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第一章 キシダグモは紅茶の上を泳ぐのか
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クラークは紅茶を飲み干し給仕に新しい紅茶を用意させると、カゼボ内に待機していた家令を呼び何か言伝を頼み向かわせた。
おそらく次に交流する令嬢の名前でも伝えていたのだろう、とオズワルドは考える。現在クラークは下位貴族家の御令嬢(と言っても当然ながら最低が伯爵位なので、十分すぎるほどの名門家系が名を連ねているのだが)から順に呼び出しては交流を続けており、あとは公爵位と侯爵位、そして辺境伯位を残すだけとなっている。
送り出されたそのまま真っ直ぐ家令がラベンダー色のドレスを着た令嬢に話しかけている姿が遠くに見え、オズワルドはそういうことかと合点がいった。
最初からこのタイミングでオズワルドを呼び出しケイトの話をさせたのは、ケイトと自身の交流にオズワルドを立ち合わせるつもりだったのだろう。
今まで出会ってきた令嬢とは毛色が違うケイトに興味があるのと、どこかの貴族に婿入りさせなくては騎士として働くだけで一生を終えてしまうであろう侯爵家六男に恩を売るつもりなのだろうが、王太子なのにあからさま過ぎる。
そういう親戚のお節介みたいな小っ恥ずかしい真似はやめてほしいし、いい加減定位置に戻るよう指示がほしい。いっそ素知らぬ振りで逃げてしまおうか、と不敬なことを考え始めたあたりでオズワルドは首を傾げた。
ケイトの元を離れた家令がちょこちょこと声をかけて回った他の御令嬢方にも覚えがある、というより下手を打てば内戦でも起こりそうなラインナップでは。
クラークの様子を伺うように視線を落とすと、テーブルに両手をついたその尊顔はなにやら楽しそうに口角を上げている。これはロクでもないことを考えている時の仕草だな、オズワルドは思い当たり、これ以上クラークを突くことはやめにした。
***
「クラーク殿下、この度はこのような機会をご用意いただき、ありがとうございます」
テーブルの前に並んだ4名の御令嬢がカーテシーを披露する様はまさに圧巻である。「薔薇園でのお茶会」というシチュエーションに合わせてだろう、皆それぞれ動きやすいようにボリュームが少ないドレスを仕立てているのだろうが、ドレスの裾からそれぞれ覗く大量のフリルの仕立てを見てオズワルドは勝手に甘ったるいクリームを大量に口に突っ込まれたような気分になった。既に胸焼けがしそうである。
皆それぞれ自身の将来と家の期待が掛かっているからなのであろう。文官1人の年収分くらいは優に掛かる、歩くだけで緊張してしまいそうな逸品揃いだが、クラークの一声で上がった顔はそれぞれ涼しげな表情であった。
さすがリアヴェール国においてもトップクラスに位置する上流階級の御令嬢方である。この場で狼狽えるような教育は施されていないのだろう。
「クラーク殿下、ご無沙汰しております」
「リリー。久しぶりだね。ダニエルの様子は伺っているかい?」
「ええ。半月に一度ほどは我が家にも便りが届いております」
「ならよかった」
王太子に促されそれぞれ着席をした後、開口一番に口を開けたのはレモンイエローのAラインドレスを身につけた、リリー・リアマクス公爵令嬢である。王太子とよく似たブロンドヘアを持つ彼女は本日の参加者では最高位に位置するお家柄だ。
家名の通り、随分と昔に王家から分岐した公爵家のお家柄であり、王族との縁故も深い。領地は王都から程近い商業都市がメインであり、王妃がいない現在文化的経済の成長や外交面を担っているという公爵家というのがまさにこのリアマクス家である。
