神様と契約を

小都

文字の大きさ
3 / 6

2

しおりを挟む
窓の隙間から光が漏れて、朝が来た事を告げられる。
庭で雀が鳴く声に一葉は目を開けると、そこにはいつもと違う
本来ならここにいるはずのない水光が一葉の身体を包んでいた。

水光様・・・

昨夜は、一葉を心配するあまり降りてきたと水光は言っていた。
そして、一葉を愛していると・・・

それが本当だったら・・・どんなにか嬉しいことだろう。

度重なる逢瀬とも言える契約の儀式を行いながら
一葉も次第に水光に思いを寄せるようになっていた。
けれど、それは決して言葉にしてはだめなものだと自分を戒めてきた。
水光を困らせるだけだと。
水光は一葉に情けをかけてくれているだけなのに、なんておこがましいのだと。

そんな気持ち、とても水光に言える訳がなかった。

水光に愛していると言ってもらえた今でも、それは変わらなかった。

いつか契約は終わる。
その時水光とは離れる事になる。
ならば、この思いなどない方がいいのだと。

自分は本来なるべきではなかった退妖師。
女の身体でもない自分が、水光の隣にいるなど、
今でも許される事では、ないのだから。

一葉はそう思いながら、水光の腕の中で再び目を閉じた。




それは、一葉と二葉が、まだ十を少しばかり過ぎた頃の事だった。


「お兄様、あちらに行きましょう!」

ぐいぐいと手を引っ張るのは双子の妹の二葉。
それに困ったように笑いながらも文句を言わずついていくのは双子の兄一葉。
小さい頃二葉はお転婆で、一葉もそれに付き合うように一緒になって駆け回った。
御園生家の近くには小さい山があり、そこは小さい子供には恰好の遊び場だった。
何度も遊んだ山。慣れたその山は子供たちにとって自分の庭と同じ。
そこで遊ぶことに何の違和感もなく、山に入る事は既に常の事だった。

「・・・お兄様、今日はお山の左は運気が悪いです。右に行きましょう」

未来の御園生家を背負って立つ二葉は、銀香の子供だけあり
小さい頃から退妖師の力に恵まれていた。
小さいながらもその力は大きく、早くから退妖師になるべく修行をしている。
そんな二葉は運気の流れや妖の気配も感じ取れるようになっていた。
そんな二葉に従い、一葉はついていくだけだ。

一葉に退妖師としての力はない。
しかしそれは、当たり前の事。
退妖師の力というのは代々女にしか受け継がれない力だったからだ。

この頃、一葉は二葉の力に頼って後を付いていく事が当たり前だった。

一葉は知っていた。
御園生家の女のみが力を受け継ぎ、男の自分はその退妖師の補助に徹する事。
将来なるであろう次代退妖師の二葉の補助をして今後生きていくことを。

しかし、この日を境に、一葉と二葉の生活は一転する事になる。


その日は前日に雨が降って、足場がぬかるんでいた事が全ての原因だっただろう。
子供の一葉と二葉には、それが大きな事故に繋がる事など微塵も思いつきはしなかった。

一葉と二葉は木の実を拾ったり、木登りをしてみたり、
その日によって遊ぶ内容は違ったが山での遊びは一通りやっていただろう。
たまたまその日は、おいかけっこをした。
一葉も二葉も走る速度はほぼ同じ、中々捕まらないのもいつもの事だ。

「二葉、待って!」

「いやよ、お兄様早いわ、もっと手加減をして!」

そろそろ疲れも見えてきた頃、前を走る二葉をやっとの思いで一葉は捕まえる。
二葉の腕をとり、捕まえた、と一葉が言った途端、
2人はぬかるむ土に足を取られそのまま転んでしまった。

「わぁ!」

2人は勢いよく転がる。その勢いは転ぶだけに止まらず
少し下り気味になっていた斜面をごろごろと転がってしまっていた。

「きゃあぁ!!」

やっとその勢いが止まり、一葉と二葉は重なり合うようにその場にうつ伏せになっていた。
ごろごろと転がった先は、今までに見た事のない花がたくさん咲いている場所だった。
その場所を見て、二葉が声をあげる。

