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麗しき温泉姫
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「かんちゃん、まだかしらねー?」
ゆめこは運転しながら、横で携帯の地図とにらめっこしながら悪戦苦闘している恋人のかんちゃんに声をかけた。
かんちゃんはバツが悪そうにゆめこを見た。
「う、うん…確かにこの道で合ってるはずなんだけど…ごめんね、ゆめちゃん」
ゆめこはサングラス越しに首を振った。
「ううん、いいのよ…初めての場所だから仕方ないしね、かんちゃん、調べてくれて有難う」
ゆめこはもうすぐ40歳になる広告会社のキャリアウーマンで、スポーツカーを運転するかっこいい、そして美人な女だが、異性関係に関しては奥手で、実はかんちゃんが初めての男だった。
会社の誰しもが、ゆめこは毎晩取っ替え引っ替え男をはべらせていると思い込んでいるが、全くの勘違いであった。
ゆめこは男を知らないことを隠すつもりは無かったが、いつの間にか噂が独り歩きしてしまい、気付くと社内中に広まっていたので、否定するタイミングを失ってしまった。
ゆめこは心の中で大きくため息をつくと、助手席に座るかんちゃんを見つめた。
かんちゃんはまだ20代前半であるから、ゆめことはかなりの歳の差がある。
雑誌のモデルをやっているだけあって、かなりのイケメンであり、中性的な魅力も相まって人気を呼んでおり、ブレイク間違い無しと言われていた。
ゆめこはかんちゃんが大好きだったが、私のせいでかんちゃんが未来を絶たれたらと気が気では無く、激しいジレンマに襲われていた。
そんなかんちゃんはゆめこに同情的だった。
キレル女の代名詞のようなゆめこは、かんちゃんが病気の時は疲れていても寝ずに看病してくれる家庭的な女性で、自分以外に男を知らないはずであるのに、何故、色情狂のように言われているのか、気の毒だったのだ。
かんちゃんがゆめこと知り合ったのは、ゆめこが勤める会社に広告モデルとしてやって来た時である。
ゆめこは部下には的確な指示を出し、上司には模範的な提言をする、デキル女に見えたが、かんちゃんには不器用な女性ではないかと思えた。
いや、決して不器用では無いはずなのだか、何となく人生を下手くそに渡っているように感じたのだ。
かんちゃんが確信したのは、ゆめこがかんちゃんにコーヒーが入ったカップを渡そうとした際、かんちゃんが受け取る前に手から離し、落としてしまった時である。
ゆめこはかなり動揺し、しつこいくらい、何度もかんちゃんに謝った。
逆にかんちゃんはゆめこが熱いコーヒーで火傷をしていないか心配になり、手を差し伸べると、2人の手が触れ合ってしまったのだが、途端にゆめこは顔を真っ赤にさせ、潤んだ眼でかんちゃんを見つめたため、かんちゃんはハッとしたのだ。
この女性は恋に対して不器用なのだと。
ゆめこはうまく隠したつもりだったようだが、かんちゃんには、ゆめこが自分に惚れていることが一目瞭然だった。
だが、他の人間は気付いていないようだったので、かんちゃんも知らぬ振りをしていた。
ちなみにかんちゃんは、モデルの前はホストをやっていたこともあり、沢山の女性を渡り歩いて来た女性のことに関してはいっぱしの男であったが、ゆめこにはホストであったことは今でも黙っていた。
ゆめこに母性本能をくすぐられたかんちゃんもゆめこに好意を抱いたのだが、ゆめこがスポーツカーに乗っていることを知ると、渡りに船と思い、運転免許を持っていないので、自宅まで送ってくれませんか?とこっそり言うと、ゆめこはさらに顔を真っ赤にさせ、はい、と一言だけ言い、頷いた。
何て可愛らしい女性なんだ…かんちゃんはゆめこにいじらしさを感じた。
