレーを続けていくことになるだろう。
「バレーだけで食べていくことができない以上、勉強くらいしておかないとなんにもできなくなっちゃう。怪我で現役引退とかもありえるし」
「いろいろ考えてるんだなあ」
莉菜があまり考えていないだけだと思う。かくいう私もぼんやりと医者になれたらなあとしか考えていない。最近の真希には感心させられてばかりだ。
「英語は勉強しておいたほうがいいよ」
真希の突然のアドバイスに私と莉菜は顔を見合わせた。
「将来海外に渡るとき、役に立つ」
莉菜がなるほど、と言って勢いよくシャーペンを握り教科書と向かい合った。
それを見て私と真希は小さく笑った。
その後のテストで莉菜は英語だけ平均点を取った。
今度の大会のスタメンが決まった。二年生からは部長と副部長。一年生からは真希と莉菜と私。もう一人、セッターとして犬飼さん。たしか下の名前は良子。犬飼さんとは中学生になってから知り合った人で、まだあまり話したことがない。
一年生から四人も選ばれたことで、二年生から冷ややかな目で見られることが多くなった気もするが、そんなことはどうでもよかった。ようやく、真希と莉菜と試合に出られる。真希のあの試合を見た日からずっと願っていたことだ。真希と莉菜とで勝って勝って、勝ち続ける。そして夏には全国を制する。その第一歩だ。
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