「うわぁ、こんな所あったのね!」

その光景を見た途端、今まで泣きそうだった2人の顔が輝く。
どこを転げ落ちたのかは分からなかったが、初めて見るその光景に
一葉も二葉も目を輝かせ、その花に夢中になっていた。
自分の服や顔が、泥まみれになっているのも気にせず、
むしろそんな自分たちの様相がおかしくて仕方ない。

「お兄様、ひどい格好!」

「二葉こそ!」

お互いにお互いを笑いあった後、一葉と二葉はその花畑を駆け回る事にした。
あっちには赤い花、こっちには黄色い花と、走り回る2人。
そんな楽しい時間を2人は過ごした。
しばらくそんな風に駆け回っている間に、いつの間にか随分時間が過ぎていたようだ。
辺りは少しずつ暗くなり始め、そろそろ2人に帰る時刻を告げる。

しかしその頃になると、花畑の少し先に、
今までに気付かなかった花を見つけた。

「あれ・・・お兄様、あのお花、青く光ってないですか?」

二葉が指差した方向を一葉が見ると、確かにそこには青く光る花があった。
明るい時には、気付かなかった。

「本当だ・・・」

「お兄様、あのお花を見に行きましょう!」

そう言って二葉は一葉の服をぐいぐい引っ張る。
一葉は時間を気にしつつも、少しだけなら、とその花を見に行った。
少し先まで歩くとその青い花は不思議な光を発している。
初めて見るその輝きに、2人とも目を奪われていた。

「お兄様、あのお花持って帰りたいですわね」

「あぁ、お母様に見せたら喜ぶかな。ちょっと待って、取ってくる」

そう言って一葉は一歩先に足を踏み出した、その時だった。

一歩先のその足場は脆く崩れ去り、一葉は足を取られたのだ。

「!!」

その一瞬の出来事に、一葉は声が出なかった。
何が起こったのか分からない。
一瞬のうちに視界は反転し、自分が今どこにいるのか分からなくなってしまった。
微かに、意識の片隅で二葉の悲鳴を聞いた気がした。


暗い、暗い場所で一葉は目が覚めた。
目を開いても辺りは暗くて何も見えない。
そして、全身が痛かった。
腕も、足も、身体全体がずきずき、じくじくと痛む。
そのせいで身動きがとれない。

落ちた、と気付いたのはそれからしばらくした後だった。
あの花の前には足場がゆるくなり穴が開いていた。
しかし一面の花畑によって、その穴が見えにくくなっていたのだ。
夕暮れの視界が悪くなっている頃、一葉たちがそれに気付くのは困難だった。

身体が熱い。
けれど、身体には冷や汗が流れ、熱くもあり寒くもある。
どうしたらいいかなんて一葉には分からなかった。
そして再び、意識を手放したのだ。





泣き声が聞こえる。

ひっく、ひっく、と高い声で泣き続けている。
この声はよく知っている。
双子の妹の二葉だ。

その声に重い瞼を押し上げる。
そして一葉が見たのは、泣いている二葉と、父と母だった。

一葉は見慣れない部屋で横になっている。
そして良く見ると自分の腕や足には包帯が巻かれていてうまく動かせない。
ここは、病院?

一葉がそう思って家族の顔を見ると、
その顔は悲しそうに、そして悔しそうに歪んでいた。

「お父様・・・お母様・・・二葉?」


一葉は、その時の様子を今でもよく覚えている。
母の顔も、父の顔も。泣きやまぬ二葉の顔も。
それから聞かされる言葉は、一葉を暗闇の底へと押しやるのだった。


一葉は告げられた言葉の意味が、理解できなかった。
頭の中が真っ白になり、何の言葉も発せられない。
ふるふると、身体が震えていた。
冗談だと、冗談だと誰かに言って欲しかった。

しかし、誰も何も声を発さない。
二葉が泣いて、父と母が悔しそうに顔を歪ませるだけだった。

一葉は己の身に起きた事を、現実として受け入れることなど、到底できなかった。
自分の運命が、百八十度変わってしまったことなど、到底。



あの日、一葉が足を滑らせて穴の底に落ち、意識を失った後、
二葉は慌てて大人たちを呼びに行った。
転がり落ちた所為で道も定かではないが我武者羅に走った。
そして泣きながら事情を説明し、近所の大人たちを集め一葉の救出に向かう。
ぬかるみ、足場も視界も悪い中なんとか一葉を見つけ救い出すと、
すぐさま救急車で病院へと運んでいった。