そんなこんなで2人は付き合うことになるのだが、かんちゃんはゆめこの自尊心を傷付けないように、自分がゆめこを誘い入れたように振る舞うと、ゆめこはホッとしているようだった。
そして、ゆめこは知らない振りをしていたものの、かんちゃんは自分がゆめこにとって初めての男だと分かったが、もちろんゆめこには何も聞かず、やはり知らない振りをした。
ただ、かんちゃんにとって自分は初めての女ではないか?とゆめこは思っているのでは、と、かんちゃんは感じていた。
「かんちゃん、あれじゃない?あそこに姫湯って書いてある看板があるけど…」
車を停めたゆめこが指差す方向には確かに湯気が上がっていて、温泉があるように見えた。
かんちゃんはうなるように言った。
「そう!あれだよ!間違いないよ!さすが、ゆめちゃん!」
ゆめこは照れると、車を走らせた。
お互い忙しかった2人は久々に旅行に出て、かんちゃんが探した姫湯という温泉に向かったのだった。
しかし、温泉と言っても、足湯であることが分かり、かんちゃんは謝ったが、ゆめこは首を振って、ニッコリと笑った。
2人は仲良く足をつけ、楽しく話した。
考えてみれば親子ほども違う歳の2人が付き合っている訳だが、ゆめこは歳よりもだいぶ若く見えたし、かんちゃんはかなり落ち着いていたので、周囲から見ると自然体に映った。
ただ、2人が付き合っていることは秘密だった。
「ねぇ、かんちゃん」
ゆめこが改まって、かんちゃんに尋ねた。
「私ってさ、かんちゃんから見れば、だいぶ年上じゃない?…」
かんちゃんは、またかと言って、ゆめこを見つめた。
「ゆめちゃん、僕はね、歳なんか気にしてないよ。ただゆめちゃんが好きなだけなんだからさ」
ゆめこは、うん、有難うと言って、かんちゃんの肩にもたれかかった。
2人はしばらく黙っていた。
辺りは足湯のお湯が流れる音が響くだけで、静まり返っていた。
すると、足湯からブクブクと音がし出したので、ゆめことかんちゃんは驚いて抱き合うと、湯の底から何かが浮いて来たではないか。
初め、カラフルな布切れかと思ったのだが、次第に半端無い泡であふれかえったので、これはただごとではないと、2人は恐れおののき、湯から足を出そうとしたが、くぎを打ち込まれたように全く動かず、観念して、じっと湯の中を凝視していた。
すると、人の形のような物体が見え、やがて、頭らしきものが飛び出して来た。
「か、かんちゃん!」
「ゆめちゃん、大丈夫だよ!」
2人はかなり動揺しつつ、見据えていると、目の前に現れたのは、まるで「浦島太郎」に出て来る竜宮城の乙姫様みたいな女性だった。
2人は派手な人だなぁと思ったが、かんちゃんはゆめこに聞こえないように、「綺麗な人だぁ…」とつぶやいた。
女性は2人をじっと見つめて何も言わなかったので、しびれを切らしたかんちゃんが口を開いた。
「あなたは誰ですか?マリリン・モンローじゃないですよね?」
女性は首をかしげていたが、やがてニッコリと笑うと、話し始めた。
「わたくし、マリ何とかでは無く、この温泉に長らく住んでいる温泉姫と言います」
かんちゃんはフフッと笑って、言った。
「随分、小さな所にお住みなんですね。ここは温泉と言うにはちょっと…足を入れるくらいが関の山で、これからは足湯姫と名乗られた方が良いかと思います」
ゆめこは、慌ててかんちゃんを制した。
「かんちゃん、失礼よ。確かに狭い場所だけど、このかたはお姫様なのよ。立派な服を着ているし、高貴な身分で間違いないと思うわよ…申し訳ありません」
ゆめこが謝ると、足湯…では無く、温泉姫はまた首をかしげた。
「足湯とか高貴とか、意味が分かりませんが、わたくし、あなたがたにお会い出来て、嬉しく思います。この温泉にはしばらく人が寄り付かなくて、寂しく感じておりましたが、ようこそお越し下さいました。おぉ、お2人はご夫婦ですか?」
