上 下
1 / 17
Where do it?

第一話「謎解きは好きかい?少年」

しおりを挟む
「謎解きは好きかい?少年」

あるとき、ミステリーの神様がそういった。

 

都内高層マンションの一室、家主は僕を待ち構えていたかのように革張りのソファの上でそう尋ねた。

三畳分を悠々と宣するソファがあってもなお空間が余るリビングは、僕の部屋がすっぽり入る広さ。窓の外は遮るものが何もなく、まっすぐ進んだ先に東京タワーが見える。

ソファの前の壁に埋め込まれた薄型液晶テレビには、学ランにリュックを背負って立ち尽くす僕が反射しており、好奇心旺盛な彼女が本当に僕の来訪を待つためだけにここにいたことを察した。

端正な顔でほほ笑む雲隠さんは目鼻立ちがしっかりしていて人目を引く美人ではあるけれど、どこか浮世離れした雰囲気がぬぐえない。

彼女は時折、こうして人を試すようなことをする。

長い四肢をソファのへりに置いてもたれかかる姿からは、僕が答えるまでここから移動しないという意志を感じる。

シワのついたTシャツには高級ブランドのロゴが印刷されていて、彼女は興味がないものには愛着も抱かないことがわかるだろう。

「謎解きですか、すみません。あまり得意ではないです」

「あぁ、ごめん。

得意かどうかではなく、好きかどうかを聞いたんだ。

謎解きというからややしいかったかな。

ミステリー小説とか映画とか、あるいはナゾナゾやクイズ、そういったものに興味はあるかと聞いたんだ」

「まぁ、そりゃ僕も子供の頃は人並みにナゾナゾをし合ったりはしましたけれど…それだって、特別好きなわけではなかったと思いますよ」

「子供の頃って、君はまだ子供じゃないか」

ふふん、と雲隠さんは僕の回答を鼻で笑い飛ばす。

ダイニングテーブルの陰にあるバスケットの中にリュックを下ろすと、中からエプロン取り出して腰の後ろとうなじの辺りで紐を結ぶ。

僕は彼女の子供や親戚、ましては友人ではない。僕はこの家、彼女にとって自宅兼作業場に、仕事で訪れた。

業務は家事代行、正式名称をハウスキーパー、またの名を家政婦。それが僕の仕事だ。

「何を企んでいるかは知らないですけど、僕には謎解きなんて難しいことはできませんよ」

髪の毛を出さないように頭巾をきつく縛って頭に着けると、アイランドキッチンに向かう。

キッチンのシンクにはカップ麺が無造作に積まれ、飲み干したペットボトルがラベル付きで置かれている。ラベルを剥がして分別しながら、未だソファから離れない雲隠さんをちらりと見る。

飄々とした表情や態度は、彼女の感情や作為を全て綺麗に覆い隠してしまう。

「難しい?

君は難しいかどうかで物事を判断しているのか。

ふむ、ならば先に言っておくが私は君に謎を解いてほしいのではないよ。

ましてや、君が難解な謎が解けずに苦しむ様子を見たいわけではない。

むしろ、謎が解けなくても謎解きを放棄しても構わない。

ただ、私に君がこの謎をどう解くのか見せて欲しいんだ」

「謎をどう解くか?」

「そう、ただのミステリー作家の酔狂さ」

雲隠日景は、現役のミステリー作家である。

それも住居を見てわかるように、いくつものベストセラーを出して賞を総なめした人気作家だ。

業界では珍しく本名と芸名が同じ彼女が一冊本を書き上げると、そこからさらに3つのコンテンツが生まれる。一つは映画に、一つはドラマに、そしてもう一つは漫画になるからだ。

だが、彼女の本質は物書きとしての高い文章力と語彙力…ではない。もちろんそれらも兼ね備えているが、真骨頂はその並外れた頭脳である。

高い知能と思考力に裏付けされた魅力的な謎、そして散々焦らされ頭をひねった上で思考を超えた解答が現れるエクスタシーに、一瞬で読者は引き込まれるのだ。

いつからか、彼女は「ミステリーの神様」と呼ばれている。

「そういえば、今日は私のシリーズ作品の新刊が出る日なんだよ。

ふふふ、いつも買ってくれているだろう」

「そうですか、おめでとうございます。

……え?今なんて」

「だから、この雲隠日景の新刊を買ったんだろう。

ありがとうと言ったんだ。

サインでもしようか?私のサイン本は高く売れるぞ」

ソファから立ち上がらずにリュックを指さした雲隠さんに、僕は肩を跳ね上げて驚いた。

衝撃で洗い終えたカップ麺の器に水が跳ねて、慌てて避ける。

彼女の指摘した通り、リュックの中には行きに本屋で買ったばかりの雲隠先生の新刊本が入っている。だが僕が彼女の作品を発売日に買うほどのファンであることは、会社でも学校でも誰にも伝えていない。