運の悪い事に、一葉は大量の出血をしており、
救出までに時間がかかった事で生死の境を彷徨った。
手術は成功し、医者にはもう大丈夫だと言われたが、
一葉が目覚める気配は一向に訪れなかった。

そんな時だった。
二葉は一葉の額に自分の額を合わせ、一葉に向かって強く念じた。
早く戻って来てと、心に呼びかけたつもりだった。
勿論、なんの意図もない、子供ながらの事だった。
子供の、単なる思い付きの行動でしかなかったそれが
心の中で念じる思いに力が同調してしまったのだろうか。
父と母が見ている目の前で、額が光り出したのだ。
慌てて一葉から二葉を引き剥がした時には遅かった。

気がついた時には、二葉にあったはずの退妖の力はほんの息吹程度しか感じられなかった。

それと同時に、寝ている一葉から
今までに感じた事のない退妖の力が感じられたのだ。

この力と引き換えにしてもいい、と二葉がその時思ったかどうかは定かではない。

しかし、偶然に偶然が重なり、退妖の力が二葉から一葉へと、移行してしまったのだ。
双子でなければ、きっと起こり得なかっただろう。

代々女がなる退妖師。
力を持たない御園生家の男。
全てがひっくり返った瞬間だった。


一葉が目覚めてそれを知った時、地面が崩れていく幻覚が見えた気がした。
それから暫く、精神的緊張により目眩や耳鳴りも治まらず、
そればかりか身体が力に慣れず、拒否反応としての吐き気も伴った。



二葉は一葉を一度として責めなかった。
本来ならなるはずの退妖師の資格を一葉に奪われたのに。

そして母も責めなかった。
二葉に期待をし、嬉しそうに二葉を見ながら立派な退妖師として育てていたのに。


その優しさが、一葉には逆に痛いぐらいだった。
責められた方が、どんなに罪悪感が減った事だろう。


そして何故か二葉の中にあった大きな退妖の力は、
一葉に移動した時にどこへ行ったのか、一葉には少ない力しか残されていなかった。
それからは、一葉の猛特訓が続いたのだ。


それからの数年間、一葉は精神的にとても辛く、地獄のようだった。
二葉の事を、自分の双子として一葉はとても誇りに思っていた。
その二葉は一葉には謝ってばかりで、自分で自分を責めているのを知っていた。
母も、力の少ない自分を時に悲しそうな目で見ているのを知っていた。