かんちゃんは笑いながら手を横に振って否定したが、ゆめこは少し笑うと、顔を真っ赤にした。
温泉姫はゆめこが恥ずかしそうにしているのを見て、着ている振袖で口元を隠してフフフと笑うと、2人を見つめて言った。
「あなたがたと出会ったのも何かの縁ですから、良ければ、わたくしがお2人の願いをかなえてしんぜましょう」
しんぜましょうとは、時代劇か?と内心、かんちゃんは思ったが、ゆめこに心を読まれ、軽くにらまれると、肩をすくめた。
そして、温泉姫はまずゆめこを見て、うながした。
「遠慮はいりませんよ。何でも言って下さいまし…あ、言わなくても大丈夫です。あなたがたの思っていることは全て分かりますので…」
と言って、かんちゃんをまじまじと見つめたので、温泉姫のことを心の中で馬鹿にしまくっていたかんちゃんは少し気まずい顔をした。
そんなかんちゃんを尻目にゆめこは頭を巡らしていたが、願い事が決まったので、目を閉じて、念じた。
ゆめこが何も言わないので、かんちゃんは意味深な目付きでゆめこを見つめていたが、やがて目を開いたゆめこはかんちゃんを見た。
そんな中、温泉姫はにこやかな笑顔を絶やさず、2人に代わる代わる視線を送っていた。
ゆめこはかんちゃんを見つめたまま、口を開いた。
「かんちゃん、目を閉じてくれる?」
かんちゃんはいぶかしげにゆめこを見て、頷くと、目をつむった。
数十秒後、目を開けると、かんちゃんはアッと驚いた。
かんちゃんの目の前にはゆめこがいたのだが、かんちゃんはにわかに信じられなかなった。
それもそのはず、ゆめこは髪を金色に染め、へそが見える丈の短い服を着ており、さらにミニスカート姿で、厚底ブーツを履いていた。
本当にゆめこか?とかんちゃんはマジマジと見つめると、ゆめこは恥ずかしそう…いや、呆れたようにかんちゃんを見据えた。
「かんちゃん、何、ジロジロ見てんの?あたいは、あんたの彼女のゆめこよ。でもさ、歳は20歳だし、こんななりだから分かんなくてもしょうがないわね。どう、あたい?」
かんちゃんは初め戸惑っていたが、やがて吹き出した。
「そっか、若い頃のゆめちゃんか!さては、若くして欲しいと姫様に頼んだな…しかし、随分と目立つ格好してるな。そんなにお腹出してると、風邪ひくよ。足も冷たいでしょ」
そう言って、かんちゃんはゆめこの足に触ろうとすると、ゆめこは思い切りかんちゃんの頬を平手打ちした。
「何すんだよ、ゆめちゃん!俺たち、付き合ってるんだぜ。足くらい触っても問題無いだろ」
かんちゃんが怒鳴ると、ゆめこはニヤニヤ笑って言った。
「かんちゃん、あたいはそんなやわな女じゃないよ。好きな男にだって足を触らせたことなんかないんだから」
「ゆめちゃん、好きな人、いたの?」
ゆめこはエッと言って、少し戸惑ったが、大きく頷いた。
「あたぼうよ!かんちゃんと出会うまで、何人の男と付き合って来たと思ってるの?両手じゃ足りないわよ」
かんちゃんはポカンとなったが、やがてゆめこを見つめて、言った。
「そ、そうなの!そっか、ゆめちゃんクラスなら、あたぼうだね…いゃあ、俺、光栄だよ!」
(背伸びするな、ゆめちゃん。ゆめちゃんの初めての男は…)
すると、黙って聞いていた温泉姫が急に口を開いた。
「ゆめこさん、どうですか、若返った気分は?」
ゆめこは目を輝かせながら、温泉姫を見つめた。
「お姫さん、あたい、嬉しいよ。まさかマジで20歳に戻れるなんてさ。サンキュー!」
ゆめこはそう言って、今度はかんちゃんに声を掛けた。
「かんちゃん!これが20歳のあたいだよ。やっぱり若い方がいいよね?これでかんちゃんも気兼ねなく付き合えるでしょ?」
かんちゃんはゆめこの言葉を聞いて、真面目な顔になった。
「気兼ねなくって、どういう意味?」
ゆめこはニコニコ笑いながら、言った。
「そりゃあ、歳取ったあたいよりも、裏若き乙女時代のあたいがいいでしょ?」
