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第1章
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ふわふわのスクランブルエッグに柔らかなクロワッサン。サラダのドレッシングはさっぱりしていて程よく塩気が効き野菜はシャキシャキだ。ソテーしたきのことソーセージの旨味がいっそう食欲をそそった。ヨーグルトにかけられたブルーベリージャムには大粒のブルーベリーがたっぷり入っていて噛むと甘酸っぱい果汁が口の中に広がる。
とりとめもない話をしながら向かい合って朝食を食べていると、あっという間に皿は空になった。
ポットで運ばれてきたコーヒーをカップに注いで、ソファにくつろぎながら味わう。カップを手にしたまま、鷹野が問いかけてきた。
「言いたくなけれれば言わなくてもいいのだけれど」
「ん?」
「夕べ、ライラで。君はとても怒っていたでしょう。あれは、彼が特定の職業に就く人をばかにしたことが許せなかったの?」
穏やかにそう問われて、柴原はくちびるを引き結んだ。昨日のあの失礼な男を思い出し、腹立たしさと悲しいような気持ちと、それから自分の感情を押さえられなかった恥ずかしさが湧き上がってくる。
「確かに、君を男娼だと決めつけたのは僕も驚いた。あんなことを言われれば誰だって怒って当然だけれど、その前からとても気分を害していたよね」
そう言われて、よく見ているなと思う。一体いつから店にいたのだろう。全く気付かなかった。
「……俺の母親は、水商売をやっていた人で」
吹聴して回る話でもないので、できれば隠していたかった。けれど、目の前の男に打ち明けてしまいたい気持ちもあって、気づけばそう話していた。
「父親はたぶん、ホスト。といっても、誰が父親なのかはっきりわからないけど」
言いながら、これは引かれたかなと思う。鷹野はたぶん、まともな……かなりいい家庭の出だろう。親はもちろん、親族にもそういう職業や生い立ちの人はいなさそうだ。これを聞いて付き合えないと思われるかもしれない。……きっと、世界が違う。
「母親はホステスして稼ぎながらほぼひとりで俺を育ててくれた。完璧な母親ではなかったけど、彼女のできる限りで愛されてたと思う。だから。昨日はああいう言い方をされて、親を馬鹿にされたみたいで、気持ちが抑えられなかった」
淡々とそう話して鷹野を見ると、鷹野は真剣に顔で柴原の話を聞いていた。その顔には同情や蔑むような色はなく、ただ事実を受け止めているだけのように見えた。
「なるほどね。それならよけい彼の言葉が腹立たしいね」
冷めかけたコーヒーを口にする。もう味は分からなかった。
「……改めて、昨日は、間に入ってくれてありがとう」
そう礼を言うと、鷹野は驚いたように数回瞬き、それからふわりと笑った。
「いいえ。僕も、あの彼の言葉を聞きたくなかったから。それに、一目見てすてきだ、話したいと思った人を連れ出す口実にもなったし。こういうのを棚から牡丹餅というのだろうね」
「え?」
「ねえ、僕は昨日の夜をとても楽しんだし、今朝のこの時間も満足しているのだけれど、君は?」
にこやかにそう問われて、柴原はおずおずと答えた。
「え……と、俺も。楽しんだ」
そう答えると、嬉しそうににっこりする。彼の周りの空気が、ぱっと華やいだように見えた。
「では、また会ってもらえるかな」
自分のバックボーンを話しながら内心「二度目はないな」と思っていた柴原は、その誘いに頬を染め、ゆっくり頷いた。
柴原の母親は恋多き女で、いつの間にか男が出来て子連れで同棲をはじめては、数カ月で別れるのを繰り返した。だから柴原の人生には、父親のようにかわいがってくれた「母の恋人」が何人もいた。基本的に皆それなりに優しかったが、その中でも一番満たされていたのが、珍しくホストではない、会社員の恋人と暮らした時期だった。彼は母が夜の仕事をすることを好まず、彼と暮らしていたときは水商売を辞めて家にいた。彼は柴原にもとても優しくて、休みの日にはあちこちに連れて行ってくれた。毎朝決まった時間にきっちりスーツを来て、黒いかばんを持ってマンションを出ていくのを見送ったことをはっきり覚えている。その生活がずっと続くことを祈ったけれど、数カ月で母と男は別れ、居心地の良かったマンションを出た。
そうして西向きの安いアパートを借りて、今度は親子二人の生活が始まった。それから間もなく、あの事件が起こったのだ。
母を思い出すとき、必ずあの彼のことも思い出す。