それでも気丈に二葉の代わりに退妖師となろうと頑張ってはいたが、
一族からは当然のように冷たい目で見られるのだ。

「男の分際で」
「出来損ない」
「二葉であれば」

何度そのような言葉を聞いただろうか。
何とか認められるように、二葉の代わりになれるように、
そう思えば思うほど、周りは遠ざかっていき、全てが裏目に出るのだった。

あれだけお転婆で、いつも一緒にいた二葉も、
自分を責め続け大人しい性格になってしまった。

少しずつ、少しずつ、双子であるのに
その間には大きな溝が出来上がってしまっていた。


一葉はそうして思うのだ。

何故自分はあの時死ななかったのかと。

あの時、図々しく生にしがみ付きさえしなければ、誰も困る事はなかった。
ただ少しの間、父と母と二葉が悲しむだけだった。

自分が生き残ってしまったせいで、今全員が悲しんでいる。
一族のものにも、一葉のみならず、母や二葉も陰口を叩かれるのだ。

自分の所為で。

何故、どうしてと、何度思った事だろう。

どうかあの時の時間を巻き戻してと、
どうかこの力が二葉のもののままでと、

何度願った事だろう。
けれど一度としてその願いが叶えられる事はなかった。

救ってくれるはずの神は、いないのだと一葉は絶望したのだ。


そうした毎日を過ごし、一葉は胃を痛め、食も細くなりやせ細った。
隠れて泣く事も、稀ではなかった。

それでも死を許されはしないのだ。
辛い、辛い日々だった。

きっと一葉がこの苦しみから逃れられるのは、
一葉か二葉どちらかが子を生し、退妖の力を持つ女児を育て上げ
退妖師の資格を受け継ぐその時しかないだろう。

それは遠い遠い、果てしなく先の未来だった。


そして絶望はそれだけでは終わらない。
退妖師としての資格を引き継いだ後の事だ。

力を失わないために、神様と契約をしなければならないのだ。

それは、女である事が前提の契約であった。
神の力をその身に受ける、それは性交を意味していた。

一葉は男であるのにも係わらず、神に抱かれなければならないのだ。
それだけでも一葉には大きな覚悟が必要となった。
それなのに追い打ちをかけるように

男の身で神を受け入れるなど、恥さらしもいいとこだ

意図せずとも、そうした言葉は一葉の耳に入ってくる。


そうした言葉を聞いた日は、目眩で動けなくなった。
そしてそれを知られると軟弱者と罵られ、全てが悪循環だった。


そうした中、一つの疑問がどこからともなく生まれた。

男である一葉が神の元へ行くなど、神との約束を違える事になりはしないかと。


今までに前例のない男の退妖師。
神は当然女と思い降りてくるのに、そこにいるのが男であれば、
神の逆鱗に触れるのではないかと。
契約にまで至らぬのではないかと。

その時、一葉には二つの道が生まれたのだ。

神と契約し、神と性交を行うか、

それとも、神の逆鱗に触れ死を覚悟するか。


それを聞いた時、一葉は心の中でひっそりと、死を覚悟したのだった。
いつか来る終わり。

来るなら早い方が良いのかもしれない。
それがきっと、父にも母にも、そして二葉にも、いいのかもしれない。

痛いかもしれない。苦しいかもしれない。
怖い。とても怖い。死ぬのがとても怖い。

けれど、その方がいいのかもしれない。


そう思った。

そうすれば、あんな顔の二葉や父母の顔を見なくて済む。
数年すれば晴れやかな顔に戻るだろうからと。

ずっとずっと、一葉はそう思っていた。


そして一葉の家族以外一族のものは、一葉が生き残り契約を果たすなど、
誰一人として思っていなかったのだ。

そう、誰一人として。






想像もしていなかった。

変わり者と呼ばれた神が降り、
たった一人の退妖師を気に入り、新しい風を吹かせることなど。


再び一葉が目を覚ました時、そこに水光はいなかった。

布団を触ってみるとそこは既に冷たくなっていて
水光がここから去ったのがつい今しがたではない事を知る。
そして一葉は、これが当たり前なのだから、と自分に言い聞かせた。

水光にとって自分は契約したただの人間なのだから。
だから期待してはいけない。
愛されているだなんて、そんなのただの思い違いなのだと
一葉は落胆しながらもそう胸に手を当てて落ち着かせた。

布団をたたみ、押し入れに片付けながら一葉はふと、
部屋の隅に置いてある鏡に目をやった。
落胆する自分の情けない顔が目に入る。
その顔は、とても悲しそうに目を潤ませているようにも見える。

昨夜水光の腕の中に抱かれていた時は、
一生分の幸せが今ここに集結したのではないだろうかと思えるようだった。
そんな風に感じる事が出来たそれだけで、一葉には身に余る幸せなのだ。
だから落ち込む必要はない。

・・・しっかりしなくては。

一葉はそう思って自分の顔から視線を逸らそうとした。
しかし、ふっと、その瞬間ある事が気になった。

いつもだったら妖を退治した翌日は特に、力の消費が激しくて
力の弱い一葉は体調が良くないか、又は真っ青な顔をしているのが常だ。

なのにどうした事だろう。
もう一度よく鏡を見つめてみると、一葉の顔は血色が良い。
こんな事は初めてだった。

もしかして、昨夜水光様と契ったから・・・?

しかし儀式の新月の次の日だって、こんな風に血色が良い事などない。
偶々であろうか。

一葉は不思議に思いながらも、その理由が他に思い当たる事もなく
そのまま鏡から離れ、部屋を後にした。



朝食をとってから一葉は母と二葉に今日は街へ出かけると告げた。
退妖の力は術として磨けば日常生活の様々な所で役に立つ。
それは怪我を癒す術としてや、逃げた動物を捕まえる捕縛の術として。
勿論万能ではなく、病気や重症の怪我は気休め程度になってしまうが。
今日はその見回りの為に街へ行くのだ。

大きな依頼は補佐の役目を担う母や二葉に直接話がいく事になっている。
本当に困っている人物の依頼はすぐに受けるが、
私利私欲の為に退妖の術を利用しようとする輩も多い。
それを見極め受ける受けないを決めるのは母や二葉の役目だった。