かんちゃんは不機嫌な顔をした。
「裏若き乙女?何言ってるの?俺はありのままのゆめちゃんで良かったんだよ」
ゆめこは驚いた。
「はぁ?マジ?いやいや、若い方がいいに決まってるじゃん。かんちゃん、熱、あるんじゃない?」
かんちゃんはますます不愉快な顔をした。
「若い時のゆめちゃんだか何だか知らないけど、俺の好きなゆめちゃんはあんたみたいな人じゃないよ!」
ゆめこはかんちゃんが真剣な眼差しをしているので、信じられないという顔をした。
「それ、マジな話なの?ねぇ、かんちゃん、目、覚ましなよ!おかしいよ。若いあたいの方がいいと思って、かんちゃんのためにお姫さんに願って、20歳にして貰ったのに…」
そう言い終えると、ゆめこは急に悲しい顔になり、下を向き、号泣し出した。
すると、かんちゃんは温泉姫を見て、言った。
「姫様、俺の願いもかなえてくれるのかな?」
温泉姫はにこやかな笑みを絶やさずに、かんちゃんの方を向き、頷いた。
かんちゃんも頷いて、目を閉じた。
温泉姫はじっとかんちゃんを見据えていたが、やがて、かんちゃんが目を開くと、よりにこやかな顔になった。
そして、温泉姫は泣きじゃくるゆめこの手を取ると、かんちゃんの手に添えてあげた。
かんちゃんはゆっくりとゆめこを見ると、優しく笑った。
「やっぱりゆめちゃんは今の方がいいよ」
ゆめこは涙を流しながら顔を上げると、ハッとした。
「か、かんちゃん、私…」
かんちゃんは再び笑った。
「そう、姫様に40代のゆめちゃんに戻してとお願いしたんだよ…お帰り、ゆめちゃん」
ゆめちゃんはかんちゃんに思う存分、抱きついた。
すると、にこやかな笑顔だった温泉姫が突然、気味悪くうなったかと思うと、その顔は若き日のゆめこに取って代わっていた。
ゆめことかんちゃんは面食らい、何も言えなくなってしまったが、温泉姫…では無く、若ゆめこが現ゆめこに襲いかかった。
現ゆめこは若ゆめこの馬鹿力によってはがいじめにされ、かんちゃんが振りほどこうとすると、ワオーッと雄叫びを上げた若ゆめこによって蹴りを入れられたかんちゃんが吹っ飛ぶと、若ゆめこは現ゆめこを足湯の中に引き込もうとした。
起き上がったかんちゃんは、泣き叫ぶ現ゆめこの足をつかみながら足湯に入った若ゆめこに突進したが、思い切り振られた振袖をぶつけられ、またもや遠くまで放り投げられる形となった。
「かんちゃーん!」
「ゆめちゃーん!」
ドス黒い顔に変貌した若ゆめこは現ゆめこを足湯に引き込み、再び現れることは無かった。
「かんちゃん、かんちゃん…」
かんちゃんは起こされた。
気付くと、運転席には40代のゆめこが座っていて、車を停めて、かんちゃんに声を掛けていた。
かんちゃんは夢を見ていた。
手には携帯は無く、ハンドルのすぐ横にはナビがついていた。
かんちゃんはあくびをすると、謝った。
「ごめん、ゆめちゃん、ここは?」
ゆめこはサングラスを上げて、呆れたように言った。
「どこって…かんちゃんが言ってた温泉のすぐ近くよ。ほら、あそこに見えるのが、その温泉だと思うけど…」
確かにゆめこが指差す方向には湯気が立ち上っていた。
「じゃあ、行ってみる?」
ゆめこに聞かれたかんちゃんは間髪入れず、首を横に振った。
ゆめこはしばらくかんちゃんを見つめていたが、やがてため息をつくと、車をスタートさせた。
その後、ゆめこと同棲生活を始めたかんちゃんはたまに夢を見る。
毎回決まって足湯から現れる振袖姿の若きゆめこに襲われた。
そして、足湯に引き込まれてしまい、真っ暗な闇に包まれたところで目を覚ますのだが、横を見ると、ゆめこが反対側を向いて寝ており、やがてクルリとこちらに顔を向け、キスをしてくる。
髪は金髪…かんちゃんは叫ぶが、カツラだ。
「かんちゃん、どうしたの?金髪のあたい…じゃなかった、私じゃダメ?」