ダニエルというのは現在他国領事館に派遣されている彼女の兄のダニエル・リアマクスのことだ。彼が王太子の側近の1人ということもあり、リリーは王子たちとは幼年からの親しい間柄である。王太子妃候補としても真っ先に名前が上がる最有力候補であろう。
まさに気のおけない仲といった2人の雰囲気に、「クラーク殿下!」と待ったの声がかかる。
「マズール公爵家のエリーナでございます。先日は我が領へわざわざのご来訪誠にありがとうございました。とても有意義なお時間でしたわ」
「ああ、うん。こちらこそ世話になったね」
「とんでもございません!」
テーブルを叩きつけんばかりの勢いで身を乗り出すエリーナ。あからさまなリリーに対する牽制に、オズワルドは思わず天井を見上げた。普段から彼女に掛けられてる迷惑を思えば、頭が痛くなってきた気すらする。
エリーナは真っ赤なドレスに見事な黒髪を垂らしている美女である。マズール家は王都に対して南側に位置する領地を持ち、海から引き込んだ大河を利用し主に帆船を利用した運搬業や水を豊富に扱える土壌を利用した果実農業などが有名だ。
数百年前には王都の水路工事も担当していたというのだから、リアマクス家に勝るとも劣らない名家であるのだが、現公爵とその娘は家名を上げることに腐心している。
登城のたびに娘を連れてきては国王に売り込んでみたり、舞踏会で気に入らない令嬢相手に嫌がらせをしてみたりとトラブルに事欠かないのだ。先日も「王太子殿下に差し入れをしたい」とやってきた彼女の謁見を拒否した侍女宛にネズミの死体が送られてきたと大騒ぎになり、オズワルドも対応に手を焼いたばかりである。
それでいて毎度己の手を汚すことはないので、追求を逃れられてしまっているというのも事実だ。先日王太子がマズール領に顔を出したのも暗に釘を刺す為の対抗策だったそうだが、彼女に関してはむしろつけあがる結果になっているような気もする。
今もいささかお茶会で着るには露出が高過ぎるドレスの胸元をあからさまにくつろげ、クラークに視線を送っているが、彼はそういったもので絆される手合いではない。
うーん、とクラークが困ったように笑ったところで、エリーナの隣に座った令嬢が顔の横にすっと手を挙げた。
クラークが彼女に視線を向けると、白い頬を桃色に染めた御令嬢が口を開いた。
「……僭越ながらご挨拶申し上げます。エイベル侯爵家の娘ローラ・エイベルです。王太子殿下にご挨拶させていただくのは、去年のデビュタント以来かと存じます。本日はお招きありがとうございました」
「ふふ、お父君のエイベル侯爵には趣味の話によく付き合ってもらうんだけど、その時によく家族の自慢も聞かされていてね。会えて嬉しいよ」
「と、とんでもございません。お恥ずかしい限りで……」
本当に恥ずかしそうに首を横に振るローラは、上質な紅茶のような赤毛をまとめ上げ、涼しげなアイスブルーのドレスを身につけていた。刺繍などもないシンプルなデザインではあるが、赤毛を飾るシルバーの髪飾りや動きに合わせて微かに光る生地など見る人が見れば彼女の家がとんでもない財力を併せ持つことは一目瞭然だろう。
エイベル侯爵領は鉱山を多く持ち、金属や宝石の採掘業やその加工業で発展をしてきた大貴族である。元々は過去の大戦で功績を上げた平民の将軍に姫を下賜される際に起こされた家系であり、それ故か一族代々特徴的な赤毛を受け継いでいる。
オズワルドの生家であるワイズリー侯爵領はエイベル侯爵領の隣に位置するので、オズワルドにとっては何かと交流があるご近所さんだ。といっても昨年社交界デビューしたばかりのローラとは少々歳が離れており、オズワルドには今も昔も御令嬢と交流できるような趣味も興味もなかったため、ローラのことは友人の妹くらいの感覚である。
彼女の頭を飾る見事な銀細工は花冠の意匠を細く糸のように加工した銀で表現した代物のようだった。花の代わりに光を返す銀の糸は派手すぎず上品で、それに合わせたドレスはおそらく鉱石を砕き織り込んでいるのだろう。