今日は満月の次の日。
妖の多く出没する日の次の日は疲労も大きい為、その依頼は受けない。
いつもだったら力を蓄える為にじっとしているが
今日は体調が良い為、一葉は街へ見回りに行こうと決めたのだ。

「一葉、一人で行くつもりですか?」

家を出ようとした時に後ろからそう声をかけられた。
母の銀香だ。

「えぇ、式神たちも昨夜力を使い疲れていると思いますので」

「一人で出かけて、何かあっては困りますから、誰か一人でも連れて行きなさい」

母の渋い顔を見て一葉は少し考えた。
母は力のない一葉を過剰に心配し、このような言葉はいつもの事だ。
一度そう言ったら一葉の言葉など聞いた事がない母に、
ずっと反抗していても時間の無駄なので従う事にした。

「では、鼓羽を。蝶の姿のまま連れて行きます」

何より式神は母である銀香が一葉を心配するあまり
まだ自分が退妖師であった時に力を込めて作ったものだ。
弱い力ではいつ消えるか分からない式神が、
こんなに長く一葉の元にいるのも母が一葉を思う気持ちの現れである。
その母の思いを、無碍にはできなかった。

式神である三人。浮珠は蜂、秘雲は蜘蛛、鼓羽は蝶々の一部を使っている。
その為人型の時は術を使え便利だが、力を温存させたい時は元の姿の方が良い。
万が一、一葉の身に何かあるようなら、人型をとってもらえばよい。
ひらひらと空を舞い、少し離れている場所で一葉の後をつけるには鼓羽が覿面だった。

「では鼓羽、お願いします」

「はい」

そうして一葉は一匹の蝶々と一緒に家を出たのだった。



ひらひらと舞う蝶々を後ろに従え、
しかしそうと分からないように一葉は街を歩いてゆく。
顔見知りの人に近況を聞いたり、困ってる人がいないか等の情報を聞いたりして
一葉は必要があればその人を訪ねてゆく。
その途中で、何か欲しいものがあれば買い物もする。
何気ない顔で街をふらふらするふりをして、実は常に警戒を解かないので、
見回りも見回りでそれなりに気力を使うのだが
今日はやはり疲れがいつもより少ない。
どうしてかは分からないが、どうせ体調が良いのだ。
ならばもう一回りしよう。そう思って一葉はもう少し先まで足を延ばすことにした。

出店が並ぶ所まで歩いてきて、そういえば手拭いがそろそろ切れてきていた事を思い出す。
一つ、買っていこう。
一葉は手ごろな所で立ち止り、手拭いを選ぶ事にした。
様々な色をした手拭いを眺め、どれが良いだろうかと悩んでいた時だ。
後ろからすっと手が伸びてきて、一つの手拭いを指差した。

「これが良いだろう。一葉に良く似合う」

後ろからそう言われ、一葉は驚き振り返る。
誰かがいる気配など、何一つ感じなかったのだ。
一体誰が、そう思って一葉は後ろを見てみると、
そこにいたのはとても良く知った顔だった。
しかし、いつもとは風貌が違う。
どうした事だろう。いつも見慣れたはずの色が違っている。

「水光様・・・?」

それは、その容姿は間違いなく水光のものだ。
しかし光を発するように輝く銀髪は黒く、
熱い炎を連想させるような橙の目の色も、今は黒く光っていた。

「これを一つくれ」

そう言って水光はどこからか金を取り出し、店主に支払うと
未だ呆然とする一葉の手を取って歩き出した。
今買ったばかりの手拭いを一葉に握らせ、

「ほら、良く似合う」

そう言って水光は目の前で笑うのだ。
その笑顔を見て漸く一葉は現状に気付きはっとした。

「み、水光様・・・?」

手には水光が選んだ紺色の地に橙の模様で木の実が描かれた手拭い。
確かに、とても一葉の好みに合っており肌触りも良かった。
しかし一葉は一銭も金を支払ってはいない。

「水光様、お金を今っ・・・」

「そのぐらい、気にするな」

「しかし・・・!」

慌てて水光の顔を見上げるが、水光は笑ったまま一葉の言葉に耳を傾けない。
握った手にきゅっと力を入れて一葉を見て、こんな風にしたかったと言ったのだ。

「え?」

「髪の毛も瞳も、これで人間にしか見えないだろう?
 人間同士の逢瀬はこうして街を歩き、好いた相手と何気ない買い物などをすると聞く。
 そんな風に俺も一葉と街を歩いてみたかったんだ」