かんちゃんは首を横に振り、ため息をつくと、再び目を閉じるのだった。
ゆめこは運転しながら、横で携帯の地図とにらめっこしながら悪戦苦闘している恋人のかんちゃんに声をかけた。
かんちゃんはバツが悪そうにゆめこを見た。
「う、うん…確かにこの道で合ってるはずなんだけど…ごめんね、ゆめちゃん」
ゆめこはサングラス越しに首を振った。
「ううん、いいのよ…初めての場所だから仕方ないしね、かんちゃん、調べてくれて有難う」
ゆめこはもうすぐ40歳になる広告会社のキャリアウーマンで、スポーツカーを運転するかっこいい、そして美人な女だが、異性関係に関しては奥手で、実はかんちゃんが初めての男だった。
会社の誰しもが、ゆめこは毎晩取っ替え引っ替え男をはべらせていると思い込んでいるが、全くの勘違いであった。
ゆめこは男を知らないことを隠すつもりは無かったが、いつの間にか噂が独り歩きしてしまい、気付くと社内中に広まっていたので、否定するタイミングを失ってしまった。
ゆめこは心の中で大きくため息をつくと、助手席に座るかんちゃんを見つめた。
かんちゃんはまだ20代前半であるから、ゆめことはかなりの歳の差がある。
雑誌のモデルをやっているだけあって、かなりのイケメンであり、中性的な魅力も相まって人気を呼んでおり、ブレイク間違い無しと言われていた。
ゆめこはかんちゃんが大好きだったが、私のせいでかんちゃんが未来を絶たれたらと気が気では無く、激しいジレンマに襲われていた。
そんなかんちゃんはゆめこに同情的だった。
キレル女の代名詞のようなゆめこは、かんちゃんが病気の時は疲れていても寝ずに看病してくれる家庭的な女性で、自分以外に男を知らないはずであるのに、何故、色情狂のように言われているのか、気の毒だったのだ。
かんちゃんがゆめこと知り合ったのは、ゆめこが勤める会社に広告モデルとしてやって来た時である。
ゆめこは部下には的確な指示を出し、上司には模範的な提言をする、デキル女に見えたが、かんちゃんには不器用な女性ではないかと思えた。
いや、決して不器用では無いはずなのだか、何となく人生を下手くそに渡っているように感じたのだ。
かんちゃんが確信したのは、ゆめこがかんちゃんにコーヒーが入ったカップを渡そうとした際、かんちゃんが受け取る前に手から離し、落としてしまった時である。
ゆめこはかなり動揺し、しつこいくらい、何度もかんちゃんに謝った。
逆にかんちゃんはゆめこが熱いコーヒーで火傷をしていないか心配になり、手を差し伸べると、2人の手が触れ合ってしまったのだが、途端にゆめこは顔を真っ赤にさせ、潤んだ眼でかんちゃんを見つめたため、かんちゃんはハッとしたのだ。
この女性は恋に対して不器用なのだと。
ゆめこはうまく隠したつもりだったようだが、かんちゃんには、ゆめこが自分に惚れていることが一目瞭然だった。
だが、他の人間は気付いていないようだったので、かんちゃんも知らぬ振りをしていた。
ちなみにかんちゃんは、モデルの前はホストをやっていたこともあり、沢山の女性を渡り歩いて来た女性のことに関してはいっぱしの男であったが、ゆめこにはホストであったことは今でも黙っていた。
ゆめこに母性本能をくすぐられたかんちゃんもゆめこに好意を抱いたのだが、ゆめこがスポーツカーに乗っていることを知ると、渡りに船と思い、運転免許を持っていないので、自宅まで送ってくれませんか?とこっそり言うと、ゆめこはさらに顔を真っ赤にさせ、はい、と一言だけ言い、頷いた。
何て可愛らしい女性なんだ…かんちゃんはゆめこにいじらしさを感じた。
そんなこんなで2人は付き合うことになるのだが、かんちゃんはゆめこの自尊心を傷付けないように、自分がゆめこを誘い入れたように振る舞うと、ゆめこはホッとしているようだった。