あの人と、自分たち親子と。三人の生活がずっと続いてたら。
繰り返し考える「もしも」は。「もしも」でしかない。
けれど、考えずにはいられない。
三人で暮らしていたら、きっとあんな目にはあわなかった。
とりとめもない話をしながら向かい合って朝食を食べていると、あっという間に皿は空になった。
ポットで運ばれてきたコーヒーをカップに注いで、ソファにくつろぎながら味わう。カップを手にしたまま、鷹野が問いかけてきた。
「言いたくなけれれば言わなくてもいいのだけれど」
「ん?」
「夕べ、ライラで。君はとても怒っていたでしょう。あれは、彼が特定の職業に就く人をばかにしたことが許せなかったの?」
穏やかにそう問われて、柴原はくちびるを引き結んだ。昨日のあの失礼な男を思い出し、腹立たしさと悲しいような気持ちと、それから自分の感情を押さえられなかった恥ずかしさが湧き上がってくる。
「確かに、君を男娼だと決めつけたのは僕も驚いた。あんなことを言われれば誰だって怒って当然だけれど、その前からとても気分を害していたよね」
そう言われて、よく見ているなと思う。一体いつから店にいたのだろう。全く気付かなかった。
「……俺の母親は、水商売をやっていた人で」
吹聴して回る話でもないので、できれば隠していたかった。けれど、目の前の男に打ち明けてしまいたい気持ちもあって、気づけばそう話していた。
「父親はたぶん、ホスト。といっても、誰が父親なのかはっきりわからないけど」
言いながら、これは引かれたかなと思う。鷹野はたぶん、まともな……かなりいい家庭の出だろう。親はもちろん、親族にもそういう職業や生い立ちの人はいなさそうだ。これを聞いて付き合えないと思われるかもしれない。……きっと、世界が違う。
「母親はホステスして稼ぎながらほぼひとりで俺を育ててくれた。完璧な母親ではなかったけど、彼女のできる限りで愛されてたと思う。だから。昨日はああいう言い方をされて、親を馬鹿にされたみたいで、気持ちが抑えられなかった」
淡々とそう話して鷹野を見ると、鷹野は真剣に顔で柴原の話を聞いていた。その顔には同情や蔑むような色はなく、ただ事実を受け止めているだけのように見えた。
「なるほどね。それならよけい彼の言葉が腹立たしいね」
冷めかけたコーヒーを口にする。もう味は分からなかった。
「……改めて、昨日は、間に入ってくれてありがとう」
そう礼を言うと、鷹野は驚いたように数回瞬き、それからふわりと笑った。
「いいえ。僕も、あの彼の言葉を聞きたくなかったから。それに、一目見てすてきだ、話したいと思った人を連れ出す口実にもなったし。こういうのを棚から牡丹餅というのだろうね」
「え?」
「ねえ、僕は昨日の夜をとても楽しんだし、今朝のこの時間も満足しているのだけれど、君は?」
にこやかにそう問われて、柴原はおずおずと答えた。
「え……と、俺も。楽しんだ」
そう答えると、嬉しそうににっこりする。彼の周りの空気が、ぱっと華やいだように見えた。
「では、また会ってもらえるかな」
自分のバックボーンを話しながら内心「二度目はないな」と思っていた柴原は、その誘いに頬を染め、ゆっくり頷いた。
柴原の母親は恋多き女で、いつの間にか男が出来て子連れで同棲をはじめては、数カ月で別れるのを繰り返した。だから柴原の人生には、父親のようにかわいがってくれた「母の恋人」が何人もいた。基本的に皆それなりに優しかったが、その中でも一番満たされていたのが、珍しくホストではない、会社員の恋人と暮らした時期だった。彼は母が夜の仕事をすることを好まず、彼と暮らしていたときは水商売を辞めて家にいた。彼は柴原にもとても優しくて、休みの日にはあちこちに連れて行ってくれた。毎朝決まった時間にきっちりスーツを来て、黒いかばんを持ってマンションを出ていくのを見送ったことをはっきり覚えている。その生活がずっと続くことを祈ったけれど、数カ月で母と男は別れ、居心地の良かったマンションを出た。
そうして西向きの安いアパートを借りて、今度は親子二人の生活が始まった。それから間もなく、あの事件が起こったのだ。
母を思い出すとき、必ずあの彼のことも思い出す。
あの人と、自分たち親子と。三人の生活がずっと続いてたら。
繰り返し考える「もしも」は。「もしも」でしかない。
けれど、考えずにはいられない。
三人で暮らしていたら、きっとあんな目にはあわなかった。
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