そうして笑顔を向けられてしまえば、一葉にはもう何も言えなかった。
昨夜は気まぐれで降りてきただけで、
再びこんな風に気軽に水光が降りてくるなどと一葉は思っていなかった。
それだけで一葉にとっては驚きであるのに、
まさかこのように人間のする事がしてみたかったとは・・・
その為に髪の毛の色も瞳の色も変えてここにいるのだ。
一葉とこうして歩く為に。




いけない。
期待などしてはいけないと、あれだけ自分に言い聞かせたのに・・・

なのにまた、こんなにも胸が激しく鼓動をうつ。


どうしようもない心の疼きを抑えられず、
それは頬の色を赤く染める形で一葉の身体に表れていた。


悟られてはいけない・・・

何とか一葉はこの疼きを誤魔化す為に水光へと疑問を投げかけた。

「水光様、今朝はどちらへ行っていたのですか?」

「あぁ、すまない。できればずっと一葉の寝顔を見つめていたかったんだが・・・」

しかし、何を聞いても頬の赤みを高潮させるばかりで、うまくはいかない。
こんな風に水光は、いつからか一葉の胸を鳴らす言葉ばかりを言うようになった。
できればいつも感情を表に出さず、無表情を貫いていたい。
それが一葉の処世術なのだ。
一族の者に何を言われても無表情でいればそれ以上ひどくならない。
だから一葉が感情を表に出す事など、ここ数年ではそうなかった事なのだ。
なのにそれを全て水光はなかった事にする。

うまくいかない。

「ご無理をされているのでは・・・
 こんなに頻繁にこちらへ降りる事など今までなかったですから」

一葉は水光にそう問いかけると、水光は何でもない事のように笑う。

「魚が酸素を求めてたまに水面へと顔を出すのと同じようなものだよ」

何も一葉が気にする事はない。自分がしたくてしている事だ。
そう水光は言うと、もう少し一葉と街中を歩きたいらしく一葉の手を引っ張った。

「案内してくれ、お前の生きる場所を」

そう微笑まれるともう一葉は何も言えなかった。
元より心配はすれども内心は嬉しく思っているのだ。
それ以上問う事は一葉にはできなかった。



今の一葉には水光が全てだ。
表には表わさなくても水光に依存しているのは分かっていた。
家族ですら本音を話せなくなった一葉が、今心を許せるのは水光しかいない。
しかし水光は神である為、依存してはいけない、恋などしてはいけない、
そうして自分の心を強く戒めている。
恐れ多い事なのだ。こうして手を繋ぎ隣を歩くことなど。

何が正しいのか、どうすれば正しいのか、
一葉にはまるで分からない。
けれども身分違いの想いにいつか自分だけが傷つくのはわかる。
水光に迷惑をかけるのも。

だから一葉には、必死にこの胸の痛みに目を逸らす事しかできなかった。



水光の元を初めて訪れたのは今から2年前。
その時は死して罪を償う事ばかり考えていた所為か
今こうして胸の痛みに耐えている事など一葉は想像もできなかった。

契約を行う新月の夜
一葉は祭壇の前の寝台に身体を横たえてその時を待った。
手は神に祈りを捧げるようにぎゅっと握り、
目は現実を直視することを拒むようにぎゅっと瞑っていた。

幾ばくかの時が過ぎた頃、頬にひとつ風を感じて一葉は目を開く。
すると、祭壇の前に青白い光を纏った人影が立っていた。

いつの間にいたのだろう。
一葉はふるりと身体を震わせ、その人影をじっと見つめていた。

徐々に青白い光は消えてゆき、そこに残った人影をよく見ると
短く切った銀髪に、橙の色をした人がそこに佇んでいる。

綺麗な方・・・

一葉は咄嗟にそう思った。
神様というのはみなこの方のように綺麗な顔立ちをしておられるのだろうか。
一葉はこれから神の逆鱗に触れるかもしれないというのに
そこに降りた神を見た瞬間、その恐怖は身を潜めてしまっていた。