そして、ゆめこは知らない振りをしていたものの、かんちゃんは自分がゆめこにとって初めての男だと分かったが、もちろんゆめこには何も聞かず、やはり知らない振りをした。
ただ、かんちゃんにとって自分は初めての女ではないか?とゆめこは思っているのでは、と、かんちゃんは感じていた。
「かんちゃん、あれじゃない?あそこに姫湯って書いてある看板があるけど…」
車を停めたゆめこが指差す方向には確かに湯気が上がっていて、温泉があるように見えた。
かんちゃんはうなるように言った。
「そう!あれだよ!間違いないよ!さすが、ゆめちゃん!」
ゆめこは照れると、車を走らせた。
お互い忙しかった2人は久々に旅行に出て、かんちゃんが探した姫湯という温泉に向かったのだった。
しかし、温泉と言っても、足湯であることが分かり、かんちゃんは謝ったが、ゆめこは首を振って、ニッコリと笑った。
2人は仲良く足をつけ、楽しく話した。
考えてみれば親子ほども違う歳の2人が付き合っている訳だが、ゆめこは歳よりもだいぶ若く見えたし、かんちゃんはかなり落ち着いていたので、周囲から見ると自然体に映った。
ただ、2人が付き合っていることは秘密だった。
「ねぇ、かんちゃん」
ゆめこが改まって、かんちゃんに尋ねた。
「私ってさ、かんちゃんから見れば、だいぶ年上じゃない?…」
かんちゃんは、またかと言って、ゆめこを見つめた。
「ゆめちゃん、僕はね、歳なんか気にしてないよ。ただゆめちゃんが好きなだけなんだからさ」
ゆめこは、うん、有難うと言って、かんちゃんの肩にもたれかかった。
2人はしばらく黙っていた。
辺りは足湯のお湯が流れる音が響くだけで、静まり返っていた。
すると、足湯からブクブクと音がし出したので、ゆめことかんちゃんは驚いて抱き合うと、湯の底から何かが浮いて来たではないか。
初め、カラフルな布切れかと思ったのだが、次第に半端無い泡であふれかえったので、これはただごとではないと、2人は恐れおののき、湯から足を出そうとしたが、くぎを打ち込まれたように全く動かず、観念して、じっと湯の中を凝視していた。
すると、人の形のような物体が見え、やがて、頭らしきものが飛び出して来た。
「か、かんちゃん!」
「ゆめちゃん、大丈夫だよ!」
2人はかなり動揺しつつ、見据えていると、目の前に現れたのは、まるで「浦島太郎」に出て来る竜宮城の乙姫様みたいな女性だった。
2人は派手な人だなぁと思ったが、かんちゃんはゆめこに聞こえないように、「綺麗な人だぁ…」とつぶやいた。
女性は2人をじっと見つめて何も言わなかったので、しびれを切らしたかんちゃんが口を開いた。
「あなたは誰ですか?マリリン・モンローじゃないですよね?」
女性は首をかしげていたが、やがてニッコリと笑うと、話し始めた。
「わたくし、マリ何とかでは無く、この温泉に長らく住んでいる温泉姫と言います」
かんちゃんはフフッと笑って、言った。
「随分、小さな所にお住みなんですね。ここは温泉と言うにはちょっと…足を入れるくらいが関の山で、これからは足湯姫と名乗られた方が良いかと思います」
ゆめこは、慌ててかんちゃんを制した。
「かんちゃん、失礼よ。確かに狭い場所だけど、このかたはお姫様なのよ。立派な服を着ているし、高貴な身分で間違いないと思うわよ…申し訳ありません」
ゆめこが謝ると、足湯…では無く、温泉姫はまた首をかしげた。
「足湯とか高貴とか、意味が分かりませんが、わたくし、あなたがたにお会い出来て、嬉しく思います。この温泉にはしばらく人が寄り付かなくて、寂しく感じておりましたが、ようこそお越し下さいました。おぉ、お2人はご夫婦ですか?」
かんちゃんは笑いながら手を横に振って否定したが、ゆめこは少し笑うと、顔を真っ赤にした。
温泉姫はゆめこが恥ずかしそうにしているのを見て、着ている振袖で口元を隠してフフフと笑うと、2人を見つめて言った。