だって、ファンが好きな作家の家で働くなんて大問題だ。

「安心したまえ、会社に言ったりはしないさ」

ハウスキーパー、直訳すると家事使用人の仕事は多岐にわたる。

僕らは要望があれば掃除洗濯料理に限らず家事と名の付く全てを行う。

掃除一つとっても、食材や調味料による油汚れや焦げがあるキッチンと、水垢の多い洗面所、外から運んだ砂や土埃の玄関ではそれぞれ別々の道具を使って作業を行う。

この仕事はその気になれば一般人でもできるからこそ、最低でも一般人以上の腕前が必要となる。

しかしハウスキーパーの最も重要な仕事は、家事を通してお客様に快適を提供すること。お客様の最もプライベートな場所で仕事している自覚を持ち、行動により責任を果たすことである。

「サインを売ったりなんかしないです。

もちろん嬉しいですけど、僕だけ特別扱いされるというのも他のファンに面目が立ちません。

お気持ちだけ頂いておきます。」

「ふふん、やっぱり君はそういうと思った。

まぁ、捨てるくらいなら売ってくれてもいいんだけどね」

彼女が小説家でミステリーの神様だというのは、名前を見てすぐに気づいた。

けれど依頼者の名前を知った時から僕は彼女の作品のファンだったし、趣味も仕事も全うするつもりだった。それ故に、彼女のファンであることを誰にも告白する気はなかった。

異性のファンが最もプライベートな場所ともいえる自宅で働いているなんて、本来は発覚即クビになってもおかしくない。

だから、これまで慎重に痕跡を隠してやってきたのに。

なのに何故、

「何故わかったのかという顔だね。

簡単さ、いつも私服で来る君が今日は制服だったからね。

まず、これはどこかで着替える時間がなかったのだろうと思ったのさ。その制服は第三公立高校のものだろう?

放課後にここに来るまで一時間と少し、ならば五時半から仕事をするためにいつもは家に寄って着替えて来ている。

だが、今日は途中下車して家に帰り着替える余裕がなかった。

つまり、君は制服で今日何かしなければならなかった」

「今日は委員会の活動があったとか、行事があったという可能性もあるでしょう?」

思わず、探偵にアリバイを崩された容疑者のように反論をする。

会話の間も手は止めずに洗い終えた食器を並べていき、コップを逆さにしていく。マルチタスクは慣れているが、ながら作業は効率が悪いし話の内容は業務の範囲を超えている。

わかっていても乗ってしまうあたり、何だかんだ僕は彼女の推理を楽しんでいるだろう。

日常が一変するような非日常、僕がずっとミステリー小説に期待していたものだ。

 「おいおい、私もつい最近まで高校生だったんだよ。

いつどこで授業が長くなるかくらい覚えているさ。

それに委員会やクラブ活動だとしたらこの曜日、もしくは去年のこの日にも制服でないと理屈が合わないからね」

「まさか、全部覚えているんですか?

僕が去年どんな服装で来たのか、毎週木曜日の何時に来ているのか。

あ、日記をつけているとか?」

「まさか?それくらい記憶できるさ」

ペットボトルを潰しながら、一日おきに来ているハウスキーパーの服装を一年分覚えていることが可能なのかを考える。

考えるまでもない、普通は一週間前の自分の服装だって覚えていられない。それに、「つい最近まで高校生」と言ったが彼女の実年齢は見た目に反して高かったはずだ。

最終学歴は大卒だろうか、もし大学院に進学して研究に打ち込んでいたらきっとその頭脳で学問に多大な貢献をしていただろう。

しかし天才所以だろうか。彼女は自分の能力を自覚していないようだ。

「君はできないのかい?不便だねぇ」

「でも、僕が本を買ったとは限らないのでは?

それに用事は帰りに済ます可能性もあるでしょう」

天才に天才の片鱗を見せつけられたと気づいたときには、嫉妬や疑問の念を抱くよりも早く、心から賞賛を抱いていた。

誰だって好きな作品は特別なものなのだから、その特別な作品を作った作者が同じくらい非凡だと知って嫌なわけがない。寧ろ、ファン冥利に尽きる。

「まずどうして仕事の前に用事を済ませたのかだが、君は現役の高校生で未成年だろう?

となれば、仕事終わりに寄り道をすれば21時以降に出歩くことになるのではないか?

特にこの辺りの本屋は駅と隣接している。と来れば、駅前にある警察官に補導されるのは確実だろう。

この辺りの警察は優秀だし、君の学校を含む教職員も連携して生徒の指導をしていると聞いたことがある。

私が知っているくらいだから、生徒の君は当然知っているはずだ。

となると、用事は帰りではなく行きだろう。それも制服で行くことができ、仕事が始まる前の数十分で済ませられる物ならある程度目星は就く」

「だから、本屋に行ったと?