一葉からは何も言えず、その神をじっと見つめていると
やっと目の前の神はゆっくり歩いて一葉の目の前までやってきた。

「御園生の退妖師か?」

声をかけられた一葉は、緊張が解けず声が出ない。
何とかひとつ、首を縦に動かすことだけができた。

するとどうだろう。
一葉の目の前の神は、一葉の顔をじっと見つめると言ったのだ。

「面倒だ面倒だと抗っていたが、こんな可愛い退妖師だったとは」

「え・・・?」

「知ってれば喜んできたものを。隠しやがってあのジジイ」

その言葉を聞いた一葉は頭の中が真っ白になった。
綺麗な顔立ちからはまるっきり正反対で、一葉ですら使った事のない言葉だった。

呆然とする一葉に神はにこりと笑いかけ、
悪態をついた顔を瞬時に変えて優しく一葉に話しかけた。

「俺の名前は水光という。お前は?」

「え・・・と、御園生一葉です」

まだ震える声で一葉がそう言うと、水光と名乗った神は微笑み
一葉が横たわっていた寝台に腰掛ける。
目の前の神は、一葉が想像していた神々しい神とは少し違い
一葉は瞬きを速めるのを止められずにいた。

「一葉、いい名前だな。契約をするのが一葉でよかった。
 さぁ、契約の儀式を・・・」

そう言って水光は一葉に身を寄せ、一葉に顔を近づける。
しかし一葉には言わなければならない事があった。
水光は一葉を可愛いと言った。
確かに一葉は母の銀香に似ており、まだ成長途中にいる為女のような容姿をしている。
女に勘違いされているのであればすぐに訂正しなくてはならない。

「あの、水光様!」

「どうした?」

「あの、あの、私には言わなくてはならない事が・・・
 代々女しか力を受け継がない御園生家ですが、手違いがありまして
 ・・・私は男なのです・・・!」

「・・・男?」

水光がそう訝しげな声を発した為、一葉は水光に向かって必死に頭を下げた。

「申し訳ありません・・・!」

契約の儀式は性交を意味するのに、女でない一葉がここにいるなどとんでもない事だ。
すぐにでも激怒され死を選択せざるを得ないと思っていたが
神の砕けた口調に一瞬でもそれを忘れてしまった自分を後悔する。
自分はここで死んでもいい、でも、どうかどうか家族には・・・

「そんな事、見ればすぐに分かるが・・・それがどうした?」

一葉が冷や汗をかきながら頭を下げていると、
頭上からはなんとものんびりとした水光の声が聞こえてきた。

え、と一葉は訳も分からず顔をあげる。
すると目に入ってきた水光の顔は、
怒るという感情さえ持ち合わせていないかのように優しげな顔で一葉を見つめていた。

「私は・・・男ですので・・・」

「あぁ、そうだな」

「男の私を抱くなど、水光様に申し訳なく・・・」

あまりにそのままで、怒る気配など微塵も見せない水光に一葉は言い淀む。
謝る事しか頭になかった為に、こんな展開は想像もしていなかった。
何から言葉にすればいいのか、真っ白な頭で一葉は混乱するばかりだった。

「男でも儀式は行えるだろう?」

「そう・・・ですが」

そう言うと水光は手を伸ばし、一葉の神をふわりと撫でた。
すると凍りつくように固かった一葉の心が、ふわりと温かく包まれて
少しずつ溶けだしていくのが感じられた。

まるで、待ち望んだ春の息吹のように。

「俺たちは性別など気にした事はない。それは、まぁ女好きの神もいるが・・・
 男でも女でも同じ守るべき対象だ。・・・でもその中の契約する人間が、
 ・・・こんな可愛らしい容姿と心根で、俺は今とても喜んでいるが?」

その言葉を聞いて驚きに一葉は水光の顔を凝視してしまう。
そのまま何も言えずにいると、水光に両頬を触られ見つめ合う事になる。

「・・・不安だったのか?」

「・・・本当に、本当に・・・?」

「あぁ、本当だ」

水光はそのまま顔を寄せ、静かに一葉に口づけた。
一葉は、拒絶する事なく、その口づけを受け入れていた。

目を閉じた瞬間、雫が一筋流れでていた。



自分は生贄と同じだと一葉はそれまで思っていた。
自分に示された道は二つの選択肢しかなく、死か、契約か。
どちらの結果になっても自分には絶望的にしか思えなかった。
たとえ生き残れても、この先神にずっと身体を差し出す事になる。
男である為、神に可愛がられる事もないだろう。
男である自分が、退妖師である為に心を殺して生きていくのだ。
なんの希望もない。そう思っていた。