国内ではエイベル侯爵家にしかできないであろう職人芸にオズワルドが見入っていると、王太子に向いていたローラの視線がオズワルドにズレたので、胸に手を当て軽く頭を下げる。
不躾だったかもしれないが、知らない仲ではないしと考えていたのだが、頬をいっそう赤らめたローラにバッと視線を逸らされた所を見るとどうやら不快だったらしい。そりゃ大男に意味もなく見つめられたら不快にもなるか、とオズワルドは己の浅慮さを反省した。
「マルーン辺境伯の娘、ケイト・マルーンでございます。王太子殿下におきましては拝謁の機会をいただき、大変光栄でございます」
彼女のハットに飾られた花々とリボンが時折カゼボに吹く風に合わせて小さく揺れる。その中央に浮かぶサファイヤブルーの瞳と少し勝気そうな微笑みに、クラークが関心したように息を吐いたのをオズワルドは見逃さなかった。
最後に王太子への挨拶を述べたのは、この錚々たる高名貴族の中では当然ながら末席に当たるケイトである。
「ありがとう。今日は他家の御令嬢も多くいるからね。ぜひ多くの者と交流して、有意義な時間にしてほしい」
「美しい花々に囲まれ、目も心も非常に楽しませていただいております。わたくしのような田舎者にも心を砕いていただき、感謝しておりますわ」
ふふふ、と笑うケイトの返事にクラークは満足したのか「それはよかった」と笑みを返しているが、その後ろに立つオズワルドは自身の表情筋が死んでいくのを感じていた。
一時間ほど前、初対面の男相手にクモについて勝手に語り尽くし、一緒にカニ歩きをしていたとは思えないほどのケイトの変貌ぶりにオズワルドは胡散臭さすら感じ閉口せざるを得ない。が、やはりこのケイト・マルーン辺境伯嬢は元々かなり出来のいい御令嬢なのであろうとも感じた。本性はともかくとして。
先ほど会場警備の際にオズワルドも耳にしたばかりではあるのだが、ケイトは王都から遠く離れた辺境伯領に住んでいることもあり王宮でのデビュタントを済ませていないらしく、この「お茶会」が彼女の事実上の社交界デビューにあたるらしい。
それ故に様々な意味で注目の的なのだそうだが。その割にはクモを探しに行方不明になったり、初めての王宮でまだ幼い従者を振り回したり、初対面のオズワルドに警戒心もなくクモを見せつけたりと既にやりたい放題である。
しかしそんなことは全て些事なのではないか、と納得させるほどケイトの振る舞いには謎の迫力と説得力があった。
王太子妃という一つの席を争う場で狼狽えるどころか『美しい花々』とすら簡単な口にする胆力は間違いなく、ケイト自身より高位の身分を持つものしかいないこの場では一等品の武器だ。この場にいる全員の注目を集める中、ケイトは涼しげな顔で堂々としている。
まあ、彼女の言う『美しい花々』というのは文字通り庭園に咲いてる花のことなのだろうな、とオズワルドは邪推した。
「さて、こうしていても仕方がないね。ぜひあなた方の興味深い話を聞かせてほしいな」
王太子の一言で控えていた侍女がテーブルセッティングの為一斉に動き出す。その中央で控えさせられたままのオズワルドはクラークの物言いに呆れ返っていた。
王太子を納得させられるレベルの「興味深い話」を要求するもんじゃない。他のグループがお茶どころではない空気に包まれていた理由も間違いなくこれであろう。
平然と微笑を浮かべたままのリリー・リアマクス公爵令嬢。眼力の強い眼で他の令嬢を威圧するように見回しているエリーナ・マズール公爵令嬢。チラチラと周囲を見渡してエリーナの視線に気付き、困ったように眉を落とすローラ・エイベル侯爵令嬢に、何を考えているのかテーブルに飾られた切り花を食い入るように見つめているケイト・マルーン辺境伯令嬢。
そしてそんな彼女たちを前に不敵な笑みを浮かべるクラーク王太子に、一介の近衛騎士であるオズワルドは不遜にも子供の頃に読んだ児童書の魔王の姿がフラッシュバックした。
