【本編完結】明日はあなたに訪れる

ぶんゆ

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「…………」

「ゆきのいない世界は俺にとってあまりにも辛く意味のないものだった。…ただそれだけの話だよ」

ひとつ唾を飲み込んで、そのまま身動きが取れなくなった俺に向かってその人は微笑む。

「別に、話を聞いてもらって何かしてもらいたいわけじゃないんだよ。
これは絶対に美談なんかじゃないし、俺は1人の父親と2人の母親を泣かせて押し切って、ここにやって来たろくでもない人間だしね」

いつの間にか沈みかけてきた太陽の光に照らされ、眩しく輝く髪に包まれたその微笑みは、晴れやかという言葉がよく似合う。

「この制度がゆきがいなくなってから整備されて、それからずっとこうしようって考えてたんだけど周りの人があまりにも止めてくれるもんだから。もう30になっちゃった。はは……幸せなことなんだろうけどね。
ゆきはしっかり者だけど寂しがり屋だからこれ以上待たせたくないんだ」

「あの…」

「ん?なあに」

「その、なんていうか、…いいん、ですか?俺に、心臓くれること」

全くうまく言えないけれど、自分で死を選ぶことを決してしなかった理央さんが、この制度を使うというのがどうしても引っかかった。

「うん、いいんだよ。まあ、屁理屈っぽいんだけどさ。コレなら「殺す」訳ではないような気がするんだ。
膵臓は誰であろうとやれないけど、心臓は違うし?
それに、これなら、ゆきの所に行ったときあんまり怒られないかなって思うんだ。きっとあっちで会ったら怒られるし泣かれるかもしれないけどね、すぐ許してくれる気がする。___特に、君にあげるなら」

「お、れ?」


聞き返すと、目を細めて鼻の奥でんふふと笑われる

「…さ、そろそろ部屋に戻った方がいいんじゃないかな?
長々と話しちゃってごめんね」

俺の疑問に答えてくれるつもりはないようで、椅子を鳴らして立ち上がる。

「いえ、こちらこそ…」

釈然としないまま、お礼を言わねばと慌てて立ち上がる。

「あ、ほら、また急に立ち上がって。危ないよ?」

「大丈夫です。ありがとうございます」

最初であった時からやけに気にしてくれる。受け止められるようにさりげなく手まで差し出されている。

「そうだ、部屋まで送らせてくれない?」

「そんな、そこまでしてもらうわけには…。逆に俺が玄関まで見送りますよ」

「お願い、最初で最後のお願いだよ~」

「う゛…」

美形に手を合わせてお願いされて、絆されてしまうのは一般人なら仕方ないと思う。なにより軽く口に出された「最後」の重みが違う。


***

「あ、ここです。107号室…。すいません、結局…」

「いやいや、こっちこそわがまま聞いてもらってごめんね」

結局着いてきてもらった病室の前で、本当に最後の挨拶をする。
頭を下げようとすると、おでこを抑えられて止められてしまった。


「元気で、長生きしてね」

「………」

なんと答えるのが正解なのか、分からなかった。
無言の俺の頭をそっと撫でて、その大きな手が離れていくのを待ってゆっくりと頭を下げた。

理央さんも真似するようにゆっくりと頭を下げた。



「あ、そうだ。最後に一つ聞いてもいい?」

彼に背を向けてドアに手をかけたとき、思い出したような声が背中にかけられた。

「なんですか?」

「お父さんって今、おいくつかな?」

予想外すぎる。

「え、っと…俺の父は今年43ですけど…?」

「そっか…。ありがとう!
 
 今度こそ、さようなら、だね」

そう言うと俺の背を軽く押して、中に入るように促した。
ドアを開けて中に踏み入れ、振り向くとそこにもう姿はなかった。
最後の最後に変に気になる問いを残して、彼との短い触れ合いは終わった。


「……ただいま、母さん父さん」

「おや、おかえり」
「おかえり、__亜緒生」





病室の扉が完全にしまったのを確認して、張り付いていた壁からそっと離れる。
数年ちょっとじゃ病院の造りも変わらない。ここは大抵の病室で死角になる。入院中、ゆきが隠れていて驚かされたことが何回あったことか。
びっくりした顔をすると、いたずらっ子のように嬉しそうに笑っていた。


「…………」

扉の横の壁に貼られたプレートを5秒見上げ、くるりと踵を返した。


コッコッコッ…

「…43歳かあ…。お兄さんと14も離れてたんだねえ、…ゆき」


薄暗い病院の廊下を静かに静かに、進んでいった。




『107号室
  石尾 亜緒生 様』
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