だけどこの瞬間、一葉の心はそれを否定した。

口づけを受け入れた瞬間に、なぜだろう。
水光に全てを捧げよう。そう思ったのだ。

男である事がなんでもないと水光は言う。
男の身で身体を差し出す事を怖がっていた自分が小さく思えた。

神はいた。
こんなにもあたたかい神が。

あたたかい光に心を包まれ、一葉はその身体を再び寝台に横たえた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *不定期連載です。

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

【8話完結】強制力に負けて死に戻ったら、幼馴染の様子がおかしいのですが、バグですか?

キノア9g
BL
目が覚めたら、大好きだったRPGの世界に転生していた。 知識チートでなんとか死亡フラグを回避した……はずだったのに、あっさり死んで、気づけば一年前に逆戻り。 今度こそ生き残ってみせる。そう思っていたんだけど—— 「お前、ちょっと俺に執着しすぎじゃない……?」 幼馴染が、なんかおかしい。妙に優しいし、距離が近いし、俺の行動にやたら詳しい。 しかも、その笑顔の奥に見える“何か”が、最近ちょっと怖い。 これは、運命を変えようと足掻く俺と、俺だけを見つめ続ける幼馴染の、ちょっと(だいぶ?)危険な異世界BL。 全8話。

悪役令息ですが破滅回避で主人公を無視したら、高潔な態度だと勘違いされて聖人認定。なぜか溺愛ルートに入りました

水凪しおん
BL
BL小説『銀の瞳の聖者』の悪役令息ルシアンに転生してしまった俺。 原作通りなら、主人公ノエルをいじめ抜き、最後は断罪されて野垂れ死ぬ運命だ。 「そんなの絶対にお断りだ! 俺は平和に長生きしたい!」 破滅フラグを回避するため、俺は決意した。 主人公ノエルを徹底的に避け、関わらず、空気のように生きることを。 しかし、俺の「無視」や「無関心」は、なぜかノエルにポジティブに変換されていく。 「他の人のように欲望の目で見ないなんて、なんて高潔な方なんだ……!」 いじめっ子を視線だけで追い払えば「影から守ってくれた」、雨の日に「臭いから近寄るな」と上着を投げつければ「不器用な優しさ」!? 全力で嫌われようとすればするほど、主人公からの好感度が爆上がりして、聖人認定されてしまう勘違いラブコメディ! 小心者の悪役令息×健気なポジティブ主人公の、すれ違い溺愛ファンタジー、ここに開幕!

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

過去のやらかしと野営飯

琉斗六
BL
◎あらすじ かつて「指導官ランスロット」は、冒険者見習いだった少年に言った。 「一級になったら、また一緒に冒険しような」 ──その約束を、九年後に本当に果たしに来るやつがいるとは思わなかった。 美形・高スペック・最強格の一級冒険者ユーリイは、かつて教えを受けたランスに執着し、今や完全に「推しのために人生を捧げるモード」突入済み。 それなのに、肝心のランスは四十目前のとほほおっさん。 昔より体力も腰もガタガタで、今は新人指導や野営飯を作る生活に満足していたのに──。 「討伐依頼? サポート指名? 俺、三級なんだが??」 寝床、飯、パンツ、ついでに心まで脱がされる、 執着わんこ攻め × おっさん受けの野営BLファンタジー! ◎その他 この物語は、複数のサイトに投稿されています。

【8話完結】帰ってきた勇者様が褒美に私を所望している件について。

キノア9g
BL
異世界召喚されたのは、 ブラック企業で心身ボロボロになった陰キャ勇者。 国王が用意した褒美は、金、地位、そして姫との結婚―― だが、彼が望んだのは「何の能力もない第三王子」だった。 顔だけ王子と蔑まれ、周囲から期待されなかったリュシアン。 過労で倒れた勇者に、ただ優しく手を伸ばしただけの彼は、 気づかぬうちに勇者の心を奪っていた。 「それでも俺は、あなたがいいんです」 だけど――勇者は彼を「姫」だと誤解していた。 切なさとすれ違い、 それでも惹かれ合う二人の、 優しくて不器用な恋の物語。 全8話。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

処理中です...