お茶会ってこんな緊張感走るものだっただろうか。というオズワルドの疑問を置いてけぼりに、その戦いの火蓋は斬られたのだった。
おそらく次に交流する令嬢の名前でも伝えていたのだろう、とオズワルドは考える。現在クラークは下位貴族家の御令嬢(と言っても当然ながら最低が伯爵位なので、十分すぎるほどの名門家系が名を連ねているのだが)から順に呼び出しては交流を続けており、あとは公爵位と侯爵位、そして辺境伯位を残すだけとなっている。
送り出されたそのまま真っ直ぐ家令がラベンダー色のドレスを着た令嬢に話しかけている姿が遠くに見え、オズワルドはそういうことかと合点がいった。
最初からこのタイミングでオズワルドを呼び出しケイトの話をさせたのは、ケイトと自身の交流にオズワルドを立ち合わせるつもりだったのだろう。
今まで出会ってきた令嬢とは毛色が違うケイトに興味があるのと、どこかの貴族に婿入りさせなくては騎士として働くだけで一生を終えてしまうであろう侯爵家六男に恩を売るつもりなのだろうが、王太子なのにあからさま過ぎる。
そういう親戚のお節介みたいな小っ恥ずかしい真似はやめてほしいし、いい加減定位置に戻るよう指示がほしい。いっそ素知らぬ振りで逃げてしまおうか、と不敬なことを考え始めたあたりでオズワルドは首を傾げた。
ケイトの元を離れた家令がちょこちょこと声をかけて回った他の御令嬢方にも覚えがある、というより下手を打てば内戦でも起こりそうなラインナップでは。
クラークの様子を伺うように視線を落とすと、テーブルに両手をついたその尊顔はなにやら楽しそうに口角を上げている。これはロクでもないことを考えている時の仕草だな、オズワルドは思い当たり、これ以上クラークを突くことはやめにした。
***
「クラーク殿下、この度はこのような機会をご用意いただき、ありがとうございます」
テーブルの前に並んだ4名の御令嬢がカーテシーを披露する様はまさに圧巻である。「薔薇園でのお茶会」というシチュエーションに合わせてだろう、皆それぞれ動きやすいようにボリュームが少ないドレスを仕立てているのだろうが、ドレスの裾からそれぞれ覗く大量のフリルの仕立てを見てオズワルドは勝手に甘ったるいクリームを大量に口に突っ込まれたような気分になった。既に胸焼けがしそうである。
皆それぞれ自身の将来と家の期待が掛かっているからなのであろう。文官1人の年収分くらいは優に掛かる、歩くだけで緊張してしまいそうな逸品揃いだが、クラークの一声で上がった顔はそれぞれ涼しげな表情であった。
さすがリアヴェール国においてもトップクラスに位置する上流階級の御令嬢方である。この場で狼狽えるような教育は施されていないのだろう。
「クラーク殿下、ご無沙汰しております」
「リリー。久しぶりだね。ダニエルの様子は伺っているかい?」
「ええ。半月に一度ほどは我が家にも便りが届いております」
「ならよかった」
王太子に促されそれぞれ着席をした後、開口一番に口を開けたのはレモンイエローのAラインドレスを身につけた、リリー・リアマクス公爵令嬢である。王太子とよく似たブロンドヘアを持つ彼女は本日の参加者では最高位に位置するお家柄だ。
家名の通り、随分と昔に王家から分岐した公爵家のお家柄であり、王族との縁故も深い。領地は王都から程近い商業都市がメインであり、王妃がいない現在文化的経済の成長や外交面を担っているという公爵家というのがまさにこのリアマクス家である。
ダニエルというのは現在他国領事館に派遣されている彼女の兄のダニエル・リアマクスのことだ。彼が王太子の側近の1人ということもあり、リリーは王子たちとは幼年からの親しい間柄である。王太子妃候補としても真っ先に名前が上がる最有力候補であろう。
まさに気のおけない仲といった2人の雰囲気に、「クラーク殿下!」と待ったの声がかかる。