「あなたがたと出会ったのも何かの縁ですから、良ければ、わたくしがお2人の願いをかなえてしんぜましょう」
しんぜましょうとは、時代劇か?と内心、かんちゃんは思ったが、ゆめこに心を読まれ、軽くにらまれると、肩をすくめた。
そして、温泉姫はまずゆめこを見て、うながした。
「遠慮はいりませんよ。何でも言って下さいまし…あ、言わなくても大丈夫です。あなたがたの思っていることは全て分かりますので…」
と言って、かんちゃんをまじまじと見つめたので、温泉姫のことを心の中で馬鹿にしまくっていたかんちゃんは少し気まずい顔をした。
そんなかんちゃんを尻目にゆめこは頭を巡らしていたが、願い事が決まったので、目を閉じて、念じた。
ゆめこが何も言わないので、かんちゃんは意味深な目付きでゆめこを見つめていたが、やがて目を開いたゆめこはかんちゃんを見た。
そんな中、温泉姫はにこやかな笑顔を絶やさず、2人に代わる代わる視線を送っていた。
ゆめこはかんちゃんを見つめたまま、口を開いた。
「かんちゃん、目を閉じてくれる?」
かんちゃんはいぶかしげにゆめこを見て、頷くと、目をつむった。
数十秒後、目を開けると、かんちゃんはアッと驚いた。
かんちゃんの目の前にはゆめこがいたのだが、かんちゃんはにわかに信じられなかなった。
それもそのはず、ゆめこは髪を金色に染め、へそが見える丈の短い服を着ており、さらにミニスカート姿で、厚底ブーツを履いていた。
本当にゆめこか?とかんちゃんはマジマジと見つめると、ゆめこは恥ずかしそう…いや、呆れたようにかんちゃんを見据えた。
「かんちゃん、何、ジロジロ見てんの?あたいは、あんたの彼女のゆめこよ。でもさ、歳は20歳だし、こんななりだから分かんなくてもしょうがないわね。どう、あたい?」
かんちゃんは初め戸惑っていたが、やがて吹き出した。
「そっか、若い頃のゆめちゃんか!さては、若くして欲しいと姫様に頼んだな…しかし、随分と目立つ格好してるな。そんなにお腹出してると、風邪ひくよ。足も冷たいでしょ」
そう言って、かんちゃんはゆめこの足に触ろうとすると、ゆめこは思い切りかんちゃんの頬を平手打ちした。
「何すんだよ、ゆめちゃん!俺たち、付き合ってるんだぜ。足くらい触っても問題無いだろ」
かんちゃんが怒鳴ると、ゆめこはニヤニヤ笑って言った。
「かんちゃん、あたいはそんなやわな女じゃないよ。好きな男にだって足を触らせたことなんかないんだから」
「ゆめちゃん、好きな人、いたの?」
ゆめこはエッと言って、少し戸惑ったが、大きく頷いた。
「あたぼうよ!かんちゃんと出会うまで、何人の男と付き合って来たと思ってるの?両手じゃ足りないわよ」
かんちゃんはポカンとなったが、やがてゆめこを見つめて、言った。
「そ、そうなの!そっか、ゆめちゃんクラスなら、あたぼうだね…いゃあ、俺、光栄だよ!」
(背伸びするな、ゆめちゃん。ゆめちゃんの初めての男は…)
すると、黙って聞いていた温泉姫が急に口を開いた。
「ゆめこさん、どうですか、若返った気分は?」
ゆめこは目を輝かせながら、温泉姫を見つめた。
「お姫さん、あたい、嬉しいよ。まさかマジで20歳に戻れるなんてさ。サンキュー!」
ゆめこはそう言って、今度はかんちゃんに声を掛けた。
「かんちゃん!これが20歳のあたいだよ。やっぱり若い方がいいよね?これでかんちゃんも気兼ねなく付き合えるでしょ?」
かんちゃんはゆめこの言葉を聞いて、真面目な顔になった。
「気兼ねなくって、どういう意味?」
ゆめこはニコニコ笑いながら、言った。
「そりゃあ、歳取ったあたいよりも、裏若き乙女時代のあたいがいいでしょ?」
かんちゃんは不機嫌な顔をした。
「裏若き乙女?何言ってるの?俺はありのままのゆめちゃんで良かったんだよ」
ゆめこは驚いた。