それだと、あなたの本を買ったとはわからないじゃないですか。

文房具の可能性だってあったはず」

「ふふふ、まぁ待ちまたえ。ここまでは君の服装からわかったこと。

そしてここからは、君の持ち物からわかったことだ」

「持ち物…?」

 炊飯器にといだ米をセットして早炊きのスイッチを押すと、冷蔵庫を開けて材料を確認して夕飯を決める。

一人暮らしでは見ない容量の両開き冷蔵庫は、チルド室に野菜室、急速冷凍から静音機能とライブカメラまで搭載されているが、中身はほとんど僕が買い足したものしか入っていない。

主食は野菜炒め、みそ汁にはほうれん草と大根、ナスを入れて、副菜はきんぴらごぼうにしよう。依頼人からの要望で夕飯は6時半に野菜多めで作る必要があるので、あまりのんびりしていられない。

ハウスキーパーの仕事では、こうした条件は珍しくない。

依頼人が共働きの子育て世帯であれば、子供の嫌いなピーマンとキノコを除いた栄養バランスの取れた食事を夕食と明日のお弁当含めて作ることもあるし、アスリートや社会人スポーツクラブに参加している社会人であれば脂質と糖質を計算したうえで食事を作る。

その分掃除洗濯の時間は削ることになるが、依頼人の要望が第一優先だ。

また逆に、依頼内容は指定しないが1時間でできることを見せてくれといわれたこともある。

「ふふん、君のリュックサックからはビニール袋のこすれる音がした。

おかしいとは思わないかい?リュックの中に有料のビニール袋だ。

購入品をリュックに入れるならビニール袋に入れる必要はない、袋が必要なほど大きな購入品ならリュックに入れずに手に持っている。

だが君は、わざわざレジ袋を購入してリュックに入れた。

なぜか?

それは君が買ったものを大切にしていて、なおかつ他者に買ったものを見られたくなかったからだ」

「…大切に?」

「本はリュックに入れておくとページが折れたり、帯が曲がったりする可能性がある。

カバーをかけて貰うという手もあるが…外で読むのが憚られる以外は、あまり選ばない選択肢だ。

まぁ、好みではあるがね。

そしてレジ袋には、買った場所が印刷されている。

本を買ったことを知られたくないなら、本屋に行ったことも知られてはいけない。

結果、袋を貰った上で前述のようにリュックに入れたのではないかな?

さぁ、答えに近づいてきたぞ」

雲隠さんはまるで子供のように目をキラキラと輝かせて、僕のリュックサックが入ったバスケットを見つめた。

既に荷物の中身を推理して答えに辿り着いたにも関わらず、未だ宝物でも入っているかのような顔だ。
まだ推理の答え合わせはまだされていないから、だけではないだろう。

彼女は謎を愛しているのだ。

「君が買ったものを見られたくない相手とは、私のことだろう。

袋を二重にしたのは他にも理由がある。君は、私の前でリュックを開くことがあるからだ。

正に先ほどリュックサックを開いたね。そのエプロンと三角巾を取るために」

「はい、その通りです」

「ふふん、リュックに入れることができる大きさで袋に入れて保護する必要があるもの。

そして今日仕事前の僅かな時間に購入する必要があって、極めつけは私に見られたくないもの。

それは、今日発売の私の新刊だろう」

「…えぇ、その通りです」

全く、浮かれて発売当日に本を買うんじゃなかった。

短冊切りでそろえた人参と大根・豆腐にワカメを小鍋に入れる。味噌は白みそでスプーン一杯分、出汁は鰹節で取っている。

雲隠さんは僕の自白を聞き終えると満足げに「ふふん」と笑って頬杖をつき、今度は僕を試すように人を食ったような笑みを浮かべる。

「私の本を購読しているということは、比良少年は謎解きに興味があるということだ。

さぁ、謎解きに参加してくれるね?」

そう、この話はまだ本題にも入っていない。

僕がこっそり彼女の新刊を買ったという話は、ただのアイスブレイクであり彼女なりのちょっとした自己紹介である。これから始まる謎解きにおいて、彼女は既に正解を知っている。

そして、僕がどのようにしてどんな答えを導くのかを試そうとしている。

「はい、喜んで」

比良直流、僕はハウスキーパーだ。

高校に通いながらアルバイトでミステリー作家の家事代行業をしている以外は、ごく普通の読書家の高校生である。苦手なものはタバコと珈琲、趣味は読書で好きな作家は雲隠日景。

だが、非日常はある日突然前触れもなくやってきて僕の前に現れた。
しおりを挟む

処理中です...