虚弱で大人しい姉のことが、婚約者のあの方はお好きなようで……

くわっと

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「ごめんなさい、姉が私の帰りを待っていますのでーー」

 差し伸べられた手をするりとかわす。
 これが、公爵家令嬢リトアの婚約者『でも』あるカストリアの決まり文句である。
 決まり文句、というだけで、その言葉には嘘偽りはない。
 彼の最愛の姉であるイデアは本当に彼の帰りを待っているし、婚約者の一人でもあるリトアとの甘い時間を終わらせたくないのも本当である。

 だが、本当であるからこそ、余計にタチが悪い。
 地位も名誉も権力も。
 武力も知力も財力も。
 全て、とは言わないにしろ、そのほとんどを所有しているこの男のことが。
 月並みに好きな自分が、ただただみっともない。

 けれど、それでも。
 一緒にいられるならば。
 婚約者という、その他大勢とは違う立場にいられるならば。
 それだけで良かった。

 艶やかな短い黒髪が、
 高く整った鼻が、
 優しい黒い瞳が、
 すらりと伸びる背丈が、
 引き締まった両腕がーー

ただただ、愛おしい。
けれど、そこには何の特別性もない。
初見で恋に落ちた連中と私とで、大差はないのだ。
でも、愛情の過多だけは、私が一番と思いたい。
ーー他の連中も、その点でも同一なのだろうけど。

「そう……ですか」

目を逸らし、囁くようなか細い声で、私は言った。
楽しい時間は一瞬だ。
愛しい相手であれば、それはもうーー

「ーーでは、カストリア様。お姉様によろしくお伝えください」

私は両手を握りしめ、唇を少し噛んで告げる。
手は見えないように後ろ手に隠し、唇は言葉に影響が出ないように調整する。
分を弁えなくてはいけない。
今の関係を続けるためにはーー将来のための今を重ねるためには、無理はしてはいけない。
嫌われてはいけない。
迷惑に思われてはいけない。
印象を悪くしてはいけない。

「すまないね。君との時間は、とても楽しいから。ついつい、姉との約束を忘れてしまう」

言いつつ、彼は私の頭を撫でる。
少し冷たい、大きな手。
さらりと揺れる黒髪が美しい。
本人は好きではないと言っていたが、私は好きだ。
いや、私以外の連中もきっと好きだ。

まるで呪いにかけられたかのように、この人のことを、誰しもが愛してしまう。
老いも若きも、
男も女も。
この呪いが効かないのは、きっと彼の家族だけ。
正しくは、姉であるイデア様を除いて、であるが。
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