【完結】零れる水の策略

文字の大きさ
14 / 18
第1章

14

しおりを挟む
 古典的な方法だが航平にもらった絆創膏でキスの痕を隠し、店に向かった。就職して3年目。アシスタントからスタイリストに昇格し仕事自体は楽しいが、全部が全部OKではない。先輩スタイリストのカスミが産休に入っているあいだ、彼女の指名客の一部を担当したところその多くがカスミの産休明けにも柴原の施術を希望した。そのためカスミはお冠で、産休前はそこそこいい関係だったのに今ではほとんど口もきかなくなってしまった。それほど繊細なタイプではないが、同じ職場で明らかに避けられる日が続くと、やはり気が滅入る。

「おはようございまーす」

 挨拶をして店に入る。早めに出勤して開店の準備をしていたアシスタントたちから帰ってくる返事に片手をあげて控室に入ると、カスミが荷物をロッカーに入れているところだった。気まずいが一応「……っス」と挨拶をしたが、目を合わせないままに「おはようございます」と返事が返ってきて、柴原の隣をさっとすり抜けて店に行ってしまった。



「山本さん、こんにちは。今日はどうしますか?」
「こんにちはー。この写真みたいにしてほしくて」

 柴原を予約してきた山本という女子大生は、以前カスミを指名して来ていた客だ。カスミの産休期間を経て、柴原指名に切り変わった。前からまめに予約をして髪を整えていたが、柴原を指名するようになってから来店頻度が上がった。

「これ、私に似合うと思いますか?」

 山本がスマートフォンの画面で見せる写真を覗き込む。今人気の女優の写真が表示されていた。

「似合うとは思いますけど、山本さん、髪が細くて柔らかいから、この写真みたいなボリュームは出にくいです。山本さんの髪でやったら……これこれ。このくらいになるかな」

 鏡の前に置かれた雑誌の中からヘアカタログを抜き出し、めくって見せた。柴原はできるだけ率直に意見を言うようにしている。客の希望に沿ったスタイルが作れるのか否か、それが今の髪のコンディションで可能なのか、似合うかどうか、もっといい提案はできないか。スタイリストの中にはNOが言えず言われるままに施術をして、最後に客から「こうじゃない」と言われたり、明らかに不満を滲ませながら「これでいいです」と言われる者もいる。それはお互いに不幸だと思うから、柴原個人はそういう対応をしないようにしているが、それを気に入らないスタッフもいた。

「そっかあ。柴原さんが言うなら、そうなんだろうなあ。えー、これやりたかったのになー」

 残念そうに眉を下げる山本に、柴原は質問した。

「この女優さんの写真の、どういうところが山本さんはいいと思ったの?」
「上品でゴージャスでしょ。女を感じるっていうか」
「華やかさと妖艶な感じ……セクシーさがほしいってイメージかな?」
「そうそう、そうです!」 
「じゃあ、これとかは? 山本さんの髪質なら、これならできると思うよ」

 ヘアカタログの違うページを開いて提案する。

「これだとちょっと短いけど、山本さんはもう少し長いから、これがここまで伸びるイメージ。今のままだと髪色が明るすぎるから、ちょっと暗めに染めると上品さも出ると思う。たとえば、こっちのページのこれくらいの色」
「あー……いいかも。でもパーマとカラー一緒にやったら、痛まないかな」
「そこなんだけど、できれば違う日にやったほうがいいんだ。もし来週も来られるなら、今日パーマして、来週カラーっていうのが理想。どうする?」
「ほんと? じゃあまた来週予約するんで、今日はパーマだけで」
「トリートメントは?」
「トリートメントもお願いします!」
「了解」

 雑な環境で育った柴原は、本来敬語も苦手だ。だから最初こそ礼儀正しくしていても、話しているうちに素が出てタメ口になる。それがいいという客もいればよしとしない客もいるが、こと柴原に限ってはその美貌に目を奪われ緊張気味になる客が大半なので、気さくに接したほうが客も力が抜けるようだった。

「じゃあ準備するんで、待っててね」

 鏡越しに笑顔を向け、薬剤を準備するために調剤スペースに向かうと、中から声が聞こえてきた。

「ホントなにあの話し方。店長もなんで注意しないんだろ」
「顔がいいってだけでほとんどなんでも許されてるもんね。腹立つー」

 カスミと、仲のいいスタイリストだ。一瞬足が止まったがあえて気にせず中に入る。まさかそこに柴原がいるとは思わなかったのか、二人は気まずそうに口を閉じた。

「しゃべってないで、仕事しろよ」

 陰口をたたかれていたことに腹を立てて、ついきつい口調になる。

 カスミとは入店した当初は仲がよかった。アシスタントだった柴原をかわいがって指導してくれたし、手荒れに悩んでいたときはハンドクリームと綿の手袋を買ってきてそっと渡してくれた。慕っていた先輩だっただけに、こんな風にこじれてしまったのは柴原だって残念だった。けれど、関係修復のためにどうにかできるスキルを持っていない。下手に出て持ち上げることもできないから、ずっと冷え切ったままだ。