「はぁ?マジ?いやいや、若い方がいいに決まってるじゃん。かんちゃん、熱、あるんじゃない?」
かんちゃんはますます不愉快な顔をした。
「若い時のゆめちゃんだか何だか知らないけど、俺の好きなゆめちゃんはあんたみたいな人じゃないよ!」
ゆめこはかんちゃんが真剣な眼差しをしているので、信じられないという顔をした。
「それ、マジな話なの?ねぇ、かんちゃん、目、覚ましなよ!おかしいよ。若いあたいの方がいいと思って、かんちゃんのためにお姫さんに願って、20歳にして貰ったのに…」
そう言い終えると、ゆめこは急に悲しい顔になり、下を向き、号泣し出した。
すると、かんちゃんは温泉姫を見て、言った。
「姫様、俺の願いもかなえてくれるのかな?」
温泉姫はにこやかな笑みを絶やさずに、かんちゃんの方を向き、頷いた。
かんちゃんも頷いて、目を閉じた。
温泉姫はじっとかんちゃんを見据えていたが、やがて、かんちゃんが目を開くと、よりにこやかな顔になった。
そして、温泉姫は泣きじゃくるゆめこの手を取ると、かんちゃんの手に添えてあげた。
かんちゃんはゆっくりとゆめこを見ると、優しく笑った。
「やっぱりゆめちゃんは今の方がいいよ」
ゆめこは涙を流しながら顔を上げると、ハッとした。
「か、かんちゃん、私…」
かんちゃんは再び笑った。
「そう、姫様に40代のゆめちゃんに戻してとお願いしたんだよ…お帰り、ゆめちゃん」
ゆめちゃんはかんちゃんに思う存分、抱きついた。
すると、にこやかな笑顔だった温泉姫が突然、気味悪くうなったかと思うと、その顔は若き日のゆめこに取って代わっていた。
ゆめことかんちゃんは面食らい、何も言えなくなってしまったが、温泉姫…では無く、若ゆめこが現ゆめこに襲いかかった。
現ゆめこは若ゆめこの馬鹿力によってはがいじめにされ、かんちゃんが振りほどこうとすると、ワオーッと雄叫びを上げた若ゆめこによって蹴りを入れられたかんちゃんが吹っ飛ぶと、若ゆめこは現ゆめこを足湯の中に引き込もうとした。
起き上がったかんちゃんは、泣き叫ぶ現ゆめこの足をつかみながら足湯に入った若ゆめこに突進したが、思い切り振られた振袖をぶつけられ、またもや遠くまで放り投げられる形となった。
「かんちゃーん!」
「ゆめちゃーん!」
ドス黒い顔に変貌した若ゆめこは現ゆめこを足湯に引き込み、再び現れることは無かった。
「かんちゃん、かんちゃん…」
かんちゃんは起こされた。
気付くと、運転席には40代のゆめこが座っていて、車を停めて、かんちゃんに声を掛けていた。
かんちゃんは夢を見ていた。
手には携帯は無く、ハンドルのすぐ横にはナビがついていた。
かんちゃんはあくびをすると、謝った。
「ごめん、ゆめちゃん、ここは?」
ゆめこはサングラスを上げて、呆れたように言った。
「どこって…かんちゃんが言ってた温泉のすぐ近くよ。ほら、あそこに見えるのが、その温泉だと思うけど…」
確かにゆめこが指差す方向には湯気が立ち上っていた。
「じゃあ、行ってみる?」
ゆめこに聞かれたかんちゃんは間髪入れず、首を横に振った。
ゆめこはしばらくかんちゃんを見つめていたが、やがてため息をつくと、車をスタートさせた。
その後、ゆめこと同棲生活を始めたかんちゃんはたまに夢を見る。
毎回決まって足湯から現れる振袖姿の若きゆめこに襲われた。
そして、足湯に引き込まれてしまい、真っ暗な闇に包まれたところで目を覚ますのだが、横を見ると、ゆめこが反対側を向いて寝ており、やがてクルリとこちらに顔を向け、キスをしてくる。
髪は金髪…かんちゃんは叫ぶが、カツラだ。
「かんちゃん、どうしたの?金髪のあたい…じゃなかった、私じゃダメ?」
かんちゃんは首を横に振り、ため息をつくと、再び目を閉じるのだった。
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