「マズール公爵家のエリーナでございます。先日は我が領へわざわざのご来訪誠にありがとうございました。とても有意義なお時間でしたわ」
「ああ、うん。こちらこそ世話になったね」
「とんでもございません!」
テーブルを叩きつけんばかりの勢いで身を乗り出すエリーナ。あからさまなリリーに対する牽制に、オズワルドは思わず天井を見上げた。普段から彼女に掛けられてる迷惑を思えば、頭が痛くなってきた気すらする。
エリーナは真っ赤なドレスに見事な黒髪を垂らしている美女である。マズール家は王都に対して南側に位置する領地を持ち、海から引き込んだ大河を利用し主に帆船を利用した運搬業や水を豊富に扱える土壌を利用した果実農業などが有名だ。
数百年前には王都の水路工事も担当していたというのだから、リアマクス家に勝るとも劣らない名家であるのだが、現公爵とその娘は家名を上げることに腐心している。
登城のたびに娘を連れてきては国王に売り込んでみたり、舞踏会で気に入らない令嬢相手に嫌がらせをしてみたりとトラブルに事欠かないのだ。先日も「王太子殿下に差し入れをしたい」とやってきた彼女の謁見を拒否した侍女宛にネズミの死体が送られてきたと大騒ぎになり、オズワルドも対応に手を焼いたばかりである。
それでいて毎度己の手を汚すことはないので、追求を逃れられてしまっているというのも事実だ。先日王太子がマズール領に顔を出したのも暗に釘を刺す為の対抗策だったそうだが、彼女に関してはむしろつけあがる結果になっているような気もする。
今もいささかお茶会で着るには露出が高過ぎるドレスの胸元をあからさまにくつろげ、クラークに視線を送っているが、彼はそういったもので絆される手合いではない。
うーん、とクラークが困ったように笑ったところで、エリーナの隣に座った令嬢が顔の横にすっと手を挙げた。
クラークが彼女に視線を向けると、白い頬を桃色に染めた御令嬢が口を開いた。
「……僭越ながらご挨拶申し上げます。エイベル侯爵家の娘ローラ・エイベルです。王太子殿下にご挨拶させていただくのは、去年のデビュタント以来かと存じます。本日はお招きありがとうございました」
「ふふ、お父君のエイベル侯爵には趣味の話によく付き合ってもらうんだけど、その時によく家族の自慢も聞かされていてね。会えて嬉しいよ」
「と、とんでもございません。お恥ずかしい限りで……」
本当に恥ずかしそうに首を横に振るローラは、上質な紅茶のような赤毛をまとめ上げ、涼しげなアイスブルーのドレスを身につけていた。刺繍などもないシンプルなデザインではあるが、赤毛を飾るシルバーの髪飾りや動きに合わせて微かに光る生地など見る人が見れば彼女の家がとんでもない財力を併せ持つことは一目瞭然だろう。
エイベル侯爵領は鉱山を多く持ち、金属や宝石の採掘業やその加工業で発展をしてきた大貴族である。元々は過去の大戦で功績を上げた平民の将軍に姫を下賜される際に起こされた家系であり、それ故か一族代々特徴的な赤毛を受け継いでいる。
オズワルドの生家であるワイズリー侯爵領はエイベル侯爵領の隣に位置するので、オズワルドにとっては何かと交流があるご近所さんだ。といっても昨年社交界デビューしたばかりのローラとは少々歳が離れており、オズワルドには今も昔も御令嬢と交流できるような趣味も興味もなかったため、ローラのことは友人の妹くらいの感覚である。
彼女の頭を飾る見事な銀細工は花冠の意匠を細く糸のように加工した銀で表現した代物のようだった。花の代わりに光を返す銀の糸は派手すぎず上品で、それに合わせたドレスはおそらく鉱石を砕き織り込んでいるのだろう。
国内ではエイベル侯爵家にしかできないであろう職人芸にオズワルドが見入っていると、王太子に向いていたローラの視線がオズワルドにズレたので、胸に手を当て軽く頭を下げる。