 パーマ液とロッドを用意して客の元へ戻ると、嫌な気持ちを振り切るように笑顔を作り、作業を開始した。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【8話完結】恋愛を諦めたおじさんは、異世界で運命と出会う。

キノア9g
BL
恋愛を諦め、ただ淡々と日々を過ごしていた笠原透(32)。 しかし、ある日突然異世界へ召喚され、「王の番」だと告げられる。 迎えたのは、美しく気高い王・エルヴェル。 手厚いもてなしと優しさに戸惑いながらも、次第に心を揺さぶられていく透。 これは、愛を遠ざけてきた男が、本当のぬくもりに触れる物語。 ──運命なんて、信じていなかった。 けれど、彼の言葉が、ぬくもりが、俺の世界を変えていく。 全8話。

強面若頭は、懐っこいナースの献身に抗えない ―極道、はじめての恋を処方される―

たら昆布
BL
ウブで堅物な極道若頭×明るいわんこ系看護師

兄弟カフェ 〜僕達の関係は誰にも邪魔できない〜

紅夜チャンプル
BL
ある街にイケメン兄弟が経営するお洒落なカフェ「セプタンブル」がある。真面目で優しい兄の碧人(あおと)、明るく爽やかな弟の健人(けんと)。2人は今日も多くの女性客に素敵なひとときを提供する。 ただし‥‥家に帰った2人の本当の姿はお互いを愛し、甘い時間を過ごす兄弟であった。お店では「兄貴」「健人」と呼び合うのに対し、家では「あお兄」「ケン」と呼んでぎゅっと抱き合って眠りにつく。 そんな2人の前に現れたのは、大学生の幸成(ゆきなり)。純粋そうな彼との出会いにより兄弟の関係は‥‥?

白花の檻(はっかのおり)

AzureHaru
BL
その世界には、生まれながらに祝福を受けた者がいる。その祝福は人ならざるほどの美貌を与えられる。 その祝福によって、交わるはずのなかった2人の運命が交わり狂っていく。 この出会いは祝福か、或いは呪いか。 受け――リュシアン。 祝福を授かりながらも、決して傲慢ではなく、いつも穏やかに笑っている青年。 柔らかな白銀の髪、淡い光を湛えた瞳。人々が息を呑むほどの美しさを持つ。 攻め――アーヴィス。 リュシアンと同じく祝福を授かる。リュシアン以上に人の域を逸脱した容姿。 黒曜石のような瞳、彫刻のように整った顔立ち。 王国に名を轟かせる貴族であり、数々の功績を誇る英雄。

【完結】社畜の俺が一途な犬系イケメン大学生に告白された話

日向汐
BL
「好きです」 「…手離せよ」 「いやだ、」 じっと見つめてくる眼力に気圧される。 ただでさえ16時間勤務の後なんだ。勘弁してくれ──。 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 純真天然イケメン大学生(21)× 気怠げ社畜お兄さん(26) 閉店間際のスーパーでの出会いから始まる、 一途でほんわか甘いラブストーリー🥐☕️💕 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 📚 **全5話/9月20日(土)完結!** ✨ 短期でサクッと読める完結作です♡ ぜひぜひ ゆるりとお楽しみください☻* ・───────────・ 🧸更新のお知らせや、2人の“舞台裏”の小話🫧 ❥❥❥ https://x.com/ushio_hinata_2?s=21 ・───────────・ 応援していただけると励みになります💪( ¨̮ 💪) なにとぞ、よしなに♡ ・───────────・

ジャスミン茶は、君のかおり

霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。 大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。 裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。 困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。 その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

僕の目があなたを遠ざけてしまった

紫野楓
BL
 受験に失敗して「一番バカの一高校」に入学した佐藤二葉。  人と目が合わせられず、元来病弱で体調は気持ちに振り回されがち。自分に後ろめたさを感じていて、人付き合いを避けるために前髪で目を覆って過ごしていた。医者になるのが夢で、熱心に勉強しているせいで周囲から「ガリ勉メデューサ」とからかわれ、いじめられている。  しかし、別クラスの同級生の北見耀士に「勉強を教えてほしい」と懇願される。彼は高校球児で、期末考査の成績次第で部活動停止になるという。  二葉は耀士の甲子園に行きたいという熱い夢を知って……? ______ BOOTHにて同人誌を頒布しています。(下記) https://shinokaede.booth.pm/items/7444815 その後の短編を収録しています。

処理中です...