不躾だったかもしれないが、知らない仲ではないしと考えていたのだが、頬をいっそう赤らめたローラにバッと視線を逸らされた所を見るとどうやら不快だったらしい。そりゃ大男に意味もなく見つめられたら不快にもなるか、とオズワルドは己の浅慮さを反省した。
「マルーン辺境伯の娘、ケイト・マルーンでございます。王太子殿下におきましては拝謁の機会をいただき、大変光栄でございます」
彼女のハットに飾られた花々とリボンが時折カゼボに吹く風に合わせて小さく揺れる。その中央に浮かぶサファイヤブルーの瞳と少し勝気そうな微笑みに、クラークが関心したように息を吐いたのをオズワルドは見逃さなかった。
最後に王太子への挨拶を述べたのは、この錚々たる高名貴族の中では当然ながら末席に当たるケイトである。
「ありがとう。今日は他家の御令嬢も多くいるからね。ぜひ多くの者と交流して、有意義な時間にしてほしい」
「美しい花々に囲まれ、目も心も非常に楽しませていただいております。わたくしのような田舎者にも心を砕いていただき、感謝しておりますわ」
ふふふ、と笑うケイトの返事にクラークは満足したのか「それはよかった」と笑みを返しているが、その後ろに立つオズワルドは自身の表情筋が死んでいくのを感じていた。
一時間ほど前、初対面の男相手にクモについて勝手に語り尽くし、一緒にカニ歩きをしていたとは思えないほどのケイトの変貌ぶりにオズワルドは胡散臭さすら感じ閉口せざるを得ない。が、やはりこのケイト・マルーン辺境伯嬢は元々かなり出来のいい御令嬢なのであろうとも感じた。本性はともかくとして。
先ほど会場警備の際にオズワルドも耳にしたばかりではあるのだが、ケイトは王都から遠く離れた辺境伯領に住んでいることもあり王宮でのデビュタントを済ませていないらしく、この「お茶会」が彼女の事実上の社交界デビューにあたるらしい。
それ故に様々な意味で注目の的なのだそうだが。その割にはクモを探しに行方不明になったり、初めての王宮でまだ幼い従者を振り回したり、初対面のオズワルドに警戒心もなくクモを見せつけたりと既にやりたい放題である。
しかしそんなことは全て些事なのではないか、と納得させるほどケイトの振る舞いには謎の迫力と説得力があった。
王太子妃という一つの席を争う場で狼狽えるどころか『美しい花々』とすら簡単な口にする胆力は間違いなく、ケイト自身より高位の身分を持つものしかいないこの場では一等品の武器だ。この場にいる全員の注目を集める中、ケイトは涼しげな顔で堂々としている。
まあ、彼女の言う『美しい花々』というのは文字通り庭園に咲いてる花のことなのだろうな、とオズワルドは邪推した。
「さて、こうしていても仕方がないね。ぜひあなた方の興味深い話を聞かせてほしいな」
王太子の一言で控えていた侍女がテーブルセッティングの為一斉に動き出す。その中央で控えさせられたままのオズワルドはクラークの物言いに呆れ返っていた。
王太子を納得させられるレベルの「興味深い話」を要求するもんじゃない。他のグループがお茶どころではない空気に包まれていた理由も間違いなくこれであろう。
平然と微笑を浮かべたままのリリー・リアマクス公爵令嬢。眼力の強い眼で他の令嬢を威圧するように見回しているエリーナ・マズール公爵令嬢。チラチラと周囲を見渡してエリーナの視線に気付き、困ったように眉を落とすローラ・エイベル侯爵令嬢に、何を考えているのかテーブルに飾られた切り花を食い入るように見つめているケイト・マルーン辺境伯令嬢。
そしてそんな彼女たちを前に不敵な笑みを浮かべるクラーク王太子に、一介の近衛騎士であるオズワルドは不遜にも子供の頃に読んだ児童書の魔王の姿がフラッシュバックした。
お茶会ってこんな緊張感走るものだっただろうか。というオズワルドの疑問を置いてけぼりに、その戦いの火蓋は斬られたのだった。
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